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丸亀城

2014-02-11 | もしかして雑記帳?

「猪熊弦一郎常設展」と「大竹伸朗展 ニューニュー」をひと通り観て
雨も小降りになってきたので、丸亀城に行ってみることにしました

【丸亀城】
城跡の全域は国の史跡に指定されており、亀山公園となっています
天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されています
慶長2年(1597)豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く
慶長7年(1602)ほぼ現在の城郭が完成、元和1年(1615)一国一城令により破却の危機にさらされますが
時の藩主・生駒正俊は城を破却から守りました
寛永17年(1640)生駒氏は出羽国矢島に国替となり、寛永18年(1641)山崎家治が入封し丸亀藩が立藩
寛永20年(1643)幕府から丸亀藩に銀300貫が与えられ、城の改修に着手する
万治元年(1658)山崎氏、3代で無嗣断絶し改易となり京極高和が入封  万治3年(1660)天守完成
以後、明治時代まで京極氏の居城となる
天守は三層三階で日本一小さい。 一般には妻側より平側が大きいのが常識だが、この天守は妻側が大きい。
すなわち内部構造でいえば、桁行より梁行のほうが大きいのである。
これは、大手側である正面から城を見上げた時に天守を大きく見せる工夫だ。
日本一小さい天守が石垣上に上がることで、高石垣が実際より高く見えてしまう。
現存する木造天守は12 だけだそうです
「扇の勾配」と呼ばれる石垣の、高さ・美しい曲線から(財)日本城郭協会の 日本の100名城 に選ばれています
この石垣は藩主・山崎家治によって築かれたと言われています


美しい内堀に魅かれました
大手一の門及び二の門は寛文十年(1670)の再建
一の門(右・奥)は楼上に太鼓を置き、城下に刻を告げたことから太鼓門とも呼ばれます
二の門(左・手前)は高麗門形式で、両脇塀が附属しています

時折、雨脚が強まるので、ゆっくり見学という感じではありませんでした 次回は薄曇りか青天の時に行きたいですね


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