5月6日。2017年の鹿児島旅も、あっという間に最終日となってしまいました。
朝起きて、ホテルの窓から外の様子を伺うと、空はどんよりとした曇り。未明のあいだには雨も降っていたようで、路面はしっかりと濡れておりました。やれやれ、今回は最初から最後まで、天気には恵まれずじまいのようだなあ・・・。
ちょっとテンション下がり気味になりそうだったわたしでしたが、気を取り直して朝食をお腹いっぱいいただくと、連泊していたホテルを早めにチェックアウトして、桜島へと渡ることにいたしました。
「サクラジマ アイランドビュー」で桜島の見どころを巡る
桜島は、わたしが鹿児島へ出かける少し前から火山活動が活発となっていて、前日にもちょっと大きめの噴火があったばかりでした。でもね、鹿児島に来たらやっぱり、桜島には渡っておきたいのでありますよ。別に渡航が制限されてるわけじゃなし、噴火をいちいち怖がってて薩摩焼酎が呑めるか!
ということで意気揚々とフェリーに乗り込み、桜島を目指したわたしでありましたが・・・
どんよりした曇り空の下、桜島はすっぽりと靄がかかっていて、やはりきれいには見えないのでありました。愛しの桜島は最後の最後まで、わたしにつれない態度をとるのでありましょうか・・・。うう。
桜島に上陸したわたしは、桜島港から発着しているバス「サクラジマ アイランドビュー」に乗り込みました。桜島の西部にある展望スポットなどを1時間ほどで回る周遊バスであります。
いくつかの観光施設に立ち寄ったあと、最初の展望スポットである烏島(からすじま)展望所に到着いたしました。ここからは、錦江湾を挟んで鹿児島市街地を一望することができます。晴れていればもっと、いい眺めとなったのでしょうが・・・。ううう。
ここはかつて、桜島の沖合500メートルに浮かんでいた小島でありました。しかし、大正3(1914)年の大噴火で流れ出た溶岩によって、烏島は20メートル下まで埋もれてしまったのだとか。当時の火山活動の凄まじさを、あらためて実感させられる場所であります。
展望所の桜島を眺める側には、かつて烏島がこの場所の下にあったことを、今に伝える石碑が立てられておりました。
次にバスが立ち寄ったのは、かつての採石場跡に設けられた赤水展望広場であります。
やはり鹿児島市街地を一望することができる、このなだらかな広場で、2004年8月にご当地出身のミュージシャン、長渕剛さんが「桜島オールナイトコンサート」を開催しました。地元はもちろん、全国から7万5千人ものファンが集まり、桜島は熱気に包まれたといいます。それを記念して2年後の2006年に、この地にモニュメントが建立されました。それが「叫びの肖像」です。材質はもちろん、桜島の溶岩であります。
いかにも長渕さんを象徴するのにふさわしい、天を仰いで叫ぶオトコの表情が、なんかこうホレボレするくらいパワーに満ち溢れていていい感じなのでありますよ。わたしは像の正面に回り、その叫ぶ口元のアップを写真に収めたくなりました。・・・いえ、別に格段のイミがあるわけでもございませんが。
最後に立ち寄った展望スポットは、湯之平展望所。海抜373メートル、桜島の4合目に位置する展望所で、桜島の威容を真近に眺めることができる上、鹿児島市街地はもちろん霧島連山や開聞岳まで一望できるという絶景スポット・・・なのですが。
まことに残念ながら、イマイチな天気のせいで絶景も台無しというありさま。つくづく、わたしは鹿児島の空模様と相性が悪いオトコなのでありましょうか・・・。うううう。
そんな運の悪いオトコであるわたしを慰めるかのように、展望所のそばでツツジがきれいに咲きほこっておりました。
「サクラジマ アイランドビュー」での周遊を終えると、わたしは桜島港の近くにある国民宿舎「レインボー桜島」にある天然温泉「桜島マグマ温泉」に浸かりました(「サクラジマ アイランドビュー」の乗車券には、ありがたいことにマグマ温泉の割引入浴券もついておりました)。大浴場の大きな窓から錦江湾を眺めつつ、かすかに硫黄の匂いがする濁ったお湯に浸かると、桜島の豊かな恵みがじんわりと、カラダに沁みわたってくるように感じられるのでありました。
椋鳩十も愛したうなぎで最後の昼酒を
桜島から、ふたたび鹿児島市街地へと戻ってまいりました。
時刻はもうお昼どき。今回の鹿児島旅最後の昼食ということで、ちょっとゼイタクをさせていただこうかのう、ということで、前から気になっていた天文館のアーケード街にあるお店「うなぎの末よし」に入りました。
うなぎの生産高が全国一という鹿児島。この「末よし」もけっこう老舗のお店だそうで、動物文学者の椋鳩十も、ここのうなぎをこよなく愛していたのだとか。こちらも人気店のようで、わたしが入ったあとも続々とお客さんがやってきて、店内はほぼ満席状態。
ここ何年か、うなぎを食するのは1年に1回か2回程度というわたし。せっかくの機会なのでここはもうゼイタクさせてもらいます!と、思い切ってうな重の「松」を注文いたしました。
うなぎの肝が入った味噌汁もついたうな重の「松」は、炭火で焼かれたうなぎが実に香ばしく、それでいて中の身はふわりとしていて旨味もたっぷり。一緒に注文した瓶ビールもグイグイ進みます。
ふとテーブルの隅を見ると、「うなぎで呑む焼酎」という心惹かれるPOPが。それはぜひ呑んでみようかのう、ということでいそいそと注文し、呑んでみました。クセのない味わいがうなぎとも好相性で、なかなか美味しゅうございましたねえ。
こうして最終日の昼食でも、しっかりと昼酒を楽しんだわたしなのでありました。ぐふふふ。
名勝・仙巌園と世界遺産・尚古集成館で日本近代化の足跡を辿る
昼食を終えたあと、わたしは路線バスに乗って仙巌園(磯庭園)へと向かいました。
万治元(1658)年、島津家19代光久によって築造された島津家の別邸で、桜島と錦江湾を借景としたスケールの大きな庭園で名高い仙巌園は、国指定の名勝であります。
また仙巌園に隣接して、幕末に島津斉彬によって造られた機械工場の建物を活用した、島津家と日本近代化の歩みを振り返る資料館「尚古集成館」がございます。こちらのほうは一昨年(2015年)、8つの県にまたがる「明治日本の産業革命遺産」を構成する1つとして世界文化遺産に登録されました。
これまで数回訪れたことがある、鹿児島を代表する名所でありますが、世界文化遺産に指定されてからの訪問は初めて。この日は連休中ということもあり、中国や韓国方面の方々を含めた多くの観光客の皆さんで賑わっておりました。
受付で入園券を買って中に入り、まず目にするのは石積みの反射炉跡。大砲を鋳造するために鉄を溶かしていた西洋式の施設で、現在残っているのは基礎部分のみ。上に登って炉床の構造を見ると、当時としては先進的だったその仕組みを知ることができます。
反射炉の前には、そこから生み出された鉄で造られた150ポンド砲が、当時の資料をもとに復元されております。これがまあ、見上げるような大きさ。重さ約68kgもある鉄製の丸い砲弾を約3㎞先まで飛ばす威力があったってんですから、たいしたものであります。
反射炉跡を過ぎると、いよいよ庭園の中に入っていくわけなのですが、その通路にこのような物件が展示されておりました。
鹿児島市内ではよく見かける、桜島からの火山灰を集めて回収するために使う「克灰袋」。それがなぜ、こんな名勝の敷地内にわざわざ展示されているのか、ちょいとフシギな感じがいたしましたが・・・。
そばに立てられていた説明板には、この「克灰袋」の由来が記されておりました。以前はストレートに「降灰袋」と呼んでいたそうなのですが、それでは受身的な印象を感じさせるということで、「降灰に強い快適な都市を目指し、積極的に降灰を克服しようという意欲」を示すべく、1991年に「克灰袋」に改称したとのこと。ううむなるほど、そのような実に前向きな思いが込められておったのだなあ、「克灰袋」には。
仙巌園に来たらぜひ食べたくなるのが「両棒(ぢゃんぼ)餅」。武士が腰に刺していた大小に見立てた2本の竹串に刺したお餅を焼き、甘辛いタレを絡めた素朴なおやつで、仙巌園内の売店で販売されているほか、園外にも何軒かの専門店が立ち並んでおります。
わたしも散歩じたくに腹ごしらえということで・・・つっても、ついさっきお昼ごはんを食べたばっかりなのでしたが・・・園内の売店で買って食べました。タレはしょうゆ味と味噌味の2種類。しょうゆ味もいいのですが、コクのある味噌味がまた、こたえられない美味しさなのであります。
散歩じたくも済んだところで、庭園内をじっくり散策。
御殿の前に広がる庭園には、端午の節句ということで島津家伝統の「五月幟」が風に揺られておりました。しかし、その向こうに見える桜島は、相変わらず曇り空のもとでハッキリとは見えず。ああ、これが晴れ渡った空だったら、なお良かったんだろうけどなあ。ううううう。
とはいえ、園内の池ではこの時期ならではの菖蒲や藤の花がきれいに咲いていて、天気運の悪い哀れなオトコ(わたしのことね)の目を慰めてくれました。
仙巌園には、日本的な美を感じさせる庭園のところどころに、琉球や中国の影響を受けた要素が見られたりいたします。桜島と錦江湾の絶景を一望できる「望獄楼」の建物は琉球国王から献上されたもの。また、背後の山肌に文字を刻んだ「千尋厳」は中国の影響を受けたものです。
さらに園内にはもう1つ、近代化を象徴する事跡がございます。明治時代、仙巌園を照らす電気を得るために造られた水力発電用のダム跡で、これは日本における草創期の水力発電施設なのだとか。
日本的な庭園美のそこここに感じられる、琉球や中国からの影響。そして近代化へと向かう日本を象徴する事跡。それらが渾然一体となった仙巌園は、実に面白い場所なんだなあ、とあらためて思いました。
仙巌園にはもう1つ、違うイミで面白い場所がございました。「猫神」であります。
17代島津義弘が朝鮮に出兵した際に従軍した猫を祀った小さな祠で、義弘が陣中で猫の瞳孔の開き具合を見て時刻を推測したという言い伝えにちなんで「時の神様」といわれているそうな。
とはいえ、祀られているのが猫様ということで、そばにたくさん掛けられていた絵馬(いえ、描かれているのが猫ということで “絵猫” とでも申しましょうか)に記されている願いごとも、多くは自分の飼い猫についてのことでありました。それらからは、大切な家族の一員でもある猫の無事を願う気持ちが伝わってきて、しみじみ暖かな気持ちになったのでありました。
「猫神」の隣にはしっかり、いろいろな猫グッズなどを販売している売店もございました。猫好きの皆さま、鹿児島にお出かけの節はどうかくれぐれもお見逃しなく。
仙巌園の散策を終えたあと、尚古集成館の見学に移りました。
島津家の足跡を振り返る史料の数々や、薩摩藩の重要な輸出品であった「薩摩焼」や「薩摩切子」についての展示、さらには、欧米列強による植民地化に対抗して強く豊かな国づくりを進めようとなされた「集成館事業」の歩みを物語る機械類なども多数展示されております。
これらの展示を見ていくと、「一の太刀を疑わず」と教えられる示現流剣術などで武士としての精神に磨きをかけつつ、西洋やアジアでの最新の動きにも目を配り、有用な技術を貪欲に取り入れて国づくりに役立てていった、島津家のまさしく「和魂洋才」ぶりがしっかりと伝わってまいります。
そのような島津家、そしていにしえの薩摩の人びとの知恵と哲学は、いまの日本でも大いに見直されるべきなのではないか・・・つくづく、そんな思いを抱いたのでありました。
最後の最後に、桜島が・・・
そうこうしているうちに、鹿児島を去らねばならない時が迫ってまいりました。わたしは仙巌園からバスに乗り、鹿児島中央駅を目指しました。
駅へと向かう途中、バスの窓から天文館通りが見えてきました。連休も残すところ1日という土曜の午後、天文館はやはり多くの人で賑わっておりました。
大好きなこの街を離れなければならないのは実に寂しく名残りも尽きないのですが、仕方がございません。また絶対、この街に還ってくるからな、と心の中でつぶやきながら、天文館を通り過ぎました。
宮崎へと向かう特急列車が、定刻通りに発車いたしました。わたしは列車の窓から桜島に目を向けました。天気がだいぶ良くなってきているようだし、少しはきれいに見えてくれればいいんだけどなあ・・・と思いつつ外を眺めると・・・
な、なんと!旅のあいだずーっときれいに見ることのできなかった桜島は、ケムリにもモヤにもジャマされることなく、その美しいお姿を見せてくれていたのでありました。・・・とはいえ、列車の窓ガラスが少々汚れてはいたのですが・・・それでも、ずーっとつれない態度だったわが愛しの桜島が、旅の最後の最後で優しく美しい表情を見せてくれて、実に嬉しい気持ちになりました。
過ぎ去っていく桜島をずっと目で追い続けながら、この次来るときにはもっといっぱい、その美しいお姿を見せてくれるようにと願ったのでありました。
わたしは一息つくと、駅で買ってきた「天文館むじゃき」のベビー白熊を開けて食べ始めました。通常の白熊よりは小さいサイズとはいえそこそこボリュームがあって、フルーツもたくさん入っておりました。
そう、今回わたしはちゃんとした白熊を食べることができませんでした。白熊発祥のお店という「天文館むじゃき」の店先にはいつも行列ができていて、結局食べ損ねてしまったのであります。
うむ、今度の鹿児島旅ではしっかり、ちゃんとした白熊を食べなければな。久しぶりに大好きなヨーグルト白熊が食べたいなあ。いやまてよ、今度は奮発してソフトクリームかプリンをトッピングしたやつにしてみようかのう・・・。
宮崎への帰路につきながらも、わたしはさっそく、次の鹿児島への「オトナの遠足」に向けての野望を燃やしはじめたのでありました。
(終わり)
朝起きて、ホテルの窓から外の様子を伺うと、空はどんよりとした曇り。未明のあいだには雨も降っていたようで、路面はしっかりと濡れておりました。やれやれ、今回は最初から最後まで、天気には恵まれずじまいのようだなあ・・・。
ちょっとテンション下がり気味になりそうだったわたしでしたが、気を取り直して朝食をお腹いっぱいいただくと、連泊していたホテルを早めにチェックアウトして、桜島へと渡ることにいたしました。
「サクラジマ アイランドビュー」で桜島の見どころを巡る
桜島は、わたしが鹿児島へ出かける少し前から火山活動が活発となっていて、前日にもちょっと大きめの噴火があったばかりでした。でもね、鹿児島に来たらやっぱり、桜島には渡っておきたいのでありますよ。別に渡航が制限されてるわけじゃなし、噴火をいちいち怖がってて薩摩焼酎が呑めるか!
ということで意気揚々とフェリーに乗り込み、桜島を目指したわたしでありましたが・・・
どんよりした曇り空の下、桜島はすっぽりと靄がかかっていて、やはりきれいには見えないのでありました。愛しの桜島は最後の最後まで、わたしにつれない態度をとるのでありましょうか・・・。うう。
桜島に上陸したわたしは、桜島港から発着しているバス「サクラジマ アイランドビュー」に乗り込みました。桜島の西部にある展望スポットなどを1時間ほどで回る周遊バスであります。
いくつかの観光施設に立ち寄ったあと、最初の展望スポットである烏島(からすじま)展望所に到着いたしました。ここからは、錦江湾を挟んで鹿児島市街地を一望することができます。晴れていればもっと、いい眺めとなったのでしょうが・・・。ううう。
ここはかつて、桜島の沖合500メートルに浮かんでいた小島でありました。しかし、大正3(1914)年の大噴火で流れ出た溶岩によって、烏島は20メートル下まで埋もれてしまったのだとか。当時の火山活動の凄まじさを、あらためて実感させられる場所であります。
展望所の桜島を眺める側には、かつて烏島がこの場所の下にあったことを、今に伝える石碑が立てられておりました。
次にバスが立ち寄ったのは、かつての採石場跡に設けられた赤水展望広場であります。
やはり鹿児島市街地を一望することができる、このなだらかな広場で、2004年8月にご当地出身のミュージシャン、長渕剛さんが「桜島オールナイトコンサート」を開催しました。地元はもちろん、全国から7万5千人ものファンが集まり、桜島は熱気に包まれたといいます。それを記念して2年後の2006年に、この地にモニュメントが建立されました。それが「叫びの肖像」です。材質はもちろん、桜島の溶岩であります。
いかにも長渕さんを象徴するのにふさわしい、天を仰いで叫ぶオトコの表情が、なんかこうホレボレするくらいパワーに満ち溢れていていい感じなのでありますよ。わたしは像の正面に回り、その叫ぶ口元のアップを写真に収めたくなりました。・・・いえ、別に格段のイミがあるわけでもございませんが。
最後に立ち寄った展望スポットは、湯之平展望所。海抜373メートル、桜島の4合目に位置する展望所で、桜島の威容を真近に眺めることができる上、鹿児島市街地はもちろん霧島連山や開聞岳まで一望できるという絶景スポット・・・なのですが。
まことに残念ながら、イマイチな天気のせいで絶景も台無しというありさま。つくづく、わたしは鹿児島の空模様と相性が悪いオトコなのでありましょうか・・・。うううう。
そんな運の悪いオトコであるわたしを慰めるかのように、展望所のそばでツツジがきれいに咲きほこっておりました。
「サクラジマ アイランドビュー」での周遊を終えると、わたしは桜島港の近くにある国民宿舎「レインボー桜島」にある天然温泉「桜島マグマ温泉」に浸かりました(「サクラジマ アイランドビュー」の乗車券には、ありがたいことにマグマ温泉の割引入浴券もついておりました)。大浴場の大きな窓から錦江湾を眺めつつ、かすかに硫黄の匂いがする濁ったお湯に浸かると、桜島の豊かな恵みがじんわりと、カラダに沁みわたってくるように感じられるのでありました。
椋鳩十も愛したうなぎで最後の昼酒を
桜島から、ふたたび鹿児島市街地へと戻ってまいりました。
時刻はもうお昼どき。今回の鹿児島旅最後の昼食ということで、ちょっとゼイタクをさせていただこうかのう、ということで、前から気になっていた天文館のアーケード街にあるお店「うなぎの末よし」に入りました。
うなぎの生産高が全国一という鹿児島。この「末よし」もけっこう老舗のお店だそうで、動物文学者の椋鳩十も、ここのうなぎをこよなく愛していたのだとか。こちらも人気店のようで、わたしが入ったあとも続々とお客さんがやってきて、店内はほぼ満席状態。
ここ何年か、うなぎを食するのは1年に1回か2回程度というわたし。せっかくの機会なのでここはもうゼイタクさせてもらいます!と、思い切ってうな重の「松」を注文いたしました。
うなぎの肝が入った味噌汁もついたうな重の「松」は、炭火で焼かれたうなぎが実に香ばしく、それでいて中の身はふわりとしていて旨味もたっぷり。一緒に注文した瓶ビールもグイグイ進みます。
ふとテーブルの隅を見ると、「うなぎで呑む焼酎」という心惹かれるPOPが。それはぜひ呑んでみようかのう、ということでいそいそと注文し、呑んでみました。クセのない味わいがうなぎとも好相性で、なかなか美味しゅうございましたねえ。
こうして最終日の昼食でも、しっかりと昼酒を楽しんだわたしなのでありました。ぐふふふ。
名勝・仙巌園と世界遺産・尚古集成館で日本近代化の足跡を辿る
昼食を終えたあと、わたしは路線バスに乗って仙巌園(磯庭園)へと向かいました。
万治元(1658)年、島津家19代光久によって築造された島津家の別邸で、桜島と錦江湾を借景としたスケールの大きな庭園で名高い仙巌園は、国指定の名勝であります。
また仙巌園に隣接して、幕末に島津斉彬によって造られた機械工場の建物を活用した、島津家と日本近代化の歩みを振り返る資料館「尚古集成館」がございます。こちらのほうは一昨年(2015年)、8つの県にまたがる「明治日本の産業革命遺産」を構成する1つとして世界文化遺産に登録されました。
これまで数回訪れたことがある、鹿児島を代表する名所でありますが、世界文化遺産に指定されてからの訪問は初めて。この日は連休中ということもあり、中国や韓国方面の方々を含めた多くの観光客の皆さんで賑わっておりました。
受付で入園券を買って中に入り、まず目にするのは石積みの反射炉跡。大砲を鋳造するために鉄を溶かしていた西洋式の施設で、現在残っているのは基礎部分のみ。上に登って炉床の構造を見ると、当時としては先進的だったその仕組みを知ることができます。
反射炉の前には、そこから生み出された鉄で造られた150ポンド砲が、当時の資料をもとに復元されております。これがまあ、見上げるような大きさ。重さ約68kgもある鉄製の丸い砲弾を約3㎞先まで飛ばす威力があったってんですから、たいしたものであります。
反射炉跡を過ぎると、いよいよ庭園の中に入っていくわけなのですが、その通路にこのような物件が展示されておりました。
鹿児島市内ではよく見かける、桜島からの火山灰を集めて回収するために使う「克灰袋」。それがなぜ、こんな名勝の敷地内にわざわざ展示されているのか、ちょいとフシギな感じがいたしましたが・・・。
そばに立てられていた説明板には、この「克灰袋」の由来が記されておりました。以前はストレートに「降灰袋」と呼んでいたそうなのですが、それでは受身的な印象を感じさせるということで、「降灰に強い快適な都市を目指し、積極的に降灰を克服しようという意欲」を示すべく、1991年に「克灰袋」に改称したとのこと。ううむなるほど、そのような実に前向きな思いが込められておったのだなあ、「克灰袋」には。
仙巌園に来たらぜひ食べたくなるのが「両棒(ぢゃんぼ)餅」。武士が腰に刺していた大小に見立てた2本の竹串に刺したお餅を焼き、甘辛いタレを絡めた素朴なおやつで、仙巌園内の売店で販売されているほか、園外にも何軒かの専門店が立ち並んでおります。
わたしも散歩じたくに腹ごしらえということで・・・つっても、ついさっきお昼ごはんを食べたばっかりなのでしたが・・・園内の売店で買って食べました。タレはしょうゆ味と味噌味の2種類。しょうゆ味もいいのですが、コクのある味噌味がまた、こたえられない美味しさなのであります。
散歩じたくも済んだところで、庭園内をじっくり散策。
御殿の前に広がる庭園には、端午の節句ということで島津家伝統の「五月幟」が風に揺られておりました。しかし、その向こうに見える桜島は、相変わらず曇り空のもとでハッキリとは見えず。ああ、これが晴れ渡った空だったら、なお良かったんだろうけどなあ。ううううう。
とはいえ、園内の池ではこの時期ならではの菖蒲や藤の花がきれいに咲いていて、天気運の悪い哀れなオトコ(わたしのことね)の目を慰めてくれました。
仙巌園には、日本的な美を感じさせる庭園のところどころに、琉球や中国の影響を受けた要素が見られたりいたします。桜島と錦江湾の絶景を一望できる「望獄楼」の建物は琉球国王から献上されたもの。また、背後の山肌に文字を刻んだ「千尋厳」は中国の影響を受けたものです。
さらに園内にはもう1つ、近代化を象徴する事跡がございます。明治時代、仙巌園を照らす電気を得るために造られた水力発電用のダム跡で、これは日本における草創期の水力発電施設なのだとか。
日本的な庭園美のそこここに感じられる、琉球や中国からの影響。そして近代化へと向かう日本を象徴する事跡。それらが渾然一体となった仙巌園は、実に面白い場所なんだなあ、とあらためて思いました。
仙巌園にはもう1つ、違うイミで面白い場所がございました。「猫神」であります。
17代島津義弘が朝鮮に出兵した際に従軍した猫を祀った小さな祠で、義弘が陣中で猫の瞳孔の開き具合を見て時刻を推測したという言い伝えにちなんで「時の神様」といわれているそうな。
とはいえ、祀られているのが猫様ということで、そばにたくさん掛けられていた絵馬(いえ、描かれているのが猫ということで “絵猫” とでも申しましょうか)に記されている願いごとも、多くは自分の飼い猫についてのことでありました。それらからは、大切な家族の一員でもある猫の無事を願う気持ちが伝わってきて、しみじみ暖かな気持ちになったのでありました。
「猫神」の隣にはしっかり、いろいろな猫グッズなどを販売している売店もございました。猫好きの皆さま、鹿児島にお出かけの節はどうかくれぐれもお見逃しなく。
仙巌園の散策を終えたあと、尚古集成館の見学に移りました。
島津家の足跡を振り返る史料の数々や、薩摩藩の重要な輸出品であった「薩摩焼」や「薩摩切子」についての展示、さらには、欧米列強による植民地化に対抗して強く豊かな国づくりを進めようとなされた「集成館事業」の歩みを物語る機械類なども多数展示されております。
これらの展示を見ていくと、「一の太刀を疑わず」と教えられる示現流剣術などで武士としての精神に磨きをかけつつ、西洋やアジアでの最新の動きにも目を配り、有用な技術を貪欲に取り入れて国づくりに役立てていった、島津家のまさしく「和魂洋才」ぶりがしっかりと伝わってまいります。
そのような島津家、そしていにしえの薩摩の人びとの知恵と哲学は、いまの日本でも大いに見直されるべきなのではないか・・・つくづく、そんな思いを抱いたのでありました。
最後の最後に、桜島が・・・
そうこうしているうちに、鹿児島を去らねばならない時が迫ってまいりました。わたしは仙巌園からバスに乗り、鹿児島中央駅を目指しました。
駅へと向かう途中、バスの窓から天文館通りが見えてきました。連休も残すところ1日という土曜の午後、天文館はやはり多くの人で賑わっておりました。
大好きなこの街を離れなければならないのは実に寂しく名残りも尽きないのですが、仕方がございません。また絶対、この街に還ってくるからな、と心の中でつぶやきながら、天文館を通り過ぎました。
宮崎へと向かう特急列車が、定刻通りに発車いたしました。わたしは列車の窓から桜島に目を向けました。天気がだいぶ良くなってきているようだし、少しはきれいに見えてくれればいいんだけどなあ・・・と思いつつ外を眺めると・・・
な、なんと!旅のあいだずーっときれいに見ることのできなかった桜島は、ケムリにもモヤにもジャマされることなく、その美しいお姿を見せてくれていたのでありました。・・・とはいえ、列車の窓ガラスが少々汚れてはいたのですが・・・それでも、ずーっとつれない態度だったわが愛しの桜島が、旅の最後の最後で優しく美しい表情を見せてくれて、実に嬉しい気持ちになりました。
過ぎ去っていく桜島をずっと目で追い続けながら、この次来るときにはもっといっぱい、その美しいお姿を見せてくれるようにと願ったのでありました。
わたしは一息つくと、駅で買ってきた「天文館むじゃき」のベビー白熊を開けて食べ始めました。通常の白熊よりは小さいサイズとはいえそこそこボリュームがあって、フルーツもたくさん入っておりました。
そう、今回わたしはちゃんとした白熊を食べることができませんでした。白熊発祥のお店という「天文館むじゃき」の店先にはいつも行列ができていて、結局食べ損ねてしまったのであります。
うむ、今度の鹿児島旅ではしっかり、ちゃんとした白熊を食べなければな。久しぶりに大好きなヨーグルト白熊が食べたいなあ。いやまてよ、今度は奮発してソフトクリームかプリンをトッピングしたやつにしてみようかのう・・・。
宮崎への帰路につきながらも、わたしはさっそく、次の鹿児島への「オトナの遠足」に向けての野望を燃やしはじめたのでありました。
(終わり)
いつもながら閑古堂さんの語り口には魅せられます。
なんだかおっとっとっと・・・とお酒をついてもらっているような気分になってしまいました。ほんとにすごいお方です。今度の旅はどこへ? 今から楽しみになっています。
次回は秋ごろ、熊本に出かけようと思っております。昨年久しぶりに行って大好きな場所になりましたし、見てみたいスポットがまだいろいろとございますので。今度もまた、楽しい「オトナの遠足」にしたいと思います!