読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

3年ぶりの熊本がまだせ旅(第4回)温泉と歴史ロマンの町、山鹿散策を満喫

2022-11-13 19:12:00 | 旅のお噂
3年ぶりの熊本旅の2日目である10月9日(日曜日)。ホテルでの朝食を済ませ、チェックアウトしたわたしは、熊本バスターミナルから路線バスに乗り、熊本市の北のほうにある山鹿市へと向かいました。
実は、2日目をどこで過ごそうか、ギリギリまで迷っておりました。久しぶりの熊本ということで、3日間すべてを熊本市内散策にあてようかなあ・・・とも考えましたが、以前山鹿を訪ねたとき、豊前街道沿いの宿場町として栄えた昔を偲ばせる風情ある街の雰囲気に魅了されたこともあり、また山鹿にお邪魔することにいたしました。

熊本バスターミナルから、路線バスに揺られること1時間。山鹿の中心部に到着いたしました。バス停を降りると、すぐ目の前に風格ある建物が建っております。温泉の街でもある山鹿を象徴する存在である共同浴場「さくら湯」です。

「さくら湯」のルーツは、江戸時代に肥後細川藩の初代藩主・細川忠利によって建てられた御茶屋に始まります。明治時代に入って共同浴場となり、四国の道後温泉を手がけた棟梁・坂本又八郎による大改修で唐破風の玄関がついた風格ある建物が建てられました。その後、昭和48(1973)年の再開発事業によって建物は解体されてしまいますが、山鹿の歴史と文化を大切にしようという市民の声を受けて、平成24(2012)年にかつてと同じ場所で、昔のままの佇まいで再建されました。
350円で入浴券を購入して、さっそく湯に浸かりました。浴槽には、地元の方とおぼしい先客が数人、お湯に浸かっておられました。広々とした浴槽に満たされているぬるめのお湯はトロリとしていて、いかにも肌に良さそうであります。外観と同様、明治の頃と同じ形で復元されたという浴室内は天井が高く、浴槽の広さと相まって実に解放感があります。わたしはお湯の中でめいっぱい手足を伸ばし、開放感の中でお湯を楽しみました。
浴槽の脇の壁には、地元の商店や企業、ホテルの広告板が並んでいるのですが、これがレトロ感のあるデザインで、古き良き共同浴場の雰囲気を醸し出してくれます。そんな浴室内には、あのくまモン様が入浴するわれわれを見下ろすように立っていて、微笑ましいのであります。
くまモン様に見守られながら、わたしはしばしの間、山鹿の湯を堪能したのでありました。

「さくら湯」で温まったわたしは、かつて豊前街道だった通りを散策いたしました。通り沿いには、宿場町として栄えていた頃の面影を残す町並みが続いていて、実に風情があります。

江戸の雰囲気を残す町並みの中に、ちょっとレトロモダンな感じの建物がありました。ガラス窓を見ると、「山鹿青年会議所事務局」という文字が。これもまた、いい感じの建物でありますねえ。

そして、市内を流れる菊池川のほうまで進むと、そこには明治時代から続く日本酒の蔵元「千代の園酒造」がございます。真っ白な煙突に入ったひび割れは、6年前の熊本地震のときのものだとか。あの地震はここ山鹿にも、大きな揺れをもたらしていたのです。


この日の天気は朝から曇り空。ときおりポツポツと小雨も降り出しておりましたが、散策には特に支障はありませんでした。街中には、散策を楽しむ観光客の方々がちらほら。
そうこうするうちに時刻はお昼時・・・ということで、食事処「彩座(いろどりざ)」さんに立ち寄ることにいたしました。

開店する11時の少し前にやってきたのですが、お店の前には早くも、開店をお待ちの観光客の皆さまが十数人ほどおられました。人気のあるお店のようですねえ。
街の中にある古い芝居小屋「八千代座」にひっかけてなのか、芝居小屋の雰囲気を演出した店内。市内のお店や企業の広告を枡形に並べた天井も、どこか芝居小屋風だったりいたします。

せっかく熊本に来てるんだし、ここいらでなにか馬肉料理でも・・・ということで、看板メニューである「馬重」を注文いたしました。


お重に盛られたご飯の上に馬肉を敷き詰め、タレをかけて食べる「馬重」。ほどよく脂がついた馬肉もさることながら、タレが染みたご飯がまた美味しく、ボリュームもしっかりありました。
食事のおともはもちろん、地元の「千代の園酒造」さんのお酒。スッキリした味と飲み口は、食中酒としてもうってつけ。おかげさまで真っ昼間から、いい気分にさせてもらいましたぞよ。


美味しい料理とお酒でいい気分になったところで、ふたたび山鹿の歴史文化を探究すべく、「山鹿灯籠民芸館」にお邪魔いたしました。

室町時代から続いている、国指定の伝統工芸「山鹿灯籠」。毎年8月15・16日には「山鹿灯籠まつり」も開催され、金灯籠を頭に掲げた1000人の女性による踊りが披露されます。ここ「山鹿灯籠民芸館」では、山鹿灯籠の数々の名品を鑑賞しながら、その歴史と文化を知ることができます。
建物として使われているハイカラなモダン建築は、1925(大正14)年に安田銀行山鹿支店として建てられたもので、こちらも国によって登録有形文化財にされています。縦長の窓枠や、飾りのついた天井を持ったがっしりした造りが、いかにも昔の銀行という感じがしていいですねえ。

館内には、「山鹿灯籠まつり」で使われる金灯籠はもちろん、さまざまな建物を模して作られた灯籠の数々をじっくり見ることができます(館内は撮影可ということで、作品の数々も写真に収めさせていただきました)。
地元の「さくら湯」や「八千代座」をはじめ、熊本城や法隆寺の五重塔、金閣寺、上野の東照宮などなど、建物の細部に至るまで精密に作り込んだ作品の数々は実に圧巻でした。これらすべてが、木や金具を一切使わずに和紙と糊だけで作られているというのですから、ただただ驚嘆するばかりです。







作品の中には、この「山鹿灯籠民芸館」を模して作られたものや、航空自衛隊のブルーインパルスの飛行機を模したものといった変わりだねも。


民芸館のガイドである男性からの解説を聞きつつ、館内を見て回りました。山鹿灯籠の職人さんたちも世代交代が進んでいて、若い世代、とくに女性が多くなってきているとのこと。
民芸館として使われているモダンな銀行建築は、6年前の熊本地震の直前に鉄筋による補強が行われたそうで、補強が完了して間もなく、山鹿は震度5強の揺れに見舞われたといいます。確かに、建物の内部には丈夫な鉄筋が通っているのが見てとれます。よくぞ補強が間に合ったものだな・・・と思うばかりです。

見学を終えて外に出ると、民芸館の脇に立っている郵便ポストの上に、金灯籠を模して作ったオブジェがちょこんと立っておりました。これもまた、微笑ましかったねえ。


「山鹿灯籠民芸館」から、今回の山鹿訪問で最後に立ち寄る場所となる芝居小屋「八千代座」へ。そこへ向かう道もまた、かつての豊前街道の賑わいを偲ばせる風情が漂います。


その旧豊前街道から脇に入ってすぐのところに、「八千代座」があります。


どっしりとした佇まいの建物は、地元の商人によって明治43(1910)年に建てられたもので、枡席や花道、人力による廻り舞台や奈落が設えられた、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を伝える構造となっています。
昭和40年代に入ると使われることもなくなり、雨漏りがするほど傷みも進んでしまっていたそうですが、地元市民により保存への機運が高まり、それが実ってか昭和63(1988年)には国の重要文化財に指定。さらに平成8(1996)年からの5年にわたった大改修により、全盛期であった大正時代の華やかな雰囲気が再現されました。現在では「さくら湯」とともに、山鹿を象徴する存在となっていて、歌舞伎をはじめとしたさまざまな公演の舞台として活用されております。
公演がない時には内部の見学も可能、ということなのですが、以前訪れたときにはジャズか何かのコンサートの公演のため、中に入ることはできませんでした。
今回訪れたときも、何かの公演が開催されている最中。入り口におられた方に訊くと、熊本県下のフラグループが集まってのボランティア公演を開催しているところだ、といいます。とはいえ、「通常の見学はできないのですが、中に入るのは大丈夫ですよ」とのことでしたので、「お気持ち」程度のお金をカンパとして出し、スリッパをお借りして中に入りました。
(公演中ということもあって、内部を撮影することは一切控えさせていただきましたが・・・)
桟敷席の2階からは、劇場内の構造をひと通りつかむことができました。舞台に面した中心部には、枡席で区切られた客席が整然と並び、それを囲むように二階建ての桟敷席が。そして天井を見れば、これまた枡形に区切られた広告板がずらり・・・。薄暗い灯りに照らされた劇場内部の光景を見ていると、なんだか昔にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。そんな昔ながらの空間の中で見るフラの舞いというのも、なかなか味があっていいものでしたねえ。
劇場の一角には、「八千代座」の再建に関わった方々のお名前がズラっと記された木札が掲げられておりました。地元山鹿の方々を中心とするご芳名のトップには、歌舞伎役者の坂東玉三郎・中村獅童ご両人と並んで「大沢啓二」のお名前が。

ああ、あの大沢親分も「八千代座」の復活に力を貸してくださっていたのか・・・そう思うと、なんだかちょっと嬉しい気分がしたのでありました・・・。


                             (第5回へつづく)



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