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ラジオドキュメンタリー『森の音に還る ~音響監督・若林和弘 会社をたたむ~』

2013-08-11 23:53:13 | ドキュメンタリーのお噂
『森の音に還る ~音響監督・若林和弘 会社をたたむ~』
初回放送=8月11日(日)午後8時5分~8時55分、NHKラジオ第1
語り=内多勝康


アニメーション音響監督、若林和弘さん。『もののけ姫』(1997年)や『千と千尋の神隠し』(2001年)などのスタジオジブリ作品や、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)などの押井守監督の作品をはじめとした、数多くの作品を手がけてきたベテランです。
その若林さん、今年の春に自ら起こした会社をたたみ、鹿児島県の屋久島へと生活の拠点を移しました。
番組は若林さんのこれまでの歩みを振り返りながら、屋久島へ移住するまでの1年を追っていきます。

音響監督とは、アニメーションにおける音のすべてをコントロールする仕事をする人のこと。声優の演技指導をはじめ、音楽や効果音をどのように使うかを決めたりするのも、音響監督の役割です。
「自分の仕事に責任を持つ」というのが、若林さんの信条。その仕事ぶりには絶大な信頼が寄せられてもいます。長きにわたり若林さんと仕事をしてきている押井守監督は、若林さんをこう評します。
「スーパー録音監督ですよ。人間関係にも強くて、頼りになる相棒です」

そんな若林さんが会社をたたむことにしたのは、平成20年に大腸の病気に襲われたことがきっかけでした。「言いたいことが言えなかった」ことが続いたことによるストレスが原因、と若林さんは言います。
若林さんが会社をたたむことを、押井監督は残念がります。
「たたんで欲しくないけど、死なれちゃしょうがない。命あっての物種だから。でも、端的に言って寂しいですね」
昨年、若林さんは会社をたたむ前の仕事として、テレビアニメ『絶園のテンペスト』に取り組みます。声優を選ぶためのオーディションでも、若林さんは本番さながらの熱心さで臨みます。
「誰にでも可能性がありますから、その子(声優)の現時点でのベストを引き出したい」

そんな忙しい日々の中でも、若林さんは月に一度、ストレス発散のために屋久島へ「還り」ます。すでに屋久島での自宅も建てているほか、15年前に住民票も移しています。
屋久島に「還る」たびにホッとする、という若林さん。特に少年時代から夢中だったという虫の声に耳を傾けるのが大好きで、虫の声は屋久島の象徴だ、といいます。
東京での生活にはずっと違和感があったことを、若林さんは語ります。
「ストレスだから。人が多すぎる。仕事だから仕方なくいるけど、住むには向いてないと思う」

1964年に生まれた若林さん。いろいろな事業に手を出しては失敗することを繰り返す父親に振り回される少年時代を過ごし、17歳のときには母親と死別します。
アニメの世界に入るきっかけは、高校1年のとき友人に誘われ『うる星やつら』の録音スタジオを訪れたことでした。そこで「バイトしないか?」と声をかけられ、見習いを経て就職します。しかし、いざこざからそのスタジオを辞め、以後しばらくは職を転々とし、パン屋さんなどから食べ物をわけてもらって生活するというカツカツの状態が続きました。
そんな中、前のスタジオで面識のあった録音監督、斯波重治さん(『風の谷のナウシカ』などを手がけた方です)からの電話で、再びアニメの音響の仕事を始めることになります。若林さんは「この業界にいられるのも、斯波さんから習ったことがあるから」と振り返ります。
転機となったのは30歳のとき、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』に音響監督として起用されたことでした。このときの仕事ぶりが注目を浴び、以降さまざまな作品で音響監督として名を成していくことになるのです。

『絶園のテンペスト』での現場。若林さんは声優たちに熱心に、かつユーモアを交えながら演技指導をしていきます。
「だってピリピリしているばかりじゃ現場に来たいと思わなくなるでしょ。でも怒るときにはすごく怒る。そのことを理解されていることが大事」
若林さんの演技指導について、『絶園のテンペスト』の安藤真裕監督はこう評します。
「シンプルな言葉の羅列だけど深く、考えさせる力がある。自分もそれを盗みたい」

若林さんが屋久島に行くことになったきっかけは、別居して屋久島に住んでいた父親から呼ばれたことでした。
そのときの滞在中、若林さんの心の中で、これまでさまざまな人から言われたことが、一つに繋がったというのです。
「それまではどこか、ツッパっていたところがあったけれど、それからは相手のことを考えて仕事するようになった」
樹齢1800年になる屋久杉。必ずしも生育する環境に恵まれない場所でも、少しずつ少しずつ育っていくという屋久杉を前にして、若林さんは語ります。
「人と植物は同じじゃないですけど、人間も与えられた場所で光り輝くように生きられればいいかなあ、と」

今年5月。若林さんは会社をたたみ、本格的に屋久島での生活をスタートさせることになりました。若林さんはいいます。
「風と、鳥や虫の声を聞きながら、もう一回、等身大の人間に戻って、欲張りすぎないようにやっていこう」

これまで、さまざまなアニメで目にしてきた「音響監督」というクレジット。それが具体的にどんなことをやっているのかがよくわかって興味深いものがありました。そして、その中でも近年の印象に残る作品にかかわっている若林さんの仕事ぶりや人生遍歴を知ることができたのも、また面白いものがありました。
屋久島で新たな一歩を踏み出した若林さん。それがどのような形で、これからの仕事に結実していくのか、楽しみにしたい気がしてきました。
それにしても、わたくしはまだ一度も屋久島を訪ねたことがなくって。いつか行ってみたいなあ。