創造

創造主とセルフイメージの世界

英国空軍ロイアルエアホース捕虜追悼(横浜保土ヶ谷区英連邦墓地)

2010-07-02 11:18:08 | 英国空軍捕虜














(2002年向島モニュメント除幕式)
レンガ塀に設置するプレートの碑文内容(決定)
                                     2001.12.13
向島捕虜収容所
1942年11月―1945年9月

  第二次世界大戦中、日本軍は東南アジア各地から多くの戦争捕虜を日本に移送し、国内各地の鉱山、炭坑、造船所などで働かせた。
  ここ、向島においても広島俘虜収容所第4分所が設置され、捕虜の数はイギリス、アメリカ、カナダを含め、216名に達した。
  1942年11月、イギリス空軍の捕虜100名がインドネシアより移送され、当地の工場で資材運搬などに従事させられ、終戦までに23名が病気などで亡くなった。
  また、1944年9月にはアメリカ軍の捕虜116名がフィリッピンより到着したが、終戦後には全員帰国した。
  世界の恒久平和を願って、この事実をここに記録する。

2002年3月
日英友好のモニュメントを建てる会
                                            

Mukaishima Prisoner of War Camp
November 1942 - September 1945

During World War II, Japanese military forces brought many prisoners of war to Japan from throughout Southeast Asia and forced them to work in various places such as copper mines, coal mines and shipyards.
Hiroshima Prisoner of War Sub-Camp No.4 was established here on Mukaishima, and 216 British, American and Canadian men were imprisoned.
In November 1942, 100 British airmen were brought here from Indonesia and put to work at tasks such as carrying materials in factories. By the end of the war, 23 of them had become ill and died.
In September 1944, 116 American prisoners arrived from the Philippines. At the end of the war all of them returned home.
We record these facts here with a prayer for everlasting world peace.

March 2002
Japan-United Kingdom Friendship Monument Society






In memory of
those British aircraftmen
who died here on Mukaishima
during World War II

ROYAL AIR FORCE
108934 F/O Federic C.G. Brightwell 11.12.1942
980284 LAC Clifford Boardman 26.12.1942
572371 SGT Ernest Campbell 6.12.1942
1264600 AC1 Kenneth F. Cope 25. 3.1943
941229 CPL Daniel J.S. Duff 24.12.1942
1177894 AC1 Edward Daniels 3.12.1942
1074495 AC1 Arthur R. Davies 19. 1.1943
1107399 AC1 William Forsyth 8.1945
1204573 AC1 Leonard E. Fryer 9. 3.1943
1067845 AC2 Wilfred Greaves 4. 3.1943
1156347 AC1  Harold E. Haley 21.1.1943
1218592 AC2 James E. Higginbotham 4. 12.1942
856715 LAC James Kenwright 27. 2. 1943
1033850 AC1 Robert Moses 23. 1. 1943
647970 SGT Harold T. Parker 9. 1. 1943
965151 LAC Eric C. Price 13. 12. 1942
1047125 AC2 William J. Prince 15. 12. 1942
932333 LAC Charles B. Russel 27. 12. 1942
577173 AC1 John C. Smith 20. 2. 1943
1261534 AC1 Francis J. Smith 28. 12. 1942
1193840 AC1 Albert C. Stratford 15. 12. 1942
653402 LAC Charles H. Wood 23. 12. 1942
1256684 LAC John F.O. Yateman 7. 1. 1944

May they rest in peace.

説明:
1. 捕虜収容所に関する情報はこれ以上、省略するわけにはいかないと思う。
2. 日本語の言葉使いについては、学校で使う教科書並にした(丁寧語は使わない)。
3. 23名の死亡者名一覧表については、下記を参考にしたので、信憑性は十分あると思う。
(1) 人名の順序は、終戦直後まで尾道の共同墓地に存在していたプレートにあった通りとした。
   (付記:ファミリーネイムのアルファベット順であるが、制作されるメモリアルプレートは死亡時順とした。)

(2) 現在、墓地は横浜市保土ヶ谷区に「英連邦戦死者墓地」として維持管理されている。
(3) 死亡者の記事内容については、「英連邦戦死者墓地委員会」―英文名”Commonwealth War Graves Commission, Maidenhead, Berkshire, 1986”の資料により再確認した。
(4) 最後の23番目に亡くなったW. FORSYTH(フォーサイス)については、1998年11月に来向したNorman Widlakeにより聞いたもので、スコットランド人で終戦後イギリスに帰る時に亡くなったとのことで、正確な死亡日は分からない。
4. 死亡者名一覧表についての説明:
In memory of---------World War 2:
第2次世界大戦中、ここ向島で亡くなった英国航空兵をしのんで。
ROYAL AIR FORCE:英国空軍
人名欄:左より「認識番号」「階級名」「名前―後が苗字」「死亡年月日」
階級名(下記):
      F/O.-----Flying Officer 空軍中尉
SGT.----Sergeant 空軍軍曹 
      CPL.----Corporal 空軍伍長
      LAC.----Leading Aircraftman 空軍上等兵  
      AC1.----Aircraftman 1 空軍1等兵
      AC2.----Aircraftman 2 空軍2等兵
May they rest in peace:心安らかならんことを。

尚、英文記事については、全て、Nancy Ross氏(米国、カリフォルニア出身、現在福山YMCAにて英語指導)の指導をあおいだ。

2001年11月、小林(TEL:0847-51-4346)


親愛なる 南沢牧師

日本を訪問したメンバーの一人として、私の思いと感謝を伝えようと思います。
60年前、私の父は、熊本の捕虜収容所で、捕虜として亡くなりました。
母は、実際にこのことを、認めようとしませんでした。
そしてやはり、悲しみ、嘆き、うろたえ、日本の当時の支配者だけでなく…に対して正直言って怒り、3年前に96歳で亡くなりました。
今「片親家族」という表現がなされるようになったずいぶん前に、母は私を一人手で育ててくれました。
とてもしっかりしていて、やさしい女性でした。
そして3年半前召されました。
二つの世界大戦を経験して。
母は日本を訪問できませんでした。母は晩年、こう言っていました。「私は忘れる事はできないでしょう。けれども許する時がきたようです。」と。
勇気ある結論だと私は思いました。
このたびの訪日で、あのような親切と気づかいを受けたことは、私や娘にとってそして一行にとって
すばらしく意義深いものでした。
歓迎会の前に私は幾分落ち着かない思いでいました。
しかしパーテイで元捕虜の方々やみなさんとおなじように、私は心の中の亡霊を追い出すことができました。
みなさんは心のなかで許しという思いがあることを見出し、私も同様でした。
横浜保土ヶ谷墓苑の父の墓の前に立ったとき、現実の事とは思えない気持ちでした。
長い時間と、遠い距離が経ってました。
誰もが、許すという思いがすぐ生じないとしても、今日の日本とこの世代との友好に与かりたいという願いを
もっています。例えば、魔法のような電子によるコミュニケーションで、私が会った横浜の人々とこれからも
つながりをもちつづけてゆくことができます。
娘のジュリーは26歳で若い世代の一人です。彼女もやはりイギリスを発つとき、心配そうでした。
しかし興味と興奮と幸せな思い出いっぱいになって帰国しました。
友達みんなにもそのことを書きつづけています。
―あの朝、向島の新しいメモリアル(モニュメント式典)で歌ってくださった子供達に感謝している事を伝えてください。-

違った文化と、異なった生活への旅でした。当然でしょうが笑いと涙がありました。
再び、私の感謝をあなた方全てに申し述べます。私たちのためにケアと配慮と友情をもってもてなし
支えてくださったことに。
私の今の願いは、もっとゆっくり時間をかけてあなた達の国を見つめたいということです。
そのことは確かに実現するでしょう。
恵子ホームズさんの仕事は厳しいものですが、彼女はすばらしいレディです。

                   
 ジョン・R・ディクソンより





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