創造

創造主とセルフイメージの世界

霊の贖い、至聖所の贖い

2010-07-27 22:26:27 | インスピレーション
日課の一つは聖書を10章づつ読むことである。
今日、レビ記16章33節「彼は至聖所の贖いをする。」を読みハッとした。
旧約時代の祭司が清い動物の血によって、罪を清め神の宿る至聖所を
整えることであるが、これは主イエスが人間の至聖所である霊をご自身
の聖なる血をもって清めてくださり、聖霊なる神の住まいとして下さること
を指示している。
この事実に依存する時に、われわれ自身の身に、この奇跡が起こる。
いわゆる一般的な意味でのスピリチャリズムも人間の霊性を重視する。
しかし、生まれつきのままの霊は汚染されていて、そこは悪霊の足場
になりうる。
カルトの過ちは、そのような霊を放置したままで、霊性を強調することで
ある。宗教的ではあるが、新生しない霊は、サタンの支配から脱却できない。
かつてのパウロのごとく、熱心にみえるが、内側に清さがなく建て前では
宗教的であっても本音は不安、不平、不満で満ちている。
御霊を持たないままで、宗教的であろうとすると、限りない自己義認
の追及に陥る。
ノルマや掟を果たして、義の道を自力で造りだそうとする。
十字架の贖いに頼らず、御霊をもたない宗教的カルトはやがて破壊的な
道をたどるのである。
 贖いとは神が私達の罪の代価を自ら支払われ、サタンの支配下から
聖霊のご支配のもとに引き上げてくださることである。
 神のみ子の十字架の贖いにお頼りするときに、そのことが自分の中で
実現する。
 こうして、私達のもっとも大切な霊の部屋に、主なる神をお迎えする。
また心の部屋も明け渡すとき、心は聖霊のご性質である愛と喜びと平安
に満たされる。また体に触れられるとき、病の癒しがおこなわれる。
 主の血潮の清めを全領域に、日々そそいでいただき、いつもサタンに
勝利することこそ、絶対的幸福の生活である。
 確かに世には一時的な相対的成功や幸いもある。
しかし、神は私達が永遠に幸せであることを願っておられる。
そのために尊い犠牲を支払われ、ご自身を住まわせることによって尊い
神の子という身分を私達に与えてくださった。
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