創造

創造主とセルフイメージの世界

生命科学・創造論と進化論

2010-07-20 17:44:13 | 神学と科学

 最近、NHKのテレビ科学番組で「進化」という言葉が頻繁に使用されている。
生命科学の分野では一つの仮説であるが、あたかも自明の法則のごとくに扱われている。
現代物理学ではアインシュタイン以来、従来のニュートン力学が克服され、生命科学の分野でも遺伝子やDNAの研究が飛躍的に進歩して新たなレベルに達しているにも関わらず、その発想は旧態依然ではないか。
 唯物史観にたつルイセンコ学派が、その仮説を絶対化した結果、農業政策を誤らせ数千万の餓死者を生み出したことを思い起こさなければならない。
 客体認識は主体である観察者に影響されるとアインシュタインが説いたように、どのレベル、あるいは次元から歴史と自然を把握するかということを吟味しなければならない。
 創造主を見る霊的な目をもって、被造物の歴史と自然を考察するのが創造論的聖書的歴史観である。
 この視点で見るとき、「全被造物」のうめき(ロマ8章)を聞き取るであろう。
 つまり、創造主から引き離され、死におびえ、弱肉強食と自然淘汰を繰り返す生命の悲哀である。
 確かに、そこには非情な法則があって、すべての生命は容赦のない闘争に巻き込まれている。
 しかし、この現実には、「サタンに支配された」世界であるという(ヨハネの手紙)一つの前提がある。
 聖霊によって、世界と歴史を認識するとき、創造主との関係が断たれた被造物の姿を見るのである。
 新生し、清められた理性には全く違った世界が映ることになる。
 唯物史観の絶対化は、人を霊的飢餓状態に陥れる危険がある。
 おりしも大韓航空爆破事件の犯人であり、キリスト教徒に改宗したキムヒョンヒ姉が今日初めて日本を訪れ、拉致被害者家族の方々と面会される。
 かつて、マスコミやいわゆる知識人たちは唯物史観に立つかの国をほめたたえ、十分な検証もせずにその思想が正しいかのように伝えた。そしてその宣伝に踊らされて多くの方々が海を越えて帰還した。
 日本でも権威があるといわれるNHKが不用意に、それに類する思想や言葉を乱用するならば、その精神的被害は甚大であろう。
仮説は実証されることによって法則と認められる。仮説を取り上げることは問題ではないが、、創造論など違った立場の見方を無視した番組は慎重でなければならない。
 ヨブ記40章には、ベヘモットと呼ばれる恐竜に近い生物が描かれている。恐竜の存在が知られる前はカバと訳されていたが、今日では訂正を迫られている。聖書は霊の視点から、歴史を観察する。非科学的ではなく超科学的である。創造主の目から、被造物を考察するときに、初めてその深層が解明されるだろう。
 アインシュタインが、問題は一つ上のレベルから解決されると説いたように、造られたいのち(プシュケ)を超えた創造者のいのち(ゾーエー)とその霊的目をもって見るときに全被造物を死から解放しようとしておられる復活の主を見ることができる。
社会科学上、フォイエルバッハやマルクスに代表される「意識は生活によって規定される」という仮説がある。これに対してマックス・ウェーバーは信仰の形態による社会の構造の変化を解明した。意識こそ人間特有の能力であり、意識改革に伴う社会改革の可能性が説かれる。これはいわば、内側からの創造と変革である。この視点は霊の科学、つまり神学と交差する次元。かつて豊かであった北朝鮮が何故今日貧しく、かつて後進国であった韓国がなぜ先進国に発展したのか。
精神的指導者の一人、チョウヨンギ師は夢と幻が人生と社会を変えると説く。つまり、内側に宿られた聖霊なる神の無限の可能性と能力に依存するとき、人は変えられるという霊的根源的法則の発見がそこに見られるのである。

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