創造

創造主とセルフイメージの世界

霊的新約的祝福と地上的旧約的祝福

2010-07-12 14:08:37 | 日記・エッセイ・コラム

Newrinzai

旧約時代の祝福の特徴は、創造主との関係が、間接的であること、すなわち、被造霊である天使を仲介しての祝福であり、新約は創造主自らが人となり、直接、世に触れ、十字架の贖いと復活を通して、人の霊に住まわれる永遠の祝福(救い)である。

天使は不死であり、目に見える被造世界の創造を援助した。しかし、人の霊(至聖所)に触れることは許されなかった。肉体と環境に介入することはできても、霊の中に住むことは許されない。

霊的被造物として霊である創造主に近い次元とレベルに存在しているが、被造物ゆえに創造主とは清さにおいても本質的にも雲泥のへだたりがある。イザヤ6章で、天使セラフィムでさえ、あまりに清い創造者の前では翼で目を覆ったとある。

主イエスが十字架で贖いを成し遂げられた瞬間に、聖所と至聖所を隔てた垂れ幕が真っ二つに裂けたのは、創造主が被造物の中に、被造物である人間が創造主の中に相互内住される道が開かれたことを約束している。有限の中に永遠が入り、被造物のいのちの中に神のいのちが吹きこまれることを意味する。土の器の中に永遠の宝を持つ者にされるのである。

それゆえに内住の御霊と共に祈る祈りは永遠のいのちの呼吸であり、御霊によって書かれた聖書を御霊に依存しつつ読むことは、与えられた永遠の霊のいのちを豊かに養うことであり、生活を御霊と共に過ごすことは、神のお働きを解放することである。

主イエスは創造主なる神を父と呼ばれた。これは御霊によって創造主の遺伝子といのちが己のうちに生きておられることを言い表している。それゆえに「父が私のうちで働いておられる」と証言された。私達が復活の主にまみえるとき、私達も御霊によって至聖所に引き上げられているのである。たとえ肉眼で主を見なくても、聖霊によって触れられよみがえった私達の霊が「父よ、御子よ」と永遠のレベルでの交わりをされる。

これは天使の次元よりもはるかに高く、実に創造主のファミリーの一員の身分である。目がくらむような恵みであり、アメイジング・グレイスである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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