創造

創造主とセルフイメージの世界

大いなる主の愛1

2010-07-06 20:46:30 | ゴスペル

no greater love
復活とは?。死を克服することが可能でしょうか。
パウロとともに、復活こそが聖書の根本であることを確信します。
全世界の22億人にも及ぶキリスト教徒がどうして主の復活を信じ
られるのでしょう。
理由はいくつもありますが、第一に主は生きておられて日々、我々
の祈りに答えてくださっていることです。
 偉大といわれる宗教家は歴史の中に、多数存在し、その教えも
信奉されています。
しかし、復活して生きておられ、祈りにこたえられるのは、主イエス
のほかに存在しません。
 第二の理由は、死という現象は死の霊という根本原因から生じた
ものですから、闇の霊に勝利する創造霊が働かれると、死が復活に
飲み込まれることが理論的にも証明されるからです。
主イエスは問題を表面的に処理されたのでなく、問題の根源をとりあつ
かわれました。ガリラヤ湖の嵐に悩む船の改修をする以前に、嵐その
ものを静められました。
死という現象の根源に、死をもたらす諸霊(堕落した天使)の支配が
あります。
旧約時代、なぜ死を克服できなかったのか、それは天使レベル以上の
力がなかったからです。
宗教は確かに霊の問題を取り扱いますが、すべて垂れ幕のこちらがわ
の次元です。永遠なる創造主は至聖所におられるのですから、そこ
に入れない旧約および諸宗教には永遠はないのです。
復活のいのちは、まだ実現されておりません。
 人の側からいえば、創造主なる聖霊は、人の霊に内住されていない
のです。唯一、罪のない御子イエスのみが、その内側に御霊を迎え
真の人間性を回復されました。
 御霊は創造霊である故に、死の力をもつ被造霊(サタン)の力を凌駕し
復活の体を再創造されます。
 私達は本来、御霊を住まわせるほど清くはなく、その資格も無いもので
すが、十字架で流された血潮のゆえに、そのおかげのゆえに罪を清められ
て御霊を己の霊のうちにお迎えする光栄にあずかるのです。
 そして、根源的な自己に目覚めるのです。
祈りとはこの永遠的いのちの呼吸なのですが、そのなかで霊の目をもって
根源的世界の諸相を見るのです。
 このいのちを知らない、サドカイ人たちは表層の世界だけに生きたゆえに
「天使や霊や復活」という次元には目が閉ざされました。
 本当の意味で祈りの世界を全く体験しませんでした。
だから奇跡の頂点にある復活を否定し、復活を説く使徒たちを嘲笑い、憤慨
しました。
 他方、もっとも宗教的であったパリサイ人たちは、諸霊の存在を認め、復活
を観念的に認めましたが、御霊を持たず、復活のいのちを知らず、創造霊
と被造霊の区別もできませんでした。
 彼らはかつてのパウロのように多くの宗教同様に結局被造物の世界を超える
ことはできませんでした。
 偉大な神の愛は、ご自身を私達に与えることによって、朽ち行く被造物の限界
を超えさせること、被造霊に勝利させる永遠のいのちの中を歩ませることです。
 そのことが過去において主の復活に現わされ、将来において私達の体の復活
(霊はすでによみがえっているのですから)となって現われます。
 創造主から離れることによって、滅びの霊にとらわれていた被造物は、もう一度
創造主に立ち返り、結ばれ、その中に生きることによって永遠を回復するのです。

第三の理由は歴史にみられます。
いかなる権力者や文明の暦も消滅しましたが、世界で唯一、主の年は続いてゆき
ます。歴史はまさにHis Story、主の物語であり、主人公は主であります。
日曜日が祝日なのは、この日、主が復活されて2度に渡ってご自身を弟子たちに
現わされたことを記念しております。
モーセの蛇がエジプトの霊能者たちの蛇を飲み込みました。
2000年の歴史の中でキリスト教が諸宗教を飲み込みつつあるのは、創造霊こそが
人を死から解放し、絶対的勝利と復活のいのちを与えるからです。
 主との交わりを喜び、根源的な生活を大切にしましょう。そこに不可能が可能に
なる世界が開かれます。


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捕虜・日米の対話サイト

2010-07-06 11:45:17 | 捕虜レクイエム
捕虜・日米の対話
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