創造

創造主とセルフイメージの世界

なぜ西郷隆盛の写真がないのか

2010-07-24 11:34:39 | 歴史
 幕末維新史上の謎の一つは、西郷隆盛の写真らしきものが一枚も残されていないことである。
同じ薩摩藩の小松帯刀や大久保利通、長州藩の伊藤博文、桂小五郎、高杉晋作、そして佐賀藩の大隈重信、副島種臣 江藤新平
土佐藩の坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎、公家の岩倉具視、備後の安保清康また明治天皇でさえ、かなりの写真が残されていて今日でも自由に見ることができるにもにもかかわらず、西郷の写真だけはないという。
 そこで私なりの推理をしてみたが、その仮説とは敬天愛人をモットーにした西郷隆盛はクリスチャンではなかったかということである。
7月25日発行のクリスチャン新聞3面、「龍馬をめぐる人々」(守部喜雅氏によるシリーズ)は「西郷が秘密裏に受洗?」とある。
バラ宣教師に願い出て秘密裏に受洗した可能性があるという訳である。
 私は写真事情から想像してその可能性は高いと思う。日本人として最初の写真(銀板)の被写体になったのは漂流民の仙太郎であった。ゴーブルと共に黒船に乗り込んだが、日本で下船することを拒み、米国に戻り、バプテスマを受けた。
1860年、今から150年前に宣教師になったゴーブルと共に神奈川に上陸するのだが、その後の仙太郎の写真はほとんど見つからない。静岡でクラークと共に写っているという写真も正面からではなく、どんな容貌であったか分かりにくい。

幕末維新の時期、キリスト教はまだ禁止されていた。とくに日本人の改宗者はその身を危険にさらすことになった。おそらくそのような事情を熟知したフルベッキ師は日本人との関わりが写真などで公にされることにかなり慎重であったのではなかろうか。
 もしそうだとすれば、西郷の写真が皆無なのは、彼がキリスト教に帰依していたからであったという仮説が立証される。

 2000年7月、スイスのローザンヌでユースウィズアミッション・創立者カニングハム師の特別講義を受けた。

 聖霊の神学者と呼ばれたカルヴィンによって、ジュネーブが改革され、その影響は教育や文化そして現代世界の政治経済の変革に寄与していることは広く知られているが、そのような霊的基盤なしに先進国になったのは日本だけだとカニングハム師が語られた。
 なぜ、そうなのか知りたいとも言われた。
それは私たち日本人にとっても疑問であった。
 しかし幕末から維新そして明治初期にかけて、プロテスタント宣教師と欧米のインパクトがいかに強かったかは、明治の文豪たちのほとんどが聖書に真剣に対峙していることからもうかがえる。
今週のNHKの龍馬伝は長崎のグラバーに焦点をあてていた。しかし思想的面から志士たちに大きな影響を与えたのはフルベッキ師であった。また土佐藩に雇われて、岩崎や後藤と接触したのはゴーブル師である。坂本龍馬も当然、いずれかの局面でゴーブルに接触しただろう。新大陸アメリカ開拓者の末裔で一匹オオカミとも異端児とも言われたゴーブルと幕末の風雲児龍馬は、どこか似通ったところがある。
 一方仙太郎は、ジョン万次郎やジョセフ・ヒコのように際立った業績は残さず、忠実なコックとして仕えたのであるが、リバイバルの嵐の中で誕生した米国バプテストの信仰を身に付けたという点では、アメリカをもっとも深く理解した人物であったともいえる。
 江戸時代の仏教もしくわ儒教史観、明治以降の皇国史観、戦後の唯物史観は、日本を底流で動かす聖霊の働きを覆い隠してきた。
それはもっとも日本人らしい日本人、勝海舟が涙と共に主イエスを受け入れ、永遠のいのちと喜びを体験したという事実を圧倒的多くの日本人がまだ知らないということからも言える。
コメント
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