今年は2月14日から3月30日までレント(受難節・四旬節)に入りました。
国が滅んでゆくさまを、身をもって体験したエレ
ヤの苦悩を思わせられます。人々の不信を悲しみ涙した主イエスの嘆きと荒野の40日をも想起させられるシーズンです。
人の心を深く見たエレミヤに、神に信頼せずに人に信頼し、表層的な生き方をするイスラエルに対する絶望を覚えました。
しかし、ペテロやパウロにおいても深い自己絶望体験が、あったことが分かります。
自分だけは主を裏切らない、それはペテロの信念であり自己信頼でありましたが、見事に裏切ることになりました。
パウロもパリサイ主義者として自負と誇りと自信にあふれていたのでした。
バビロンの捕囚は、神がイスラエル自身に深い自己省察を与えられるために許された試練でした。
2章13節、「湧き水の泉である私を捨てて。多くの水溜を作った」とあります。
自己依存は深い意味での偶像礼拝です。聖霊信頼と「天地を造らなかった神々は地からもこれらの天からも滅びると言わなければならない」(10章11節)とあります。
そして23章24節「天にも地にも私は満ちているではないか」と主は語っておられます。
自分とこの世に絶望することは、真の希望の始まりです。
33章3節「私を呼べ」とあります。
主に頼って祈る時に主が答えて祝福と回復を与えられます。
現代は御子が世に来られ、十字架の血を通してご自身を私たちに与えらました。
私たちの内に聖霊様が宿られています。
自分に絶望したとしても、造り主にして全知全能者がともにおられるのです。
このお方には無限の可能性があり、確かな希望があります。
自分が弱い者であることを知ることによって、いのちの湧き水であるお方をより頼むことを学びます。
そこに永遠の祝福の泉が湧き上がります。
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