全ては創造主によって造られました。つまり一般恩寵のなかで生かされている訳です。しかし、神はご自身のいのちを人間にお与えしようとして、この世に来られました。厳密な意味での親子関係は、遺伝子の共有において成立します。創造主としての神が、父なる神と呼ばれるとき、そこには新生という奇跡がなされています。神によって造られたことを超えて、神によって生まれたという特殊恩寵です。
超越的ないのちの質的変換があります。一般恩寵においては、例えば長寿や繁栄のように、創造の延長線上における恩恵が強調されます。しかし、それはあくまで被造物としての幸いであります。死を超えた復活のいのちではありません。神から生まれる永遠の生命は神と同質性をもち、創造主の内部に生きるいのちです。聖霊の内住という神ご自身の直接的介入がもたらすものです。
生まれつきの自然のいのちは、罪によってサタンの支配下に陥り、霊が死んだ状態でした。「神が死んだ」とニ-チェは語りましたが、それは、彼の霊が死んだので、創造主である霊Spiritを認識できないという意味です。その思想を継承したヒットラ-はゲルマン民族の至上性をたたえ、その自然的生命を絶対化しました。時を同じくして日本帝国では皇民化思想のもとに大和魂が謳歌されました。
今日でも、日本での「御霊」は「死者の霊」すなわち被造霊を意味します。しかし世界の常識では聖書の通り、創造霊Spiritであります。ナチスと対決せざるを得なかったバルトは、当時のドイツを覆っていた霊的混沌、霊のよどみを憂いました。そして聖霊による新生の重要性を訴えました。大戦後は霊的まどろみを警告し続けました。
神を父と呼べることの恵みの大きさに改めて感謝する者です。
https://www.youtube.com/watch?v=nTDNcOnzK6U
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