この世の力に富むとき、その被造物的いのちに生き頼るものです。
エリシャの召使がアラムの大軍に包囲された恐れた時、エリシャの祈りによって開かれた霊の目に見えたのは、
敵を取り囲む火の馬と戦車でした。(第二列王記6章)
イスラエルに神の栄光が現れるのは強い時ではなく、弱くされた時でした。
ダビデは自軍の強さを誇り、これに依存しようとして失敗しました。
ギデオンは、ただ創造主のみを仰ぎこのお方に頼るために、味方を減らされました。
私たちは十字架によって罪から贖われ、聖霊と共に天使よりも高い神の御座に挙げられ、創造主の交わりの中に、
永遠のいのちの中に入れられています。これが霊的現実であります。
しかし多くの可視的被造物に囲まれているので、その事実が目に入らずに、あの召使のようにうろたえるのです。
弱い時こそ、真理に立ち返り、永遠の同伴者であるよみがえりの主をたたえ、そして内住の御霊に目を注ぐとき、
主を復活させた聖霊が、私たちの中で真の強さとなって働かれます。
http://www.sanbika.net/Fill_me_now_Java.html
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます