https://sanbika.blog.so-net.ne.jp/2010-10-07
「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」
(ヘブル10・20)
主が十字架上でその身を裂かれ、贖いの血を流された瞬間に、神殿の至聖所と聖所を隔てていた垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。(マルコ15・38)
ここに、聖霊なる神が私たちのうちに、私たちが創造主なる神のうちに住む道が開かれました。
永遠が時の中に入り、時が永遠へ化す奇跡が始まりました。
罪が除かれない限り、アダム以来人類がサタンと結んだ契約の呪縛から逃れることはできませんでした。
御子が我々に代わって罪を負われ、身を裂かれ、その清い血を流されたことによって、完全な罪の赦しが完成しました。
私たちがその恵みに依存し、信頼する時に、自分自身の中に、その奇跡が起こります。
罪なきところに悪霊の居場所がなくなって、出ていかざるを得ないからです。代わって、聖霊なる創造主が内住してくださるのです。
パン裂きという聖餐の儀式は、神がご自身を裂かれ、自らを私たちに与えられるという驚くべき事実を確認させます。
神の愛、永遠の交わりと一体であるお方が、自らをお裂きになってこの世にお下りになられ、十字架上においてその永遠のいのちそのものであるお方を私たち個々人に与えんとする大いなる犠牲愛であります。
復活は至聖所のいのちであり、天使レベルの聖所をはるかに超えた創造主ご自身のいのちと交わりの次元であります。
主は、その恵みの高嶺にまで私たちを引き上げてくださったのです。
キルケゴ-ルやボンヘッハ-が述べたように、確かに、人知を超えたあまりに高価で偉大な恵みであります。
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