創造

創造主とセルフイメージの世界

復活の主の現われ

2024-04-01 11:04:16 | 福音

うるわしの白百合

【コリント第一:15章1-111節】

復活の主は日曜日に三度お姿を現わされたので、弟子たちはユダヤ教の土曜安息をやめて、日曜日に主をたたえ礼拝するようになりました。そして今日、全世界はこの日を祝日としています。

「二、三人私の名によって集まるところに私もいる」と約束された復活の主は、この礼拝にも共にいてくださるのです。肉眼では見えなく、現われがなくても、主は共におられます。

先週アナニアとサッピラ夫妻の嘘についてなぜ神は厳しい処置をなされたか学びました。ちょうど安倍元総理がやめろと言ったキックバック制を残したばかりに自民党が揺らいでいますが、どこかで金銭に依存しようとする政治家の姿は他人ごとではありません。水原一平通訳がギャンブル依存症であることを告白して大騒動になっています。この依存という言葉は信仰、あるいは信頼の類似語です。

偶像を捨てずに「残した」アカンの罪で、イスラエルはアイという小国に敗北しました。教会が世に勝利して栄光を現わしてゆくにあたり内部に偶像礼拝があると障害になることを教えられます。

 創造主でなく、被造物に頼る偶像礼拝はサタンとの関係が断ち切れないので結果的に神と敵対関係に入ることを意味します。

ギャンブル依存症は、嘘をつくようになると言われます。「サタンは初めから嘘をつき、騙し盗み、殺し滅ぼす」とあり、自力では脱出が困難です。「占い」とか新興宗教やカルト宗教、古い伝統宗教も一度関係を持つとなかなか縁を切れません。イデオロギーでも同じです。深層で悪霊と契約が結ばれて逃れられないからです。エジプトの支配下にあったイスラエルもそうでした。かもいと門柱に塗られた羊の血のみが、その関わりを断ち切ったのです。罪の結果サタンと死の支配下に落ちたこの世界は容易に解放されません。

人類とこの世は始まって以来、ずっと闇の力に縛られ、その悲惨な現実にさらされてきましたから復活が信じられないのは当然かもしれません。創造主である神との交わりを失った世界は滅びるからです。

ユダヤ教の指導者だったパウロも主の復活を信じることはできませんでした。復活はフェイクニュースだと確信して、嘘つきは殺されなければならないという律法に従ってキリスト教徒の逮捕と処刑に加担していたのです。

ところが復活の主は太陽よりも明るい光の中でパウロに現れました。それが自分だけの幻覚でないことが、弟子たちの証言で明らかにされました。

そして十字架に追いやったナザレのイエスこそ、罪のための贖いを成し遂げて、至聖所を開かれ、創造者と被造物の隔ての壁を取り除かれた救い主であることを悟りました。

創造主である聖霊が注がれその光に照らされ、天に引き上げられて、そこにおられる父と御子に出会い、永遠の交わりに入れられます。

「見ないで信じる者は幸いです」とあるように五感を超えた世界です。

夜が明けると漆黒の闇から地上の大自然が姿を現すように、太陽よりも輝く創造主の光が、見えない天を照らし出します。そのようにパウロは霊の目が開かれて復活の主に出会いました。

神は天使セラフィムでさえもまともに見ることが出来ない(イザヤ6・2)聖なるお方です。

私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなた方は命令を守り、傷のない非難されるところのない者でありなさい。その現れを、神はご自分の良しとされる時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主です。ただひとり死のない方であり近づくこともできない光の中に住まわれ、人間が誰一人見ることのない、また見ることのできないお方です。誉れととこしえの主権は神のものです。」(テモテ1・6の14-)召された方々はこの光の中に移されました。

それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(10節)とパウロは主の血潮と聖霊によってすでに祝福に入れられたと述べています。私たちも被造物である自分と世に頼るのでなく、私たちの光となりいのちとなって内住されている神に一瞬一瞬お頼りしましょう。主が輝いてくださるからです。

救いの主はハレルヤ

 

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