建築や製造において、設計があり、タイムプランがあり、製造があり
そしてメンテナンスがあります。営業も必要です。
旧約聖書は設計書に似たところがあり、時間的な予言はプランニング
と言ってよいでしょう。
主イエスは、この(旧約)聖書は私について書かれていると語りました。
つまり、主イエスは本体であり、旧約はブループリンントであるという
のです。
中でも旧約の幕屋(神殿・宮)の至聖所、聖所、庭の構造は、真の人間
の霊、心、体の模型(雛型)といえます。
すなわち、ほんとうの人間とは霊の中に創造主なる聖霊を住まわせ、
その泉から心と体に絶えず活力を生みだしてゆく生活でああります。
それはまさしく、人となられ(幕屋を張られた:ヨハネ1章)、聖霊の
バプテスマを受けられ、その御霊に全面的に依存することによって
驚くべき御業をなされた主の生涯そのものであることが分かります。
その持続的な力の秘訣は、静かなところに退かれて絶えず、祈られ
聖霊の油注ぎを新たにされとことにあります。
メンテナンスがしっかりなされているのです。
建築をする場合、本体を見学します。しかし、設計書をよく見なければ
耐震強度や見えない部分の構造を知ることができません。
ですから、旧約聖書、特に幕屋のことを学ぶことは、主イエスを深く知る
ことになります。
製造には鋳型(手本)が欠かせないように、私たちも自分の人生を立ち上げる
場合に、本物のお手本をよく観察し、その内部を知らなければなりません。
そして自分の真の人生設計を描かなければなりません。
主の十字架の血潮は、私たちの罪をきよめ、私たちの中に聖霊を住まわせます。
ここでまことの自己を見ることができます。主の型に入れられたセルフアイデンティティ
です。この自己像はいかなる嵐にも耐えさせる確固とした土台であります。
ここに基づいた、人生プランを立てます。
すでに、主によって示された道が用意されていますので、迷路に迷ったなら、もう一度
主を見上げ、主に倣って、内住の御霊をたたえ、依存しましょう。
メンテナンスは、旧約時代祭司が、朝に夕に、子羊の血を注いで神に近づき、力と祝福
をいただいたように、新約の万民祭司である私たちは、日々、主の血潮に洗っていただいて
リフレッシュされることです。
すなわち、主の血潮と御霊に依存する時、私たちは、力ある人に変えられるのです。
日本の生産品は、今日性能において、品質とメンテナンスにおいて定評があります。
これを持続するには、私たち自身が、神の作品として、神の住まわれる宮としての
自覚をもち、聖書と祈りを通して、より明確により深く神と己を知ってゆくことではない
でしょうか。
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