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2022.03.28 「はじめてCGで描いたお雛様〔その2)」を、再投稿分の続きその3。」

この世界を目指して以来、毎日ほとんど徹夜状態で椅子に座りっぱなしだったので、
脚の筋肉を落としてしまい、激痛の膝を抱えての毎日で、何軒もの整形外科を訪ねたが、
その頃は、今と違って、整形外科でも膝痛の原因はわからないと言われた。
しかし、そんなことぐらいで、諦められる訳はありません。

私は、阪神大震災で全壊だった神戸の家を、新築ではなく、修理した。
我が家は、そのあたりで1軒だけ、地震後、ガラス戸がスルスルと開き、ドアも
開いた珍しい家で、大工さんが、こんな家は他に無いと驚いていた。
こうなったについては、私の処置が功を奏した結果だが、ここではそれに触れない。
つまり、梁が全く歪まなかったので、このまま屋根を乗せれば使えると言われた。
万一その後で、次にもっと大きな地震が来ても、この家は、倒れないと言われた。
新築の方がかえって安くついたし、美しいのに、父母との思い出の家を復旧したく、
修理して使えるものは全て使って欲しいと頼んだので、木の雨戸は古くて、隙間が
空いていたので、朝まで頑張っていると、隙間から、朝日が射してくることが何度か
あった。
しかし、もうそこからは寝ることはできず、そのまま、1日が48時間となった日も、
何回かあった。
親友ののばらさんが、必ず毎朝11時ごろ、「おっはよ~、おーちゃん起きてる~?」
と綺麗な声で、電話をくれたのは、優しい彼女による、私の生存確認だったんだと、
彼女が亡くなって8年、今でも感謝している。

当時14インチの小さなパソコン画面は、スクリーンに部屋の電気が写り込むので
目に悪く、しかも昔のことなので、画質が粗い機器で超細密画に一晩中挑戦するので、
目を傷めて手術をした。
老眼に成り立ての目は、滲みて滲みて、涙がぽろぽろ出るので、バスタオルで涙を拭き
拭き、ドライアイの人って気の毒だな、涙が出ないんだって、私はこんなに涙が出て
幸せだなと思っていたら、これが、ドライアイなんだと教えられ驚いたこともあった。
又、当時、パソコンで作業する人には、必須だと言われていた電磁波除けのゴムの
エプロンもしなかったからか、脳腫瘍が出来た。
手術すると、40日の入院が必要と言われたが、その前に、今連れて行かなければ
40日後の私の退院後では間に合わない懸念のある大阪の友人達を、わざわざ神戸
から足の激痛を押して出かけて、大阪の癌センターまで連れて行ったり、そこでは
無理だったので、翌日、台風の大雨の中、今度は警察病院に連れて行ったりして
忙しく、自分は後回しになっていたが、何故か5~6年後に、もう、脳外科に来なくて
いいと言われた。
先生に「どうしてですか?」と聞くと、「運命の神様のお陰です。」と言われた。


今日はここで終わります。
余りにも、おしゃべりなのも、ご迷惑をかけますので、あと1回、次回で終了とさせて
いただきます。
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