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2020.12.16 みえちゃんの慰労会をする。

私の母は、歳を取ってから、背中が曲がった。
それも横にS字型に曲がっていたため、既製品の服は、着られなくなった。
そのとき、私の職場の友人で、格別おしゃれな人がいて、良い生地を買って来て、
幼なじみの友人に仕立てて貰っているのだと、言っていた。
私は、”これだ!”と思って、「お願い、その人を紹介して。母の服をお願い
したいから。」と頼み込んだ。
そうして、ミエちゃんは、我が家へ来てくれることになった。
昔は、上質な布地は、必ず、フランス製かイタリヤ製で、彼女は、知り合いから、
安く生地まで見付けて来てくれた。
そのおしゃれな模様、素晴しい生地、今の日本の技術の進歩はすばらしいので、
想像出来ないかも知れないが、その頃の「舶来の生地」は、国産とは比べ物に
もならず、目の保養になるほど素晴しい物だった。
天にも昇った様に、喜んでいた母を懐かしく思いだす。
その後、母が亡くなって、ミエちゃんと会うことは途絶えていたが、あるとき、
彼女がこのブログを見付けて訪ねて来てくれて、二人は30〜40年振りに再会した。

その間、ミエちゃんには、色々有った。
母親の介護を20年程した。
始めは、骨折から始まったので、母親の家に寝泊まりして、母親をデイサービスへ
送ってから、自宅へ戻り、自宅の家事をして、ご主人と食事を済ませて、お風呂に
入ってから、又、母親の家に来て寝泊まりする。
それらをこなす為に、車を買い、運転免許を取った。

母親が90歳になった時、自分の家の近くの施設を探して、入居させた。
彼女は、2日に1回必ず訪ねていた。
私と会った時も、別れ際に,今日は母の所へ行く日だからと言って、そちらへ
向かっていた。
母親の誕生日には、毎年宝塚ホテルのディナーに連れて行き、その様子を写真
に撮って、送ってくれた。
母親が101歳で、亡くなる迄続いた。

その直後に、ご主人が、道で転び、鼻を骨折したのを皮切りに,ご主人の病気
が発覚し、10年程で徐々に進行した。
水頭症の様々な症状が、悪化し、手術もしたがが改善しなかった。
加えて、最近癌が見つかり、緩和病院に入院しておられたが、最近亡くなった。

これらの長い介護生活中に、ミエちゃん自身に、脊椎の滑り症が発症した。
五年程経って、激痛が治まった時は、背丈が五センチ縮んでいた。

今年の10月に、ご主人が亡くなったと連絡があった。
私は、長い介護生活を頑張った彼女を慰める会と言うか、慰労会をして差し
上げたいと思った。
母の晩年を,喜ばせてくれた彼女へのお礼も込めて。

実は、これだけ書くと、介護と家事と本人の体調の問題だけの様な感じに
なってしまったが、それだけではなかった。
彼女は、兵庫県の洋裁界のある団体の理事長をしていて(これを聞いた時,
私は,彼女がその人徳で選ばれたのだと直感した)、更に地域の老人会の副会長を歴任していた。
洋裁については、大きな物は断っても、洋服のリフォームなどは介護中でも引き
受けていた。しかも、週1回の洋裁教室は継続した。
忙しい様だが、実は、好きな洋裁に関わる時間が少しでもあることが嬉しくて、
自分の癒しになっていたと,彼女は言っていた。
自分には、洋裁があって良かったなと感謝したとのことだった。


元町の丹色へ行く。
乾杯

小さな器で粕汁

料理

揚げ物

ご飯

デザート


このあとは、喫茶店で、お茶をしながら、ゆっくりとおしゃべりする。
懐かしい思い出話が続いた。
良い一日となった。
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