日米夜間戦闘機射撃管制レーダーの比較検証について
まずは問題提起として、木俣滋郎氏の「幻の秘密兵器(光人社NF文庫)」からの抜粋を紹介する。
遅すぎた夜間戦闘機用レーダー
夜間は敵爆撃機を追って、戦闘機が舞い上がってみても敵影が見えない。
射撃用レーダーを備えた夜間戦闘機が生まれたのは、こんな理由からである。
昭和18年8月以降、ソロモンでの海軍機の損害が膨大であった。
ラバウルの第11航空艦隊では、1式陸攻や97艦攻を発進させる場合、夜を選ぶようになった。
そこで、米海軍は大急ぎで小型の夜間射撃用レーダーを開発した。
APS4型と6型である。
グラマン・ヘルキャットやコルセア戦闘機の右翼端につけられた円筒型のそれは、重量増加のためブローニング機銃の数を減らした。
しかし、コルセアは、18年10月31日、ソロモンで日本爆撃機1機を撃墜した。
太平洋戦争における初の夜間戦闘機の戦果となった。
しかし、日本の空6型やタキ1号では、空中戦には効果がない。
海軍ではFD2号(FDは射撃指揮の意)と、玉3号という2つのレーダーを研究した。
波長それぞれ60センチと2メートル。
FD2号は19年8月、玉3号は20年7月に完成し、前者は100台、後者は10台つくられた。
しかし、「月光」の機首に納められたこの射撃用レーダーは、誤差が大きすぎて実戦には使えなかった。
一方、陸軍では波長80センチ、尖頭出力2キロワットの射撃用レーダーを開発、敵機を3キロメートル先でとらえたが、角度で2度、距離で400メートル以内の誤差があった。
夜間戦闘機「屠龍」の機首を延ばして、このレーダーを取付けた。
2人乗りだから操作しやすいためだ。
しかし、このレーダーも性能が悪くて役立たない。
そこでもっぱら夜間飛行中、B29の方位をとらえるだけに使った。
一方、4式重爆「飛竜」は運動性がよいので、この射撃用レーダーと40センチ機上用サーチライトをつけ、別の機に37ミリ機関砲2門をつけて、コンビを組む案も出た。
さらに新鋭双発夜間戦闘機キ102にも、タキ2及びタキ15型(誘導用)をつける予定だったが、いずれも実現していない。
更に、木俣滋郎氏の高速爆撃機銀河(光人社NF文庫)の記述の中で、ボンノム・リチャードから本州沖で7月25日夜に発進したグラマンF6F2機は空中戦用のAPS6型レーダーで銀河を捕らえた。
銀河は暗黒の中で突如、12.7ミリ・ブローニング機銃を浴びせられ、「これは危ない」と直感した。
第762航空隊の銀河は、(昭和20年)7月25日の未明3時25分避退した。
つまり、敵空母には遭遇できなかったが、ともかく近くまで行ったわけだ。
8機のうち一部は静岡県藤枝、四国の高知、愛知県豊橋へほうほうのていど不時着した。
それでも1機の損害も出さなかったのは幸いだった。
すでに銀河は波長2メートルのH6型見張用レーダーを付けていた。
しかし安定性が悪く故障ばかり起こしたり、敵の妨害電波にあって役に立たなかった。
日米夜間戦闘機射撃管制レーダーに関する情報を手持ち資料とネットの力で整理してみました。
文中の各種レーダーについては、米国側がAN/ASP-4とAN/ASP-6の2機種、日本側では海軍がFD-2こと18試空6号無線電信機、玉3こと19試空2号電波探信儀11型及び陸軍のタキ2の3機種が該当する。
日米の各種夜間戦闘機射撃管制レーダーを以下に紹介する。
米国 AN/APS-4の概要 https://drive.google.com/file/d/1JZ3JffBNlzhxil6SY-E6n4-_uJU950mo/view?usp=sharing
米国 AN/ASP-6の概要 https://drive.google.com/file/d/1tgFGK5k3JOQDefMfaeZ-7BbvSEUYAY9G/view?usp=sharing
夜間戦闘機用・レーダー AN/APS-6 シリーズ パイロット操作マニュアル https://drive.google.com/file/d/1p-wPVw7D02ISg0HBDiR7croLR9Vv_qwg/view?usp=sharing
海軍 18試空6号無線電信機(FD-2)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022302.html
海軍 19試空2号電波探信儀11型(Tama-3) http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022304.html
陸軍 タキ2 http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022272.html
総論でいえば、米国のAN/ASP-6の開発によって、一人乗りの戦闘機の射撃管制レーダー技術が確立するとともに、実用化が果たされた。
また、現代のジェット戦闘機の射撃管制レーダーの原型機であり、本技術がWWⅡ末期において確立したことに驚きを隠しえない。
たとえば、AN/APS-6の「索敵モード」では、以下の画面となる。
ターゲットを捕捉すると、今度は「火器管制モード」に切り替えると以下の画面となる。
全体の仕組みについては、掲載したAN/APS-6 シリーズ パイロット操作マニュアルなどを見ると凡そ類推できるが、火器管制モードでの画面の画像処理(飛行機マークの生成)などはどうして作成するのかわからない。
以下参考資料として、FLIGHT SIM HERITAGEのHPさんからの抜粋です。
レーダ画面表示形式 http://avionics.game.coocan.jp/data/radar-scope.html
PCコンバットフライトシミュレーションには付き物の空対空レーダ画面表示形式についてご説明します。
代表的な空対空表示形式
レーダ情報(ターゲットの距離、方位等)をパイロットに伝達するための代表的な表示形式には上図に示すように2つの型式があります。
最も良く知られているのは右側のPPIスコープで、自機を中心に放射状に距離と方位を表します。目標が鳥瞰的に表示され直感的にわかりやすいためにレーダと言えばこの画面を思い出す人も多いでしょう。
Bスコープは横軸に方位、縦軸に距離を示す方式であり、F-15、F-16、F/A-18等の実機ではこの方式で表示されています。
アルファベットは2つの表示型式間における目標表示の対応関係を示しています。
PPI表示は初心者向けと言われているフライトシミュレーションに多く採用されています。一方BスコープはFalcon系、Strike Eagle3、F/A-18系、B2B等比較的硬派と呼ばれているシミュレーションに実機同様に採用されています。
F-22等最近の機体では実機もPPI表示が採用されているものと推定されF-22 ADFでもレーダ画面はPPI表示になっています。
参考文献:レーダ技術 吉田孝(監)(社)電子情報通信学会 1984 (ISBN 4-88552-049-5) P194
この資料から分かるように、AN/ASP-6での画面表示形式のBスコープは、現役機のF-15、F-16、F/A-18と同じB形スコープ技術が使用されている。
日米のレーダー画面表示形式を比較してみると以下の通りである。
AN/APS-4については、具体的資料がないので不明であるが、基本的にはAN/APS-6と同等を思われる。
AN/APS-6については、索敵モード(65、25マイル)ではB形スコープ、索敵モード(5、1マイル)ではH形、火器管制モードでは、G形スコープとなる。
一方、日本の海軍の18試空6号無線電信機(FD-2) ではK形スコープ、海軍の19試空2号電波探信儀11型(Tama-3) ではI形、陸軍のタキ2では方位角と仰角についてはF形、距離についてはA形スコープの型式をとっている。
なお、スコープであるブラウン管は、日本側は3インチ(直径75mm)の通常サイズであるが、AN/APS-6は狭いコックピット正面のど真ん中に配置するため2インチ(直径50mm)の超小型のブラウン管が採用されている。
因みに、ここで質問ですが、レーダー表示形式のF型のコメントに「単一の信号のみ表示、信号がない場合は輝点が拡大して円となる」とあり、米軍ではF形のスコープには円表示の機能を付加しているようですが、このためにはどのような機能を付加すべきでしょうか。
答えは、ここをクリックしてください。
https://drive.google.com/file/d/1P76xu65y1GEnbp598F86QMCkv2w8ZKfF/view?usp=sharing
では、日本側のレーダーの実用化はどのようなレベルかというと、公式記録である「戦闘詳報 第2号(夜間邀撃戦)自昭和20年4月1日昭和20年4月30日」を基にした資料を参考にしてほしい。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/06/05/193841
この事実から分かるように、またその他の文献から考慮しても、決して実用化の域には達して居なかったと判断される。
これが日米の技術レベルの差と言えばそれまでであるが、やはり開発プロセスの相違が両国の実用化という点で大きく影響としたように思われる。
AN/APS-6の概要の交渉の項で、米国の開発手法が記載されているが軍の研究所は、メーカー固有技術の評価を行い、開発目標のためにどのようなメーカーの技術を組合せたら目的のものが開発できるかを考え、軍は開発の主導権をもたず、民間メーカーへプロジェクト開発を委託する。
ようは、軍は開発資金を提供し成果を求め、失敗すればプロジェクトリーダーを解任するだけである。
翻って、日本では、陸軍も海軍も研究所の技術士官が全てを取り仕切り、メーカーに発注したにもかかわらず、露骨にプロジェクトに介入する。
失敗しても、軍側がリーダーのため失敗は認めない組織となりやすい。
東芝社史の例であるが、「電子研では軍、特に陸軍からの要請がますます強くなってきたので、研究のみならず生産にも乗り出すことになった。
すなわち、18年9月、多摩陸軍技術研究所川崎研究室が川崎本工場内に設けられ、軍・民共同で電子工業(電波兵器)の研究および量産にあたるこことなった。」とあるが、東芝の研究所へ陸軍の研究室を同居させプロジェクトを推進すると云えば聞こえがいいが、結果は自由度をなくし開発作業を邪魔する結果となる。
日本電気社史では、「工場では、常駐した技術将校によって、「同じ建物の中を真ん中から分けましてね。こっちは海軍工場、そっちは陸軍工場」というような直接的な指揮・命令が行われた。また、生田の研究所においては、従業員が「陸軍関係者はR、海軍関係者はKの印のバッチを着けて区分されていました。私たち技術者は、陸軍の仕事もすれば海軍の仕事もしましたから、二つのバッチを持っていて、適宜使い分け(中略)、陸・海軍がおたがいの所管資材を侵されることを警戒して、資材の持ち分けには眼を光らせていた(中略)、Rの指令による実験と結果は、Kの試作には適用させない(中略)、技術についても、それぞれの持ち分を利用させまいという姿勢」であった。航空機・電波兵器増産が最優先されるなかで、一つの兵器生産計画があるのではなく、陸軍の計画、海軍の計画が実施される事態になっていたのである。」とある。
これが陸海軍の技術将校のメーカー支配の実態である。
そもそも軍の管理工場や軍需工場となった時点で開発能力の向上は期待できず、単なる生産工場でしかなくなる。
しかも、徴兵で現場の熟練工員が取られ、資材の欠乏も拍車をかけるなかでの生産力の低下である。
このように、陸海軍の対立がそのまま開発・製造現場に持ち込まれていることが大きな阻害要因であったように思われる。
射撃管制レーダーについては、最初に英国軍がマグネトロン(磁電管)を使用したマイクロ波レーダーとして開発したASHなるものをベースに米軍が改良してAN/ASP-4を開発したものである。
ようは1国だけではなく、連合国内の知識を総動員してやっと開発が成就することができるような高度のプロジェクトであり、ましては1国の特定の1社だけで開発できるような代物ではない。
特に日本では、マグネトロン(磁電管)型レーダーについては、海軍による日本無線株式会社の1社体制であったために開発時間がかかり、更なる機能向上にも問題が生じた。
国内各社の研究所の総力を挙げて開発するようなプロジェクト体制に軍が資金援助するようにすれば、PPIや今回の射撃管制レーダーにしても米国と遜色ないものがもしかしたら開発できたのかもしれない。
何はともあれ、敗戦末期ではあるが、必死に夜間用の射撃管制レーダーを開発したことは、結果はどうであれ、戦後の日本にとっては光明となったように見える。
参考文献
幻の秘密兵器 1998年8月 木俣滋郎 光人社NF文庫
高速爆撃機銀河 2000年4月 木俣滋郎 光人社NF文庫
レーダー工学[上巻](MITレーダースクールの教科書)昭和34年3月
レーダ画面表示形式 http://avionics.game.coocan.jp/data/radar-scope.html
東京芝浦電気株式会社 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/01/09/163408
日本電気株式会社 https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/01/09/163434
日本製電子管
https://drive.google.com/file/d/1ADlIAW1kl_9HfuzJ3D0EJVMB9Iivdd6K/view?usp=sharing
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