民家から遺体、借りていた83歳女性か 大阪・岸和田(朝日新聞) - goo ニュース
昨日ブログに書いた「子どもを死に至らしめるほどの虐待をする」という事件と、今日の記事の「親が死んでいるいるにもかかわらずその年金を貰い続けている」という事件の共通点はなんだろうかと考えると、やはり「世間の無関心」ということで片づけられてしまうのだろうか。私は戦前の「隣組制度」よりは「無関心な社会」の方が良い社会のような気がするのだが。
●3日午後2時15分ごろ、大阪府岸和田市東大路町の平屋の長屋住宅の清井トシ子さん方で、大家の男性(63)が白骨化した遺体を見つけ、市職員を通じて大阪府警岸和田署に通報した。府警によると、遺体は大量のゴミに埋もれていた。少なくとも死後数年経過しており、生きていれば83歳の清井さんの可能性があるという。府警は、清井さんと同居していた三男(52)が詳しい事情を知っているとみて行方を捜している。 大家によると、三男は仕事に就いておらず、清井さんの年金で生活していたという。
朝日新聞の記事より引用した。最初に書いたようにその共通点を「世間の無関心」に結び付けないとしたら、今の時代が「生き難い時代」時代だという事ではないだろうか。ゆとりのない世の中というか、遊びのない世の中というか、一生懸命に回りと競争をしていないと落ちこぼれて行く社会、すなわち何時も走っていないと金銭的に生活が苦しくなっていく社会にその原因があるように思う。親が死んでも届けずにその年金で生活をしているというのは確かに犯罪だが、親の介護に手一杯で、国民年金もまともに払えないような独り者は、その年金が亡くなった後、どのように生活をしていけばいいのだろうか、政治家に聞きたい。
今日の一枚も、「夏の京都へ」です。