写真を中心に

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役人根性、ここにあり

2009-03-31 | ニュース 社会

橋下知事と記念写真、退職者半数が辞退…有料化「情けない」(読売新聞) - goo ニュース

タイトルにある「有料化情けない」との発言、読んでいてこちらの方が情けない気持ちになった。

「橋下知事が打ち出した財政再建策の一環だが、「退職金を5%カットされるうえに、写真代まで払わせるのか」という不満の声が多く、現役職員からも「長年、府政に貢献してきた先輩に、あまりに失礼」と同情論が持ち上がる事態に。急きょ、府職員互助会が全額を肩代わりすることになった」「撮影を辞退した男性職員は「金の問題ではない。長年の功労にもかかわらず、最後の最後で、こんな扱いとは。情けなくて参加する気にもならない」と嘆いていた」

記事から一部分を上に引用した。昨日のブログで書いた阿久根市の後を受けて大阪府も一般職員の給与・賞与等を公表したが、阿久根市と同様に全体的に年収が高すぎる。民間と比べると約3割は高いのではないか。一度に下げる訳にもいかないだろうから、橋下知事の間に徐々に下げていくことを期待する。給与がカットされたため、職員採用試験の応募者が少なくなったとの記事もあったが、一倍を割ったわけでもないし本当に行政をやりたい人間が集まってくるいいチャンスと捕らえればいい。読売の記事に戻るが、役人というのは自分の財布からお金を出したことがないのだろうか、というのが正直な感想だ。写真代を自分で払うというのは常識の範疇だろう。何故、府民があなた方の写真代を払わないといけないのか、役人が税金を貪り食っている実態が浮かび上がった面白い記事だ。

今日の一枚も、桃の花です。

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竹原市長がんばれ

2009-03-30 | ニュース 社会

ニュースを斬る シリーズ 変なニッポン4ブログ市長の「切ない」思い (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

鹿児島県阿久根市の竹原市長の事は、彼自身のブログで市の職員の給与を匿名で公開したりするのがニュースになっていたので気になっていた。この際、日経ビジネスの記事をじゅっくりと読んで見た。

最も腹が立ったことはの質問に竹原は 相手が憎いわけじゃないんですよ。それぐらいしかできない人を市長にしてしまった、その程度の人を議員にしてしまった、この状況が切ない、辛い、悲しい、そこら辺ですよね。私の行動する原点というか、エネルギーというものは。

市長になってみて職員はどう見えるかとの質問に竹原は 例えて言えば、社長のいない会社で、よく分からない規則でお互いを縛り合っている状態。舵のない船とも言える。舵がないからどうしたらいいかと考えるのが本来の仕事なのに、もう思考停止。お金に溺れている感じですね。 加えて、態度が悪いうえに、勝手に手当をつけたり、身内でやりたい放題だった。本来なら彼らを律すべき市長や議員たちも、下手なことをすると「選挙で落とされるかもしれない」と、職員たちに対してすくんでいる状況だった。

記事から二つの質問の部分を引用した。私の住んでいる市も含め、日本の殆どの市町村は同じ様な状況のような気がする。 私自身を含め、あまりにも自分が住んでいる市町村に対する関心がないのが原因なのだろうとは思う。関心がないから市議会議員や市の職員に注文をつけることもないし、彼らもそれをよい事にこの記事にもあるように、議員や職員たちが、市民ではなく、自分の生活のために議員や職員をするという結果になっているのだと思う。

今日の一枚も、桃の花です。

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「静養ホームたまゆら」三度

2009-03-29 | ニュース 社会

身寄りのない生活保護受給者らの処遇を巡る課題を突きつけた「静養ホームたまゆら」の火災。施設を運営していた特定非営利活動法人(NPO)「彩経会」の高桑五郎理事長(84)のことが毎日新聞の朝刊に載っていたので取上げます。

「当初はこの約5000平方メートルの土地に、特別養護老人ホーム、障害者授産施設、福祉農園、ショッピングセンターなどを建てる壮大な計画だった。「福祉は人である」。高桑理事長はこう説き、障害者、高齢者と市民が一体的に交流するコミュニティーの実現を夢見ていた」

およそ20年前に「福祉の里をつくりたい」と夢を訴えていたのに、なぜ借金まみれの末に無残な焼け跡が残ってしまったのか。記事によると運営を委託しようとした医療法人が撤退した後、右翼が「利権がらみの計画だ」と街宣活動を始めた様だ。それとの和解に約2500万円も必要としたという。その結果、資金繰りが悪化し先行オープンした特養ホームの運営からも外されてしまった。その後、「たまゆら」の前進の障害者作業所を作り、知人の紹介で東京都内の生活保護受給者らの行き場が少ないと自治体担当者が苦労しているのを聞きつけて、「家族のきずなが薄い高齢者のついのすみかとして受け入れたいと」営業活動を開始したようだ。それが役所にも渡りに船となったのであろう。常に資金不足が付きまとい、それが今回の火災を起こす原因の一つになったような気がする。よく解らないのは、この20年の間に役所は何をしていたのかということだ。私から見れば、高桑氏は特段に福祉で儲けようとしていたようにも思えないし、自分の人生を掛けて出来る範囲で福祉を実現しようとしていた真面目な人間のように感じる。役所には相談が何もなかったのだろうか、本来は福祉は国や自治体の役目のはずだ。

今日の一枚も、桃の花です。

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悪質、停学を。

2009-03-28 | ニュース 社会

生徒が「先生を流産させる会」 いすに細工、給食に異物(朝日新聞) - goo ニュース

この女性教諭、まだ子供が生まれていないのだろうか。だとしたら母子共に健康で元気な赤ちゃんが生まれますように。中学1年生といえば13歳。まだ確かに子供だが、「軽いのり」で済まされるようなことではあるまい。

「校長は「個々にはいい子たちで、最初は信じられず、仰々しいネーミングにも驚いた。ただ軽いのりからエスカレートしたようで、計画的とまでは言えない。命の重さについて、より指導を徹底していきたい」と話している。」 「学校はその後、保護者を呼んだうえで生徒を指導し、生徒らも反省の態度を示しているという。」

この校長先生の発言はどうもいただけない。どうも教師や校長、学校の体面が優先されているような感じだ。保護者を呼んで生徒と一緒に注意すれば、反省の態度を示すように見えるのは当然だ。いすの背もたれのねじを緩めたり、ミョウバンを教諭の給食に混ぜるという行為は、「軽いのり」どころか大人顔負けの行為だ。ひょっとすると、この十数人の生徒は大人になっていく過程でつけるべき善悪の判断を、この学校の甘い処置によって理解しないまま成長してしまうのではないだろうか。「ちょろいもんだ、大人なんて」と考えて。

今日の一枚は、桃の花です。

 

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こんなニュースばかり

2009-03-27 | ニュース 社会

老老介護の悲劇 夫病死、妻衰弱死 下甑島で2人暮らし 鹿児島(西日本新聞) - goo ニュース

多いですね、こんなニュースが。

「18日、島内の診療所で夫妻に会った市職員が、男性に「奥さんを福祉施設に入れてはどうか」と勧めると、男性は「できる限り自分で面倒を見たいが、介護に疲れた」と話していたという」

記事の一部を上に引用したが、この夫婦の場合は心臓に持病があるご主人(79)が足が不自由で軽度の認知症がある奥さん(78)を介護していたケースだ。ご主人がトイレで前かがみになって亡くなっていたというから心臓発作でも起こしたのであろうか。奥さんは衰弱死と記事にはあるが、食事の世話をしていたご主人が亡くなったので餓死をしたということだろう。市の職員が診療所でご夫妻に会ってからわずか8日後だ。なんでこんな事になるんだろう、おそらくは普通に生きてきたであろう人生の最後になって。引用した部分は、以前にも書いたが「福祉施設に入れる」ことはなんら恥ずかしい事でもなく、むしろ「入れられた方」も幸せではないのか、と考える方向に持っていったほうが良い。毎日、面会に訪れればいいではないか。

今日の一枚は、釜ヶ崎で見つけた判こ屋さん。 活字が珍しくて写真を。名刺を活字を組んで印刷しているそうです。でも活字を作る会社がもうないとか。

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愛育病院

2009-03-26 | ニュース 社会

東京都港区の愛育病院が三田労働基準監督署が出した同病院の勤務実態にについての是正勧告を受けて、東京都に総合周産期母子医療センターの指定を返上することを申し入れた。

「都は「労基署は『こうしたらいい』と求めているのであって、センターの看板を下ろすほどではない。今後も協議を続けたい」と話している」「安心な医療体制を維持しようとすれば労働基準法を守れない過酷な医師の勤務実態を浮き彫りにした」「全国周産期医療連絡協議会が08年、全国の同センターを対象に実施した調査では、97%が「宿直制」をとっていた。77%は夜間勤務明けの医師が翌日夜まで勤務し、翌日を「原則休日」としているのはわずか7%しかなかった。労基法を守ろうとすれば、医師を増やし、日勤-夜勤で交代する体制を実現するしかない」

記事からポイントとなる部分を引用したが、厚生労働省にとっては三田労働基準監督署の行動がまさに「藪から棒」となった格好だ。おそらく厚生労働省から通達が出されて他の労基署が全国に75施設あるといわれる総合周産期母子医療センターに勤務実態の調査に入る事はないだろう。全てを調べたら総合周産期母子医療センターは日本から無くなるだろうから。上の記事から見ても宿直明けが原則休日なのが7%というのは異常な事だ。いろんな分野で己を省みず、人のために一生懸命に働く人は多くいるが、それにも限度があり無理をし続けるとある日「ぷつりと緊張の糸が切れてしまう」ことがある。医師の場合は人の命を扱うだけに特に無理は禁物だ。産婦人科医が不足しているのは以前から言われている事なのに国は、国会議員は何をしているのか。直ぐには間に合わない問題で素人考えだが、開業医等に手伝ってもらって体勢を立て直してはどうか。それが出来るのは役人ではなく国会議員の仕事だ。

今日の一枚も、釜ヶ崎にてです。

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毎日・発信箱より2

2009-03-25 | ニュース 社会

昨日に引き続き毎日新聞・発信箱の内容を取上げます。サブタイトルは「老いが担う介護」、筆者は生活報道センターの磯崎由美氏。

「いくら暴言を吐かれても泥棒と間違われても、病気のせいだから仕方がない。そう自分に言い聞かせるために、娘は冷蔵庫に「反論しない」と書いた紙を張っていた。07年のクリスマスイブ。宮崎県で娘が認知症の父親と無理心中を図った。父100歳。娘70歳。老老介護は今や親子にまで及ぶ。愛情、怒り、疲労、自責。家族介護者の心はそのはざまを激しく行き来する。そこに自らの老いや死の不安が降りかかれば、かろうじて成り立ってきた日常はたやすく崩れる。千葉県で1年前に寝たきりの妻を殺害し、執行猶予付き有罪判決を受けた男性(88)は「介護は何ともなかった」と言った。意識の戻らない妻を13年間毎日世話したが、突然病で痛みに襲われ、自分に先がないと思い込んだ。「ばあさんだけ置いては逝けない」が口癖だった。事件のことを尋ねると「あれで良かった」と穏やかに繰り返す。だが、同居する息子は父に母をあやめさせてしまったことを悔やんでいた。両親を養い、男手一つで娘を育て、働きづめで父の思いに気づけなかった。父は「息子には介護の苦労はさせられない」と考え、息子はそう思われた自分を責める。介護殺人を追うと、それぞれの家族関係が浮かび上がる。互いを思い合うゆえの事件もある。だからこそ、家族への血の通った支えが必要なのだ。」

記事の大部分を上に引用した。この日の毎日新聞には11面に「シリーズ介護 第2部」も掲載されている。上の記事で私が思うのは、息子さんは自分を責める必要は無い、お父さんの「息子には介護の苦労はさせられない」という気持ちを汲んであげてほしい。シリーズ介護を読んでいて思うことは、自分がその立場に立てば、「家族以外の介護を拒む人にはなるまい」、また家族には「施設に親を入れる事に罪悪感など持つ必要は無い」と言いたい。子供は自分の家庭に多大な犠牲をはらってまで親の介護をする必要はないと思う。また親もそんな事は望むべきではないと思う。以前書いたが、国は高福祉・高負担の北欧型の社会を一日も速く目指すべきだ。

今日の一枚も、釜ヶ崎にてです。

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毎日・発信箱より

2009-03-24 | ニュース 社会

毎日新聞24日朝刊の発信箱に興味深い記事があったので紹介します。サブタイトルは「ヨハンセン」、筆者は論説室の玉木研二氏。

「その焼失に、さまざまな失意や感懐が語られている。それは戦後復興期への懐かしさであり、「大磯詣で」に象徴される大長老の権威へのあこがれもあるだろう。私は、戦争末期この大邸宅内外に潜んだ軍のスパイたちが仮に存命ならどう感慨にふけっただろうかと思うのだ。吉田は戦時中、ひそかに同志とともに和平工作を企図し、軍部は「ヨハンセン」と名づけてマークした。西洋人の名みたいだが、「吉田反戦グループ」のことである。外の尾行や盗聴、私信開封のほか、住み込み書生やお手伝いになって監視し、行動は細かく報告された。1945年4月15日早朝、憲兵らが邸宅の門をたたき、近衛文麿が天皇に戦争終結を勧めた上奏文に吉田が関与したとして東京に拘引する。しかし、既に戦局悪化は極まり、日本の命運は定まっていた。投獄は翌月末には解かれた。」

上に興味を引かれた部分を引用した。記事は先日の神奈川県・大磯の旧吉田茂邸の火災に関連して書かれた物である。私が知らないだけで、世間では良く知られた事なのかもしれないが、軍部が「吉田反戦グループ」を「ヨハンセン」と名づけてマークしていたらしい。軍部の力が強くなってくると憲兵達が跋扈して自分達に反対するものを容赦なく投獄していった様子が伺える。天皇をも自分達の考えで傀儡しようという意図もうかがえて、興味深い。ところで、と考えてみた。現在の日本で同じ様な事が起こらないという保障はあるのか。シビリアンコントロールを無視した発言を繰り返す前航空幕僚長の田母神氏を持ち上げているマスコミやコメンテーターもいるし、イラク派遣で同じ様な事を記者会見で言った人間が参議院議員になっている我国だから。

今日の一枚も、釜ヶ崎の風景です。

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金川真大被告…土浦連続殺傷事件

2009-03-23 | ニュース 社会

「まるで他人同士が同居」被告の家庭 土浦連続殺傷(朝日新聞) - goo ニュース

記事によると金川被告の育った家庭環境は「家庭のにおいがしない」らしい。その家庭環境が犯罪の芽を育てたのだろうか。

1)「仲が悪いとは思わない。普通です」」「生きているのがつまらない。理想はファンタジーの世界」2)「別に(兄に)会いに行こうとも思わない。家族の生活は特に変わらない。もともとあまり話さないし、関係ない」3)「私は忙しい。家内に聞いてくれ」

「家族全員が孤独を好み、自分の世界に侵入し合わないようにしているようだ。親からの積極的なかかわりがなく、喜怒哀楽や他者への関心が育たなかったのでは。金川被告は他者や社会を「好きなこと」を実現する手段としてしかみておらず、自分の人生を終わらせる手段として、面識のない人の利用にためらいを持たなかった。」

上に記事から一部を引用した。前段の1)は金川被告の言葉。2)は面会の行かないのかと聞かれた弟の言葉。3)被告がアルバイトをしていたコンビニについて聞かれた父親の言葉。「おかしい家庭だと思わないか」と問われれば、「他人同士を寄せ集めた様な家庭だ、自主性を重んじる育て方の失敗例を見ているようだ」と答える他はない。後段は臨床心理士の矢幡洋氏の分析だ。その中で「親からの積極的なかかわりがなく、喜怒哀楽や他者への関心が育たなかったのでは」というのが気にかかる。それが事実だとすれば、子育てもほぼ終わりの私はともかく、子育て中の親は気にかかる所だろう。金川被告の家庭に独特のものだと思いたい。

今日の一枚も、釜ヶ崎です。昨日の水撒きパイプにぶら下るプランターの続きです。この地区にある学校の生徒達を守る手段です。

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「静養ホームたまゆら」再び

2009-03-22 | ニュース 社会

進まぬ身元確認、入所者の孤独浮き彫り 高齢者施設火災(朝日新聞) - goo ニュース

火災で10人もの人が亡くなったが親族に連絡が取れない人も多く、入居者の孤独な境遇が浮かび上がった。この記事によると墨田区の担当ケースワーカーが親族に連絡を取ったら「何で電話したんだ。縁を切ったのに」と怒鳴られたという。最後ぐらいやさしくなれないものか、人として。毎日新聞にこの問題の本質を突く服部万里子氏(立教大教授・高齢者福祉学)のコメントが載っているので以下に引用する。

「今回のようなことがあれば「無届けはけしからん」「もっと取り締まれ」ということになるだろうが、それでは意味がない。なぜこのような施設が横行するのか考えるべきだ。無届けの施設が多くあるのは、施設不足と費用の問題があるからだ。防火対策など施設としての基準を満たそうとすればコストがかかる。その費用は入所者と家族にはね返る。高齢者の1人暮らしや老夫婦だけという世帯が増える現状で、たとえ劣悪でも安い費用で引き受けてくれる施設があるのは家族としては助かる。無届けの施設は、自治体も、ある程度把握している。では、なぜ手をつけないのかと言えば「入所者をどうするのか」という話になるからだ。自治体が見て見ぬふりをしているケースもあるだろう。背景にあるのは政策の誤りだ。介護保険スタートと同時に国による保護(措置)入所をやめ、待機者が増えているのに施設を減らし、サービスを抑制する流れになっている。これでは取り締まりをしても介護者や家族を苦しめるだけだ。今回のような火災はどこで起きても不思議はない。「人生の最後に受けるサービスを最低限人間らしく送れるように」。国はその点を考えるべきだ。」

昨日、国の責任ということをブログで書いたが国会議員一人一人の責任でもあり、私達国民一人一人の責任でもある。要は高齢化社会となった日本をどのような国にしていくのか、またしたいのか。近く行われる総選挙では、論点の一つとして取上げてほしいものだ。

今日の一枚も、釜ヶ崎にて2です。(このプランターを掛けているパイプにはホームレスがこの下で野宿できないように水を流す小さな穴が等間隔で開けてあります)

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