もっといえば、死因贈与は遺贈の規定を準用するとなっているが、方式面では準用がないといわれ、その結果、遺言のような書面で行う必要はないといわれるが、本当にそれが正しいのかどうか。
確かに、遺言は単独行為であり死因贈与は契約であるから、死因贈与を「遺言」という形式で行うことは,その性質に反すると言えそうである。
しかし、仮に方式面の準用がないとすると、いったい遺贈の規定を準用する意味はどこにあるのだろうか。判例では、遺言の撤回に関する民法1022条が準用されるとされている。ほかに意味のある準用があり得るとすると、受遺者が先に死亡していた場合に遺贈が失効となる民法994条、それから、遺言執行者がいれば、死因贈与の実行も遺言執行者が行うということであろうか。教科書レベルではよくわからない。
ところが、遺贈の撤回の準用を認める判例(この判例は、書面による死因贈与の場合に意味がある)は、死因贈与が契約であることと矛盾しないのだろうか。当たり前であるが、書面による生前贈与であれば、撤回はできない。たとえ死因贈与であっても、相手方のある契約として行っている以上、これを遺贈の撤回を準用することにより撤回できるとするのは、むしろ「その性質」に反しているような気がしてならない。受贈者が先に死亡していた場合も、失効させるよりもその相続人が受贈者たる地位を相続すると考える方がよいという考え方だってあり得ると思う。遺言執行者に執行させるかどうかも、手続面だけのことであり、効果的側面でいうと副次的な意味しかない。
死因贈与は遺留分減殺の対象になるという言い方もあるかもしれない。しかし、贈与も一定の範囲で遺留分減殺の対象となるのであって、その範囲に当然死因贈与も含まれる。従って、遺留分が死因贈与に準用されるといっても意味がない。
このように考えてみると、死因贈与は効力面だけ遺贈の規定を準用するといってみても、(全く意味がないとはいわないが)それ程大きな意味があるとは思えない。むしろ、死因贈与が遺贈の規定を準用することの直感的な意味をくみ取れば、「遺言」という形式とまではいわないにしても、書面で行わなければその効力を認めない点にそのもっとも大きな意味があるような気がしてならないのである。極端に言えば、死因贈与者の贈与の申込みや承諾は「遺言」で行わなければならないという解釈だってあり得るような気がするほどである。
書面によらない死因贈与が贈与者死後も贈与の規定によって撤回できるとすると、その方式として「遺言」のように書面でしなければならないかどうかについては、それほど大きな意味はないかもしれないが、要は書面によらない死因贈与(たとえば、「俺が死んだらおまえに俺のこの財産をやるよ」という口約束)の成立を簡単に認め、その効力を安易に認めてしまうと、遺言という方式で行わなければならない遺贈に対する脱法的側面が非常に強くなってしまい、遺贈の意味がなくなってしまう点も危惧されるのである。
実務家的発想とすれば、事実認定上も書面によらない死因贈与など、安易に認めるべきではないと思う。
確かに、遺言は単独行為であり死因贈与は契約であるから、死因贈与を「遺言」という形式で行うことは,その性質に反すると言えそうである。
しかし、仮に方式面の準用がないとすると、いったい遺贈の規定を準用する意味はどこにあるのだろうか。判例では、遺言の撤回に関する民法1022条が準用されるとされている。ほかに意味のある準用があり得るとすると、受遺者が先に死亡していた場合に遺贈が失効となる民法994条、それから、遺言執行者がいれば、死因贈与の実行も遺言執行者が行うということであろうか。教科書レベルではよくわからない。
ところが、遺贈の撤回の準用を認める判例(この判例は、書面による死因贈与の場合に意味がある)は、死因贈与が契約であることと矛盾しないのだろうか。当たり前であるが、書面による生前贈与であれば、撤回はできない。たとえ死因贈与であっても、相手方のある契約として行っている以上、これを遺贈の撤回を準用することにより撤回できるとするのは、むしろ「その性質」に反しているような気がしてならない。受贈者が先に死亡していた場合も、失効させるよりもその相続人が受贈者たる地位を相続すると考える方がよいという考え方だってあり得ると思う。遺言執行者に執行させるかどうかも、手続面だけのことであり、効果的側面でいうと副次的な意味しかない。
死因贈与は遺留分減殺の対象になるという言い方もあるかもしれない。しかし、贈与も一定の範囲で遺留分減殺の対象となるのであって、その範囲に当然死因贈与も含まれる。従って、遺留分が死因贈与に準用されるといっても意味がない。
このように考えてみると、死因贈与は効力面だけ遺贈の規定を準用するといってみても、(全く意味がないとはいわないが)それ程大きな意味があるとは思えない。むしろ、死因贈与が遺贈の規定を準用することの直感的な意味をくみ取れば、「遺言」という形式とまではいわないにしても、書面で行わなければその効力を認めない点にそのもっとも大きな意味があるような気がしてならないのである。極端に言えば、死因贈与者の贈与の申込みや承諾は「遺言」で行わなければならないという解釈だってあり得るような気がするほどである。
書面によらない死因贈与が贈与者死後も贈与の規定によって撤回できるとすると、その方式として「遺言」のように書面でしなければならないかどうかについては、それほど大きな意味はないかもしれないが、要は書面によらない死因贈与(たとえば、「俺が死んだらおまえに俺のこの財産をやるよ」という口約束)の成立を簡単に認め、その効力を安易に認めてしまうと、遺言という方式で行わなければならない遺贈に対する脱法的側面が非常に強くなってしまい、遺贈の意味がなくなってしまう点も危惧されるのである。
実務家的発想とすれば、事実認定上も書面によらない死因贈与など、安易に認めるべきではないと思う。