michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

身体の事情、それぞれに    〔病身〕

2009-12-08 08:18:58 | Weblog
今朝は、マイナス0.3℃でした。
植え込みも、木の葉も、
1枚1枚、白くお化粧。
そんな季節に入ったんですね。




新聞(朝日)を見るとき、最近は、
『声』の欄も、サッと目を通してます。

自分がふだん思っているのと同じような意見があったり、
新鮮な気づきがあったり。


きのうは、
「自転車サマ、ベルは聞こえぬ」
というタイトルが
目に入ってきました。

もうすぐ80に手が届くおばあちゃま。
耳が遠くなり、後ろから来る自転車のベルは聞こえない。

自転車の主は、
通り過ぎながら、
「ベルを鳴らしてるのに、なんで どかないんだ」
などと言葉を吐き捨て、
我がもの顔に通って行くことが多い。

「おばさん、何してまんねん」と言う男もいた。
その背に
「私、歩いてまんねん」
とつぶやいた。


でもこないだ、向こうから自転車が来て
ちょうどすれ違う辺りが狭い。
立ち止まっていたら、
その青年は、頭を下げて走っていった。

気持ちが良かった。


――こういった内容の投稿でした。


そうなんですよね。

足が悪かったら、すぐに分かる。

目が悪い人も、白杖があれば分かる。

でも、
補聴器してたって、髪で隠れて見えなかったり、
見えても、
「補聴器してるんだから、聞こえるでしょ」
と思われることが、ほとんど。。


何か言ってることは分かるんです。
声は聞こえるんだけど、
何の話か分からないことがよくある。
何と言っているのか聴き取るのはナカナカ…。

外国人が話していたら、
日本語なのか英語なのか、ドイツ語なのか
しばらく聞いていても分からない。。
(外国の方は、日本語を話してくれても、
  発音が不明瞭だったりしますからね。)



また、声の高い女性がハッキリ、ゆっくり言って下さると
聴き取れるけれど、
声の低い男性は、「ぼそぼそ…」程度に
聞こえれば、まだ良い方です。

  (これは、私の場合のこと。
   難聴といっても、それぞれです。
   
   高齢による難聴の場合は逆で、
   高い声は聴き取りにくいそうです。)


聞こえの状態って、
伝えるのは難しいですね――。



弱視の友人がいます。

彼女は、だいたい見えるみたいに、
かなり普通に生活しているけれど、
思わぬところで、
全然見えないらしく、手探りになる。

それで尋ねてみたら、
「チョット暗くなったら、ほとんど見えないのよ」
という。

私たちなら、
「少し暗いけど、まだ充分見える」
という程度でも、全然見え具合が違ってくるという。



あるリウマチの友人は、いつも
にこやかに皆のご飯をよそってくれてました。

ところが、お赤飯の日、
お櫃の前にいるのに、よそおうとしない。

訊いてみると、
「お赤飯て、ねばりがあるでしょ?
 重くてよそえないの。」

ビックリしました。
気づかなかった…。
おしゃもじ ひと掬いの重さが
そんなに違うとは!? 


ある腰痛の人は、
テーブルの真ん中にある お櫃からご飯をよそう、という動作は、
前かがみになるので、
腰が辛いと言ってました。

これも、聞いて初めて分かったことでした。



それぞれ、色々あるんですねぇ。

自分には思いもよらないような身体の事情があったりする、
ということを、
チョット頭の隅に置いておこうと思います。


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