michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

曲がった手――美しい   〔病身〕

2010-07-18 06:53:33 | Weblog



ペシャワール会のHPの、書籍・DVD案内のところに、
『中村哲医師の本を読んでみる』という、
立ち読みコーナーがあります。

これは助かる。

購入しようかどうしようかという場合、
どんな本かな、と確認できますね。


中でも、『ダラエヌールへの道』という本の
「ハリマ・光と影」「叫び」
(ハリマというのは、らい病の患者さん)。
この話は別の本(複数)でも読んだのですが、
何度読んでも真に迫ってきます。







昔、さまざまなハンディをもった人たちと共に
食事をしていたことがあるんです。

目の見えない人、手や足の動かない人、
リウマチの人・腰痛の人などなど…。

ちょっぴりタイヘンなこともあったけれど、
互いにハンディをカバーし合ったり、

それぞれが、それなりに 暮らしている様子を
身近に教えてもらった、
貴重な体験でした。


私は、あまり聴こえないだけで身体は動きますから、
いつも片付けまで手伝っていました。

Yちゃんは、事故で胸から下がマヒ。
電動車椅子を自分で操作していました。

手は、赤ちゃんのように手を握ったような状態というか、
掌は平らになるけど、指は しっかり曲がっていました。

当時10代後半、
とても綺麗な娘さん。

彼女はとても前向きで、
よく、
「テーブル拭きしたいから、台拭き下さい
と声かけてくれた。

台拭きを手渡すと、Yちゃんは両手を揃えて
差し出して受け取る。
その手が、
曲がっているんだけど、
  美しいなァと思えたのです。

物事を良く見ようとするんじゃなくって、
瞬間的に、
私の心が そう感じたのです。


どんな風にするのかな?と、それとなく見ていたら、
台拭きをテーブルに載せて、
手の届く範囲を拭き、
車椅子を少し移動させては、次の辺りを拭いてと、
少しずつ拭いては移動して
時間は かかるけど、
結局 テーブル全体 きれいに拭き上げてくれました。


毎回、差し出された手を見るたびに、
愛すべき かわいい手、と思えてましたね――。
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