michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

アドバイスが欲しいんじゃないの    〔こころ〕

2011-02-28 08:02:27 | Weblog

きのう、NHKで『玄侑宗久』さんを観ました。


27日(日)午前10時から11時35分(95分)>

1月にNHKのBSハイビジョンで放送されプレミアム8「玄侑宗久 なりゆきを生きる」ですが、局のほうへの反響が大きく、異例の速さで「あなたのアンコール」という番組で再放送されることになりました。

ということです。

 

玄侑さんは、じっくり、ゆったりとした口調で、

とても誠実なお人柄が感じられました。

決して、

「こういう悩みの人は、こう考えたら良い」とか

「真理は、こうです」みたいなお話ではなく、

ご自身のこれまでの体験を振り返りながら、

「う~ん、そうですねぇ、あの時は、こういう思いがあったようですね――」と、

その心の奥深くにあったものを見つめ直す、という感じ。

  改めて、わたし自身のことを、もっと素直に真剣に探っていきたくなりました。

            

                                       

 

昔、難聴になってきた頃のことを想い出しました。

つらく、苦しかったです。

聞こえづらいことよりも、周りの人の、理解しようとしない姿勢に悩んでいた。

自分でも、聴こえづらさを人にうまく伝えることができない。そのもどかしさ、不甲斐なさもあって

もうもやもやして、どん底でした。

でもその頃、心に残る人との出逢いが、いくつも。

 

たとえばAさんは、何気ない雰囲気でフラッと来て「みっちゃん、こんなの どうや~」と、

吉野弘さんの詩のコピーを手渡してくれました。

それは、『生命は』という詩。

なんともいえないものが広がってきて胸に染み渡り、

何度も何度も、繰り返しくり返し読んでいました。

 

別の日のこと、

あることがあって更衣室で一人で泣いていると

C子さんが入ってきてビックリして「どうしたのー!?」と聞いてくれた。

「やっぱり…、聞けるようになりたいの」と泣きながら言うと、

彼女は、黙ってギュッと抱きしめてくれました。

 

また、あるとき、Bさんに相談にのってもらっていたら、泣けてきてとまらなくなり、

話し続けられなってしまった。

そのとき、彼は「うん、、、聴いてるよ――― 」と言って、

また話せるようになるのをじっと待ってくれました。

しばらくしてから、思いのたけをぶちまけ、

「全部きいてもらえた」という充足感が得られたのです。

 

何人もの人たちの、その温かさ、

理解しようとしてくれている想いがシッカリ伝わってきて、それで、

「ああ、またやっていこう。それなりに生きていくんだ」と思えてきたんです。

 

彼ら、彼女らは、「こうしたら良いよ」とか「こんな風に考えてみたらいいじゃない」みたいなことは

ひと言も云わなかった。

そうじゃなく、それぞれの形でシッカリと伝えてくれて、

それが私の心に響いてきたんです。

 

   アドバイスして欲しいんじゃないんですよね。

 

 

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