michi のひとりごと

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こちらは重度の難聴。

『いのちの~中に』 その(3)   〔本〕

2010-12-14 07:44:52 | Weblog

いのちの中にある地球』、いよいよ大詰めです。

  その中で、ちょっと衝撃的な一説が。

 

よりよい未来をつくりだすために人類に課せられた最大の課題は、世界を「新たな目で見る」こと。
言語学者、ニコラス・ファラクラスの示すビジョンはこうです。
「想像してみてほしい。飢えた人もホームレスも失業者もいない社会を。
こまったときにはコミュニティが手を尽くして助けてくれ、人びとが安心していられる社会を。為政者は必要が生じたときのみ権力を行使し、それもコミュニティとの協議や合意なしには使えないという社会を。
犯罪は皆無に近く―(略)―。
一人ひとりがいま、そこに生きているという、ただそれだけのことが祝福され、各人の経験を伝え、わかちあうことにみなが深い責任感を抱くような社会を想像してみてほしい」

私(著者)がファラクラスに出会ったのは彼が長年生活し教鞭をとっていたパプア・ニューギニア。
ここに引用した文章で彼が描写しているのは、夢でも絵空事ででもなく彼が実際に経験してきた実在の社会だったのです。
彼はこう続けます。「ニューギニア島に最初の入植者がやってきたころ、こうした描写にあてはまるようなひとつの社会があったわけではない。実際には千種類以上の言語、そしてそれ以上の数の社会が実在していて、ふたつと同じものがないほど、それぞれが異なっていたのだ。にもかかわらず、その多くが私の描写にあるような社会の特徴をそなえていた。もちろん完璧な社会があったわけではないし、それぞれがいろいろな問題をかかえていたが。しかし、その後の百年間に吹き荒れた『北の発展』と呼ばれる開発の嵐によって、島の先住民族が四万年にわたって営々と積み重ねてきた、ほんとうの意味の『発展』は、ほとんど風化してしまった。社会のなかにもとからあった問題のほとんどは悪化し、急増する外来の問題の山の上に積み上げられていった」

  ……この話は、かなりショックでした。

  でも、この話の前半のような楽園のことを TVで見聞きしたことが2・3度ありました。

  ある部族では「不幸」という概念が無いというのです。

  「みんな幸福」のような概念・言葉はあって、「一人だけの幸福」は ありえないというのです――。

 


私は信じています。人類はこれまで以上に偉大なことをなしとげるにちがいないと。

調和して生きる術を見つけ、喜びと幸せと生きがいに満ちた、ほんとうの意味での豊かな未来をつくりだす、と。

必要なのは、夢を見る力、そしてそれを実現する意志だけです。

  そうなんですね――。

 

 

   <訳者あとがき> には、こうあります。


彼(著者)は言いました。
「それは長い人類史の中では一瞬にすぎないが、その歴史を一変するような一連の出来事がすべてそこで起こったのだ」と。つまり、この百五十年の中に現代世界が抱え込むことになった深刻な問題のすべての原因が入っている。「だがそれは同時に、問題を解決するためのすべての答えもまたその中に見出せることを意味しているにいちがいない」と。

   このあたりまで読み進めてきて、希望がもてるようになってきました。

 

著者は、カナダ放送協会の長寿番組『ネイチャー・オブ・シングズ』のパーソナリティを

30年以上にわたって続けてこられているとか。

それはカナダ人の多くが「デヴィッドを見ながら育った」というほど親しまれた人気番組。

本の内容としてはチョット固いかな、と思った内容ですが、

それを身近に感じられるよう、見事に分かりやすく書かれていて、

もう、惹きこまれてしまいました。

  あなたにも ぜひ一読していただきたい素晴らしい本です。

 


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