michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

ビリ しかなったことがない私は、、   〔身体〕

2009-09-23 08:18:53 | Weblog
夏の盛りには、
精気を取り戻してくれた、冷た~い梅ジュース。

涼しい日には、ホットが美味しいですね。
お湯で割って、
ふーふーしながら飲むんです。


または、
牛乳割り。

不思議と、ヨーグルトみたいに
トロッとするんですよね。


梅は、疲労回復とか、とにかく身体に良い、
って思うと、
カロリーが多少気になっても、
帳消しになっちゃいます。


     

きのう、運動会のこと おしゃべりしましたけど、

自分の運動会っていうのは、
キライだったんです。

かけっこは、毎回ビリ。
ビリ以外なったことが無い。

ああ、いっぺんくらい、
テープを胸で切ってみたかったナ・・・。



関係あるかどうか分かりませんが、
足が悪かったんですよね、股関節が。

2歳でやっと歩き始めて
両親は大喜びしていたけど、
祖母が気づいて、
 「この子、歩き方おかしいなぁ。
  医者に見せた方がええ。」
と言ってくれたんです。

それで、病院に行くと、
半年の間
下半身を石膏ギブスで固定され、

母は、その重たい私を背負って、毎週、
汽車に乗って病院に通ってくれたんです。


家では、
ミカン箱くらいの木の箱に座らせてもらい、
手先だけで遊んでいました。
(そんな写真があります。)



幼稚園(年長)での運動会は、よく覚えているんですが、
ヨタヨタ…という感じで、‘走る’までいかないんですよ。

みんな、どんどん遥か先に行ってしまう。

走る、その感覚が、分からない。。


そんな調子で、
小学校に上がっても、
跳び箱など、
ポンと手を付いて、跳び上がって、
一瞬 宙に浮かぶ、その感覚が分からない。
(大きくなってからも、跳べたことが無い。)

走り高飛びなども、膝の高さ以上は跳べない。。


先生は、
「いくらなんでも、このくらいは跳べるやろ?」
という感じで、
クラス全員の前で、
バーを下げながら、何度もやらされる。
でも、跳べない……。




それでも、
とにかく歩けるようにしてくれた
両親には、本当に感謝しているんです。
大変だっただろうと思います。



推測ですけどね、

一般には、1~2歳くらいの頃って、
歩けるようになって、
「むこうの、あれはなんだろう?」
と、ヨチヨチ歩いていく。
興味・関心の塊になって、
ドンドン運動能力が伸びていく――。

私の場合、
その時期がかなりズレてしまって、
運動能力が あまり伸びなかったんじゃないでしょうかね。



それでも、
  って思うんです。

箱の中でじーっと座っていたお陰で、
 っていうのが、
なにか一つくらいあるんじゃないかしら?って。

それは、
  あってほしい、
という願望かも。
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2 コメント

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Unknown (いそじ)
2009-09-23 20:22:14
子供の頃は、陸上競技まあまあでしたが
変声期(発育期)の伸びがなく
陸上競技はあまり好きではなくなりました。

私はあまり這い這いをしなかったそうです。
その影響かな、胸板が薄いのは?
なんて思ってます。
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Unknown (michi)
2009-09-24 09:14:47
そうですか、
あまり這い這いしなくて…、

そういうの、あるかもしれませんね。


ウチの子ども達が通った学園では、よく、
“自己最高”というテーマでやってましたね。

人は関係ない、
自分は、どこまでやれるようになったか、
とにかく、
自分の記録に挑戦していくんですよ。

そういうのだったら、
今、どんなレベルでも、
取り組んでやってく気になると思いますねぇ。
返信する

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