michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

‘ろうを生きる 難聴を生きる’を見て   

2010-04-19 07:43:42 | Weblog


  あれだけ風が吹き荒れ、雨が降ったのに、
  散らない花も、たくさんあるんですね。
  湧き出てくる新芽と
  なかよく同居しています。


        


夕べの『NHK ろうを生きる 難聴を生きる』は、
“必要な人に必要なサービスを
      ~障がい者制度改革会議~”
というテーマで、

見ようかどうしようか、という感じだったんですが、
手話番組の続きに見てみました。


 重大な会議が開かれているのですね。


‘重大な’の中身の一つは、
「障害者にかかわる施策やサービスの主体に、障害者がなること」。


そして、もうひとつは、
「障害の定義を見直し、サービスを必要としているのにサービスを利用できない人をなくすこと」。



私は(そして、多くの難聴者が)、
聴力検査でやるような、
「ピーピー」とか「ポーポー」とかいう
‘音が聞こえるかどうか’、
以上に、

“日常の話が聴き取れるかどうか”、
が重要なのに…と思っています。


例えば、

ある上司は、私の様子を見ていて、
「ホントは聞こえるんでしょ」
と言って薄笑いを浮かべ、
愕然としました。

その時は、
うまく聞こえの状態を説明できない自分が
とても はがゆく、
悔しい思いをしました。

  聞こえるように見えるかもしれないけれど、
  実際は、
  口の動きを読み、状況から察知し、
  五感+第六感などなど、
  フル回転なのです。

一応ナントカ聴き取れていても、
そばで他の人が話し始めたり、
ちょっとした(耳の良い人にとっては)雑音が始まっても、
ほとんど聴き取れなくなったりするのです。

そして、高い声なら聴き取れても、低い声は、ゼンゼン聴き取れない。
(これは、逆の難聴者もいたり、様々です。)


そんなことで、
「今、どうしても聴き取れないのです。」
と言ったら、

「ああ、そうなんだ。」と、
一旦、受けとめてほしい。

「書いてください」と言ったら、
「いや、だからね、」などと話し続けずに、
書いてほしい。


そんなことで、
人とのミゾを感じてしまう、
そんな自分の姿が、
未熟な人間と思えてきたり。。
 

そういったことから
心に雲がかかったようになってしまったり、
疲れてしまったり…。


  でも、
  耳の良い方には、分からないんですよねぇ――。




3ヶ月前に、
顔の傷跡のことで皮膚科に行って、塗り薬をもらい、
少ぅしずつ治ってきて、
やっと最近、
あまり分からない程度になってきたんですよ。


  その、1月に皮膚科に行く数日前から考えて
  ‘耳が、こういう状態なので、こうしてもらえませんか’
  というお願いのメモを書いて、
  受付で渡したんです。

そうしたら、
その先生は、
全く面倒がったりすることなく
きちんと全部書いて下さって、

「日にちは かかりますが、
 治りますから。」

そして、日常の注意点なども書いてくださった。

あの時、どんなにホッと安心したことか――。


あの先生に
「おかげ様で治りました」と、お礼の気持ちと、
これからも、他の難聴者も含め、よろしくと
お願いの手紙を書こうと思っているんです。


コメント (4)
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