母は父のもとへ旅立っていきました
安らか、おだやかな寝顔のようです
応援してくださった皆さん、ありがとうございました
先日、100歳の誕生日。
ささやかにお祝いした、その翌日に外に出てしまって転倒。
見た目はなんともないんだけけど、腰が痛い、イタイ、いたい!!!と、
もうタイヘン。。
寝たきりになり、ほとんど食欲ナシ。。
何もかもガラリと変わってしまって、途方にくれたり…。
幸い、周りが助けてくださってます。
この小さなブログは、しばらくお休みとなるかも。。
ちょっと心に残ってる人がいます。
昔の職場の同僚。
ミーティングで、なにか複雑な問題が提示され、メンバーが「難しいなぁ」「一体どうしたら…」と、暗雲たちこめるような雰囲気になると、
よく Kさんが「えっと、、まずは○○を確認することやなぁ。それ、△さん、やってくれる?」と、適任者を選んだり。
明快に解決への道すじを示してくれました。
みんな「あ、そうだよねぇ」と顔が明るくなった。
(ちなみに、Kさんは、学校の成績などはどうだったか分からないけど、社会生活や人との関わり合いで、実際的な生活力があり、何かあった時に、それをどう観てどう行動すれば良いか、すぐに分かるようでした。)
そして、彼が素晴らしいのは、そんな場面でも 決して浮いたりしていなかったこと。
心を合わせて共に良い方向へもっていこうよ という姿勢で、打ち解けた自然な雰囲気。
誰もが心から同意・納得するような感じだったこと。
これが重要。
そして、難しいところ。
人は一人では生きられない。
支えてもらったり、励まし合ったり、気づかせてもらったり。
とても有り難い。
ただ、ムズカシイもんだ…とも思います。
「うん、うん、分かる分かる☆」と言ってもらうと嬉しくなったりするけど、
本当に分かってくれたの??
その人の経験や感覚など、その人のメガネを通して見て、「わかる」と思っただけかも。
又は、つながりを大切にしたい気持ちから、そういう反応になったように見えることも。
ヘンな遠慮や気兼ねなど要らないと思う。
スーッと率直に言ってくれたら良い。
ただ、観方や言葉の使い方とかで、微妙に認識の違いが感じられることも。
それがショックだったり、しばらく尾を引いてしまうことも。
ちょっと敬遠したり、ギクシャクと…。
その言葉の捉え方など、互いに確認し合っても、
うまくいかないケースもありました。
それでもやっぱり、心の底では通じ合える関係でいたい。
なので今は、やりとりのメールや 筆談メモなど 読み直したりして、真摯に向き合っていかなくちゃ、って 思ってます。
とにかく、
心の中をスッキリさせたい。
母は、ポータブルトイレを使ったあと、その肘掛けに両手をおき、体重をかけて やっとのことで立ち上がる。よっこいしょ。
その大事なひじ掛けがグラついてきた。え?と見ると、ビスが緩み 飛び出してきてる。これは何とかしなければ☆
私が知っているようなビスではなく、穴が開いてて、そこに工具を入れて締めるらしい。 へぇー。ウチにはこんな工具は無い。
こういうのって、なんて言うんだっけ…。スパナ? と調べ始めて「レンチ」と分かり始めた。
「六角穴付きボルト回し」とか「六角レンチ」と言うらしい。
工具が無い場合の代替を調べて、やってみたけどうまくいかない。
けど、そこからヒントを得て、ピンセット(先がとがってないもの)で、輪ゴム(幅ひろめ)を挟み、そのまま その輪ゴムをぐるりと一周させ、そっと穴に入れてみたら、一応締められた☆
「六角レンチ」って、100円ショップにもあるらしい。早めに調達してシッカリ締めたい。
母が立ち上がろうとした時に ひじ掛けが外れたりしたら、大ごとになってしまう!
ふとしたことから、私の知らなかった分野の入り口がのぞけて、おもしろいな、って思いました。
自分としてはガチガチになってるのを、どうにも
どーにも出来ずにいたのが
‘なし崩し的に’解消され始めた
と感じてます。
これが何とも言えない感覚。
なんか、ふわふわ…っていうか。
『なし崩し的』って改めて調べてみると――
『「なし崩し」の意味は「物事を少しずつ完了させていく様子」を表す語で、「なし崩し的に」などの形で使います。 「なあなあで悪い方向にいく」というネガティブな意味は本来なく誤用です。』
へぇ、そうだったんですね。
うん、今回、この言葉がピッタリ合うのかどうか…というとこですが、
とにかく、やんわりと自然な形で解消され始めた。
とても とても 有り難い。
そんなあたりが、私がもっと身に付けたいところよね。
オリヅルランとか、ドンドン伸びて増えるんですよね。
この頃は、その生命力に励まされてました。
今日届いた2~3のメールなどで、心の重苦しさがふっと軽くなりかけてる。これ、ふしぎな感覚――。
柳とかは、風が吹いてきたら、揺れてしなって受け流す。改めてそんなことが思えてきました。
日常、あれこれ あっても「ま、いっか」とか? 「いろいろあるよね」とか?
自分も周りも疲れないし、軽く楽しくやってけるんじゃないかな。
自分は昔から頭がカタすぎるよね。それで損したり。
好きだったYouTube動画。先日見たのは、ひどい悪趣味だった。それから見る気にならない。実際には何千回とかある中の、たった1回かもしれない、とは思うんだけどね。
またあるTV番組。内容は好きなものなんだけど、レギュラーの一人が、見ておれないような女装してるのが嫌悪感。そのために、その番組を見れない etc..
いろんな場面で、少々のことがあっても、「アハ~」で済ませられたら良いのかなぁ。。
いつだったか、車のフロントガラスが、こんな結晶に。
もう2月も後半。3月が来たら、母は100歳になる。
よく「99歳、すごいですね☆ 100歳までがんばりましょう~」
なんて言われる。
「お陰様でー」なんて応えながら、心の中では少々戸惑ってしまうんです。
超高齢って、めでたい? それって素晴らしいことなの?
本人は、もうだいぶ前から自分の年齢を聞かれても分からず、「知らんー」。
周りがワイワイ言うだけ。
一緒に暮らしてると この頃、母の色んな言動に ビックリ仰天の連続。ため息ついたり、情けなくなって泣きたくなったり。。
ふと、母は心の中でどんなこと思いながら暮らしてるんだろう、って思えてきました。
食事はソフト食。自分で食べる。
おかゆや雑炊(ミキサーにかけ、網で漉してます)の上に、ソフト食のおかずをきれいに載せてトッピングしたり。味の組み合わせはどうでも良いみたい。まるで おままごと。
お汁など、片手で まるで山男の酒盛りのような手つき。ほかのことでも、マナーもエチケットもあったもんじゃない。とにかく省エネ。ラクならそれが良いらしい。 とにかく 自分流。
そんなですけどね、ちょっと別の角度から見てみると――。
最近 私が不調なのを察してか、ほんのちょっとしたことで「ありがとう」と言うんです。
例えば、トイレして ベッドに戻った時、自分では毛布と掛け布団、両方かけることが難しくなり、どちらか1枚しかかけられない。それ見つけたら私が掛けてあげる。すると にっこり「ありがとう」。
ポータブルトイレの中身を空けて 戻ってきたら「ありがとう~」。
飲み薬、いつものように次の1週間分 セットしてる間じゅう、人間観察のように じぃーっと見つめてて、終わると「ありがとー」。
もう、こんな小さな家の、洗面所とかまで行くにも床を見つめて真剣に、手すりに掴まり 一生けん命にならないと辿りつけない。そういうような状態になってるのに、家族にそんな声をかけてくれる。
私は、今の母みたいになった頃、そんな風にできるかなぁ、なんて思った。
ずいぶんご無沙汰してしまった。
このところ、怒涛のような――って大げさでしょうけど、私の気持ちとしては、そんな感じ。
母のことでイッパイイッパイなのだから(特にこの頃)、その上に あれやこれや…。 も、カンベンしてくんないかな…なんてつぶやいてしまったけど(心の中で)、世の中そんなに甘くないですよね。
デイサービスからの帰宅時、家の前に階段10数段。母は杖をつき、手すりにつかまって昇る。最後の3段あたりで、もう力尽きてしまったことがあった。私は必死で抱きかかえて何とか家にたどり着いた。
そんなことが2度ほどあってから、私が母の後ろからお尻を押し上げるようにして昇るようになった。
手すりは、階段が尽きたところでお仕舞い。家のドアまでは2mほど。片手の杖だけでは歩けない。そこでどうしたら良いか、あれこれ考え、いろいろ試行錯誤してきました。
玄関内での、靴の脱ぎ履き。手すりに掴まっててもらって やってたけど、ちょっと危なっかしい。それも同様に考えました。
結局、最近は――、
シャワーチェアをドア前に置いておいて、そこに2秒ほど掴まっててもらう。その間にドアを開け、閉まってしまわないよう押さえつつ母を中に入れる。
※ 集合住宅なので、シャワーチェアを置く位置も考慮。他の方の邪魔にならぬよう、ギリギリのところに。
玄関の中に安定感のあるイスを置いておいて、そこに座らせ靴から室内履きに替える。(小さな すのこを利用)
そんな方法で落ち着いてきた。
このことは、これで一応いけそうーというのを見つけられると、ホッとして、そんなことが毎日の原動力の一つ。私を支えてくれる。
もうすぐ100才。徐々に体力おちてきてるし、来週どうなるか、来月は階段昇れるか…。
ま、その時はその時。それなりに考えるしかないよね。
以前よく行ってた落差15mほどの滝。冬になると落ちる水の両側から凍ってくるんですよね。
これらは滝の入り口の手水からはねた水が凍ったもの。↑ ↓
おもしろいもので、こちら(横浜)のさほど寒くない気候に慣れてしまうと、
天気予報で「あさっては、一時 雪」とか聞いただけでビビっちゃう。
母の食事内容など時々書いてます。
たまに読み返すと「ああ、この頃は、こんなの食べれたんだねぇ」なんて思います。
最近の、母(ソフト食の段階)のお気に入りは――。
かぼちゃのハチミツ和え。レンチンです。
1, 冷凍かぼちゃ。150g ほど1分チン。半解凍です。
2, 一切れごとに、皮の側と 赤く柔らかい側を切り分ける。
(もちろん、皮の側は、私が頂きます)
3, 小鉢にそれぞれ入れて、柔らかくなるまでチン。
4, 赤い側は、はちみつ(又はメープルシロップ)と、湯煎したマーガリンをかけて、軽く和える。
――これだけで、母は喜んで食べてくれるんです。
以前はこれ、小鍋で弱火にかけながらやってましたが、鍋肌にいっぱいついてしまうし、焦げないよう気をつけないといけない。
ただ、ホックホクには なります。お好みで。
三重県に居た頃の、初日の出です。
寒いもんで横着して、窓をちょっとだけ開けて(ベランダには出ないで)ケータイだけ外に差し出して撮りました。 ↓
今日は七草粥の日。
田舎の祖母(農家)は「‘そこらで’七草のうち6種類まではあったんだけどね…」と言ってました。
昔は、自分チの近辺でだいたい揃えられるような感じだったんじゃないでしょうかね。
以前スーパーで七草セットを買ってみたことがありますが、お値段の割にチョットしか入ってなかった。
七草粥。その意味・目的からして、胃に優しく健康的な食事であれば良いのでは、と自分流に勝手に解釈するようになりました。それで、
○レトルトの雑炊に梅干し
○胡瓜とワカメの酢の物
○大根とネギの味噌汁
○野菜入りの卯の花
今日は、こんなメニューにしました。
私は元々、お肉や こってりしたものが苦手で、野菜大好き人間。薄味の、サッパリ好み。お正月の間も、そんな感じでしたね。
明日は、大根飯にしようかな。
年の瀬というのは、不思議なほど、
アッ!という間に毎日が過ぎ去ってしまいます。
ドタバタだからでしょうか。
母が寝てる間に、ここを整理してお掃除、と自分なりにがんばって、
やれやれ、ああ腰が…。膝が…。
チョットひと息つこうかな、とコーヒーを淹れると、母が起きてきてトイレへ(ベッド脇のポータブルトイレ)。
あわてて立ち上がって、介助。
母は一人で一応は出来るけれど、介助があった方が良い時もあるし、トンデモナイことをすることもあるので。
新年――。 一応、正月飾りは、
‘一応’しました。 けど、おめでたいとかいう気分は あんまり…。毎年そうなんです。
そんでも 年が明けると、数えで100歳になる。 やっぱり おめでたいのかな。
なんだかんだあっても、
自分の足で歩けるし――
亀の歩みか、カタツムリか、ですが。 階段は、一段一段 一生けん命。杖をつき、手すりにしがみつくようにして。(昇りは、私が後ろから押し上げる)
自分で食べるし――
食卓に好物の甘い蒸しパンなんかあると、ニコニコして、私が急いでエプロンをつけるのが間に合わない程、喜んで食べちゃう。
こんな母が愛おしい、と時々思えてくる。
もう言葉が通じないことも日常的だし、イラッとくる時もチョクチョクあるけどね。
私の役目は、
母が、なるべく いつまでも 今くらい ‘元気’で、心おだやかに過ごせるよう お世話すること。改めてそう思えてきました。
来年も、再来年も、母とお正月を迎えられると良いな。
三重県にいた頃の 今の季節。寒かったな…。雪とか霜柱、つららとか。
それでも草木は逞しかった。その力強い生命力に感動してました。
これ、霜です。 ↓
最近の母の食事に、味噌漉しが活躍してます。家じゅうのザルを試してみたら、味噌漉しのアミ目が適格でした。大きさもバッチリ、一食分に 丁度良い。
例えば、
お粥や雑炊は、介護食(舌でつぶせる)も、普通食のも、電動チョッパーでトロトロにする。それでも小さな小さな粒みたいなのが残ってると、母は口から出してくるので、味噌漉しで漉す。(介護食の‘おかゆペースト’などより、普通食のをこうする方が安上がり)
ミキサー食って、見た目が…食が進みにくい。 なので、トッピングなどを。
‘鮭のソフトふりかけ’ を、同様に漉して、お粥などに乗せると、美味しそうに、その部分だけスプーンで掬って食べたりしてます。
ポテトサラダは、人参など取り除いて、フォークでつぶし、漉す。
すると、ふわっとなって、とっても美味しそうになるんです。
小皿に多目に盛っても、完食してくれます。
裏ごしまでしなくても、これでいけちゃう。
ああ終わっちゃった、八海サマ。じゃなかった、ミワさん なりすます。
も、毎回うわ、うわ~って感じ。すっごく良かった。
ミワさん、いつの間にか グンと成長してましたね。足取りもシッカリと 前向いて歩いてた。
家もステキでした。全体に茶系というか、昭和の雰囲気に満ちていてしっとり落ち着いている。
あこがれ…です。
ドラマとはいえ、八海さんのように完璧に大人対応が出来る人って いるんだろか、と思った。どんな時も 優しく包み込むような。全てありのまま受けとめてくれるような。
堤真一さんには、以前から(「三丁目の夕日」とか)好感もってましたが、ますます――ファンになりそう。
お母さんとの対面は感動的でしたね。‘嘘も方便’という言葉があるけれど、八海さんのは、心からの優しいウソでした。そしてお母さん、かなり うわ手でしたね。
ミワさんは、映画オタクで、そのことで周りとうまくやれなかったけれど、結局は オタクが各場面で大いに発揮されて、意外な展開に。
(色んなこと、現実的にもそんな風にいけるといいナ。)
こないだのこと。母がよっこらしょと立ち上がり「トイレ」と言うので、
同じ部屋の数歩先にある ポータブルトイレを指さしました。「あそこよ」。すると、
母は「どっち?」と言った。その隣りに籐の椅子がある。そのどちらか分からなくなったらしい。
ま、一応 家具調のポータブルトイレではあるけれど…。
頭の中が、ホントに漠然としていて、ぼんやり認識する、そんな状態になったんだな、と思いました。
ショックとか、そういうものは不思議と出てきませんでした。
先日、ちょっとしたトラブルというか…。ま、大ごとには ならなかったんですが。ここ数ヶ月の「?」の原因が、やっと解明。解決に向かっています。
私は全くの素人で、専門の方にお任せ、という感じで きていた。
その信頼感が損なわれた、という風にはならず、自分としては意外とスッキリしている。
今でも、専門家、プロとして頼りにしています。ただ、神さまではない。私と同じニンゲン。
誰だって ちょっとミスや 見落としとか ある。(私を筆頭に?)
精一杯やって、それでもマチガイが起こったら、それに気づいた時点で対策を考える。責めたりとか してるヒマはない。無駄なだけ。
なんとなく そんな感じで受けとめてる自分に気が付きました。