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日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 桃のタルト *

2010年09月24日 | 料理・その他食

帰省したとき、因島の妹はいつも鉢植えの花とか気のきいたお土産にくれる。 それは季節がめぐると咲いていたりする。
今年は暑くて~、お花もねと、果物だった。 梨、ぶどう、桃。 
息子のところへもおすそわけ。 「できたら桃のタルトが食べたいなぁって」リクエスト。
「言ってもらったら、作る気になります」
夕方、長女が迎えに行って夕食を一緒に食べた。 食後お待ちかねの桃のタルト。
 

 

上から横から・・

パティシエ愛ちゃん。 結婚する前から6年間、何度彼女のお手製のケーキをいただいたことだろう。
もうこんなのがいただけるなんて言うのは大変にな我が家の自慢、嫁自慢!美味しい~!言うまでもない

孫たち4人が揃う、夫の一番の好物。


* 中秋の名月 *

2010年09月22日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

昨年の中秋の名月の日,会社の同僚と仕事の帰り寄った曽爾高原 人も写りこんでなくてとてもいい写真。

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夕食前に屋上へあがる。 風がある・・それでなくても老いで手ブレする~、のでコンデジを三脚にセットする。 
雲が多い夜である、時々雲の切れ間より、顔を見せれば煌々と美しい輝きを放つ。

「ばぁばごはんやで~、ママといっしょにおだんご作ったよ!」 なつめもあがってきた。
「どこどこ?」 「ほら、もう少し待ってごらん、あの雲が流れるから・・」 「あ! 雲が光ってきた!」
柵にしがみついて待つ孫。 月が顔を見せた。 まばゆいような気がした。
「お月さまや!」 なつめは何やらお友達の名前をぼそぼそ・・ん?何かお願い事を言っているようだ、
月や星には祈りが届くような気がするのだろうか、七夕以来良く見る光景だがかわいい。

 でたでた月が 丸い丸い まん丸い 盆のような月が  隠れた雲に 黒い黒い真黒い 墨のような雲に
またでた月が 丸い丸い まん丸い 盆のような月が


中秋の名月、中秋と仲秋・・恥ずかしながら昨年検索して知ったが旧暦の8月15日のこの日の月が中秋の名月。
一年のうちで一番美しいのが中秋の名月だとか。 眺められた幸せ気分。  満月に見えるが明日が満月。

昨年は10月3日だった。  記事を見ると孫たちの幼さが、一年の月日の積み重ねを思わせる。

で、今年の名月。 月にはやはりススキが欲しい。 田舎にはいくらでもあったのにね。


いつも季節感のあふれた創作のお煎餅、私のお気に入りのお店「桂新堂」さん。 作られる人に会って見たいといつも思う。 


* しまなみ帰省 3日目 *

2010年09月20日 | 風景・お出かけ

早朝の海と朝日撮りたかったが、義姉さんが夜勤で不在だし兄は仕事なのでやめにした。 
兄嫁さんは朝食にピザまで用意ましてくれていた。 甥っ子(長男)夫婦が泊まっているので台所のことが分かり助かる。
結婚2年だが、若いのにお嫁さんは良く気がついて良く動くし、さすがである、1年半の同居は良かったと思う。

早々にお墓参りに行ったが、もう太陽は照りつけ暑い。 記事を書いているのは30日だが、この気温差は何?
檀家である宝福院には、今でも私が通った保育園がある。 2人は滑り台から離れない。 かんた初めてのひとりすべり!

保育園でのさまざまな出来事は、良く覚えているものだ。 懐かしく思いながら孫たちを眺めていた。
お寺の門は修復されずに昔のままのような、半世紀も経っているのに不思議な気がする、この門を娘と孫がくぐる。 
すぐ下に父の生家がある。 両親はもとより叔父も長男も亡くなり、持病のある叔母は島の施設に住まいしている。
お墓参りの後は、必ず寄ってお仏壇に手を合わせ師範である叔母の点ててくれたお抹茶をいただくのが習慣になっていたのに。
2年前からその習慣がなくなった。 叔母は時折風を入れに帰るらしいが、主のいない大きな家には野草が茂っている。 
叔母には便りをするが、お点前をいただくことが無くなったし実家の賑やかさに比べ、とても寂しい気がする。

帰宅すると、夜勤から兄嫁さんが帰っていた。 お疲れであろうのにいつも笑顔いっぱいである。
そんな性格が、家を繁栄させ家の流れを作って下さっているのだなぁと思いながら有難く思う。

荷物を積んで夫の実家へ向かうとき、必ず玄関の前で記念写真を撮る習慣。
昨年まではもっと母は笑顔満面だった。 異常なまでの猛暑を一生懸命で耐えたと言う母だが、今までにない表情で分かる。
しかし4世代で並ぶ写真、還暦を待たずに他界した父は孫さえ全員見ることが出来なかった事を思うと、
長生き出来て、ひ孫に囲まれ兄夫婦に大事にしてもらって申し分のない幸せな母の人生である。

夫の実家へ寄る。 兄嫁さんが炊き込みご飯でおにぎりを作ってくれたのを持って帰る、いつもの有難い心遣いである。
実家のことを話すと、施設にいる叔母のことや母のことなど話してくれて思わず細くなった義母の手を握った。
(私のことも分かってくれている・・良かった・・)会話すると思い出が引き出されるから会話が大切なことが良く分かる。
なつめが「おばあちゃん元気でね、またくるね、がんばってね」手を握ってそう言うとぽろぽろ涙をこぼされた。
「可愛いのう、ばあちゃんがんばるよ、また帰っておいでね」離れがたい思い、見送る義母の顔がそれを物語っていた。
2泊3日を過ごしたが、兄嫁さんの介護365日がまた始まるのだ・・そう思うと申し訳ない気持ちで大阪へ向かう。

渋滞もなく予想通り、6時には家に着いた。 荷物であふれ家の狭さが(大阪やなぁ)と言いながら苦笑い。
タイミング良く息子から電話があり、ひろとと自転車でやってきた。
「敬老の日やから」ワインとジュースのラベルをひろとやゆいちゃんの写真、ひろとのお絵かきで息子が手作りして・・。
帰省で得た感激のうえに、更に感激で3連休が締めくくられた。


* しまなみ帰省 2日目 *

2010年09月19日 | 風景・お出かけ

古いアルバムで思い出を辿りながら(義母を喜ばせる為?)昨夜は話が尽きないが、10時頃お開きとなり弟たちが帰って行った。
大阪より、よりしげく奏でる虫の音の澄んだ合唱を聞きながら、床についた。
昼間兄嫁さんが干してくれたであろう布団の陽のぬくもりが、涼しくなった夜にはとても心地よかった。

朝は5時過ぎに目覚めた。 いつもならそっと起きて、家の横の道をあがり、右手にシュロの木をアングルとして、
海の見える生口島や因島の風景、朝日の昇る風景を撮る。 必ず撮っていた。
帰省する前に、(朝日の昇る風景なんてもう撮れないだろうなぁ、いや撮らないわ)そう決めていた。
お墓参りと称して、母の顔を見に帰るのに、お世話下さる兄嫁さんを思うと、軽々しく不謹慎な気がしたから。

お昼前、私の実家へ行った。 お昼から泊りで介護に行かれる兄嫁さんが、いそいそと食事の用意をしてくれていて手伝う。
嫁として小姑として帰省するときまず持ちかえるのはエプロンだと、結婚した時母から教えられていた。
遊びに帰るのではない、日頃親の世話をして下さる兄嫁さんたちを労い手伝うこと、母の教えは本当に有難いと思っている。
兄嫁さんは1時、色々話したいのに後ろ髪惹かれる思いで仕事に出かけられた。 

夫の実家の様に気遣うことなく、むしろ後に送る写真に添える為兄嫁さんに敬意を表して花を少し撮る。


 
普段の狭い暮らしにも慣れているが孫たちだが、広い部屋、広い庭、行動範囲が広がり大はしゃぎ。
なつめや同じ年に生まれた1歳のひ孫3人、1年ぶりの再会と成長は楽しい。



兄や母がいるので私は行かなかったが、夫や娘たちは今や全国区の瀬戸田の”ドルチェ”へ行った。
このお店のアイスはハンドメイド、それに一般のよりカロリーが低くて安心、中でも塩アイスが私の一番のお気に入り。
シトラスパーク”へも寄ったようだが、ここから眺めるしまなみの島の景色も実にいいのだ。 


兄(撮影)、母、因島の妹夫婦と甥っ子、甥っ子長男夫婦、次男夫婦、総勢17名の賑やかな食卓となった。

奇しくもこの日は妹の誕生日、兄嫁さんからケーキ、甥っ子長男夫婦から花束、娘からのプレゼントなどのサプライズ!

 




母がいつも言う言葉、「年をとるほどに迎えられる誕生日は、なんと幸せで有難いことか感謝せにゃぁいけん」
本当にそうである、(祝ってもらうような年ではない)そんなこと言ったら叱られるし、思ったらばちがあたる。

みんなが集まる、揃う、添う、和む。 これらは母の生きた証しのようでもあると、感謝な私たち。


若い時「女はね、髪をきちんとしていないといけん」そう言って、いつもきちんと髪を整えていた母。 (私、守れてない・・)
暑い夏やっとの思いで乗り越えてきた母だが、1ヶ月近く風邪をひいたり治ったりを繰り返していたようだが、
その、やっとの思いを感じさせる珍しい髪の乱れに老いとやっとの思いを感じた。


* しまなみ帰省 1日目 *

2010年09月18日 | 風景・お出かけ

早朝5時出発、夫、長女、次女と孫2人に途中、市内に住む義姉も一緒に7名で一路しまなみ海道へ向かう。
昇る朝日を見ながら、何度SAへ止まっただろうか。 昨夜帰国したばかりの長女と無呼吸症候群の夫が交替で運転。
夫一人の運転と、祖母を気遣い駆け込み帰国したようなものだ。 誰もが暗黙のうちに頼りにしている有難い存在。
割安な料金制度、初めて利用した。


予想していた渋滞もなく、珍しく事故も見ず9時には因島へ着いた。 早いので少し寄り道因島をドライブ。 
林芙美子ではないが、「海が見える 海が見えた 1年ぶりに見る しまなみの海はなつかしい」 
私たちはしまなみ海道を走りながら、因島大橋、そして海の見える景色を見ると実にほっとするのである。


未だに因島の地図、地区の位置関係を把握していない私。 方向音痴な私だが、どうやら義姉もそうらしい。
実家へ行くには少し早いので、因島公園からの絶景を見ようと言いつつナビもあるのに行き過ぎてしまった。
お昼を用意して待ってくれているので遅くなる訳にも行かず、断念して夫の実家へ向う。
町並みから海を眺めながら、「こんなに島が多くて、こんなに近くにあったっけ」等と言う。 
誰もが島の様子、田舎の記憶が遠ざかっているのだ。 写真は車窓から。


7月に帰省した夫や義姉は、義母には良く分かるが「けんつくさんの嫁です」と挨拶したが、今ひとつだったかも知れない。
義弟たちが電話しあっていて、3男夫婦、4男、兄弟5人が揃った。 仲の良い兄弟でいつも快く迎えてくれ揃う。
姪っ子2人を交え総勢13名で、賑やかなお昼となった。 お寿司に加え蛸のお刺身や海老のかきあげ、これが一番だ。
1年前はまだ自分から色々と会話していたと思うのに、義母は寡黙になっていた。 食欲があることに唯一ほっとする。

3連休は暑さがぶり返すと言っていたが本当にそう、真夏日が戻っていて暑いがお墓参りに行く。
夫が義母を誘ったが、しんどいからと断った。 暑くて行かなくて正解だった。


猛暑続きで、畑の柑橘やいちじくも雨を欲しているようだ。
7月夫と義姉が帰省したとき、新しく建立したお寺。 やはり新しいと美しく気持ちが良い。


階段を上がり少し危なつかしかった義父の墓所の周辺がきれいに整備され、海の見える眺めの良い最高の場所になった。
行き帰り、畑のあちこちに植えてある花に蝶が飛び交う。 
お墓参りの道中も、頭の中は義母の姿が頭から離れなかった。 

男兄弟4人と、娘や孫たちは行ったことがない向いの愛媛県は岩城島の積善山へ出かけて行った。
帰省の目的は義母に会うこともだが、私には兄嫁さんの話を聞いてあげたいと言う思いがある。
義母には義姉がいてくれるので、義母も表情がいい。 「やはり娘じゃね」と誰かが言った。

夕食後も兄弟で10時頃まで古いアルバムを見ながら話していたので、普段は早く寝るらしい義母もそんな中でずっと起きていた。
普段早くから寝る義母も思い出話に、目がさえている。 会話は一番の薬。
嫁3人や姪っ子は台所で話した。 アルツーハイマーのこと、姪っ子たちのこと、兄嫁さんの日々のお世話のこと。
「大変ですよね」「本当に大変なのはこれからよ」 近所の人に良くそう言われるようだ。
どうにも私はただただ兄嫁さんには感謝と、そして核家族が気楽そうで申し訳なくて労いの言葉さえ簡単に出せなくて戸惑う。 

夜私たちの布団を座敷に敷き詰めて寝る時、暑いお昼間に干してくれていた陽のぬくもりを感じ、兄嫁さんの思いを嬉しく感じた。
何から何まで、心遣い・・本当に大変である。