日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 花言葉・・家族愛 *

2009年10月25日 | 雑感


                                              
                            アメジストセージ

実家の兄夫婦の結婚記念日であった。

34年前、長女が2歳2ヶ月、長男が生後2ヶ月の時だった。 長女は赤い洋服を着て出席、長男は父の妹、
叔母が子守を引き受けてくれた。 父の黒い兵児帯で息子をおぶって「心配せんと行っておいでよ」と送ってくれた。
とても思いやりのあるやさしい叔母で、母を良く訪ね慕ってくれていた、私も好きだった。 
昨年他界された叔父の後を追うように、先日同じ10月に旅立たれた。 夫婦の仲の良さを思わせるように。
34年前の結婚式の日のあの笑顔は、いつまでも忘れることが出来ない。 
船乗りだった父はこの翌年の8月、28日後に生まれた内初孫を待たずして、天国へ旅立った58歳で。
「みくの所よりええのを買うてやったんじゃ」 持って帰るはずの立派なメリーゴーランドは辛い遺品となった。
どんなにか嬉しそうに、持って帰ったに違いない。 父の笑顔が想像できる、あまりにも悲しい。

お祝いのFAXを二枚送ったら間もなく兄からお礼の電話があった。 そして兄嫁さん、母と電話を代わった。
今日は家族みんなが寄ってお祝いしているだろうと思っていたが、次男が仕事と言う事でなかった。
だが喜ばしいことに、この31、1日で三朝温泉へ一泊旅行をするのだと言う。
長男の子供は9ヶ月、次男のところは5ヶ月、もう大丈夫だろうと、兄夫婦、86歳の母、長男、次男の
お嫁さんと子供、総勢9名で。 母が行けるというのが、元気なればこそである。
いつも賑やかにみんなが寄っている「大阪さん家が目標よ」と兄嫁さんは言って下さるがなんて素晴らしい。

親子四世代の家族。 思えば甥っ子がお嫁さんと付き合っていて結婚を決めようと思ったとき、
「一晩家に泊って家族と過ごして、同居が無理と思うなら僕は君との結婚をあきらめる」と言い切ったようだ。
それを快く了解して昨年結婚したお嫁さんは看護師さん。 妊娠しても働いていた、正規の時間帯で。
兄は結婚する前から「長男の嫁にふさわしいいい嫁じゃ」と絶賛していた。 その通りだった。 
実家に帰省したときでも、いつも義姉の動きをみていて動く。 さすがだが、母も至れり尽くせり・・
この上ない幸せといつも言う。  お嫁さんが祖母のいる暮らしだったことがそうさせているのかも知れない。
兄嫁さんがヘルパーの仕事でいないときも、お嫁さんがいてくれるそれも心強い看護師さん。
甥っ子の決断をすごいと思ったが、こう言うことだったのかと思うと涙が出るほど嬉しい。
次男のお嫁さんもまた、次男にふさわしく・・お嫁さん同士も仲が良くて、同じように子育て真っ最中。
実家は一気にお嫁さんが二人、そして孫が二人・・兄嫁さんも良くして下さるがまたお嫁さんたちも実にいいのだ。
可愛い息子たちのお嫁さんだもの、可愛がらないとね! 実家も暖かく迎え入れていて何の心配もない。

実家の家族の仲の良さ、安泰って、出ている人間にとってどれだけ喜ばしく安心であろうか。
母自慢、兄嫁さん自慢に加え、甥っ子達のお嫁さんも自慢、自慢が増えた。 
どうぞ楽しい旅行でありますように・・。 有意義だった我が家の全員初一泊旅行を懐かしく思い出す。

先週の水曜から中国へ出張していたセイ君が元気に帰国した。 
昨日夫が釣った鰆の大きい方の切り身をそっと残していた、セイ君に出来れば食べさせたいなぁと。
鰆のたたきとあら炊きを、帰る時間に合わせいそいそつくり持って帰らせた。
慣れない中国の環境の中、風邪気味で行ったので元気な姿を見てほっとした。           29日記


* 夫と釣り・・ *

2009年10月24日 | 料理・その他食

4時半に起きてお弁当二人分を作る、定番のおにぎり、玉子焼き、ウインナー。
ほんとゴルフと釣りは起こさなくても起きるんだからぁ。 憎いけど気持ちは分かる。
6時に見送る・・あ~、亭主元気で留守がいい、内心そんな開放感が心をよぎる。 
しかし漁船の転覆生存者の朗報は喜ばしいが、亡くなった方や、不明な方を思うと(元気で留守がいい)
そんな気楽な言葉は言えない。 誰もがいつも無事な帰港を祈りながら、見送る船であろうから。
思えば私だって、父が肩を痛め運搬船に乗るようになったからいつも無事な航海を祈っていた。
釣りの夫を見送るとき 「気をつけて行ってらっしゃい」とは口癖のように言うが、心の中では無事に
帰って来ます様にと思う。 私が泳げないだけに、海は見るのは大好きだがどちらかと言うと怖い。
だからたとえ釣れない時があってもいい、顔を見るだけでほっとするから。 
釣れなくてもいいと思うときもある、内緒だけど「ちゃちゃっとバッテラ作ってえや」と一匹の鯖でも言う。
正直じゃまくさいと思うときがある(何がちゃちゃっとよ~)ほんと、内緒。

セイ君が中国出張中行きたいところがあったらと長女が言ってくれてヨドバシ梅田   へ。
最近はアルバムやフォトフレームや作成を頼まれて色々いるので行ってもらった。
ランチタイムなので、安くて美味しいよ~と8Fの豚道楽へ。。
ちょうちんの文字にはちょっと抵抗が! ほりごたつのお座敷もあり老人や子供連れには有難い。 
ランチはパスタでも同じ値段で大盛りもしてくれるし、サラダも飲み物もお変わり自由。 
とっても味も良くボリュームのある豚料理、いっぺんに気にいって夫と来たいと思う。 



4時頃夫から電話、「また魚パーティー」  ひろとママとひろとも誘った。
帰ったときにはもう魚をさばいてあって・・夫上出来! あと料理するのは私。
鰆のたたき、お刺身、しゃぶしゃぶ、それと太刀魚の塩焼き~! 
夫が釣りって言ったって、船長が常日頃から船の点検から釣りの準備から全てをやってくれるのだ。
父親が淡路島で漁師をしておられるだけあって、何もかもに長けていて申し分なしであって、
夫はそこにのっかるだけ、実に実にお気楽な釣り、お陰さまなのである。

賑やかな、少々ご近所には迷惑なほど賑やかな、美味しい夕食になった。 



それにしても国会中継の野次、なんとかならないものか、聞き苦しい(ラジオを聞いているので)
政権が変わったからと言って、何をすぐに答えを出せると言うのか。 
自分達のやってきた長年のつけを、なんとかしようといてくれているのだ、惨敗を反省したのなら
話し合いながら見守ることは出来ないのか、野次をとばす議員とかTVに映し出したらいいのに。 
もし子供たちが学校でこんな話し合いの場だったら、どうするんだろうか。
政治家のこんな場面見て、将来を背負う子供たちの目にはどう映るであろうか。    30日記


* コスモス畑へ寄り道・・(22日) *

2009年10月23日 | 花や木

 時代祭りが終わり京都御苑をあとにしたのが2時過ぎだった。
せっかくだからと”亀岡夢コスモス園”へ連れて行ってくれた、1時間ほどで到着。
台風の後で花はやられているみたいと言っていたが、その通りだった。 それでも入場料500円とは!

入り口のアーチはオーシャンブルーの朝顔、センニチコウやアメジストセージが迎えてくれたが・・。
創作かかしコンテストの作品。 イチローのプロフィール・・生まれたのは10月22日(すごい!今日やん!)
なつめはNHKの連ドラ”ウェルカメ”のファンだし、大喜び。 コスモスより良かったのでは。

秋・・本当に不思議なほどの雲だった。 コスモスはそれでもところどころ最後の燃焼を見せるよう、
痛んだ中にもやはり可憐に咲くその姿は、時代祭りの後にはふさわしかったかも知れない。

後でHPを見て知った。 26日から入場料が半額になっている~。 そりゃぁそうだコスモス無いもの。
売らんが為のコスモスの花を切りとった女性が「どうぞ種を取ってお持ち帰り下さい」と言われた。
あちこちにナイロン袋が下げてあって、私もいくらか持ち帰った。 来年いっぱい色んなのが咲くかなぁ。

何処へ行っても感激するなつめ。 長女は昨年満開のコスモスを見たわけだが広い大空の下ここにいると、
満開のコスモス畑は見えたよな気がした。

現実から遠き古き時代へ引き戻され・・不思議な気持ちになったが、可愛い花で締めくくった秋一日。 29日記

 


* オリオン座流星群・・・ *

2009年10月21日 | 雑感

 

オリオン座流星群が沢山見えるらしい、TVでも新聞でも情報を目にすると心がさわぐ。 
次は70年後だと言うから、当然生きていないし見ることが出来たらいいなぁ。

二年前の夏帰省したとき、シリウス流星群出現と言う夜で、義姉が庭に敷いてくれたござにみんなで寝転がり、
私は母と椅子に座って、千葉の妹夫婦や大勢で天の川も見える満天の星空を眺めた。
あ!あっちや! こっちや!と、飛び交う流れ星に歓声、感動の夜そんな思い出があるだけに、
見たいという思いは募るが、大阪の夜は明るすぎて星の数がメッチャ少ない。

一晩目は、屋上にラグを敷いてコート着て軽くお布団かけて寝転がった。 東南東の空と言うからそっちを。
11時半、流れるのを発見! しかし感激はなかった、目の錯覚? 星がたまに二つに見えたりする私だから。
今夜は冷える・・1時間で切り上げた。 それにしても右隣の24階建てマンションの一軒づつに外灯、
明るすぎて見えないんと違う? (管理人さんにちょっと1時間消してもらえません?って頼もうか・・そして
オリオン座流星群みんなで見ませんか?)って言いたいくらい・・一瞬そんな馬鹿なことを思った。

二晩目は・・正しくは22日の午前零時以降・・オリオン座がどこなのかも知らずに私。
方位磁石(方向音痴なのでいざまさかのとき・・と、カメラバックに入れてある)で位置を確認、ネット検索。
オリオンって狩人の名前なのか・・連なる三ツ星は狩人の腰にあたるのか・・ふ~ん。
オリオン座・・って、昨晩寝転がって見えたままの星の図形だ。 机の左側の窓をあけたら・・
え~!! なんとネットで見たそのままの星座がまともに目の前に広がっているのだ。



わ・・なんて幸せ・・流星群を見るより、そのことに感激した。
写真は田舎の友人が撮影したオリオン座の写真を、ブログからお借りしたもの。

部屋から見えるものの・・網戸では見えにくい、からと言って開けると蚊が入る(まだ蚊がいるのだ)
仕方ないけど網戸を開けて椅子に座ったまま頬杖ついて眺めた、ブ~ンブ~ン・・一匹の蚊を払いのけながら。
たった一匹・・しまいに腹がたってきた。 リクライニングの椅子に寝転がってお布団かけて見ていた。
うちわで顔の前をパタパタ寒いのに。 流れ星のことだ、うつらうつらした一瞬出現したかも・・。
3時半に一個見えた! あ・・・でもなんかね・・田舎での感激ほどない。 

昼間夫の寝床に双眼鏡が置いてあった。 (夫も四階の窓から眺めたんや・・・)と同時に悔いた。 
寝転がっていた晩、屋上のドアを開けて夫が顔を覗かせ「見えるか」って言ったのに「一緒に見ようよ」と言わず、
次の夜オリオン座が窓から見える感激を、なぜ起こしてでも伝えなかったんだろう。
朝「オリオン座って知って見てた?」「うん、ネットで調べてね」偉そうに。

何年か前、しし座流星群のときは夫と二人暮らし、寝床から見える場所なので二人してわいわい言った。
私、冷めてる・・。 あ・・なんで・・やさしさ・・思いやり・・ほんと足りないわ・・。
こんな私にオリオン座流星群見えるはずがない、だから感激もなかったんや・・。
今でも70年後にならないと見られないらしいのに、冷ややかな自分がつくづく情けないと思う。
夫よ本当にごめんなさい。 表だって見えないこんな事にこそ夫婦で共有する楽しさを持たなければ・・。
大きな反省の苦い思い出になった。 反省を生かさなければ猿と一緒、反省だけなら猿でも出来る。

何年か前、偉い人が”老いないための、かきくけこ”を言っていた。
 か・・感動  き・・興味  く・・工夫  け・・健康  こ・・恋 
自分では興味持って工夫して感動して・・やはり共有したいなぁ・・夫とは。

夫がそばにいることに、ときめいていた5、6年前までは。 心がけなくては・・かきくけこ。  25日記


* マッシー母さんの写真より・・ *

2009年10月20日 | 雑感

研修センターのマッシー母さんが、今回の”第19回全国花のまちづくりコンクール”で、国土交通大臣賞を
受賞された方々のところを視察に行かれたときの道中、富士山の写真がきれいだったのでお借りした。

まじかで見たことはあるが、やはり富士山は遠くからその雄姿を眺めるに限る。、

このコンクールの企業部門で優秀賞を受賞されたマッシー母さん、アルバム台紙がやっと手元に入った。
午後センターへとりに行き、早速作成にかかった。 昨日で印刷を終えていたので台紙に合わせ
A4サイズの写真を少しカット、コラージュ写真60枚分。 4時前に出来上がって持参した。
「人にあげるのがもったいないわ」満足してくれた。 私も結構いいんではない?と自画自賛。
「花づくりは広めて行っても、こうしてみくさんが、色々と私を前へ押し出してくれるから有難い」 
色んな場所でこのアルバムが活躍してくれているようで、喜びこのうえもない。
警察署長さんも、先達て撮らせていただいた署の花壇の写真を広報誌へ使って下さるのだと言う。

視察に行かれたのは国土交通大臣賞”を受賞された岐阜県の中津川市の”中山道こまちの会”。
その時の写真のアルバムも社長さんと出席される受賞の日に持参されるそうだ。
先日作らせてもらいながら感動した。 古い町並みを生かしながらいっそうの落ち着いた中にも輝く雰囲気作り、
町が一体となった花づくり。 訪ねてみたいと言う気持ちにさせる。 内の二枚。
 

”我が町をキラッと輝く街に”がテーマだそうで、道路に置かれていた寄せ植えは全部陶器の鉢だとか。
みなさんのはなづくりの輪と共に、心の和・・そして和み・・キラッと・・を本当に感じさせる。
マッシー母さんとの出会いがこのような形で展開しているが、作る私は陰の人ではあるが、
中国や岐阜や未踏の地、視野が少なからず広がっていく、そんな快感を感じながらアルバム作りを、
楽しみながら少しは忙しくもしているこの頃である。                      25日記