日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 涙道閉嚢・・手術 無事終わり・・ *

2012年08月02日 | 雑感


「お母さんの精かなぁ・・」何気に言ったら、「ここ3、4年のことやねん」 
そう言えば涙がいつも出ているような状態って、昔からではなくってあるときから突然に・・だった。
何か心当たりは・・」と病院で聞かれたそうだが、これと言って気付く所はなく、あるとすれば孫の”ヘルペス”がうつってからかなぁと。

第一段階の”涙管チューブ留置術”手術は昨年したけれど、それでは解決しなかった。  なので”涙嚢鼻腔吻合術”をと言う事になった。
この手術は何処でもやっていると言う訳ではなく、日本でも何軒か・・そのうちの一軒だったので、これも巡り合わせかと次女は決断した。
考えただけでも怖いが、常に涙が出て来ると言う状況は本人にしてみれば不快である、まるで泣いているようで、それにハンカチが手放せないのだ。

病院の前で婿の展君と一緒になった。  部屋は6人部屋。  10時半ベッドごと手術室に運ばれた。
昨日は部屋の方2人がずっと世間話されていて声が気になり落ち着かず、個室でも頼もうかと聞いたが今空いていないと言うので、仕方なし。
そのうち話が途切れて静かになったのでまいっか。

病院へ来ると、普段の自分の病気が小さな出来事に思えて来る。  驚くほど様々な症状の方がいるからで、逆に自分のことに感謝が出来たりする。
奥の70位の夫人、網膜剥離だと言う40前後のお2人、透析で他の病院へも行きながら眼科治療で入院している方も。 新しい人も入院してきた。
次女がベッドごと手術室へ行ったとき、部屋の皆さんでそれぞれの目の話をした。  いい方ばかりで、相部屋のままで良かった。
少し会社へ顔を出し帰って来た展君と、小さな声で話しながら病室で終わるのを待った。   12時過ぎガーゼで右目を覆った次女が病室へ戻った。 

明日大きな手術を控え、入院している京都の姉がメールをくれた。 
「手術無事終わりおめでとう。 経過が良くってはじめて成功やね、祈っています」と。 
姉は4月膝の手術で入院しているので、その経過が良くてはじめて成功と言える・・は実感であろう。
展君は次女の顔を見て帰った。 私は麻酔がすっかり覚めるまで付き添っていた。  局所麻酔なので鼻の骨を削っているときは、頭に響いたし、
先生同士話していることも聞こえていたらしい。  この血をとめる粉抹・・それっていくらするとか。
点滴をしながらも、起きられるようになった娘を残し3時過ぎ病院を出た。  保育園のお迎えがある。

夫が帰宅して孫たちのお迎えに行った。  
鹿児島へ帰省して3時過ぎ帰って来た愛ちゃん、一緒にお見舞いにと言うので待ち合わせた。  
ひろともゆいちゃんも有意義だった鹿児島、ハイテンションなうえになつめやかんたに会うと騒ぎたくなる、入院病棟では特に迷惑だし顔を見せ退散。
帰阪早々冷蔵庫には何もないだろうと、愛ちゃんや展君も一緒にみんなで回転寿司へ行った。
田舎でいっぱい泳いだり遊んで日焼けしている孫。  久しぶりみんなで賑やかな時間を過ごした。 孫たちの様子に、夫も私も満足。

次女が「近くに住んでて、本当に良ったわ」しみじみと言った。
どんなん時でも、みんながそばにいてくれる。  私も孫を世話してやれる。  母がいつも言う、”してやれる幸せ”
手術は無事終えた。  経過が良かったら・・右が良かったら、また9月左側をする予定らしい。 
この手術は日本でも出来る所は数少ないらしい。  看護師さんや部屋の人たちも雰囲気が良くて、次女も部屋は違うが全く同じ手術をした人と
メルアド教え合って、情報交換しているようだ。  近くですご腕の先生のいる大きな眼科の専門病院がるって恵まれている。 後続く通院に近いし。 

手術に向かう朝、義父の遺影と近所の天満宮で手を合わせたが、とりあえず無事終わり遺影に有難うございます・・と手を合わせ、ほっとした夜。
なつめとかんたと一緒に、川の字に寝た賑やかな夜でもあった。    



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