goo blog サービス終了のお知らせ 

日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 中秋の名月 お月見団子 *

2011年09月12日 | 行事

今月の色紙・・4年前かな・・習い始めて描いた秋仕様。 

初めてのお泊りをしたなつめは、寝る前少しおセンチになったようだが、無事喜んで朝を迎えたようだ。
昨夜みんなでご飯を食べた後、「なっちゃんはひろとが一番好き、結婚したい」とか言いだしたりして、
「駄目や、・・ちゃん(保育園の)がひろとを好きや言うてるもん」とかなって、迷いながら1番好きなのは誰誰とか
そんな話題に花が咲いてみんなで大盛り上がり、ひろとが好きと言い続けたなつめに押され「1番はなっちゃん」
そう言うことになって、2人はいっそう仲良くなったようで(って・・2人とも5歳なんですけど~)
息子が朝ゆいちゃんとなつめを自転車の乗せて連れてきた。
自信のついたなつめこれからもお泊りがくせになったりして。 案の定、「またお泊りする!」と言っていた。

愛ちゃんの仕事はその日によって3時だったり4時だったり、今日は”5時までですのでお願いします”とメール。  
長女は3時までだったら車で送って行ってあげようと、用事がなければたいていそれまでに家に来てくれる。
仕事を終わってひろとを迎えに行って・・大変である。
送って行ったら、ちょうど帰って来た所だった。 

ひろとが「ばぁば今日泊まりに行きたい」やっぱりね。 「金曜日にしよ、土曜がお休みだし」なんとか聞いてくれた。
愛ちゃんに「今日はお月見やね」って言ったら、「あ・・買ってくれば良かった・・」と言ったから(多分お団子やわ)
九条新道のお饅頭屋さん”ちどりや”でお月見団子を買って来て「お届けものです」とインターホンで言った。
仕事に行っていない時は、ひろととお団子を作ったりしていたけれど今日はそんな余裕はない。
エレベーターの前でひろとが待っていて「みたらし?」「ううん、今日はお月見団子よ」
ひろとは餡ものやみたらし団子が大好きなのである。

実のところゆいちゃんがお昼寝をしているとき、(確かお団子の粉あったよな・・)
あったあった、でも見たら賞味期限が切れていた。 (まいっか、長女しか知らないし・・雰囲気だけでも・・)
5時前慌てて作ったものだからまん丸にしたつもりが、私と同じでちょっとアップに耐えられないわ。
昨年までは次女も子供と作ったりしたのに、今年は色々心忙しくそんなこと所では無い。



まさか賞味期限の切れた粉(消費期限切れではないが)を孫に食べさせるのもなんだかね・・。
(いや美味しければいかな位だったんだけど、愛ちゃんの一言でやっぱり買って良かった。 

まぁ我が家が8個で、愛ちゃん所に5個かなと思っていたら、全部6個入りに詰められていた。 
招魂逞しいよね~。 お年寄りの2人暮らしの方なんてどうするんだろう。  夕方だからだったのかな。
3パック買ったので我が家は12個を消化しなくてはいけない。
子供や孫にはおくゆかしき行事ごとも、こうして家族の感心事にして欲しいと思っている。
母が大切に行って来たように。 



十五夜の月は多い雲に隠れて8時も回ってやっと・・みんな部屋から眺めた。
「う~さぎうさぎ 何見てはねる 十五夜お月さん見ては~ね~る」 次女の歌が聞こえてきた。
「わ~い、まんまる!」なつめやかんたの声が聞こえた。  毎日のこの可愛い孫たちの声も後1ヶ月か。
来年は夫と2人何処かで観月会でも参加しようか。


* 福寿会 *

2011年09月02日 | 行事

初孫ひろとにとっては5回目の歌の発表会。 おじいちゃん、おばあちゃんを招待の敬老会「福寿会」(少し抵抗があるけど)
0歳児から順次始まったが最後は、来年卒園する”らいおん組さん”が手話で立派に歌い遂げた、泣けてくる歌。

岩谷時子さん作詞  三木たかしさんの作曲

今年はどんな歌を聞いても、東北大震災のことと重ねて(きっと誰もが)胸がいっぱいで涙になると思う。
小さな園児たちの時には不揃いな歌も、いつかこのように上手になるよね。  歌の心をずっとずっと育んで欲しい。

*****************************************************************************

夜中から朝にかけてずっと警報が出ているかどうか、ネットで情報を何度も見ていた。
風は強いものの、警報は出ていなくて、出かけようと思ったら雨が降って来て長女に迎えに来てもらう。

9時半開場、到着した時は7割方席が埋まっていた。 絨毯席、椅子席、ビデオ席は後ろである。
10時、園児たちの可愛い挨拶で開会である。 普段会えないおじいちゃんたちに孫たちが歌を聞かせてくれるのだ。

0歳児は名前を呼ばれて手を挙げて「はい」 それだって中々大変である。
ひろとも1歳の少し前からお世話になったが、4月生まれなので中でも一番しっかりものですと先生に言われていた。
1歳児・・2歳児・・1年ごとの成長の過程が微笑ましくもあり、涙ぐましい。 先生方の指導、努力は大変である。

ひろとは早5回目である、ひろとの小さかった時からと、小さい組の子供たちが重なり、夫と涙ぐみながら見ていた。
大きな声で部屋の一番後ろの私たちに、まるで声が届くようにと一生懸命歌っているように思えた。 

2年前、使ったことの無いビデオ、説明は聞いたものの息子から頼まれて夫が撮ったが、前の組のは撮れていて
肝心なひろとの時は、さわりだけで後は全く撮れていなかった。 鳥肌がたった、操作ミスと言う苦い経験がある。
最新のビデオは押すだけだった。 三脚をたて今度はバッチリ! こう言う発表会はやはりビデオに限る。
写真では歌が聞こえないし、微妙なひろとの表情も捉えられない、見られなかった我が子の様子親は何度でも見られる。

我が孫になったとき、あちこちでおじいちゃんおばあちゃんがデジカメや携帯で撮ったり、手を振ったり手拍子したり、
後に立っていたのでそんな様子が全て見えるので、なんとも微笑ましい。 目の中に入れても痛くない孫・・良く分かる。
後ろの人が見えなくても気づかない。 夫も撮りながら手を振った、(え?) 私も思わず手を振った、いや振りたくなる。
園児たちは先生から、おじいちゃんたちが手を振っても、手は振らないようにと言われているので笑いながら我慢している。
1時間ほどで終わった。 やっている間何度も暴風で風が時折大きな音をたて皆を不安にさせたがなんとか無事に終わった。
夫は会社へ。 私は長女が迎えに来てくれて、息子のマンションへゆいちゃんを迎えに行き以後我が家で子守。

夕方愛ちゃんとひろとを迎えに行って、九条の”フォレオ大阪ドームシティ”へ行った。
香港滞在中だった長女は、近所なのにまだ行ったことが無いし、中に”びっくりドンキー”が出来たので夕ご飯はここで。
たま~に、メッチャハンバーグが食べたくなる時がある、仕事が終わった愛ちゃんも誘った。
ひろともがんばったし、なつめかんたも孫たちは一緒になるのでハイテンション。

ひろとは「分かってたよ、じぃじとばぁばがおるのが」 しっかり歌えたので、自分でも満足しているみたいだった。
食事をしてお店を見て回ったが台風も近づいているので7時半にはお開きにしてマンションへ送って行く。
近ければこそである、少しの時間でもこうして一緒にご飯しよって過ごせるのは。

それにしてもフォレオがオープンの6月14日は雨が良く降った。 中のお店の一軒だけ出遅れたユニクロが今日
オープンだったが、また雨・・それも台風が近づいていると言う。 これってどう言う事?

ドンキーへ行っている時、夜は本当は定期診察予約をしていたが、キャンセルの電話を入れた。 
音楽が賑やかで聞こえにくく、明日の9時にと予約したが、(台風やのにどうしよ・・)失敗だったと思った。


* 帰省 義父33回忌法要 *

2011年08月11日 | 行事

愛ちゃん母子3人を迎えに行き、大阪を出発したのは午前0時半だった。
義父の33回忌法要、本当なら仕事の夫である、愛ちゃんも次女も10日まで仕事だった。
大人5名、子供4名 2台の車、Lグランドの後部をフラットにしお布団を敷いて二組の親子が眠れるように。
夫1人を運転席に・・は気になるので、長女には申し訳ないが1人で車に。

無呼吸症候群の夫は、次女が用意していた眠気覚ましのドリンクを初めて飲み意外や眠気も来ずにいて
一気に福山SAまで走ることになった。 渋滞もなく3時半には着いた。
後部は全員寝ていたが、仮眠をとることに。

目覚めた時前方のシートをのけたとき目の前に広がったのは・・ 

私たちより到着が遅くなると言っていた大阪の義姉夫婦と姪っ子親子の5人もここで仮眠していて会った。

ここのパンは結構有名で、7時に焼きあがるのを多くの人たちが待っていた。
今日も暑くなりそう・・太陽はすでにぎらぎら照り始めていたが、朝の新鮮な空気を吸いながら焼きたてのパンで
一緒に朝食、爽やかだった。

 

因島大橋を渡り・・

生口大橋を渡ると実家はもうすぐ・・

 佐屋条・・夫の実家近く 夫の遊泳の個所であり、帰省の時子供の小さい頃はこの辺で泳がせたことがある。

夫の実家に到着後、私の実家へのお土産類、車の中では高温になるので私の実家へ長女と先に降ろしに行く。
空、島、海 当然だけど、生まれ育った島への愛おしさのような感情がふつふつと湧いてくる。
兄が待っていてくれて、一緒に荷物を降ろしてくれた。 
昨年10月胃全摘・・落ちた体重、ズボンの余裕な部分がそれを感じさせそれには言葉が出なかった。



親戚や兄弟たちも集まっていた。 兄弟仲がいいので、帰省するとみんなが集まり楽しく談笑することをとても幸せに思う。
10時半全員でお寺へ 昨年新しくなったお寺、正座が出来ないので椅子はあるかなと思ったら、やはり高齢化社会である、
本堂では参列の人々全員が椅子席になっていてほっとした。 読経の中をみんなが立派な祭壇でお焼香をする。
その後墓所へお参り。 子供はもちろん孫たちもお線香をあげ手を合わせた。

12時、お寺さんが家に来てお経をあげて下さる。 長い読経だった。 
普通はこの後、お坊さんを交え膳を囲むが、お坊さんとて重なるとご馳走も厄介なもの、最近はお布施に変わったようだ。
ひらがなが打ってあるお教本を皆でついて読んだが、お教本表裏・・長い・・前日包んだお布施が多かったからだろうか
等とひそひそ苦笑していた。
”いつもより多く回って・・いや長~く読んでいます~”ってな具合?

お経の後、お坊さんの話の中で「仏さまは、33回忌法要で初めて成仏されるのですよ」と言われた。
恥ずかしながら一昨年は実家の父の33回忌、そのことは知らなくて初めてこのことを知らされた。 
そうなんや、33回忌で初めて成仏・・なんだか複雑なそれでいてほっとしたような・・・。

床の間の掛け軸、義姉さんが、昨年求めたと言われた。 
生まれた時から、どこの家にも座敷には床の間があって掛け軸があって花が活けてあって・・やはり落ち着くなぁ。
義父が大好きだった。 多くは語らないが、優しい含みのある言葉で色々な話しをしてくれた。
前の家に一度着てくれた、2度目は次女を生んだ時病院へ見舞ってくれたのが最後、その2ヶ月後に他界した。
父にしたら最後の力で夫に会いに出向いたのだろうか、生後2ヶ月の二女を連れて訃報に駆けつけた時を思い出した。

夏場、大勢の料理は大変なので瀬戸田の”かねよし”で食事。 平山美術館の近くだった。
家でお膳料理をとって頂くよりも、熱いものは熱いように、冷たいものはそのように、コース料理がほど良く出て来る。
もう食べられないわ・・等と言いながら、みんな結構食べた。 いいお味だった。 また利用したいお店。



外観は地味だが、感じが良くて2階は宴会席、ゆっくりと食べる事が出来た。 地元で愛されているお店のようだ。

我が家だけでも9人、泊まるのは私の実家に頼んでいたので、賑やかな夕食のあと8時半ごろ実家へ行った。
長女、愛ちゃん、次女と旦那さんは仕事だったので、言えば代表で出る訳で、法要に関してお供えや服装や何かと
余り経験の無い事がら、数珠はそれぞれ結婚した時から持たせてあったが務め終えてほっとしたようだ。
無事法要を終え安堵の思いと、義母がそのことや初めて夫を理解出来なかったこと病の進行が妙に寂しく思えた。
私以上に夫にはショックだったに違いない。


* 宵七夕?  *

2011年07月06日 | 行事

2人暮らしだった4年間ほどは、2人で七夕飾りをした。 

子供たちへの願いを夫と2人でせっせと書いた。  何度か娘たちは帰って来て一緒にしたかな。
七夕飾りは、長女が生まれてからもう30年以上も続いている我が家の欠かせない行事になっている。

次女夫婦と同居してからは、長女夫婦や長男夫婦も含め短冊を渡したりして大人8名全員のを飾った年もある。 
今更、やめるのも何かしら縁起が悪い様な気がしているが、いくつになるまで飾るんだろうとふと思う時がある。
間もなく夫と2人になるだろうが、子供たちの家族を思いながら生きている限りずっと続くのであろうか。
私は杖をつきながら、笹を買いに行くのかなぁ。 「(ふがふが・・)じいさんや、ほれ短冊お書きなせえ」

昨年から保育園に行くなつめが持って帰る笹に飾るようになり、可愛い飾りが増え、今年はかんたの
飾りも増えて賑やかになった。  孫たちの成長もいじらしく感じる。 夫や展君、みんなして願いを書いた。
夫は1枚、なんと言う・・しかし毎年書く 「(ゴルフ)80台になりますように」 18日がゴルフになった。
そのリーダーからFAXで「80~90台でお願いします」 笑わせる、プレッシャー。
今一番の願い事は、「東北地方が1日も早く復興しますように」であろう。 

亡くなられた方の名簿が県別にPDFファイルに書いてある。 岩手・・・97ページ 宮城・・213ページ
福島・・38ページ 3県以外のもあった。 それだけでも胸が詰まる。
80代・・6、70代 4、50代・・30代 10代・・20代 ひとけた代・・10ヶ月 
それぞれの生きられるはずのこれからの人生を思うと、涙がとまらなかった。

復興担当大臣の辞任劇、いかに力量があろうともあの上から目線の偉そうな態度、言動、一体何さまなの?
被災者の心に添う・・とんでもない。 一度放った言葉は、被災者ばかりでなく人々の心からは消えない。
良くこう言った方たちの、会見の時必ず出る言葉「もし・・の方たちの心を傷つけたとしたらお詫びしたい」
・・だとしたら・・なんとあいまいな。 その言葉には、お詫びする等そんな気持ちが、さらさらないことが伺える。


* 母の日・・ *

2011年05月08日 | 行事

朝からあちこちから、届きましたという電話をずっとかけていた。
1人暮らしの夫人神戸の母、夫の実家の兄嫁さん、実家の母、また神戸の夫人から。
そんな電話をしていたので、香港のセイ君が何度電話しても繋がらない・・と次女に電話をしていました。
しばらくしてかかってきました。
「こっちにいて、安心して仕事が出来るのもお母さんのお陰です。 今日は改めて感謝の電話を・・」と。
昨年5月、仕事で行ってもう1年になりました。 和歌山のご両親にも会いたいでしょう。
7月にはお母さんと私たち夫婦、11月には和歌山のご両親、暮れには夫が・・会ってはいるのですが。

「早く帰って来てよ、みんなでご飯食べようね、身体に気をつけてよ」なんだか泣けてきました。
頑張ってるセイ君。 長女も香港へ行ったり来たり、セイ君不自由もあるでしょう。

夜は子供たちがご馳走してくれました。 「とりどーる」 家族連れで気楽に食べられる焼き鳥屋さん。
何度もこのスペース界隈に来ているのに、気付きませんでした。
なるほど賑やか、特に日曜、家族連れ。 さすがにお母さんを囲む家族の姿が目につきました。

メニューも豊富、安くて美味しいが一番。 賑やかな店内、孫たちの声も気をつかわなくていいのです。
かんたはまだ少しは熱があるのですが、展君と留守番は可愛そうなので親が判断、連れていきました。

11人揃って食べるのは、ひろとの誕生日以来かな、と言っても1ヶ月も経っていないのです。
(セイ君がいたらね、いつになるんやろ)みんなの様子を見ながらそんなこと思っていました。

私、鳥大好きなんで、それに牛肉よりカロリー少ないので安心してしっかりいただけます。
「コケコッコー~!」なんて言いそう。 おなかいっぱい、また一瞬(申し訳ない)と思ってしまいました。

「欲しいものある?」 「母さんもう欲しいもの何もないわ」等と言っていたのですが・・。
旅行の前日に、着て行けたらいいねと。 暑かったので薄手のジャケットブラウス、ぴったり。

TVでは何度か拝見したり、本屋さんでみていましたが柴田トヨさんの「くじけないで」 いいお顔です。 
どれだけ多くの方が励まされて、生きる力をもらっていることでしょう。

「くじけないで」

ねぇ 不幸だなんて 
溜息をつかないで

陽射しやそよ風は 
えこひいきしない

夢は 
平等に見られるのよ

私 辛い事が
あったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに


「撮影テクニック大辞典」そうなんですよね、写真がちっとも上達しなくて退化しているのですから全く。
撮らないと駄目ですね。 何でもそうですが日々の積み重ねが上達の秘訣でしょう。 頑張って読もうっと。



面白いですね~オリジナルのストラップ。 実名だと文字数が7文字になるのでアウトです。
だからと言ってブログのハンドルネーム「MIKU」 その思いつきが笑える愛ちゃんのアイデア・・でした。 
早速携帯に。 読者さん、どこかでこのストラップ見かけたら私です、声をかけて下さいな(なんちゃって)



いつもなら神戸の夫人を訪ねるのですが、行けなかったので着日を忘れ土曜日に着いたのです。 失敗!
でも土、日と2度郵便物が届いたので殊のほか喜んでくれていつも以上に嬉しそうな声でした。 これもあり!
「ブラウス、何処も出かける所ないのに、でもぴったり!」「次、回転寿司食べに行くとき着て行きましょ!」
着るものはもういらないわと言っても、女は嬉しいんですよね。 私がそうであるように。
義母さんには、義姉さんと義妹たちの4人で毎年電話しあって送ります。 
私と同じカーネーションと三田マルセさんの義母の好物のお肉です。 お世話いただく兄夫婦にも食べていただけるので。

こんな風に出来るのも、夫のお陰です(母が電話で感激して、けんちゃんのお陰・・そう言っていました)
子供たちにも負担をかけますが、みんなの笑顔を見ながら有難いなぁと感激で過ごした母の日、明日からまた頑張ろうっと。
母に子供としての感謝を、母として子供たちから、行事化していることも子供の頃からの習慣、母のお陰です。