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日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* お鏡開き *

2012年01月11日 | 行事

七草がすんで・・お鏡開き  目の前のお正月の飾りがひとつ減った。

お鏡開き・・鏡は円満・・その円満を開く 運命を開く 未来を開くとある。
そんな事に願いを込めながら・・おぜんざいで頂く丸餅。 夫にも半強制的に。  

田舎にいた時分、早朝か家族近所とつくお餅、つきたての熱いおもちを母が手早くくるくると回しならが、きれいに形づくって行く。
冷めてからこれは仏さま、これは神棚・・これは床の間、仕事場など、小みかんをのせて恭しく飾るのを競った子供時代。
こんなお鏡なので11日頃には硬くなっていて、母が手袋をし金槌で割る。 切ってはいけないそうなので。 (いや・・切ってもいたような)
火鉢に火をおこし、焼き網の上で焼く・・子供たちはその周りで膨らんで来る白いそのお餅を目を輝かせて待つのだ。
皆が富んでいた時代では無かったが、 このような光景・・心豊かな古き良き時代である。 

今はかびないように、丸餅がパックになってプラスチックのお鏡の中にいくつも入っている。 
見た目はいいが昔の風情など全く無くて、取り出すのも味気ない現代のお鏡開き。  

 

PM10時36分新大阪着、息子一家を夫と迎えに行った。  だから夫は珍しくお酒を飲んでいない夕食。
(いつも週1日は休肝日をと、お医者様から言われているのに、こんなことでもないと守らないんだから~)

東京ディズニーランド、シー、アンパンミュージアム、スカイツリーを目の前に・・等々、2泊3日を目いっぱい楽しんで
満足して帰って来た。 ゆいちゃんは新幹線で爆睡。 一睡もしていなかったひろとは車に乗るや否や、
私にもたれて寝た。 ゆいちゃん移動はベビーカーだが、ひろとは長い距離・・良く歩いたようだ。 
自分はお兄ちゃんであると言う自覚の数々を普段から目にしているが、あちこち歩く家族の光景を想像しながら
(良かったなぁ・・いっぱい楽しんで・・)微笑ましいみんなの帰宅に、私たち夫婦も嬉しい夜だった。 


* 七草の日 *

2012年01月07日 | 行事

次女が昨日「七草」を買ってきてくれた。 いつもJA西条だ。 

七草になると、実家なんぞそこら辺歩けばあるのになぁ・・だから毎年この頃再びふるさとの風景画懐かしくよみがえる。
それは大抵きれいな青空で、そして幼い頃から遊びの中心だった裏の八幡山の鳥居から。



食べるとき 「七草言うてみて?」 「せり なずな・・ごぎょう・・・・・はこべら・・・」 「お、いけてるじゃん!
後がすぐに出てこない。 「ほ・・やで」 「ほとけのざ! せりなずな・ごぎょう、はこべら、ほとけのざ・・・・? 」
す・・」 「あぁ・・すずな すずしろやな」 「すずな すずしろこれぞ七草・・ 言えるやん!」 ほめた。(子供か・・)
そう言っているとき、ちょうどTVで「 今日は七草です。 せりなずな ごぎょうはこべらほとけのざ・・・・」
まるで復習するようにそれは。
  秋の七草よりリズム感があって流暢だ。
大きな夫がわくわくするイベントが無かった?腹いせなのか? 休暇の間毎日朝に昼にビールを飲んだ。
胃は荒れているかも知れない。 七草、夫には本当に必要、特に。 

行事ごとには、頂き物のいと底に名前の入った漆塗り椀。 丁重に・・大切に使っている。
ともに白髪の生えるまで大事に・・(白髪2人とも生えてるやん!)

 

リハビリに行った。 土曜なので患者さんが多い。 広いリハビリルームもいっぱい、先生4人が忙しそうだ。
ウォーターベッド・・今日はレベル2に。 気持ちが良くて一瞬眠りそうになった。 こんなの欲しい~。
後の診察で・・院長先生が 「痛みは?」 「う・・・・ん、若干・・・?」 「若干か」 笑いながら(そうやろう)と思っていたかどうだか。
言われたときの答えを用意していた私。 「全然変わりません」とは言えなくて。 ほんの少しましかなとも思うが気のせい。
しかし昨日よりも足の裏側は引きつられ、むしろ痛みが増したような気がしないでもない。 

夫は半日仕事だった。 忙しくて少し残業。 こんな後は決まって腰が痛く湿布だ。
今年は夫婦で足腰・・こんな厳しいスタートになった。
今日は午後、夫のお姉さんのところに次女と孫も一緒に行く予定にしていた。
次女が家で食べて行きって電話くれていたので、迎え方々お邪魔してカレーを食べた。 何ヶ月ぶりかな、カレー。 

義姉夫婦、甥っ子、甥っ子の子供大ちゃんが待ってくれていた。 お嫁さんは仕事。
コーヒーを頂きながら、色々とつもり話。 年末帰省して以来。 子供が小さい頃はしょっちゅう行ったり来たり。
義姉さんは5人兄弟で女1人のせいか、良く可愛がってくれた。 義兄さんも子供好きなのでほんと来るとほっとする場所。
大ちゃんはもう4年生。 いつの間にかいい少年になって、ちゃんと来たらなつめやかんたを喜ばせようと準備してくれている。
最近は百人一首遊びだ。 前夫が読むとき、読み方が今一だった、今日は次女が詠み人。 
今はゲーム時代、こんな風流な百人一首は大いに結構。 返って新鮮な気がする。 なつめだって、今たまごっちに夢中。
私も持っている百人一首、孫たちにいつかいつかと一緒に遊ぶ出番を待っている。 お嫁さんが仕事から帰った。
義姉さんは夕食をと言ってくれたが、用事もあるので、少ししておいとますることにした。 

歩くのがままならない私は写真を撮っていない、ブログに載せる写真がない。 なので行き帰り助手席からパシャパシャ。

駐車場のPも面白いかなと撮った1枚。 パソコンに落として気が付いた。 (え! これはなんや!!)
ズームにしてみたら・・駐車場の上部・・最初は模様かと思っていたが・・



いたずら書き?  屋上から下向きにスプレーしたのだろうか。  それとも何か意味があるのだろうか。
大阪にはあちこち店のシャッター等に落書きが多い地域があるが、心の貧しさに大阪人として恥ずかしい。
迷惑をかけて悪いと思わないのか、思っているとしてもする行為許せない。
良く思う。 これを書いた子(子供とは限らないが)親になった時、我が子が同じ事をしても許すのか。
駅前の放置自転車も然り、有料の置き場に置かずずるい心。 子供が同じようにごまかし不正をしてもいいのか。

 次女を降ろした後、夫に買い物をしてもらった。 滅多とないことだが、買うものは伝えていた。
”男前豆腐”や”やさしくとろけるけんちゃん”や”風に吹かれて豆腐屋ジョニー”は食べた事あるが・・
またまた新しいのが・・!「おかんの豆腐」 普通にもめん豆腐を頼んでいたが、おかんを意識したんだろう。
TVでこの伝統を守りながらも新しさを追求、研究し作った社長さんの話を見たことがあったから良しとしよう。
高めでも美味しいんだもの、大豆の味がいいし、まったり口当たりがいい。
2人の野菜鍋、豚肉はあるからと言ったけど、「ええのん買うちゃった」高い豚肉を買っていたのでそれを。 
慣れない男の買い物。 まいっか、やっぱり高いのが美味しかったわ。
いつ何時私がどうなるか、それは分からない。 今回は痛さに甘えて、家事に少しでも介入してもらおうっと。

 


* 初詣 そして元旦を家族で・・ *

2012年01月01日 | 行事

実の所、トップの記事をアップしたのは遅ればせながら2日になってからである。
昨年と違って今年は夫婦2人の生活が始まった訳で、それに夫と隣同士で遠慮なくネットが出来ると言う環境なのに・・。
夫は紅白を見ながら元旦の記事を書き、紅白が終わった時にはアップした。
出来る事なら、今年はリアルタイムで更新できたらいいなぁと密かに思ったのに、しょっぱなからやってしまった。

使おうと思っていた写真が入っているカメラ、コンデジのオリンパスカメディアC-760 ウルトラズーム 10年以上の手放せない愛機、
1年前から電源のon、ofでさえも反応が鈍く、加えて最近USBによる画像の読み取りがスムーズに出来ないのだ。
液晶画面の”しばらくお待ち下さい”の文字が延々と画面から消えないばかりか、接続したままカメラの電源をofにしても
レンズが戻らない、電源が切れないのだ。 onにしても引っ込んだり、スタンバイにさえ何度もやり直す事も多いのだ。
2年前甲子園阪神戦の時足元に落としてしまいレンズが割れて修理に出した。 「今度修理と言っても、もう部品はありませんので大切に」
と、その時部品の保存期限終了を宣告されているのだ。 もうストラップも相当擦り切れている。
しかしこれが車の助手席から良く撮るが、結構いいし、花等の後ろボケにも結構いいのだ、それにファインダーを覗くのが何よりも好きなのだ。
今、足腰に激痛や痺れがある私には、一眼は重いので、このコンデジは唯一ブログにとって頼みの綱のカメラなのである。
夫のカメラでも違う、画素数は今時640万画素だけれど、ブログにはアングルさえ良ければ充分用をなしてくれるお気に入りのカメラなのだ。
今時の軽い一眼を買うほどの腕でも余裕もないし、中古品でも欲しい位私には好みのオリンパス。 

とうとうきたかな・・と気持ちがダウンしていた元旦なのである。  
それに朝からおせちの盛り付けや料理やでネットどころではなかったし、夜も画像が取り込めず寝不足もあり諦めたという訳。
画像はブロ友さんに頂いた色紙の写真を使う事にしてやっとアップ。  初詣の画像は3日やっと・・。

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田舎や京都に住んでいた頃は午前零時、お寺の鐘が「ゴーン」と聞こえてきて(新しい年やわ)と、ときめいたものだが、汽笛がボー・・・・。
「行くで!」本当は中央体育館上のグリーンヒルズからUSJのカウントダウンの花火を見る予定だった。
用意しているとき、大きな花火の音がバリバリ聞こえてきた、その時お互いに寝てしまったことを悔いたのは言うまでも無い。
TV見ながら居眠ったりして紅白もまともに見ていない(殆ど) 紅組が勝ったことさえも知らなかったと言ういい加減な夫婦。

(今更中央体育館に?)しかし元旦から「いややわ」と言うのも厳が悪い、「はい」と慌しく自転車でついて行った。 
花火見た帰りの人々を横目に、いや夫の目的は中央体育館では前夜から”さだまさしさん”のコンサートに続いてカウントダウンでNHKで
彼の番組の生放送をやっているのだ。 出来るものなら見てみたいと言う興味。
今から入っても、9000円ですと言われ諦め、恒例の氏神さまへ初詣に。 長い行列の中に混じって福銭を頂きお詣りをした。

破魔矢やお守りを買い求めた。 おみくじは末吉なり。 2人で懐かしい甘酒を飲んで温まり帰宅。
”今年も家族みんなが仲良く そして健康で暮らせますように・・”

6時半頃からおせちを詰めて、料理を作る。 10時半息子一家に続いて次女一家も自転車でやってきた。
みんなが揃った所で夫の音頭で「今年もよろしく」の乾杯で元旦の食事が始まった、賑やかな食事が。

次女一家が10月引越しして2人には具合のいい広さのリビングが、一気に狭くなった。
しかしこの狭さの部屋が和気藹々の親子、兄弟、孫たち、私たちにはもったいないほどの財産なのである。 
朝、長女夫婦からスカイプで年始の挨拶があり、「皆が揃ったらスカイプして~」で香港と大阪・・皆が映像で繋がった
2月にはセイ君も帰ってこれそうだ、2年9ヶ月ぶりに。 おせちを見て「食べた~い」海外2人を含めた元気な12名の元旦であった。
後でみんなでお雑煮を頂く。 そして孫たちお待ちかねのお年玉交換。 長女夫婦、神戸の夫人からもあずかっていたのを夫が手渡した。
1時過ぎ次女一家は展君の実家へ。 息子は昨夜はマンションで恒例の友人家族計13人との忘年会だったのでこたつで撃沈。
テンションの高かったゆいちゃんも次いで撃沈。
ひろとは今年から、夫に将棋の手ほどきを受ける事になっていた。 並べる、名前、進み方少々緊張して正座して聞いていた。
私でも聞いても良く分からないのに、色々・・5歳のひろと・・愛ちゃんも私も見ている方がひろとの表情が気になった。
しかしおじいさんと孫が向かいあい将棋を差す・・私のほのぼのとした理想の図柄である。

夜はすき焼きを・・と言っていたが、貴重な親子のお正月時間である。 ゆっくりマンションで・・と材料を持たせ3時半帰らせた。
賑やかさも良し、2人になった静けさも、また良し。  
おせちの残りに、昨日買っておいた広島の純米酒”賀茂鶴” お冷でなく人肌でとの注文で一献、夫ほろ酔いご機嫌の元旦、
家族で過ごした楽しい時の余韻は、夜遅くまで続いた。

 


* みんなで七五三 *

2011年11月13日 | 行事

午前中、京セラドームの”スタジオアリス”で七五三の撮影。 長女参加、カメラは駄目なのでビデオ係。 
昨年のゆいちゃん初誕生からしたら、随分とお兄ちゃんに。

12時半みんなで茨住吉神社へ集合。
神殿であっと言う間のお払い。 お払いの間ゆいちゃんが嬉しそうに走りまわっていたのでそれを目で追いながら、
本当にあっと言う間。  ゆかしきお払いなのに・・。 ひろとの成長や家族の繁栄をば、お祈り。

後は境内で記念写真。

息子夫婦が、みんなにプレゼントを。



「行きま~す!」 セイ君のかわり長女が。

4人が中々揃わない。 

行事無事終了。 
萬集楼で食事会。 もう1時半過ぎ、みんなおなか空いていたので食べる食べる・・写真撮る間もなく!

おなかいっぱいになって、お開きに。  お疲れさま、ひろと。
みんなでお祝い出来て写真が撮れると言う幸せ。 
(セイ君がいたら全員なんだけど・・・早く帰って来て~) はるか香港へ思いを寄せてしまう。 
私たち以上に帰りたいと思っているのはセイ君。 人生の正念場として・・暑さの中頑張っている。


* 兄夫婦の結婚記念日 *

2011年10月25日 | 行事

実家の兄夫婦の結婚35周年であった。
昔から親子兄弟で誕生日や結婚記念日はお祝いの電話など欠かすことの無い習慣、母が率先していたから。
引っ越しやなんやらで忘れないようにと、心していた。 
夫の方にはそのような習慣が無かったので少し気がひけるが、兄嫁さんには特にお世話をしてもらっている由。
感謝以外の何ものでもないし、お祝い電報や何やと気持ちを届けている。

30周年は姉が音頭をとってくれて姉妹4人で薔薇のブリザードフラワーを送った。
今回は個人で多分・・と思い、鉢物とメッセージを送る事にして昨日長女が来てくれたのでゆいちゃんをみてもらい、
自転車を走らせた。 今日届くようにと。
迷ったが大きな幸福の木にした。 母が2人には本当に良くしてもらい幸せ幸せと言うものだから。
A4サイズに背景に飾りのテンプレートを印刷、毛筆で頭に兄夫婦の名前をひらがなで並べて、その下に言葉を並べ
お祝いの言葉に託した。 それをしっかりラミネートしたのをお店の方に同梱してもらった。

夜電話があって、兄嫁さん、兄、母と代わった。
昨年の結婚記念日は、兄が検査で胃に悪性腫瘍が見つかり手術となった。 3人目の孫が21日に生まれたばかりの時に。
胃を全摘して随分と体重が落ちた兄、お嫁さんの出産、産後を家で預かって、母の世話も兄の世話も、そして週2の
ヘルパーさんの仕事もこなして来られた兄嫁さん。 1人何役もこなされた。 
そんな事がらを乗り越えて、今年の4月は米寿を迎えた母に吉野の桜を見せてあげたいとの兄夫婦のたっての希望で、
大阪、奈良、京都と何処も満開の桜の時に、親孝行の桜の旅をし私たちも便乗させてもらった。
この事は本当に良かった感激だったと3人から改めて言われた。
とりわけ母は「こんなに幸せな者はおるじゃろうか」と涙声だった。

長男へ嫁いだとは言うものの365日、目をかけ心をかけて下さる兄嫁さん、そして昔から孝行な兄。
申し訳ないかな自分たちの事でいっぱいで、母さえ忘れる日があるかも知れない私たち・・申し訳ない限り。
いつも明るい兄嫁さんの声で、生活が見えるようでほっと救われる。

兄が12月の終わり頃4人目の孫が生まれるので「来月からお嫁さんが産休で、息子と孫と3人が帰って来る、
賑やかになるわい」嬉しそうに言った。 「極早生のみかんを送るから」と付け加えて。
実家が安泰だと私たちも幸せをあやからせてもらえるようで、心から安らかな感謝の気持ちになる。