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8月6日広島8時15分 9日長崎

2006-08-06 | 巷の話題・・川崎市高津区周辺の個店を紹介
黙祷・原爆犠牲 へ 

今の小さな平和と、今だ地球星では争い、飢餓、自然災害が、
 人間も大自然の一員です・・平安な日々が続きますように。 

ああ、赤いばらよ!人間はこの上ない苦難のなかにいる!
人間はこの上ない苦しみのなかにいる!
それくらいならむしろ天国にいたい!
それでわたしは天国へ行く道を歩んでいた
すると天使があらわれて、わたしを追い返そうとした
とんでもない!追い返されるわけにはいかない!

わたしは神のもとを出て、またそこへ返るのだから!
神さまはわたしに小さな燈をくださるだろう
そして永遠の至福に満ちた生を照らしてくださるだろう

     マーラー復活・4楽章 原光より(喜多尾道冬・訳)

2006年08月06日08時26分
 被爆から61年となる「原爆の日」を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式典)が開かれ、参列者が犠牲者の冥福を祈った。今年は国際司法裁判所が「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」と判断した勧告的意見から10年の節目。しかし、核保有国の核軍縮は進まず、核拡散は止まっていない。秋葉忠利市長は平和宣言で「世界政治のリーダーたちは(核廃絶を求める)声を無視し続けている」と核保有国の姿勢を厳しく批判。「核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にある」として核廃絶に向けた世界的な連帯を訴えた。
 式典は午前8時に始まり、小泉首相も参列した。この1年間に死亡が確認された被爆者5350人の名前を記した原爆死没者名簿を、秋葉市長と遺族代表2人が、原爆死没者慰霊碑に納めた。死没者の総数は24万7787人になった。
 今年は初めて「氏名不詳者多数」と記した名簿も納められた。いまだに氏名さえ分からない遺骨が数多くあり、すべての原爆犠牲者を追悼する意味を込めた。
 式典会場に「祈りの曲」が流れると、被爆者代表らが献花した。原爆投下時刻の午前8時15分、祖父を亡くした遺族代表の米倉正明さん(46)と、祖母が被爆したこども代表の小学6年生、三登百合子(みと・ゆりこ)さん(11)が平和の鐘を打ち鳴らし、全員で1分間の黙祷(もくとう)をささげた。
 「放射線、熱線、爆風、その相乗作用が現世の地獄を作り出してから61年」――秋葉市長が平和宣言を読み上げていく。
 核兵器保有国の数が増したことを踏まえ、「人類は今、すべての国が(核兵器の)奴隷となるか、自由となるかの岐路に立たされている」と厳しく現状を批判。「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」として、「2020年までの核兵器全廃」を目標に、広島、長崎市が先導する「平和市長会議」の加盟都市(119カ国・地域の1403都市)が中心になり、核保有国に核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求める取り組みを始めることを明らかにした。
 続いてこども代表の小学6年新谷望(しんたに・のぞむ)君(12)と、米国生まれで日米の国籍を持つ小学6年スミス・アンジェリアさん(12)が「平和への誓い」を読んだ。
この式典は、毎年8月6日、被爆者をはじめ内外から数多くの人々が参列し、
厳粛に挙行される。この式典では、広島市民の平和への願いを込めた「平和
宣言」が、広島市長によって世界に発せられる
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被爆から61年の原爆の日を控えた長崎市では8日、犠牲者を慰霊する平和祈念式典の準備が進められた。平和活動に取り組む国内外の高校生が集会を開き、市や非政府組織(NGO)は平和を考える催しを開いた。
同市の長崎県勤労福祉会館では、核兵器廃絶を求め署名活動をする地元の高校生が討論会を開いた。韓国やフィリピンなどから訪れた高校生を含め約60人が参加。「核兵器は必要か」などのテーマで議論を交わした。

世界の若者、平和訴え・日本語サミット、16カ国参加
 世界と日本の懸け橋となる人材育成を目指す「東京日本語サミット」(特定非営利活動法人「ジャパン・リターン・プログラム」と日本経済新聞社との共催)が7日、東京・大手町の日経ホールで開かれた。日本を含む16カ国の若者16人がパネリストとして参加、「平和―国と世界」をテーマに日本語で討論した。
 隣国コソボでの紛争を目の当たりにしたというブルガリアの女子高校生、フリスティナ・フリストヴァさん(17)は「人々は身近な問題になるまでその価値を考えないが、1人1人が平和についてもっと話し、考えねばならない」と訴えた。 (07:01)

原爆症、41人全員認定・広島地裁判決
 被爆者援護法に基づく原爆症の認定申請を国が却下したのは違法だとして広島、山口、東京の被爆者ら41人が却下処分の取り消しなどを求めた訴訟で、広島地裁(坂本倫城裁判長)は4日、「疾病はいずれも原爆の放射線が原因」などとして、全員を原爆症と認める原告勝訴の判決を言い渡した。
 国の認定基準の妥当性が最大の争点となったが、坂本裁判長は判決理由で「残留放射線による外部被ばくや内部被ばくを十分に検討しておらず、限界や弱点がある」と指摘。現行審査方法で算出される被ばく放射線量は「一応の最低限度の参考値」にすぎないとした。
 原告9人全員の勝訴とした5月の大阪地裁判決に続き、国は事実上完敗したことになり、今後の原爆症認定や被爆者援護行政の在り方に大きな影響を与えそうだ。
 1人当たり300万円を求めた国家賠償の請求は棄却した。
 政府筋は同日、控訴の方向で検討する考えを示した。〔共同〕 (23:00)

米ネバダ州の核実験博物館で原爆展・長崎平和祈念館
 【ラスベガス=猪瀬聖】国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館は5日、米ネバダ州ラスベガスの核実験博物館で、原爆被害の実態を伝える原爆展を開いた。普段は米国の核実験や核兵器開発の歴史を展示している同博物館での異例の「反核展」には多くの米市民が訪れ、被爆者の写真などを真剣な表情で見つめていた。
 日本時間の広島への原爆投下の日にあわせたこの日の開会式には、長崎市民で被爆者の丸田和男さん(74)も日本から駆けつけ、約200人の来場者を前に原爆投下の際の様子や、母親や100人もの同級生を一瞬にして失った話などを通訳を介し話した。最後に英語で「原爆の被害を受ける都市は長崎を最後にしてほしい」と訴えると、大きな拍手がわき起こった。
 娘と展示写真を見ていたドナ・カトラーさん(58)は「核兵器の使用で何が起きたのか世界中の人が知ることが重要」と強調。「原爆投下は戦争を早期に終わらせ、多くの日米両国民の命を救った」という米退役軍人のジャック・フォードさん(75)も「大勢の人が命を失ったことは悲劇で、二度と起きてはならないこと」と話した。 (19:09)

原爆投下「戦争終結のため必要」…エノラ・ゲイ元機長 2006年 8月 7日 (月) 14:35
 【ラスベガス(米ネバダ州)=古沢由紀子】広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長(91)が6日、米ラスベガスで読売新聞のインタビューに応じ、「広島、長崎への原爆投下は戦争終結のために必要だった」と、その正当性を主張した。
 一方で、「私が戦ったのは日本の一般市民ではなくサムライ(旧日本軍)」と表現するなど、現場の当事者としての複雑な思いものぞかせた。
 ティベッツ元機長は母親の名エノラ・ゲイを爆撃機に付けたことでも知られる。戦後60年の昨年、乗組員2人と共同で「当時原爆投下は必要であり、我々は後悔していない」との声明を発表したが、日本のメディアの取材には一切応じていなかった。

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御巣鷹事故鎮魂の地蔵520体、元看護師夫婦が製作
 520人が犠牲となった群馬県上野村の日航ジャンボ機墜落事故から12日で21年を迎える。
 生存者が搬送された病院で看護師をしていた埼玉県本庄市の宮部晴美さん(68)と夫の喜代治さん(69)は約1年かけ、520体の陶器製の地蔵を完成させた。近く、鎮魂の祈りを込め、現場の御巣鷹の尾根かふもとに安置する予定だ。
 7月下旬に完成した地蔵は、高さ7~15センチ。ほとんどが座った姿で、穏やかな表情で手を合わせたり、数珠を持って祈りをささげたりしている。表情はいずれも少しずつ異なり、幼い顔立ちのものもある。
 きっかけは、墜落から20年という節目の昨年、春から航空機の運航トラブルや整備ミスが相次いだこと。「あの大事故が忘れられている。何かしなくては」と、陶芸が趣味だった喜代治さんが昨年9月、「安らかに」との願いを込めて犠牲者と同じ数の地蔵づくりを始めた。晴美さんも「事故と向き合い、風化を防ぎたいという遺族の思いにつながれば」と今春から加わった。(読売新聞) - 8月5日3時
8月6日

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