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9日大野和士の 幻想交響曲 那須野が原ハーモニーホール 

2007-08-10 | 大野和士・パーヴォ・・パッパーノ


2007年 8月 9日(木) 那須野が原ハーモニーホール 1F10-11・5千円安い

 ゲネプロが2時から約3時間も3曲2度聴ける贅沢でした、ホールは1200席とか
2階C以外は音響悪そうな・・小ぶりのホールで壁がコンクリート??かな残響が無い、管が直に聞え強すぎですね、幻想は2階センターへ移動・・管が強いですね

 オッフェルトリウム、典礼聖歌 グレコリオ聖歌のミサ固有式文の(奉納唱)のこと
ヴァイオリン協奏曲、荒井英治 素晴らしいで技量、音楽創造です

打楽器、ピアノ、チェロ、ヴィオラとの音の受け渡しも面白いですね、ショスとウェーベルンと、武満とか何処かで耳にした様な旋律が・・
 バッハの「音楽の捧げ物}から主題を・・変奏曲形式の扱い方が普通とは異なっている

 幻想は以前の生聴きでは透明感な弦、木管の繊細な歌、・・今回は打ち消された、弦群の響きが厚い、重たい・・コントラバスが下で支え重厚な響きがホールの音響かな・・
2楽章で右にバス8本でホルン4本隣に・コルネットがオブリガート・ソロ的な旋律が特に印象深い
 疑問が解けた、2楽章にオブリガートとしてコルネットのパートが書かれたものが使われた・・

 今日夜聴き直してきます、大野氏の音楽は凄みを増し、そして骨格が太く大きな音楽創造をする印象を深くしました、秋にはメドで指揮振りですね

 後書き、那須の聴衆はマナーが非常に良い、しかも、学生さんが多数聴きに来てました
此れからの成長が楽しみですね(余談ですが・・ホールにパイプオルガンを設置運動、寄付をとのチラシが)・・私は川崎住まいで、良くサントリー、ミューザ川崎へオルガンは滅多に聴きません、年間何回の演奏機会と優れた演奏者は限られ、其れと維持管理費が莫大では・・
 其れより、ホールの良好な音響、残響、反射板等の改善に、お金を使った方が、良いと想いました。??・・・

東京フィルハーモニー交響楽団特別演奏会
シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
グバイドゥーリナ:オッフェルトリウム(ヴァイオリン協奏曲)(荒井英治)
ベルリオーズ:幻想交響曲
主催:財団法人那須野が原文化振興財団

2007年 8月10日(金) 19:00 東京オペラシティ
東京オペラシティ 開館10周年 特別演奏会
シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
ショパン:ピアノ協奏曲第2番(小山実稚恵)
ベルリオーズ:幻想交響曲
東京フィルハーモニー交響楽団

今思えば、24日書きで、ピアノを那須で10日を東フィル・コンマスの荒井さんで演奏すれば、より盛り上がったと思います。

グバイドゥーリナ:オッフェルトリウム(ヴァイオリン協奏曲)(荒井英治)
 自作解説            (ハーモニーホール館長・丹羽正明氏訳より)
 この作品を理解するうえで、難しい点が一つあるとすれば、それは、変奏曲形式の扱い方が普通とは異なっているからです、J.S.バッハの「音楽の捧げ物」から借用した主題(ウェーベルンが行ったのと類似したオーケストレーションによる)は、対位法的な発展にも、主題を展開していくためにも使われていません。ここでの主要な役割は、枠組みを決めるための働きなのです、言い換えれば、バッハの主題は、ここで鳴り響く音が、全体にどのように展開していくかを決めているだけなのです。こうした観点からすれば、このバッハの主題は、変奏によって形が変えられていくのではなく、逆に、それ自体が専ら進展していく姿を見ていただけるものと思います。・・・・・・
 
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ソフィア・グバイドゥーリナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 作曲家
ソフィア・グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina, 1931年10月24日 - )は、ロシアのタタール自治共和国出身の現代音楽の作曲家。ロシアであり、カナで転写すると「ソフィーヤ・アズガートヴナ・グバイドゥーリナ」となる。

タタールスタン共和国のチーストポリにタタール系の父親とロシア系の母親の間に生まれる。野原に出ては作曲家になりたいと祈るかたわら、イコンに惹かれるような少女であったという。カザン音楽院で作曲とピアノを学び、1954年に卒業する。モスクワ音楽院に進んで1959年までニコライ・ペイコに、さらに1963年までシェバリーンに師事。
ソビエト・ロシアで修学中に、新しい音律を探究したために「いい加減な音楽」との烙印を押されたが、ショスタコーヴィチの支持を得た。ショスタコーヴィチはグバイドゥーリナの卒業試験で、これからも「誤った道」に取り組みつづけるように激励したという。
1970年代半ばに、作曲家仲間のヴィクトル・ススリンやヴャチェスラフ・アルチョーモフらと、民族楽器を用いた即興演奏グループ「アストレヤ」を結成。
1980年代初頭にギドン・クレーメルの擁護を得て、ヴァイオリン協奏曲《オッフェルトリウム》がソ連邦の国外で演奏されると、現在の国際的な名声のきっかけとなった。その後にT・S・エリオットの霊的な詩集によって、この詩人へのオマージュを作曲している。
ペレストロイカが始まり、以前にもまして名声が高まると、ソ連を出て西ドイツに移住した。現在もドイツを拠点に自由な作曲生活を謳歌している。

被爆ピアノ
カラヤン名演に重なる・・ナチス色