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20日タンホイザー 指揮/準・メルクル ドレスデン国立歌劇場

2007-11-22 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・
        文化会館4F・R2-22 24000円・高い

 序曲から気合は感じられた演奏ですね、極端な上弦,下弦のリズム感と感じましたが・・準・メルクル は以前新国立・リングを聴いてますが私は?・・でした・・
 好きになれない指揮者かな・・でも二幕は合唱,歌合戦、オケと求心力高い舞台に成ったと想います。
 性ヴェーヌスの世界と、神・信仰心エリーザベトとの世界を・・神の元に,己は愛する人の,救済・身代わりになれる?・・
 三幕のエリーザベトの死の場面がヴェーヌスにも看取られ,相反する世界で・・
全幕を通じ、オケ,歌手のアンサンブルが雑の感が・・

 新国立のタンホイザーは不評?のようでしたが、ドレスデンと大差ないのでは??

演出]ペーター・コンヴィチュニー,以前魔笛の演出を観てますが,今回意外と外しがない・・ 演出と言えば、森の・・此れが一番面白かった

リヒャルト・ワーグナー タンホイザー
演出]ペーター・コンヴィチュニー  [指揮]準・メルクル
タンホイザー:ロバート・ギャンビル
領主ヘルマン:ハンス=ペーター・ケーニヒ
ヴォルフラム:アラン・タイトス 
エリーザベト:アンネ・シュヴァンネヴィルムス
ヴェーヌス:ガブリエレ・シュナウト
ヴァルター:マルティン・ホムリッヒ
ビテロフル:ゲオルク・ツェッペンフェルト
ドレスデン国立歌劇場

 1843年から1845年にかけて作曲され、1845年10月19日にドレスデンにある宮廷歌劇場で初演された(「ドレスデン版」)。そのときの指揮者はワーグナー本人である。
「パリ版」による初演は、1861年3月13日パリ・オペラ座。
 日本初演は1947年7月12日、藤原義江(タンホイザー)、三宅春恵(エリーザベト)ほかの出演、マンフレート・グルリットの指揮による。この興行は全公演とも入場率100%を記録し、現在に至るまでの日本のオペラ公演でこれに及んだ入場率はない。
タンホイザー

7日 プラハ国立歌劇場 椿姫 ヴィオレッタ ・テオドッシュウ

2007-11-09 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・

                 文化会館・上野 5F・R2-6・9千円妥当な額
 序曲から,息途絶える様な、低弦の旋律がヴィオレッタの行末を暗示・・舞台に惹きこまれます・・舞台は白に統一され,日本的に解釈すれば白無垢の世界、何色にも染まる心の・・ヴィオレッタはどんな色に変化して行くのであろうか?・・

 一幕、テオドッシュウの世界?リサイタル?・・オケ、指揮,合唱とテノールがぬるい・・テオドッシュウのコロラトゥーラが凄いですね,若干発声にクセがあり、ベルカントと云うより??・・性格が激情形に演技、歌唱かな・・一人舞台の観が・・テノールの発声,声域が??の一幕でしたが、二幕が進むにつれ,気にならなくつつ・・

 二幕が、パパジェルモン、ウラディミール・フメロ、好みのバリトンで声が素晴らしい、俄然、テオドッシュウとの対立・・家を,娘を嫁がせる為に、息子と別れさす・・
 この対立した歌唱が聴き応えありですね・・

 愛するヴィオレッタに札束を投げ,ジェルモンが女性を侮辱したと・・舞踏会で・・
合唱,重唱、オケの共振性と、際立った存在感のパパ,息子、ジェルモンの歌唱が

しかし、怒りにかられた彼にはヴィオレッタの想いは理解できない。ついにアルフレードは先程賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付け、これで借りは返したと叫ぶ。自分の真意が伝わらず、皆の面前で侮辱された彼女は気を失う。一同アルフレードを非難するところに父ジェルモンが現れ、息子の行動を諌める。自分のやったことを恥じるアルフレードと、ヴィオレッタを思いやる皆の心境をうたって第2幕を終わる。

 三幕、前奏の弦の悲しみ,息絶える旋律美が、ヴィオレッタの死を予感させる・・ピアニッシモが実に綺麗なテオドッシュウ、演技も良く涙をさそいますね・・

 楽しめました、感情が高ぶり,心を揺さぶられた・・9月のメイより
テオドッシュウの方が、好みかな・・

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プラハ国立歌劇場「ヴィオレッタ・テオドッシュウ」になること必至だ。
ギリシャに生まれ、ミュンヘンで学んだテオドッシュウのデビューは1995年アテネでの『椿姫』公演だった。無論、ヴィオレッタ役。
 今年1月にもベルガモ・ドニゼッティ劇場の『アンナ・ボレーナ』日本公演でタイトルロールを歌い、絶賛されたばかり。ピアニッシモからフォルテまでの表現の幅が広く・・
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ヴィオレッタ ……… ディミトラ・テオドッシュウ
フローラ ……… アレナ・ミロ
アルフレード・ジェルモン ……… ダニール・シュトーダ
ジョルジョ・ジェルモン ……… ウラディミール・フメロ
       アンニーナ・・・・・ダナ・コクレソヴァー
ガストン 子爵……… ヨゼフ・モラヴェッツ
ドゥフォール男爵 ……… オルジフ・クジーシ
ドビニー侯爵 ……… ミロシュ・ホラーク
医師グランヴィル ……… ルカーシュ・ヒネック・クレマー

指揮 ……… エンリコ・ドヴィコ
演出 ……… アルノー・ベルナール
セットデザイン ……… アレッサンドロ・カメラ
衣裳デザイン ……… カルラ・リコッティ
一幕
 アルフレードに続き来客が去って一人になったヴィオレッタは物想いにふける。「不思議だわ」(作品を通じ、彼女はこの言葉を各幕で1回、計3回繰り返す)と純情な青年の求愛に心ときめかせている自分の心境をいぶかる。そして、彼こそ今まで待ち望んできた真実の恋の相手ではないかと考える(「ああ、そは彼の人か」)。しかし、現実に引き戻された彼女は「そんな馬鹿なことをいってはいけない。自分は今の生活から抜け出せる訳が無い。享楽的な人生を楽しむのよ」と自分に言い聞かせる。(「花から花へ」)彼女の中でアルフレードとの恋愛を肯定するもう一人の自分との葛藤に、千々に乱れる心を表す、コロラトゥーラ唱法を駆使した華やかな曲で幕切れとなる

二幕
 逃げて欲しいと訴える。しかし、怒りにかられた彼にはヴィオレッタの想いは理解できない。ついにアルフレードは先程賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付け、これで借りは返したと叫ぶ。自分の真意が伝わらず、皆の面前で侮辱された彼女は気を失う。一同アルフレードを非難するところに父ジェルモンが現れ、息子の行動を諌める。自分のやったことを恥じるアルフレードと、ヴィオレッタを思いやる皆の心境をうたって第2幕を終わる。不安にかられつつ手紙を読み、アルフレードは自分が裏切られたと思い込んで激怒する。そこに父ジェルモンが再登場して、息子をなぐさめ、故郷のプロヴァンスに帰ろうとなだめる(「プロヴァンスの海と陸」)。しかし息子は自分の受けた恥辱を濯ぐのだといい、パリに向かう。
第2場
パリ市内のフローラの屋敷
相変わらず貴族と愛人たちが戯れあう日々である。丁度仮面舞踏会が開かれている。フローラとガストーネらは、アルフレードとヴィオレッタが別れたという噂話をしている。そこへアルフレードと、ドゥフォール男爵にエスコートされたヴィオレッタが登場。しかし互いに言葉を交わすことも無い。アルフレードを避けるようヴィオレッタに指示したドゥフォールはカードの賭けに入り、アルフレードも加わる。アルフレードはつきまくり、ドゥフォールは大負けする。ゲームの間にヴィオレッタのことを皮肉る彼にドゥフォールが決闘を挑み、アルフレードは受けて立つ。アルフレードの身を案じ、ついにヴィオレッタは彼を呼び出し、自分のことなど忘れ、逃げて欲しいと訴える。しかし、怒りにかられた彼にはヴィオレッタの想いは理解できない。ついにアルフレードは先程賭けで得た札束をヴィオレッタに投げ付け、これで借りは返したと叫ぶ。自分の真意が伝わらず、皆の面前で侮辱された彼女は気を失う。一同アルフレードを非難するところに父ジェルモンが現れ、息子の行動を諌める。自分のやったことを恥じるアルフレードと、ヴィオレッタを思いやる皆の心境をうたって第2幕を終わる。・・椿姫・・・筋書き
ベルカント

11日 キエフウクライナ歌劇場  エフゲニー・オネーギン

2007-09-12 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・
 新国立で外来オペラを観るのは二度目です・・チェコプラハ・国民歌劇場以来ですね・・
 歌手陣が上手い女声,男声の主役4名と脇も良いですね・・合唱、バレエも良い,衣装も綺麗・・オケは?かな・・木管の技量に難が、でも、音楽の流れが良くアンサンブルの悪さを帳消しに

 歌手陣の充実振りには驚き・・耳を見張る・・席は天井桟敷4階4列中央とオケ,指揮振り見えず・・3幕の始め指揮者を・・金髪・・カツラ?何と女性指揮者 音楽に性別は関係無いですね・・実に音楽に劇性がタチヤーナの心理描写も上手いですね

 題名がオネーギン の人生と言うより、タチヤーナの人生を・・・

 オネーギンとの再会が、グレーミン公爵の妻になつていたタチヤーナのオネーギン想いと今の幸な生活を・・揺れ動く感情表現が上手い・・弱声の歌唱から時の流れを感じさせる
 グレーミン公爵の妻タチヤーナへの想い・・バスの声も良いですね

初見,初聴きでしたが・・実にバランス良い歌劇場ですね・・楽譜が色あせ、テープで補強した物を使ってました、まだ,経済的には豊かな国では無いのかな??

ウクライナ国立歌劇場(キエフ・オペラ )   新国立 4F4-32 9千円・安い

     タチヤーナ姉 ・テチヤナ・ハニナ  
エフゲニー・オネーギン ・ヴォロディミル・オペンコ
       オリガ妹 ・テチヤナ・ピミノヴァ  
      レンスキー ・ドミィトロ・ポポウ
グレーミン公爵(タチヤーナの夫) ・ボフダン・タラス 
     ラーリナ母親 ・ナタリア・モイセーエヴァ
 フィリーポエヴナ乳母 ・アンジェリーナ・シヴァチカ
ザレッキー(決闘の介添人) ・ヴァシーリ・コリバビュク
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華やかな舞踏会や決闘。ロシアの青年貴族と、
裕福な地主娘タチヤーナのすれ違う恋心
「タチヤーナの手紙の場」「黄金の日々はどこへ」
叙情的で哀愁漂うチャイコフスキーのメロディー!
エフゲニー・オネーギン
ピョートル・チャイコフスキー作曲 全3幕
演出:モロストワ
 19世紀初頭のロシア。地方貴族の夢見がちな少女タチヤーナは、都会的で憂鬱な雰囲気を持つ青年オネーギンに恋をする。彼は冷ややかに拒絶して戯れに妹のオリガを誘い、その婚約者である友人と決闘となる。数年後、美しく成長し公爵夫人となったタチヤーナと再会したオネーギンの心は揺れ…。
  プーシキンの小説をオペラ化した、チャイコフスキーの代表作。

実力ある歌手を揃えた歌劇場が、オペラ史に燦然と輝く傑作オペラを上演。
伝統ある劇場の、練り上げられたアンサンブルによる名作の魅力を味わえる。
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ウクライナ国立歌劇場(キエフ・オペラ)の昨年の初来日公演は、日本でのこの「未知のオペラ・ハウス」の「現在の充実」を改めて教えてくれた。
140年の長い歴史を持つこのキエフ・オペラは、ロシア革命を経て旧ソビエト連邦下に組み込まれた。ウクライナ人とロシア人という民族で構成されるウクライナは、広大で肥沃な土地に恵まれ、ソ連の物心両面を支える国であった。帝政ロシアの時代もソ連時代も、ウクライナはロシアに支配され搾取されてきた。旧ソ連時代の「三大オペラ・ハウス」と言えば、モスクワのボリショイ歌劇場、レニングラード(現サンクトペテルブルク)のマリンスキー劇場(キーロフ・オペラ)、そして、キエフ・オペラを指していたが、ソ連の国策がモスクワの中央集権主義であり、そのモスクワのボリショイ劇場こそが国の芸術的威信の象徴であったため、実力のあるオペラ歌手は、最終的にボリショイに集められ他の2つの劇場は、ボリショイへの登竜門としての位置付けにあった、とも言えた。
  1991年のソ連の崩壊に伴い、ウクライナは国民の悲願であった独立を果たした。ウクライナ人の名歌手は、ウクライナで働けるようになった。モスクワに吸い上げられなくなったのだ。このソ連の崩壊と共に、サンクトペテルブルクのキーロフ・オペラが目ざましい発展をとげたのもまた、モスクワの中央集権崩壊と密接に関係している。
 帝政ロシアの時代からキーロフ・オペラ、キエフ・オペラは、モスクワより、よりヨーロッパに近い立地条件という事もあり、ロシア・オペラと共に、西欧のオペラの上演も盛んに行われていた。それらの長い伝統は、ソ連時代も失われる事はなかった。芸術的伝統と共に、豊富な人材を誇るウクライナは、ソ連の人材搾取の無くなった現在、どれだけ優秀な歌手を擁しているか、という事を、昨秋の来日公演は証明してくれた。自国の歌手だけでこれだけ実力のある人材を揃えている歌劇場は、キーロフとキエフだけではないだろうか。
 そのキエフ・オペラは、十八番である劇場縁りのチャイコフスキーの名作「エフゲニー・オネーギン」を筆頭に、ヴェルディ中期の傑作であり、旋律美と劇性にも溢れた「リゴレット」、プッチーニの抒情的メロドラマの傑作「ボエーム」と、ヴェリズモ的手法による劇的な大作「トスカ」の四演目を用意して再来日を果たす。いずれもオペラ史の中に燦然と輝く傑作オペラであるが、登場人物に人材を必要とする大作であると共に、アンサンブルの精度も不可欠な作品ばかりである。スター・システムの西欧の劇場とは一味違う座付き歌手での上演を基本とするキエフ・オペラの公演は、豊富な歌手陣を抱えるこの伝統ある劇場の練り上げられたアンサンブルによって、この名作の数々の魅力を味わわせてくれるに違いないだろう。 國土潤一(音楽評論家)

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【ステージ随想 客席から】ザルツブルク音楽祭 歌劇「エフゲニー・オネーギン」
8月26日8時1分配信 産経新聞
 ■濃厚なロマン主義を体現
 モーツァルトの故郷、オーストリアのザルツブルク音楽祭は昨年、彼の生誕250年を記念して22の歌劇の全上演を敢行した。そのモーツァルトの明快さの裏を行くというのか、「理性の暗闇の側面」という今年のモットーには濃厚なロマン主義志向が感じられる。
 それをよく体現していたのは、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」(8日、ザルツブルク祝祭大劇場)である。原作は、1820年代のロシア社会を映した百科事典だといわれる、プーシキンの同名の韻文小説。
 退屈した都会児オネーギンが、田舎の地主の娘で文学に夢中なタチアナの妹オリガに言い寄って、婚約者で詩人のレンスキーを怒らせる。ついに決闘沙汰(ざた)になって、彼を殺してしまう。3年の放浪ののち戻ってきたオネーギンは再びタチアナに出会うが、彼女は老将軍グレミンの夫人に納まっていた。オネーギンの求愛は退けられ、絶望のふちに沈む。だがタチアナも愛のない生活に甘んじ続けねばならない、という筋書きは作曲者が手を入れたオペラ台本でも保たれている。
 近代の夜明けに直面した若い主人公たちの心理の明と暗の両面の叙情的な表出に、チャイコフスキーの音楽は絶妙に成功している。第1幕の頂点をなすタチアナの「手紙の場面」や、第2幕で、決闘を前にしたレンスキー(ヨーゼフ・カイザー)が青春を回想するアリアなどの絶唱に続き、第3幕では、フェルッチョ・フルラネットが若い妻を得たグレミンの幸せを演じ歌った貫禄に最大の拍手が集まった。
 女流のアンドレア・ブレートの演出は、ロシア社会の近代化の遅れに焦点をあて、タチアナの女性としての自己解放への共感を見せた。オーケストラはダニエル・バレンボイム指揮のウィーン・フィル。チャイコフスキー一流の情緒とは距離を保ちつつも、絢爛(けんらん)さに欠けるところはなく、終演後、全員が舞台に呼び出された。
 (東京大学名誉教授 高辻知義)

棟梁日誌 この方音楽の専門家ですか・・ご紹介です

8日 チューリッヒ歌劇場  ばらの騎士

2007-09-09 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・


8日 二度目で演出にも慣れ、落着いて聴けました カサロヴァが全開です一幕から聴かせてくれます、二重唱も初日より良かったと思いますニーナ・シュテンメは最高潮は初日かな・・ヤヤお疲れ気味
二幕が楽しめました、オックス男爵(Br)/ アレフレッド・ムフ の存在感が歌唱も初日は声量は有るが??と思ってましたが、余分な力も抜け・・演技,歌唱も素晴らしい
 そして、ワルツが絶妙な味が粋で、しかも時の流れ貴族社会が・・時に翻弄されて行く時代の明 闇 影を奏で最高ですね・・
三幕もオックス男爵と女装したオクタヴィアンの絡みの洒落っ気、歌唱も上手い・・
パパ パパ と子供達も・・可愛い・・NHK児童合唱
 一転・・三重唱で実に美しい・・染み込みます・・涙ものです
伯爵夫人の孤独感、大人の愛・・諦め そして若き二人の恋 二重唱と美しい・・
 今日はカサロヴァとアレフレッド・ムフ に惹きこまれました。
 二度観て,違った印象を受けるのも生の醍醐味ですね、総じて高水準のオペラでした
メスト氏が小澤の後任で、ウィーン歌劇場の音楽監督へ成功間違いないですね。

初日 指揮者とヴェッセリーナ・カサロヴァ が目当に観に行きました。
 今も、放心状態です・・1幕から歌唱、オケ力、精緻なアンサンブルが・・凄いです
1幕終幕の侯爵夫人(S)/ ニーナ・シュテンメ の孤独感、恋、低声域の美しさ,弦の刹那、陰影、陰陽に富んだ旋律が美しい オクタヴィアン(Ms)/ ヴェッセリーナ・カサロヴァ との恋,愛の重唱も素晴らしい・・惹きこまれます 乳白の格子が明と闇をその暗さは伯爵夫人の心の投影であり・・孤独感、人は時とともに・・年輪を重ね・・顔に刻まれていく しわが・・
 2幕が舞台設定が??かな
3幕、伯爵夫人の存在感が際立ってますね
オクタヴィアン(Ms)/ ヴェッセリーナ・カサロヴァ ゾフィー(S)/ マリン・ハルテリウスとの若き恋に 伯爵夫人の諦め・・この対称観がたまらないですね・・
 二重唱、三重唱の見事さ・・旋律が,実に美しい・・バラの香りは 心を悩まし,心を豊かにし・・顔に,心に しわを刻む
 テノール歌手でピョートル・ベチャーラが歌ってました アルフレード・ジェルモンで本領発揮かな・・

R. シュトラウス作曲  歌劇「ばらの騎士」 / Der Rosenkavalier
全3幕 原語上演日本語字幕付 / 初日 1F38-26 23,000円・安い
                 8日 1F 38-36 23,000円・安い
2007年9月8日(土)14:00開演 / 18:20終演予定
会 場 Bunkamuraオーチャードホール

陸軍元帥ヴェルデンベルク侯爵夫人(S)/ ニーナ・シュテンメ
 オクタヴィアン(Ms)/ ヴェッセリーナ・カサロヴァ
 ゾフィー(S)/ マリン・ハルテリウス
 レルヒェナウのオックス男爵(Br)/ アレフレッド・ムフ
指揮 フランツ・ウェルザー=メスト
管弦楽 チューリッヒ歌劇場管弦楽団
合唱 チューリッヒ歌劇場合唱団    演出 スヴェン・エリック・べヒトルフ
装置 ロルフ・グリテンベルク     衣装 マリアンヌ・グリテンベル
照明 ユルゲン・ホフマン
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1834年にチューリッヒに初の常設劇場が誕生。
アクツィエン劇場である。ここは、当時チューリッヒに亡命中だったリヒャルト・ワーグナーの活動の場になった。後に、この劇場は火災のために焼失してしまい、1891年になってからベルヴュー宮殿の近くに、現在の建物が完成。
チューリッヒ歌劇場の歴史は、華やかなハイライトに彩られている。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのキャリアはここからスタートし、リヒャルト・ワーグナーの「パルジファル」が、初めてバイロイト以外で上演されたのは、1913年のこと。ブゾーニ、ヒンデミット、R.シュトラウスなど著名な作曲家たちが、チューリッヒの音楽と劇場の発展に大きな影響を与え、ベルク作曲「ルル」、ヒンデミット作曲「画家マティス」、シェーンベルク作曲「モーゼとアロン」など、多くの作品の初演や世界初演が行われた場所でもある。
1975~86年まで総裁を務めたDr.クラウス・ヘルムート・ドレーゼのもとで、チューリッヒ歌劇場の水準は著しく向上。中でも、ニコラウス・アーノンクールを指揮、ジャン=ピエール・ポネルを演出家兼舞台美術家として招いて開催した、「モンテヴェルディ・チクルス」は国際的に高く評価されている。
1991/92年のシーズンからは、アレクサンダー・ペレイラが総裁に就任。そのシーズン・オープニングは、ロバート・ウィルソン演出による「ローエングリン」。この作品はちょうど100年前に市立劇場のオープニングを飾った演目でもある。
チューリッヒ歌劇場は1995年に州立劇場になった。このシーズンから、それまでロンドン・フィルの首席を努めていた、フランツ・ウェルザー=メストが歌劇場の首席指揮者に就任。
2002年9月から、ウェルザー=メストは、クリーヴランド管弦楽団の首席指揮者を兼任しているが、チューリッヒ歌劇場との結びつきは変わることなく、2005年9月には音楽総監督に就任。 2007年9月に、待望の初来日公演を行う。

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秋川雅史もショック「パバロッティがテノール身近に」 9月7日17時2分配信 夕刊フジ
 「テノールという分野を世界中の人々に身近にした人であり、オペラ界のその何百年の歴史の中でも最も功績を残した人と言えるでしょう」
 (オペラの貴公子ともてはやされる)・・(オペラで聴いたことありませんが)・・秋川雅史(39)も大きなショックを受けたルチアーノ・パバロッティ氏の悲報。
 1988年「第3回ルチアーノ・パバロッティ・コンクール」で優勝したソプラノ歌手、中丸三千繪(47)は、その恩恵でヨーロッパデビューを果たした。
 「コンクールに通り、ステージの袖で私が、『終わった、終わった!』と騒いでいると、ばったりとパバロッティに会い、『終わったんじゃない。これから始まりだ』と言われたのがすごく印象的でした」
 バブルが弾けるころ、スペイン人のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに「3大テノール」公演で世界を駆け回った。ギャラの取り分はパバロッティが最も多く、「日本公演では3億5000万円とも。オペラでは邪道だったマイクを通じた公演でも、高額チケットが飛ぶように売れた」(音楽界関係者)と一部で商魂への批判も飛び出した。だが、中丸はこう話す。
 「3大テナーのみなさんはものすごいキャリアだったが、バブル当時は一般に知られていなかったため、興行主がコンサートを仕掛けた。それはそれでいい。劇場ではマイクを使っていないし、場所が大きいところで、マイクを使うという発想は、それまでなく、後にミュージカル出身のサラ・ブライトマンら癒やし系に道を拓いた」
 それまでにもニューヨークのセントラルパークで無料コンサートを開くなど、パバロッティの発想は常に型破りだった。マイクがあろうとなかろうと、「マリア・カラスのように一声聞いただけでわかる強烈な個性」(中丸)だったのだ。
 昭和音大学長で、日本のテノール歌手の草分けの五十嵐喜芳(78)も、「太陽のような、最もイタリア的な声を生で聞けなくなり寂しい」と嘆く。
 いったん引退を表明したが、06年のトリノ冬季五輪では開会式に登場。プッチーニのオペラの中の「誰も寝てはならぬ」で衰えぬ声量を響かせた。
 五十嵐は言う。
 「低音から高音まで同じ線に沿って歌える特別の声の持ち主。ああ歌うまでには、相当苦労したと思う。私が新国立劇場オペラ部門の芸術監督をやっていたとき、ギャラが高く呼ぶことはできなかったが、一ファンとしてずっと好きだった」
 すい臓がんで、71歳の生涯を閉じた。
チューリッヒ歌劇場
許光俊氏のばら批評
eプラス



ヴェッセリーナ・カサロヴァ がフレーニと共演・・スペードの女王から


故パバロッティ氏に30億円の負債=イタリア紙(時事通信) - goo ニュース

7日 チューリッヒ歌劇場   歌劇「椿姫」/ LA TRAVIATA

2007-09-08 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・

 台風の影響で風が強かったですね・・イタオペの風は、すれ違い風・・私は消化難・・
ヴィオレッタ・ヴァレリー(S)/ エヴァ・メイ
アルフレード・ジェルモン(T)/ ピョートル・ベチャーラ
ジョルジョ・ジェルモン(Br)/ レオ・ヌッチ
 何れもフレーズが長い,タップリ歌わす、間延びの限界点かな?
一つの歌唱が終わると 間 一つの歌唱と 心のもどかしさ,すれ違い、自責・・
 すれ違い・・
ヴィオレッタのアルフレードへの愛・・すれ違い
アルフレードのヴィオレッタへの愛・・すれ違い
パパジェルモンの家、兄姉を守る、権威・・子供への・・すれ違い
 道にはずれた 人々は
ヴィオレッタの死をもって・・愛の風・・別れの風・・後悔の風

G.ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」/ LA TRAVIATA
2007年9月7日(金)19:00開演 / 21:50終演予定  2F7-27 18,000円・妥当な額
会 場 Bunkamuraオーチャードホール
ヴィオレッタ・ヴァレリー(S)/ エヴァ・メイ
アルフレード・ジェルモン(T)/ ピョートル・ベチャーラ
ジョルジョ・ジェルモン(Br)/ レオ・ヌッチ

指揮 フランツ・ウェルザー=メスト
管弦楽 チューリッヒ歌劇場管弦楽団
合唱 チューリッヒ歌劇場合唱団     演出 ユルゲン・フリム
舞台進行 クラウディア・ブラーシュ    装置 エーリッヒ・ヴォンダー
衣装 フローレンス・フォン・ゲルカン   照明 ヤコブ・シュロスタイン
振付 カタリーナ・リュア

エヴァ・メイ
イタリア・ファブリアーノ生まれ。
フィレンツェのルイジ・ケルビーニ音楽院で学び、1989年に同音楽院を卒業。翌年、ウィーンで開催された国際モーツァルト・コンクールでコンスタンツェを歌って、カテリーナ・カヴァリエーリ賞を受賞。また、1990年には同じコンスタンツェでウィーン国立歌劇場デビューを果たしている。

レオ・ヌッチ
イタリア・ボローニャ近郊の生まれ。
ボローニャで開催された声楽コンクールに入賞したのをきっかけに、スポレートでロッシーニのフィガロを歌いデビュー。1977年、フィガロ役でミラノ・スカラ座にデビュー、また1978年にコヴェントガーデンで急遽代役としてミラーを歌ったことがきっかけとなり、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本など、世界各地での活躍の場を広げる。

ピョートル・ベチャーラ ポーランド生まれ。
1996年にチューリッヒ歌劇場にデビューして以来、同劇場で数々のパートを歌っている(タミーノ、ベルモンテ、エルヴィーノ、オロンベッロ、ドゥカ、イエニク、レンスキー、アルフレード)。チューリッヒ歌劇場でパートデビューを果たした「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオ役で、2006年ザルツブルク音楽祭に出演。
他にも、バイエルン州立歌劇場(アルフレード)、ミラノ・スカラ座とメトロポリタン歌

1834年にチューリッヒに初の常設劇場が誕生。
アクツィエン劇場である。ここは、当時チューリッヒに亡命中だったリヒャルト・ワーグナーの活動の場になった。後に、この劇場は火災のために焼失してしまい、1891年になってからベルヴュー宮殿の近くに、現在の建物が完成。
チューリッヒ歌劇場の歴史は、華やかなハイライトに彩られている。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのキャリアはここからスタートし、リヒャルト・ワーグナーの「パルジファル」が、初めてバイロイト以外で上演されたのは、1913年のこと。ブゾーニ、ヒンデミット、R.シュトラウスなど著名な作曲家たちが、チューリッヒの音楽と劇場の発展に大きな影響を与え、ベルク作曲「ルル」、ヒンデミット作曲「画家マティス」、シェーンベルク作曲「モーゼとアロン」など、多くの作品の初演や世界初演が行われた場所でもある。
1975~86年まで総裁を務めたDr.クラウス・ヘルムート・ドレーゼのもとで、

フランツ・ウェルザー=メストが歌劇場の首席指揮者に就任。
フランツ・ウェルザー=メスト
2002年9月から、ウェルザー=メストは、クリーヴランド管弦楽団の首席指揮者を兼任しているが、チューリッヒ歌劇場との結びつきは変わることなく、2005年9月には音楽総監督に就任。 2007年9月に、待望の初来日公演を行う。オーストリア・リンツ生まれ。
1986年にロンドン・フィルを指揮したコンサートで国際的に注目され、ロンドン・フィルの音楽監督に任命される(1990年-1996年)。1995年秋には、チューリッヒ歌劇場の首席指揮者に就任し、その後7年間にわたり、毎シーズン5作品ほどのプレミエを振ってきた。
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スイス映画が
『僕のピアノコンチェルト』スイスの“神童”テオ・ゲオルギュー来日コンサート開催
9月4日12時46分配信 cinemacafe.net
『僕のピアノコンチェルト』、
 第1回ローマ国際映画祭観客賞、AFI2006観客賞、2007年スイス映画賞最優秀作品賞と数々の賞を受賞した、美しいピアノ曲とスイスの大自然を背景に描き出される感動作『僕のピアノコンチェルト』。多くの才能をもって生まれた主人公・ヴィトスを演じたテオ・ゲオルギューがフレディ・ムーラー監督とともに初来日し、8月30日(木)、クラシックの名門・紀尾井ホールにて公開記念コンサートを行った。( この映画のフォトギャラリー )
 何を隠そう、テオ本人も弱冠15歳で、すでにプロとして世界各国で数々のコンサートをこなしている天才ピアニスト。2004年サンマリノ国際ピアノコンクールで優勝、同年ドイツ・ワイマールで行われたフランツ・リストコンクールでも優勝。現在はロンドンの名門音楽学校、パーセル・スクールに在学中の彼は、まさしくスイスの“神童”だ。そんな彼が本作に出演したのは3年前。当時からなんと20センチ以上も身長が伸び、立派な美青年に成長したその彼の変貌ぶりに、客席からは大きな歓声が上がった。
 自己紹介と挨拶を終えると、すぐにテオのピアノソロがスタート。ショパンの「舟歌 嬰ヘ長調」、スカルラッティの「ソナタ ホ短調」、そして難曲と言われるリストの「パガニーニ大練習曲集第3番 ラ・カンパネッラ」を演奏した。観客はまるで魔法使いのように鍵盤を自在に操るテオの指使いと、そのスマートな体からは想像もできないほどのダイナミックな演奏ぶりに圧倒された様子。休憩をはさんで行われた第二部では、東京ニューシティ管弦楽団とともにベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番ハ短調」を堂々と演奏し、場内の熱気は最高潮に。テオの一挙手一投足に注目が集まった。また、初の共演となったオーケストラとの息もばっちりで、耳の肥えた日本のクラシックファンからは盛大なスタンディング・オベーションを受けた。
 鳴り止まない拍手の中、幕を閉じたテオの日本デビューコンサート。足を運べなかった人も、『僕のピアノコンチェルト』サウンドトラックCD(ソニーミュージックエンタテインメントより発売中/2,520円<税込>)を手にとって、ピアノクラシックの世界に浸ってみては? 『僕のピアノコンチェルト』は晩秋、銀座テアトルシネマほか全国にて公開。

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パバロッティ氏が死去
私は横浜1993年で、メト・愛の妙薬ネモリーノで最初で最後の鑑賞でした・・軽い動き軽妙な演技、甘い声域が記憶に・・ファゴットに乗せたアリアが素晴らしく,楽しかった・・ご冥福を祈る
 伊テノール歌手、パバロッティ氏が死去
 【ローマ6日共同】輝かしい美声で世界のオペラファンを魅了したイタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティ氏が6日午前、同国北部モデナの自宅で死去した。71歳。ロイター通信などがマネジャーの話として伝えた。
 ANSA通信によると、自宅で療養中だったパバロッティ氏は病状が悪化し、この数日の間に何度か意識不明に陥っていた。
 1935年、モデナ出身。61年、レッジョネレミリアの声楽コンクールで優勝し、同市立歌劇場で「ボエーム」のロドルフォ役を歌ってデビュー。典型的なベル・カント唱法と、張りのある高音で「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」とたたえられた。
 映画やテレビにも出演。プラシド・ドミンゴさん、ホセ・カレーラスさんとともに世界3大テノールと呼ばれた。各地で開かれた3人によるコンサートはテレビなどで世界各国に中継され、2002年に横浜市で開かれたサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓共催大会を記念したコンサートでも3人で共演した。〔共同〕(14:57)パバロッティさん葬儀、故郷の教会で…10万人が弔 9月9日1時38分配信 読売新聞
 【ローマ=松浦一樹】6日死去したイタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティさん(享年71歳)の葬儀が8日、パバロッティさんの故郷である同国北部モデナの教会で行われた。
 葬儀にはクラシック界ばかりでなく、U2のボノさんらポップス界のスターたちやプローディ伊首相、アナン前国連事務総長ら各界要人も参列し、世界に慕われた名テノール歌手との別れを惜しんだ。
 「イタリア文化を代表する人物」(プローディ首相)の栄誉をたたえて、教会の上空を国軍機が編隊飛行するなど、国葬級の扱いとなった。
 パバロッティさんの遺体が安置されている教会では8日早朝から、市民らが長い列を作り、葬儀が始まるまでに約10万人が弔意を表した。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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 フレーズ(phrase)とは、
文法上の単語の集まり、句。
成句、文句、言い回し。キャッチフレーズ(キャッチコピー)など。
メロディ(旋律)のひと区切り。楽句。下記参照。
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音楽においてフレーズとは、いくつかの音符から成る階層的なまとまりをあらわす単位のひとつである。フレーズは楽譜に明示されないため、どこからどこまでをひとつのフレーズとして演奏するかは演奏者に任されることも多い。ただし、スラーがあるときにはスラーをひとつのフレーズとみなして演奏することがある。
 フレーズの作り方はいろいろなものがあるが、基本は、つぎのようである。
最後の音を弱くする。
最初の音は強めにする。
上行形ではだんだん強くする。
下行形ではだんだん弱くする。
フレーズの最高音がいちばん強くなるようにする。
音量に大きな段差ができることを避ける。
フレーズを設定すること、をフレージングという。

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