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日頃の何氣ない風景 ・音楽鑑賞・株投資、感じた事を

音楽鑑賞の感想雑文と、相場から経済情勢を
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大弁は 訥なるが若し・たいべんは とつなるがごとし

2006-08-21 | 今日の言葉 賢人訓
大弁は 訥なるが若し・たいべんは とつなるがごとし

余計なことを言うよりも自分の思っているこを
しっかり伝えていこう

本当に雄弁な人は むだなことを言わないので 
かえって口べたに見える

調子に乗ってしゃべりすぎると 相手に軽くみられてしまう


琴瑟相和・きんしつあいわす

2006-08-20 | 今日の言葉 賢人訓
琴瑟相和・きんしつあいわす

瑟・しつ・・大型の琴・こと

琴と瑟は合奏すると、よく調和してすばらしい音楽を奏でることから
夫婦の仲がきわめて睦まじいことをいう。

持ちず 持たれず お互いに尊重し・・与えなければ⇔与えられない
昨日もオペラ歌手華二輪を聴き・・
 感動するのも・・二人の共振性と 技量の高さですね

みつを氏の言葉に・・ありましたね
しあわせは いつも 自分のこころが きめる

これを望めば 木鶏に似たり・これをのぞめば もくけいに にたり

2006-08-19 | 今日の言葉 賢人訓
これを望めば 木鶏に似たり・これをのぞめば もくけいに にたり

もう、他の鶏がどんなに鳴いても、まったく動じる気配がありません。
見たところ、まるで木彫りの鶏のようです。
他の鶏はその姿を見ただけで逃げていきます。

王の依頼で、ある鶏を訓練することになった。そして40日後、
まだかと催促する王に対し・・木鶏かな・・・
人も同じ。徳が備わっていれば、動かなくても人々にはわかる

懐、器、奥行き、幅、・・備えたいものだ

有名な・・
「われ未だ木鶏たりえず」
酒の席で、安岡は『荘子』達生篇にある木鶏の話をした。
その座に横綱双葉山がいたが、双葉山を意識してしゃべったわけではない。

昔、王のために闘鶏を養う名人がいた。
ある日、王は名人に尋ねた。
『どうだ、もう闘わせてもいいかな』
ところが名人はこう答えた。
『いや、まだいけません。いまはちょうどから威張りして、
自分の力を当てにしています』

しばらくして、王は名人に催促した。でも彼はうんといいません。
『まだいけません。他の鶏の姿を見たり、鳴き声を聞くと興奮します』
しばらくして、王はまた催促した。名人はまだ許しません。
『まだです。傲然と構えておって、血気が盛んでいけません』
その後、王が重ねて催促したとき、彼はやっと承知した。
『まあ、よいでしょう。もう他の鶏の鳴き声を聞いても平気です。
ちょっと見ると、まるで木で作った鶏としか見えません。
徳が充実したのです。これでどんな鶏がやってきても、天下無敵です』

戦いというものはこうでなければいけない。徳が充実してくれば、
戦わずして勝つ、つまり相手を呑んでしまうことが起こる。

双葉山はこの話にじっと聞き入っていた。横綱双葉山といえば、
連戦連勝の関取で、不世出の横綱といわた。
安岡は相撲は単なる勝ち負けではなく、心を鍛練し、
天にいたる「道」だと考えたのである。

安岡はこの話をしたことを忘れていた。ところが、
昭和14年1月、欧州旅行の途上、安岡が乗った船がインド洋上にあったとき、
無電が鳴った。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
安岡は一目電文を見て、双葉山の連勝が阻まれて土がついたことを知った。
安芸の海に破れ、歴史的記録は惜しくも69連勝で終わった。連勝中、いつも双葉山の心の中にあったのは、もはや勝敗のことではなく、木鶏の話だったのである。

現役から引退した双葉山は、のちに相撲協会理事長に就任した。昭和34年12月、時津風は安岡の自宅を訪ね、「木鶏」の揮毫をお願いした。これを契機に集まりが持たれるようになった。安岡はこの会の名を「木鶏会」とした。
(安岡正篤の世界  神渡良平著 同文舘より)
双葉山・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E8%91%89%E5%B1%B1%E5%AE%9A%E6%AC%A1

これを望めば木鶏に似たり

2006-08-19 | 今日の言葉 賢人訓
これを望めば 木鶏に似たり・これをのぞめば もくけいに にたり

もう、他の鶏がどんなに鳴いても、まったく動じる気配がありません。
見たところ、まるで木彫りの鶏のようです。
他の鶏はその姿を見ただけで逃げていきます。

王の依頼で、ある鶏を訓練することになった。そして40日後、
まだかと催促する王に対し・・木鶏かな・・・
人も同じ。徳が備わっていれば、動かなくても人々にはわかる

懐、器、奥行き、幅、・・備えたいものだ

有名な・・
「われ未だ木鶏たりえず」
酒の席で、安岡は『荘子』達生篇にある木鶏の話をした。
その座に横綱双葉山がいたが、双葉山を意識してしゃべったわけではない。

昔、王のために闘鶏を養う名人がいた。
ある日、王は名人に尋ねた。
『どうだ、もう闘わせてもいいかな』
ところが名人はこう答えた。
『いや、まだいけません。いまはちょうどから威張りして、
自分の力を当てにしています』

しばらくして、王は名人に催促した。でも彼はうんといいません。
『まだいけません。他の鶏の姿を見たり、鳴き声を聞くと興奮します』
しばらくして、王はまた催促した。名人はまだ許しません。
『まだです。傲然と構えておって、血気が盛んでいけません』
その後、王が重ねて催促したとき、彼はやっと承知した。
『まあ、よいでしょう。もう他の鶏の鳴き声を聞いても平気です。
ちょっと見ると、まるで木で作った鶏としか見えません。
徳が充実したのです。これでどんな鶏がやってきても、天下無敵です』

戦いというものはこうでなければいけない。徳が充実してくれば、
戦わずして勝つ、つまり相手を呑んでしまうことが起こる。

双葉山はこの話にじっと聞き入っていた。横綱双葉山といえば、
連戦連勝の関取で、不世出の横綱といわた。
安岡は相撲は単なる勝ち負けではなく、心を鍛練し、
天にいたる「道」だと考えたのである。

安岡はこの話をしたことを忘れていた。ところが、
昭和14年1月、欧州旅行の途上、安岡が乗った船がインド洋上にあったとき、
無電が鳴った。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
安岡は一目電文を見て、双葉山の連勝が阻まれて土がついたことを知った。
安芸の海に破れ、歴史的記録は惜しくも69連勝で終わった。連勝中、いつも双葉山の心の中にあったのは、もはや勝敗のことではなく、木鶏の話だったのである。

現役から引退した双葉山は、のちに相撲協会理事長に就任した。昭和34年12月、時津風は安岡の自宅を訪ね、「木鶏」の揮毫をお願いした。これを契機に集まりが持たれるようになった。安岡はこの会の名を「木鶏会」とした。
(安岡正篤の世界  神渡良平著 同文舘より)
双葉山・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E8%91%89%E5%B1%B1%E5%AE%9A%E6%AC%A1


千里の行も ・・

2006-08-18 | 今日の言葉 賢人訓
千里の行も 足下より始まる・せんりのこうも そっかよりはじまる

手近かなところから始まり、着実に努力を重ねていくことによって達成される

長い道のりも まず足元の第一歩から始まる

いちずに一ツ事 いちずに一本道・・みつをさんの言葉にありましたね。
継続は 力なり