懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の古い町並み写真展 その55 「風俗 挨拶」 倉敷市阿知

2012年08月21日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その55 「風俗 挨拶」 倉敷市阿知

街角で通行人を撮影していたら着物姿の婦人が挨拶をしているのを撮影した。
標準レンズなので被写体が遠い、今のようなズームレンズがあれば楽に撮れたのにと思う。
こんなのを撮った記憶さえなかった。
昔の婦人はこんなに丁寧に挨拶をしていたのだと思った。
改めて写真の持つ記録性に気付かされた。

人々の所作や行動、立ち振る舞いや出で立ちも年とともに変化する。
昔の婦人は信号待ちする時は自転車から降りて立って待った。今の若い女性や高校生はスカートでも自転車にまたがったままである。
道路のどこでもすぐに座りこむ若い女性をジべタリアンと名付けた民俗学者がいた。
民俗学は人が生活する間、不滅のものだ民俗学は過去の事を研究するものではないという人もいる。

民俗学者の今和次郎氏は街角を行く人々の服装や出で立ち所作を細かくスケッチしている。
人間観察をして記録している。
宮本常一氏は全国をくまなく歩き庶民の暮らしを写真に残している。著書で見る事もできるがデーターベース化しているのでネットで誰でも閲覧できるのが有難い。

井笠鉄道 籤場駅

2012年08月20日 | 鉄道
井笠鉄道は笠岡と井原を結ぶ軽便鉄道として明治44年に開業した。
ナローゲージと呼ばれる762mmの軌道の軽便鉄道である。
一時は矢掛や広島県まで路線は伸びたがモータリゼーションの波には勝てず昭和46年3月31日にすべて廃線となる。

籤場(くじば)駅は笠岡の次ぎの駅で笠岡市住宅地にあった。
廃線後は訪れる事もなかった。訪れたいとも思わない、行ったところでがっかりするだけである。過去の記憶のままがよい。

籤場駅の片隅の倉庫にかって走っていたコッベルの蒸気機関車が何台が収納されていた。
年季の入った木の機関庫にコッベル裸電球に郷愁を覚えて撮影した。
大正、昭和の風景である。

戦後すぐの昭和に生まれ昭和に育ち昭和に家庭を持ち子育てをやったのも昭和であった。
まだ昭和の風景が残っていた昭和40年代、その時代に生きるチャンスを与えてもらいながら昭和を記録する事を思いつかなかったのは残念だ。

物事をやるには何より構想と目標と行動力と挫折しない方策が必要である。
(若い頃は考えに深みがなくすぐに挫折する。この歳になり自分の生き方に反省がいつもよぎる)
あの時にこうすれば良かったの反省を込めて
1.「残すべきき昭和の風景とは何か」、いろいろな角度からリストアップする。
思いつきでは内容がなく続かない。写真を撮影する前に構想を練り情報を整理する事が必要である。すくなくとも残すべき昭和の風景をジャンル別に300項目以上はストアップする。
2.目標を達成するために挫折しない方策を考えておく
 その年にやるべき目標、今月やる目標を細かくチェックする。
3.この記録は後々きっと役に立つと常に自分にいいきかせる。
4.やっている事を見せアドバイスをもらう辛辣な評価をしてもらう


茅葺民家 佐賀県北方町の民家

2012年08月19日 | 茅葺き民家
撮影場所 佐賀県北方町(現在は武雄市)

佐賀県には茅葺き民家が沢山残っていた。
しかし、急激にその数を減らしている。

佐賀県はクド造りが一般的だが漏斗造りやカギ造りがある。
しかし、写真のような寄棟造りもある。

佐賀県の民家は外壁が板壁だったり日本瓦で昔の形がよく残っている。
撮影しても懐かしい昭和の風景が残っている。
民家の周囲の風景も木々があり田舎らしい風景が残されている。







昭和の古い町並み写真展 その54 「風俗 縁台将棋」 倉敷市児島下津井

2012年08月18日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その54 「風俗 縁台将棋」 倉敷市児島下津井

夕方酒屋の前で縁台将棋をしていた。
子供の頃に見掛けた風景である。
夕涼みを兼ね一杯飲みながら将棋に興じる。民家も本瓦葺きだったので撮影したと思う。

今も好きな人はクーラーの利いた碁会所などで集まって囲碁将棋を楽しんでいる。
まだクーラーも少なく人々が寄り集まり団欒をする習慣もあった。
道路脇で縁台を並べるのも車社会になり落ち着いてやってられない。

現在の中高年は何をしているのだろうか
ジョギング、散歩、カラオケ、ゲートボールやグランドゴルフ。家庭ゲームやパソコンであろうか
中高年の楽しみが映像として残っていないように思う。
若い女性や女高校生ならばカメラを向けるが中高年のオッサンでは絵にもならない。
カメラが腐るといったところか
中高年のおじさんおばさんが輝いている光景もあるはず、どんな場面で輝いて見えるのか観察してみよう。

蒸気機関車 伯備線カーブ

2012年08月17日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県 伯備線豪渓の大カープ

豪渓駅を出た上り線は大きなカーブにでる。駅をでて少しの登りとなるため煙もはいてくれる、電柱もなかった。しかし、複線化して間が無かったので砂利が新しく落ち着きが無かった。
単線の時はカープも小さかったが複線になにり上り線はカーブも大きく内側から撮れるので撮影には好都合だった。
近かった事あり撮影にはよくいつたがマイナーな場所だったので撮影している人に出合う事はなかった。しかし、毎回D51ばかりの撮影ではマンネリ化して飽きてくる。撮影も感動がなくなると楽しくない。
マンネリ防止のためもっと撮影に工夫があっても良かった。


後ろに茅葺き民家が見える。

茅葺き民家 玄関口

2012年08月16日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県雲南市

ある昔ながらの玄関口の茅葺き民家
木の戸に障子張りである。
治安に不安のある民家である。
中国人など日本に来れば泥棒に入り放題だという。
ガラスを割れば容易に侵入できる。
中国の都市部の民家を見れば窓に鉄格子がある。自動販売機を置けばすぐに壊して現金や商品を盗む。
尖閣列島や竹島についても大陸の隣国は隙があれば占領する。
民家の造りにしても日本は村に住む人に物を盗る人はいないが前提につくられている。
東日本大震災での日本人の美徳もグローバル化した世界では小馬鹿にされるだけ。
この美徳は残したいが外交でははっきり物をいう。

玄関で番犬のためにつながれているが私が行っても吠えもせずちらと見てまた寝てしまった。日本の海上保安庁をみているようだ。

戦後67年経過した今も補償を要求する韓国、慰安婦の問題も保障したのに韓国国内で別の用途に使われ本人に補償金が行っていない。やくざのようにいつまでも金をせびる政治家、今までいくら補償してきたかはっきり言ってやれ

儒教の国でありながら礼節をわきまえず平気で整形手術を国民なと信用できない。
韓流ドラマなど下らないものは一切テレビに流さないでほしい。また日本の女性も見ないでほしい。






昭和の古い町並み写真展 その53 「風俗 ねんねこ半纏」 倉敷市阿知

2012年08月15日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その53 「風俗 ねんねこ半纏」 倉敷市阿知

倉敷の古い町並みのナマコ壁のところで行き交う人を一時間ほど待ち撮影した。
冬場の寒い一日だったが被写体になりそうな人をまった。
撮影した人の中には結構、着物姿の人がいた。
冬場だったから着物姿の人がとれたのだ。
夏場に暑苦しい着物を着る人はいない。
ねんねこ半纏、この当時は子供は背負うものであった。
しかも子守りはお祖母さんの仕事むだったのが判る。
核家族の現在はどうであろうか、
今は前抱きで背負う人はほとんどいない。いつの時代から変わったのであろうか
それでも東日本大震災でほしい支援物資がテレビで放映された。その中に背負い紐も数多くあった。
前抱きでは家事が出来ない、調理もやりにくいし火や油を使うので危険だ。
背負い紐自体持っていなかったのか流されたのかと想像した。


撮影しながらこんなの撮影して何になるのかと思って撮影した。
これは今も撮影している茅葺き民家についてもいえる。
何のためにどんな役に立つのだろうか時間と金の無駄ではないかとといつも反芻しながら撮る。
しかし、それをやらなくてもテレビを見ながら時間を潰すのが関の山である。
自分の生きた証のために撮影すると思えば気が楽である。
ただ撮影するだけでは何の役にもたたぬゴミである。
ひとつの作品に仕上げるまで撮影者がやっておかないとゴミになりかねない。


蒸気機関車  9600形門デフ

2012年08月14日 | 蒸気機関車
撮影場所  福岡県田川市 後藤寺機関区

写真をスキャンしていると9600形蒸気機関車を正面から撮影した写真がでてきた。
この高さから撮るにはどこから撮ったのだろうか、撮った事さえ忘れている。
背景には蒸気機関車が何台も並んでいる。
機関車の通るところに撮影できる高台はない、多分前にもう一台機関車がいてテンダー(石炭や水を積載する貨車)によじ登り撮影したと思われる。

後藤寺機関区には沢山蒸気機関車がいた。
機関車一台一台撮影しておけばよかったのだか全体を撮り終わりであった。
後藤寺は伊田とともに田川炭鉱の中心地だった。

今年春に世界記憶遺産に日本で初めて登録された炭鉱画の山本作兵衛展を見にに40年ぶりに田川市を訪れた。ボタ山も消え炭鉱と蒸気機関車の煤で薄汚れていた街は姿を消していた。


茅葺民家 どっこいしょ

2012年08月13日 | 昭和の古い町並み写真展
撮影場所  島根県安来市

野良仕事で休憩している奥さんを茅葺民家をバックに撮影させてもらう。
最近は肖像権違反で個人の写真を嫌う。コンテストでは個人の写真は難しいらしい。
茅葺民家も著作権があり勝手に撮影してコンテストなどに出せないそうだ。
私などそんな違反行為を長年続けてきたことになる。
そんな堅苦しい事を言っていたら何も撮れない。

肖像権に抵触しない花や自然やイベントを撮る人が多い。
イベントの人はいいのだろうか、演技で撮ってほしい人間ばかりだからいいのであろうか

私は日常の何気ない風景にこそ人間の生活はあると思っている。
皆が撮っているものは自分が撮っても仕方ないと思っている。
他人に惑わされる事なく頑固一徹、自分のスタイルを貫くしかない。
それが生きるということでもある。




昭和の古い町並み写真展 その52 「風俗 主婦」 倉敷市天城

2012年08月11日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その52 「風俗 主婦」 倉敷市天城

倉敷市天城には江戸時代に陣屋があり古い町並みが残っている。
そんな町並みの中で建物にふさわしい人がくるのをじっとまった。
30分以上は待った。着物にエプロン、ゲタ履きで買い物篭を持った主婦がやってきた。
こんな篭はどこの家庭でもあった。まだ日常で寒い時期になると着物を着る人が結構いた時代である。
これを変えたのは車社会である。着物を着ては車に乗れない。
ましてゲタや草履は運転禁止、スーパーに行けばレジ袋をくれるようになり篭の必要もなくなった。
街ゆく人を定点撮影しておけば時代がどう変化していったか分かるがそんな考えは全くなかったと反省する。

写真を撮るには何をどのように撮っていくかの企画力と目標がないと軽薄なものになる。
写真の撮影技術は教わったり勉強したりするが小説やオペラのような物語のある作品に仕上げる人はすくない。写真も単発で終わるのではなく自分の生涯の作品として小説のような物語を作ってみたいものだ。