撮影場所 福岡県 筑豊線中間
私が撮影していた頃は筑豊線が一番蒸気機関車の通過量が多かったのではなかったか
しかし、平坦地を走るので煙は余りでずスピードは速い路線だった。
C55型蒸気機関車の牽引する客車が走る。門鉄デフだ。みんな暑いので窓を開けている。煙が入り室内は臭い。それでも文句を言う人はいなかった。
山手線に冷房が初めて入ったのが昭和47年から便利に快適な時代になり我慢できない人が増えてすぐにキレルようになった。
昭和30年代だと石炭の出荷もありさぞかし活気があったと思う。
私は九州に住んだ時期があったので撮影に来ようと思えば来れた。
実行力が無かったのだ。若い頃はまず行動を起こし挫折せず続ける事である。
人間チャンスは何度も来ない。ハット閃いた時はチャンスである。
閃く事と挫折せず継続する事が何歳になっても必要だ。
作詞家の阿久悠氏の記録帳が公開された。仕事とは言え閃いた事を手帳に記録する。
素人の人でもメモ魔の人はいる。人生も閃きと記録と継続が必要であった。
テレビや本で他人が作ったものは身に付かない 「なるほど納得何にもせず」で終わる。
自分で閃き体験実行する事であると思う。
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