佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

諫早湾の生態系破壊~滅びゆく塩生植物~

2011-12-19 | 有明海・諫早干拓

高校教師の yamamokawamoumimo さんから、諫早湾の生態系がいかに破壊されているのかということについて調査された映像のURLをお知らせ頂きましたので、ご紹介します。

 

諫早湾の生態系破壊~滅びゆく塩生植物(前編)~

 

諫早湾の生態系破壊~滅びゆく塩生植物(後編)~

 

百聞は一見に如かず。

自然界の今のありのままの姿がわかりますね。

何も知らない私にも、その滅びゆく過程が。

 

私は「塩生植物」という言葉すら知りませんでした。

でも、「シチメンソウ」や「ハママツナ」は知ってました。

前者は写真で。いろんな本や新聞に掲載されていましたから。

また、諫早の方は皆さん、かつてのその紅葉の見事さを自慢げに語って下さいましたから。

後者は、歌で知りました。

 

合唱組曲「干潟の海の詩」の中の一曲

 

「ハママツナの歌」

 

秋の終りの たなびく雲は

青紫の 暮れなずみ

潮の行きつく 干潟の果てに

風に揺られて 一面の ハママツナ

赤々と 鮮やかに 海に照り映え

 

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居場所を探して

2011-12-16 | 雑感

累犯障害者たちにスポットを当てた長崎新聞シリーズ企画「居場所を探して」。

第3部となる今回は、「ある聾唖者の裁判」を取り上げ、その聾唖者の姿を通して現状を見つめるという。

 

 

「社会より安心できる」・・・そこが刑務所だと言う。

パンもくれるし、病院にも連れて行ってくれる。

刑務所は社会よりも安心して暮らせる場所だったという橋本さん(仮名)。

 

受刑者の誰もが一日も早く出所したいと願う刑務所に、「悪い思い出はない」という橋本さん。

言いかえれば、それほど社会=シャバは居心地の悪い、イヤな思い出だらけの場所だったのだろう。

シャバの住人としては、とても哀しい気分になる。

 

罪を憎んで人を憎まずの精神だろうか?現在の受刑者処遇法では、受刑者の人権を尊重し、

教育や医療、運動など、その生活環境が守られている。

そのような厚遇が良くないという人もいる。

税金を使って犯罪者を養っている、もっと厳しくしなければ…と。

そういう考えが、シャバを寒々しい居心地の悪いものにし、累犯を助長していると思うのだが…

 

「善意の無関心」という言葉がある。

時としてこういうことも必要だが、

単なる無関心は、弱者の心を傷つけ、弱らせ、追い詰めるケースも多いのではないだろうか。

 

つい先日、メール便を出しに、いつものように駅構内のクロネコヤマトへ向かった。

メール便を出し終え、次の目的地へ急いでいたが、

自動券売機の近くを通り過ぎようとして、券売機の前に立っている男性のことが気になった。

その男性はさっきも同じ場所に立って、キョロキョロしていたから。

近づいてみると何やらブツブツ呟いてる。

どうしたんですか?と尋ねると、「きっぷ、出ない」という。

画面を見ると、2070円の切符を求めて、1000円入金、あと1070円不足と表示されていた。

「どこまで行くんですか?」と訊いても返事が返ってこないので、

「この切符を買いたいんですか?」と2070円の表示を指さすと、うんうんと頷く。

「あと1070円入れなきゃ切符は出てこないですよ」と言うと、

男性は財布を開いて、この中から取ってくれとでも言うように私に差し出した。

が、小銭があるだけで、お札は1枚もなかった。

困ったなぁ・・

「あのー、これ全部入れても2070円の切符は出てきませんよ」と言うと、

「ちがう、ちがう」と首を振る。

え?何が違うんだろう…と不審に思い、もう一度画面を指差し、

「この切符を買いたいんでしょう?」と確認すると、大きく頷く。

「でも、2070円入れなきゃ出てこないので、いったん取り消した方がいいと思いますよ」と言うと、

また、違うと首を振る。

もしや・・「にせんななじゅう円の切符じゃないんですか?」と訊くと、

「にひゃくななじゅう円」と小さく呟く。

やっと合点がいって、「270」のところの画面をクリックすると、切符とおつりがジャラジャラ出てきた。

「はい、にひゃくななじゅうえんの切符」と言いながら切符を渡すと、

「ありがとう、ありがとう」と何度もお辞儀する。

「いいえ、それより早くお釣りを取った方がいいですよ。忘れないように」

ああ、と笑顔のままお釣りを取り出す手元が震えていた。

 

60代~70代に見える男性の本当の歳はわからない。

脳卒中などの後遺症で上肢に麻痺が残って、画面を押す手元が狂ったのかもしれない。

言葉がスムーズでなかったから、初め外国人かとも思ったが、やはり病気の後遺症かもしれない。

しかし、「2070」を「270」と思い込んでいたフシがあるので、知的障害のある人かもしれない。

本当のところは、私には何も分からない。

 

ただわかるのは、自動券売機のシステムが、その男性にとっては利用困難な機械であったということ。

昔のように窓口で駅員が対応する販売方法であったなら、男性はこんなに困らずに済んだ。

隣の券売機を利用していた人が声をかけていたら、こんなに長い時間、途方に暮れることもなかった。

世の中はどんどん合理化され、機械化され、多くの人が便利になったと感じているが、

その流れに適応できない人たちのことは、置き去りにしている。

見て見ぬふり。

そんな社会より刑務所は、累犯障害者にとって、よほど人間らしい温もりのあるところなのだろう。 

 

 

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ウルトラマンの願い

2011-12-15 | 雑感

12月10日に亡くなった市川森一氏のことを、私はほとんど知らなかった。

長崎の新聞やテレビは、かなり大きく何度も報道していた。

 

以前、長崎出身の芸能人は故郷への思いが強く貢献していると何かに書かれていたが、

それに応えるように、長崎県民も、他県民以上に地元出身の有名人を敬愛し、

バックアップしているのではないだろうか。

だから、市川氏も、そのような意味で大きく扱われているのかも・・

と思っていたが、それは私の無知が為せる誤解だったようだ。

 

私は脚本などほとんど読まないので知らなかったけれど、

「黄金の日々」「山河燃ゆ」「花の乱」などを書いたシナリオライターの大家とも言える人で、

「怪獣ブースカ」や「ウルトラマン」など子どもにも愛されたライターだったらしい。

 

学生時代からTBSのADをしていた忙しい日々。

深夜に書いたシナリオは段ボール箱数十箱にもなり、

それでも、日曜日の礼拝は欠かさなかったという。

 

ライターとして大成功を収めても、少しも偉ぶらず、庶民派を貫き通した。

と、彼をよく知る森泰一郎氏(長崎ウエスレヤン大学学長)は、長崎新聞に寄稿した。

母校鎮西学院の短大で客員教授を無給で引き受け、「夢学」を講じ、

教室はいつも学生であふれていたそうだ。

 

その市川さんが書いたウルトラマンシリーズの最終執筆。

ウルトラマンエースは地球を去る時、少年たちにこう言い残していった。

 

優しさを失わないでくれ。

弱い者をいたわり、互いに助け合い、

どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。

たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと…

それが、私の最後の願いだ。

 

 

 

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「あさこはうす」への手紙

2011-12-14 | さよなら原発

友人が知人からのメールを貼付して、お願いのメールを送ってきました。

「あさこはうす」にお手紙を出してほしいというもの・・

 

記憶力減退著しい私は、すぐに思い出せず、「あさこはうす」って何だったっけ・・

 

いま「あさこはうす」に通ずる道路を東北電力電源開発は、閉鎖しようとしていて、毎日、交通量をチェックしているそうです。だからこの道が、車のよくとおる公道であることを示したいそうです。 

そこで郵便局の車が毎日通れば、道路が閉鎖されないだろうと考えて、「あさこ はうす」宛てに、激励のはがきを送ってほしいとのことです。カンパの意味で、はがきを買ってきたのですが、もうなくなってしまいました。普通のはがきでもいいから、どうか「あさこはうす」宛てに、げきれいのはがきを出してあげてください。

 

ああ、そうか!

あの、大間原発に反対し続けた「あさ子さん」が、原発敷地内に建てたログハウスだ!

でも、あさ子さんはもう亡くなって、たしか娘さんがその遺志を継いで「あさこはうす」を守ってるはず…

 

検索したら、あさこはうすの情報はたくさんありました。こちらも、その一つ。

http://actio.gr.jp/2008/12/09094527.html

 

娘さん、小笠原厚子さんの言葉の一部を紹介させてもらいます。

 

「母は先祖代々続くまぐろ漁師の家に育ち、この海の素晴らしさと大切さを誰よりも良く知っていました。土と海から命をもらって育った母は、本能的に原発に危機感を持っていたのです。だから周りの人たちがみんな買収され、たった一人になっても原発に反対し続けたのです」

 「本当に辛くて寂しい思いもしたでしょう。執拗な買収工作や様々な嫌がらせを受け、最後は村八分にされました。でも、命を何よりも大切にする女だからこそ、母は最後まで頑張れたと思います」。

 

つい最近の記者会見の記事はこちら。

http://sasanoel.exblog.jp/15005013/

3・11以後、大間原発の建設工事はストップしているそうです。

そして、それまで口もきいてくれなかった地域の人たちが、

「がんばれよ」と声をかけてくれるようになったとか・・・

 

今や反原発のシンボルのような「あさこはうす」に、訪れる人も増えているというのに、

「あさこはうす」に通じる道路が閉鎖されようとしているなんて・・・!

 

よかったら、皆さんも葉書を送ってみませんか?

郵便屋さんが毎日その道を通るように。

メッセージも添えて・・・

 

宛先   〒039-4601 

      青森県下北郡大間町字小奥戸 396 

      「あさこ はうす」

 

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一松懸命

2011-12-13 | 雑感

今年の創作四字熟語が、9日の新聞に出ていた。

 

理路整然をもじって帰路騒然~地震や台風による帰宅困難者の様子

電光石火をもじって電考節夏~電気について考え、節電した夏

年々歳々をもじって年々宰宰~毎年変わる首相

 

なるほど、うまいなぁ・・と読んでいたら、選者の俵万智さんのコメントがあった。

   「電考節夏は標語にしたいほどの出来栄え。

    解説の要らない愛円義援一松懸命には多くの人が頷くのでは」

 

は?一松懸命?

私、知らない…多くの人が頷くってことはほとんど誰でも知っている…?

アチャャ・・・

四字の漢字から考えて、大体意味は推測できるけど、でも、どこの松なんだろう?

あとでネットで調べてみよう~と思って…いつもののように忘れてしまってた。

 

ところが今日、私は何度もその一本松のことをTVニュースで知らされた。

それは、岩手県は陸前高田市の松のことだった。

あの大津波に耐え、70000本もの松林の中でたった1本生き残った松。

まさに奇跡の一本松だった。

すべてが奪い去られた浜で、一人気丈に立ち続ける姿がどれほど人間を励まし続けたか…

人々のがっくり肩を落とした表情を見て、何も知らなかった私でさえ哀しくなった。

 

陸前高田市長の戸羽さんは、「残念で忍びない」「9カ月間みんなの支えになってくれた」と感謝した。

写真詩集「希望の木」を発表した作家の新井満さんは、「何としても生き抜いてほしかった」と言葉を詰まらせた。

「高田松原を守る会」の鈴木善久会長は、「泣いても泣ききれない。白砂青松の高田松原を、また復活させたい」と誓った。

 

でも、「奇跡の一本松」は枯死しても、その命を継ぐ「ツギキ4兄弟」は順調に育っているという。

一本松の枝から接ぎ木した4本は、「ノビル」「タエル」「イノチ」「ツナグ」というりっぱな名前を持っている。

その名付け親は、漫画家のやなせたかしさん。
http://www.asahi.com/national/update/0628/TKY201106280283.html

一本松を「ひょろ松さん」と名付け、「陸前高田の松の木」という歌を作詞作曲。CDに収録した。

   陸前高田の松の木は 

   みんないのちの友だちだ

   ぼくらは生きる 負けずに生きる 

   生きていくんだ オーオーオー

 

こんなに皆の心を虜にし、生きる勇気を与え続けた一本松に、私もありがとう。。

12月10日、「皆既月食と一本松」 写真家の村山嘉昭さんが撮られました。

こちらも村山さんの作品。満月に照らされる一本松。月食前に撮影。

http://twitpic.com/photos/_murayama

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原爆病院院長の講義

2011-12-12 | さよなら原発

以前、環境リスクアドバイザーとして福島入りした長崎大学の山下俊一教授が、

子どもを避難させるどころか、安心を説いてまわってバッシングの嵐が吹き荒れましたね。

しかし、つい最近の長崎原爆病院長の発言にも驚きました。

被爆地長崎の医学界はどうなっているのでしょう?

素人なので意味がよく理解できてないのかもしれませんが…不思議で仕方がありません。

 

被爆者の援護活動の普及などを目的とした日本被団協被害者中央相談所主催の講習会が、8日~9日、福岡で開かれ、

朝長万左男・長崎原爆病院長が、「フクシマと原爆の放射線被爆の人体影響を考える」というテーマで講義をし、

原爆被爆者のデータから、癌や白血病など確定的に影響が出たのは、瞬時に100ミリシーベルト以上の放射線を浴びた人」なので「福島の人は過剰な心配はせず、今後がん検診を受け安心を確保してほしい」と話したそうです。

 

なんと楽観的!!!

朝長氏は低線量被爆については何も心配してないのでしょうか?

内部被爆はどう考えているのでしょうか?

そういうのは過剰な心配で、何も考えず安心して福島で暮らしなさいということなのでしょうか?

これが原爆病院院長の言葉???

 

国や県は、除染をして、避難区域の人たちが戻れるようにすると言っていますが、

それについて、多くの専門家が疑問を呈しています。

 

ニューヨーク・タイムズ(電子版)は6日、この除染問題を取り上げ、

「最大の浪費事業になるかもしれない」との悲観論もあることを指摘しました。

除染は「巨大な規模」となり、「数千の建物を洗浄し、コネティカット州並みの広さの地域で多くの表土を交換して初めて住民は戻れる」という専門家の説を紹介。

児玉龍彦東大教授、「除染自体は支持するものの、避難している人は除染が生きているうちには終わらないということを受け入れなければならない」と言っているそうです。


また、フランス・ルモンド誌のインタビューを受けて、小出助教授はこう語っています。

「除染が『原子力村』の新しい収入源となり、「復興」は建設会社にとっての思いがけない贈り物となりました。本当に除染をやるというなら、福島県内の全ての地区でやらなければなりません。でも、放射能に汚染された土をどこに持って行くと言うのでしょうか。」

 

原爆病院長と二人の放射能の専門家、どうしてこれほど認識が違うのか。

どちらが正しいとか考える前に、この違いの大きさに驚いてしまいます。 

 

 

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心揺さぶるドキドキ授業

2011-12-10 | 雑感

ダイスキが 心の中におさまらない もうすぐ割れる 私の風船

おはようと 初めて君に言えた朝 思わずぼくは 駆け足になる

 

ドキッとして、微笑ましくて、遠い昔の自分を思い起こしませんか?

どちらも中学3年生の歌です。

12月4日長崎新聞教育欄の記事 「心揺さぶる ドキドキ授業」に掲載されていました。

 

島根県の松江市立八雲中学校教諭の桔梗亜紀さんは、国語の授業に短歌の創作を取り入れています。

特に相聞歌は生徒たちに大人気!

 

本当は あなたのことが好きなのに 思わず言った あなたじゃないと

 

わかるな~

男女数人集まって、誰が誰を好きだとか、ワイワイガヤガヤ噂話に花を咲かせ・・・

友人から意中の人を言い当てられ、とっさに「違う、違う」と否定して、

そこに居た本人も「あ~よかった~」なんて笑いながら、心の中で泣いてたりして・・・

そんなシーンが目に浮かびそうです。

 

こんな作品を匿名で公表すると、どっと返歌が集まるそうです。

 

今はまだ 素直な気持ち言えんけど いつか言おうよ がんばれ あなた

 

いいなぁ・・優しいなぁ・・

友の胸の内を察して、そっとエールを送る。

それは、自分へのエールかもしれない。

 

思春期で、反抗期で、一番扱いにくいと言われる少年少女たちが、こんなに素直になれるツール。

万葉の昔から歌で思いを伝え合ってきた日本民族のDNAのなせる技?

 

「国語の授業でこんなにドキドキしたことはなかった」という生徒。

桔梗先生は、

「作品のうまい下手を飛び越えて、言葉が心を揺さぶっている」

「揺れ動く心は、メール時代の今も昔と変わらない」

「揺れる自分を見つめて自分の心をいとおしんでほしい」そして同じように、

「周りの友人にも同じいとおしみの視線を向けてほしい」と言います。

 

情報が溢れる現代社会で、

少年少女たちが一番知りたい情報は周りの人の心かもしれませんね。

好きな人の心。

仲間の心。

クラスメートの心。

そして、自分の心をほんとは一番わかってほしい… 

 

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城南信用金庫の提言

2011-12-09 | さよなら原発

もう一週間ほど前の記事ですが、友人が送ってくれました。

 

実際の呼びかけ文書は次のようなものです。

 

                                                  平成23年12月2日
 

     「原発に頼らない安心できる社会」実現のため

                原発を使わない電力会社への契約切換を実施 


                                                     城南信用金庫

 当金庫は、「原発に頼らない安心できる社会」の実現に向けて、自ら省電力、省エネルギーに取組

むとともに、金融を通じて、地域の皆様の省電力や省エネルギーのための設備投資を積極的に支援、

推進してきました。

 今般、その一環として、当金庫の本店および各営業店で使用している電力について、原子力発電を

推進する「東京電力」との契約を解除し、原発に頼らず、自然エネルギーや民間の余剰電力を購入し

販売している「エネット」(NTTファシリティーズ、東京ガス、大阪ガスの子会社であるPPS)との契約に、

全面的に切換えました。
 

 仮に、当金庫と同じように、各企業などがPPSへの切換えを推進し、我が国全体のPPSによる電力

供給が増えれば、

 1.東京電力などが主張している今後の電力不足が解消される

 2.原発を使わない電力の供給が増え、原発維持の必要性が無くなる

ため、「原発に頼らない安心できる社会」が確実に実現できます。

 当金庫では、今後、こうした動きを各方面に訴え、賛同者を広げることにより、「国民経済の健全な発

展」と「原発に頼らない安心できる社会の早期実現」を両立させるため、全力で取組んでまいります。

                                                              以 上

(参考)既に、多くの官公庁や民間金融機関にも、PPSの電力が供給されています。

中小企業、工場、ビル、マンション、学校等、多くの設備が対象となります。

政府も、企業による自家発電設備の利用や、新規参入電力会社による卸売り販売を推進しています。

 

 

すごいですね~

その気になれば、東京電力に頼らなくたっていいんですね。

そう言えば・・最近のニュースで、経産省も東電の電気は使っていないって聞いて、

おや?と思っていましたが、そのまま通り過ぎていました。

調べてみると、このような記事に出会いました。

たんぽぽ舎会員の方からの情報です。
http://mifumiko.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

 

★1.50kw(500A)以上使う会社・店・ビルはさっさと脱東電しよう!
   経産省も文科省も東電の電気ではありません
        
○ 電気は東電管内なら東電から買わなければならないと思っている人も
多いでしょうが、ある程度の大口事業者なら東電にこだわる必要ありません。
電力の一部自由化により東電以外の電力会社から買うという選択肢が
用意されています。東電以外に切り替えられる条件は2つだけ。
1) 50kW(500A)以上の電力契約をしている
2) 高圧受電設備(キュービクル)を持っている
 一般家庭では500Aも電気を使わないでしょうが、ちょっと大きめの店や
オフィスなら該当するでしょう。
 キュービクルとは小型の変電所のようなもので、6600Vの高電圧で受電し
一般に使う100Vや200Vに変電する装置。ある程度の規模のビルなら既に
使っているはずです。もし、新規に設置するとなると200万円ぐらいはかかる
ようではありますが。
 これら条件にあてはまれば、契約を変えるだけで東電の電気を使うより
間違いなく安くなります。しかもリスクが多く汚れた原発の電気はゼロ。
東電の電気ではないから原発由来の節電要請を相手にする必要も
全くありません。
○ 東電などの九電力以外で電気を売ってる事業者は特定規模電気
事業者(PPS)と呼ばれていて、主な会社は以下にのっていますので、
問い合わせてみるといいでしょう。

☆特定規模電気事業者の連絡先一覧
http://www.enecho.meti.go.jp/denkihp/genjo/pps/pps_list.html

 

確かにここに城南信金さんが契約した「エネット」も出ていました。

特定規模電気事業者の中でもトップの企業のようです。

エネルギー+ネットワーク=エネットという意味だとか。。

2000年設立、2001年営業開始ですから、もう10年も前からあったんですね~

全然知りませんでした。

東京ガスや大阪ガスの環境に優しい天然ガス発電所をはじめ、全国の事業者から電力を調達し、

茨城県、京都府の自社発電所の電力をベストミックスすることで、環境に優しく安定した電力を供給しているんだそうです。

安全でクリーンな電気を、しかも既存の電力会社より安く・・

そんなうまい話あるのかな~?と疑いたくなるけど、

実際に城南信金では年に1000万円の経費削減を見込んでいるというのですから

ホントなんでしょうね~

 

今はまだ大口顧客しか使えませんが、そのうち一般家庭でも使えるようになるでしょう。

その日が早く来るよう祈りつつ、今夜も暖房無しで頑張っています。 

 

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戦争の傷跡

2011-12-07 | 平和
12月4日のNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争 第2回 太平洋 絶望の戦場」

の録画を観ました。 

http://www.nhk.or.jp/special/onair/111204.html

 

最も長い期間戦場となったニューギニア。

20万の日本兵のうち、生き残ったのはわずか2万。

彼らの多くが、熱帯性感染症と飢餓で戦わずして死んでいった。。

 

  切り株に腰をおろしている兵士の目にも口にもウジ虫がたかっていた。

  死んでいるかと思ったが近づくとまだ生きていたんだよ。

 

  部隊に回ってきた回覧にはこう書かれていた。

  「人肉を食したものは厳罰に処す。ただし、敵軍のものは例外とす。」

 

  殺してくれって言うんですよ。

  手榴弾で死ぬより撃ってほしいって。

  俺はいやだから下士官にやらせようと思ったんだけど、

  下士官も班長もやれないって言うから、俺が引き金引いて…

 

本や映画で何度も見聞きしたことですが、

ご本人たちが語る言葉は、重くて、重くて、胸が締め付けられます。

 

そして、その貴重な生き残りの方たちは、一様に今なお苦しみを抱えていました。

生きて帰ってきたことへの後ろめたさ。

亡くなった戦友たちへの申し訳なさ。

だから、語りたくない。

思い出したくない。

思い出す度に自分を責めずにはいられない、そんな辛さが滲んでいました。

 

  俺は、他人の悪口は今まで言わなかった。

  自分が生きて帰って来たからな。

  あんたに初めて言うよ。

  ・・・・地獄だったなぁ・・・俺は幸い地獄の入口で引き返してきたけどな。

  いや、よかったのかどうか…戦後いろんなことあったから。

  自分の罰だと思ったよ。生きて帰った罰だと。

  ・・・恨むよ。

  あの時の、大本営の上層部を、恨むよ。

  しかし、こんな偉そうなこと言えないんだけどね。

  あんたたちがせっかく来てくれてるけどね、

  こうやって偉そうに話すのが辛いんだよ。

  申し訳ないんだよ、死んだ人にね。

  

沖縄戦では、住民もまるで兵士のように戦い死んでいった。

壕の中で、泣き続ける弟(乳飲み子)を胸に押し付けて窒息死させた母は、

戦後は塞ぎこみ、亡くなるとき、弟の名を呼んで死んでいったと語る女性。

家族に頼まれて、母と妹を銃で撃って死なせたと証言する男性。

救護班として従軍していた女子学生たちまで総攻撃に加わることになって、

幼い妹がいたので残るように言われたOさんは、友人たちが壕を出ていくのを見送った。

  みんな生き生きとして、笑って、まるで踊りでも見に行くようだったね。

  握手して、泣き顔一つしないで、

  「行ってこようね」「手柄立てようね」と言って、出ていったよ。

  そして、誰も帰って来なかった。

 

ニューブリテン島から撤退する時、傷ついた兵士を置き去りにするよう命じられたMさんは、

今もその仏様に手を合わせ、泣き崩れる。

  良心というのかね・・卑怯な自分が許せないんですよね。

  自分で自分が許せない。。

 

ルソン島で将校として指揮したSさんは、部下たちの名前を記したノートを見せる。

約200人の部下のうち、生き残ったのはわずか4人。

Sさんはその後、ほとんど家から出ることはなかったという。

息子が家を建てても、病院を開業した時も、温泉などの旅行にも、決して出かけなかった。

  あれだけみんなに死ぬことだけを勧めてきたのに、

  その本人が遊んでいるわけにはいきません。

  戦争だけはしてはいけない。

  私はそういうんですが…

  でも、時代が変われば、変わっていくんじゃろう・・・

と言って、悲しそうな顔をした。

 

その3ヶ月後、Sさんは他界したそうです。

 

辛い戦場を潜り抜け、九死に一生を得て帰還した兵士たちの多くが、

その幸運を喜び、亡くなった戦友の分まで人生を謳歌しようとするのではなく、

戦争の傷を負ったまま、癒えることなく生き、そして死んでいっている現実を、

私は知りませんでした。

いえ、そういう人の存在は知っていましたが、

それはごく一部であり、多くの人は、

戦後の日本の復興と平和な日々の再来を喜び、

生き残ったことを有難いと感謝し、

平凡な幸せをかみしめて暮らしてこられたのかと思っていたのです。

正直なところ、何もわかっていませんでした。

 

明日は12月8日、太平洋戦争開戦から丸70年です。 

 

 

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原発、ほんまだったよ

2011-12-06 | さよなら原発

友人が活動している「広報させぼを読む会」が、

「原発、ほんまかいな?」という映画の上映会をやったので、見に行きました。

http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/genpatsu.html

 

原発の安全神話は完全に過去のものになったけれど、

クリーンなエネルギーだとか、低コストだとか言われているのは、ほんまかいな?

と疑う大阪のおばちゃんたちの目線で作られた、原発学習ビデオでした。

 

原発の仕組みから始まって、高速増殖炉や、MOX燃料のこと、

1ミリシーベルトの意味まで、おばちゃんたちのおしゃべりはとてもわかりやすいのです。

再処理や核廃棄物の問題、原発労働者のことも、

自然エネルギーのことも、幅広く疑問を投げかけては、

専門家の解説を交えながら、おばちゃんたちが咀嚼しながら語ってくれました。

 

ほんとに楽しく学習できますよ。 

ある程度知識のある方も、やっぱりそうか…と確認できることもあり、一見の価値ありではないでしょうか。

 

私が「ほんまだった!」と思ったのは、

 

1.原発のコストは高い

電力会社がこれまで言っていたのとは正反対で、実は原発が一番コストがかかると聞いていたけれど、

それは、ほんまだった!

1キロワット時のコストが実は10.68円もかかる。

火力や水力など、どのエネルギーよりも高コスト。

電力会社の説明では5.3円だったのに、ちょうど倍やんか~

その詳しい内訳は、ビデオを見てな~

使用済み燃料をリサイクルして使えば経済的なんて言ってたことも、大ウソ。

12兆円かけて再処理しても、そこから取り出した燃料で発電できるのは、わずか9千億円分。

つまり11兆円のマイナスやんか~

リサイクルすればするほど損するんやて~

 

2.電力会社は損をしない

これだけの高コストと危険を冒してまで電力会社が原発を造ろうとするのは儲かるから

という話を聞いていたが、それも、ほんまだった!

「総括原価方式」という仕組みがあって、

電力会社は「経費の3%を利益としていい」と認められている。

どれだけ高い設備投資をしても、それに3%分の利益を上乗せして電気料金として徴収できるってわけ。

だから、コストをかければかけただけ儲けが膨らむってこと。

1億円のコストをかけると、利益は300万円だが、

100億円のコストをかけると、利益は3億円にもなる。

電力会社がTVのCMなど高い広告宣伝費を使ったりするのも、そういうことやったんやで~

 

3. 原発なくしても電気は足りる

この冬も5%以上の節電せにゃ~と九電など呼びかけてるのに、

脱原発派の先生たちは今すぐ原発止めても大丈夫って言うてはったのは、ほんまやった!

というか、制度を変えれば…という条件があるけどね、とにかく足りるんや!

それはな、

電気が足りないと言うてる需要のピーク時は、全体の0.1%なんやて。10時間以下や。

その時間の使用量をおさえればいいこっちゃ。

日本の電気料金は、使うほどに単価が安くなる設定。

フランスは、使えば使うほど高くなる。ピーク時の電気料金は11倍も高くなるんやて!

そうすると、その時間の使用はぐっとおさえられるから、需要の波がより緩やかになるってわけ。

日本も料金設定の方法を変えるだけで、ピーク時を3割も減らせると、田中優さんが言うてはった。

 

ほんまですよ~

皆さん、一度このビデオ見てみませんか?

お近くの方は、よかったらお貸ししますので、ご遠慮なく・・・ 

 

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