佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

学習会~放射能汚染とがれき問題

2012-11-26 | さよなら原発

25日、日曜日の昼下がり、がれき問題を考える学習会に参加しました。

 

講師として、3人の北九州市民の方が来てくださいました。

Aさんは元々の北九州市民で男性、

Bさんは埼玉から避難してきた女性で、高校生のお母さん、

Cさんは福島から避難してきた女性で、小学生のお母さん。

 

Aさんのお話

○ 主に健康被害について、たくさんの事例や、特徴的なことの説明。

例えば、焼却開始(9月17日)の翌日から小倉の小学校でおきたこととして、

18日に小倉南区の小学校では6名が体調不良で保健室へ。20日には6名が早退。

別の小学校でも20日に、1名が鼻血、5名が保健室へ。

5月の試験焼却のときも、北区の小学校の1クラスで、9人の児童が鼻血。

特徴的な症状としては、局部的な発疹、頭痛・めまい・記憶力の減退、異常なだるさ・倦怠感。

原爆ぶらぶら病と酷似。

○ 放射性セシウムをバグフィルターで捕集できるというのは嘘。

どこのメーカーも保証していないし、実験すらしていない。

○ がれきが復興の妨げになっているというのも嘘。石巻市の衛星写真を見れば明らか。

○ 広域がれき処理の真の目的は、セメント業界や運輸業界などの利権。

 

Bさんのお話

○ 当時、福島原発から約230km離れた埼玉県に住んでいた。

○ 爆発後から喉の違和感が続き、高校生の娘はほぼ毎日鼻血を出していた。

○ 水の汚染を知り、ペットボトルの水を通販で取り寄せ娘に与え、自分は水道水。

関節の痛みやむくみが続き、ペットボトルの水に変えたら1ヶ月くらいで良くなった。

その後、娘はだるさと微熱が続き、学校も休むようになる。

普通なら怠けていると思うところだが、自分も同じ症状で一日に3回ほど横になっていたので

娘の体調が理解できた。原爆ブラブラ病なのかな?と思ったし、視力も落ちてきた。

○ 家庭菜園はすぐにやめ、九州から水と野菜を取り寄せていた。

それでも、将来子供やいつか生まれるかもしれない孫の体に何かあったら自分の責任だと思い

埼玉を出る決心を6月にした。

○ 7月に乳がん発見(3月の検査ではなかったのに…)

すぐに手術をし、娘さんの編入試験などを経て、10月に九州へ。

○ わずか2週間で、それまでの様々な症状が消えてなくなった。

汚染地帯に住んでいて体調の優れない人は、とにかくそこを離れるべき。

国の責任で、具合の悪い人から外に出すべき。それを実感した。

○ だから、がれきの受け入れに反対運動を始めた。

被災地の人からもがれきを受け入れないでというメッセージを預かっている。

 

そう言って、Bさんはいわき市のTさんが書いた手記を読み上げました。

最後の部分だけここに転記します。

どうかがれきの受け入れにはNO!と言ってください。

真実は後から知っては遅いのです。

私たちの悲しみを無駄にしないでください。

失ってから気づくことの多さに私たちは途方に暮れています。

痛み分けなど、私たちは望んでいません。

同じ思いをして欲しくないのです。

防ごうと思えば防げることをどうか積極的に考えていただきたいのです。

 

Cさんのお話

○ 今の手記は私の友人が書いたもの。

私たちは子どもたちに安全な食事を取らせるために、署名運動に取り組んだ。

地産地消の給食を食べない権利を求め、やっと勝ち得た権利だったが、

今年になって再び福島産のお米や野菜を使って給食が出されている。

 

そう言って、何度も声を詰まらせた。

 

○ 私はいわき市在住。30km圏外だったので、避難指示も出ず、爆発の翌日は、

給水車の前で列に並び、ずっと外にいた。その時の空間線量は、24マイクロシーベルトだった

ことが後でわかった。

○ 2回目の爆発の時、子どもたちを連れて、埼玉へ避難。

春休みが終わり学校に戻ると、その時の校庭の真ん中の線量は0.53。いつもの10倍。

表土の除去も校舎の除染もされていなかったから。

ガイガーカウンターで校庭を測ると、2.4とか、8.0とか、

体育館の横の側溝のところは、24という数値を示していた。

学校の先生は一切守ってくれず、大丈夫ですよとしか言わなかった。

○ 私は給食を食べさせない、外で遊ばせないことを選んだ。

1学期はそんなお母さんが多かったが、2学期になると線量も下がり意識の風化もしてきて、

続けるのは私一人だけになった。

○ お前だけ給食を食べないのは、お前だけ助かりたいのかというイジメが始まり、

こどもが登校拒否になった。

先生はいじめた子を指導するのではなく、私を指導した。

お母さんもう大丈夫ですよ。安心して校庭に出してあげなさいと。

大丈夫と言われても測るとやはり線量は高かった。

国で出す数値は平均なので低めだが、実際は場所によってまちまち。

で、福島を出て九州に非難することにした。

夫とは意見が異なったので離婚を前提にこちらへ来た。

ところが、我が家から2.5kmのところにある焼却場でがれき焼却が始まってしまった。

始まってから今日まで咳が止まらない。

それでも、避難に次ぐ避難は経済的に困難。

福島の汚染は放射能だけだったが、こちらはそれに化学物質の汚染が混じる。

がれきの中の六価クロムや水銀やヒ素について、石巻でも北九州でも測定していないが、

灰についてはやっている。

ということは大気中に放出されたそれらの量はわからない。

様々な症状はその影響かも。

私自身、福島では咳は出なかった。

北九州では、セシウムと化学物質が合体して放出している。そのせいではないかと思う。

 

再び、Aさんが報告してくれた。

11月16日、北九州の都心部で計測したら、2.49マイクロシーベルトだった。

そこは焼却場から3kmくらいのところ。

今日も1.5マイクロシーベルトだと仲間から連絡があった。そこは街の中心地…。

 

北九州市は、もう十分汚染してしまったようです。

福島並みの数値です。(もちろん部分的にですが)

福島から埼玉に逃げ、埼玉から福岡に逃げてきたCさん。

彼女たちの健康管理も経済支援も何もせず、

瓦礫焼却によって再び被害を押し付けてしまった国。

その罪深さにどうして気づかないのでしょう?

                             

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きらきらフェスティバルと、「さよなら原発」の歌

2012-11-24 | さよなら原発

ここは佐世保の島瀬公園。

毎年恒例、『きらきらフェスティバル』の真っ最中です。

このイベントのために、昨夜の「さよなら原発させぼの集い」では、公園での集会ができず、

デモ行進だけとなりました。

いつもの時間に行くと、まだ誰も来てなかったので、イルミネーションを撮影。 

仲間のMさんは、このイルミネーションを見て怒!

何故かわかりますか?

そう、この言葉です。

USA SASEBO

これじゃあ、まるで、佐世保がアメリカ合衆国の一部みたいじゃない!と。

言われてみれば、そうだなあ~

でも、なんでこんな表現をしたんだろう?

 

帰宅後、主催者である四ヶ町商店街のホームページを見ると、

http://www.yonkacho.com/kirafes/

今年のテーマが「アメリカin佐世保」なのだそうです。

(何故そういうテーマになったのか、それはわかりませんが

 「in」が入っていれば、Mさんの怒りも少しは和らいだかも…)

 

なので、アメリカの中に佐世保があるのではなく、

佐世保の中にアメリカがあると考えて、

佐世保の中のアメリカンな雰囲気を楽しんで~

と、主催者は言いたかったのでしょう。。

 

でもね、佐世保の中のアメリカって、米軍ですよね。

アメリカ市民とは仲良くしたいけれど、米軍とは仲良くできない!

と思う佐世保市民も少なくないはず…

そこんところ、考えて欲しかったですね。

 

ところで、肝心のデモですが・・・

集まったのは、なんと5.5人!

いつも張り切ってやってくるオジサンたちは、選挙で大忙しだったり、

お仕事で東京に行ってる方がいたり、

女性も用件が重なっていたり、途中まで向かっていたけれど急な腹痛でUターンした人もいたり、

重なる時は重なるものです。

 

仕方ない。

気楽にやりましょう~

ということで、まずは歌で景気付け!

前夜、一生懸命作詞した替え歌を2曲、みんなで歌い、

元気が出たところで、デモ行進に出発しました。

その歌を是非お聴き(?)くださ~い!

 

最初は、「大きなうた」の替え歌で、「小さな声」です。

1. 小さな 声だけど

みんなで 歌って

あなたに 届けたい

さよなら 原発


2. 小さな エネルギー

自然の エネルギー

集めて みようよ

大きく 育てよう


3. 小さな 声だけど

この町の 通りから

広げて 行きたい

さよなら 原発


4. 小さな 声が

国中に こだまして

原発 いらない

大きな 声になる


5. 大きな 声だよ

   大きな 夢だよ

   さよなら 原発

   大きな 歌だよ

 

いかがですか?

私たちの元気な歌声が聞こえてきました?

え?聞こえない?

元歌の「大きなうた」なんて知らないから?

それは残念!

では、こちらはどうでしょう?

「雪山賛歌」

♪ 雪よ 岩よ われらが宿り 俺たちゃ街には 住めないからに

この歌はご存知では?

知ってる?

よかった! (*^_^*)

では、その替え歌で、「さよなら原発」です。ご一緒にどうぞ~

 

1. 水よ 風よ 太陽の光

   自然を活かそう さよなら原発

   自然を活かそう さよなら原発


2. 火山列島 日本の地下にゃ

   世界3位の 地熱が眠る

   世界3位の 地熱が眠る

 
3. バイオマス発電 賢い発電

   原料は ゴミや木屑やウンチ

   原料は ゴミや木屑やウンチ

 
4. 再生可能な 社会をめざそう

   捨てるものなど 何にもないよ

   捨てるものなど 何にもないよ

 
5. 島国日本 周りは海だ

   波の力も 無限にあるよ

   波の力も 無限にあるよ

 
6. 原発さよなら 再稼働反対

   俺たちゃ そんなこと 許しはしない

   俺たちゃ そんなこと 許しはしない

 
7. さよなら原発 静かに眠れ

   地球を未来に 手渡すために

   地球を未来に 手渡すために

 

歌えましたか~

簡単?よかった!

でも、一人で歌うのは恥ずかしい?

では、再来週の金曜日(12月7日)、島瀬公園に6時に来て、

一緒に歌いませんか?  

 

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九年庵の紅葉

2012-11-20 | 

絵葉書のような青空に誘われて、九年庵へ。

九年庵とは、佐賀の実業家、伊丹弥太郎が9年の歳月をかけて造った庭園と別荘の名前。

毎年紅葉の時期に9日間だけ、一般公開されるとか。

錦絵のような見事な紅葉の庭を一目見ようと九州各地から人々が訪れるという。

九州の紅葉は、関東で見ていたものと違って、

なんとなくぼやけているというか、濁っているというか…イマイチだったので、

九年庵にはワクワクしてやってきました。

おおー!

との感動も、たま~にありましたが、

残念ながら、一足遅かった・・・

枯れかけた葉、散ってしまった木々が多く、残っているモミジの美しさを見ると、

なおさら最盛期に見たかった…との思いが募りました。

それでも、最後まで頑張って、華やかに装っている木々を探して、

何度もシャッターを押しました。

光を浴びた葉っぱたちはホントに嬉しそう。

スポットライトを浴びて輝く女優のよう…

 

九年庵の隣の仁比山神社にもモミジの大木が…

見上げると、紅葉のグラデーション。

赤、黄、黄緑、茶色・・・

 

東北のモミジは、もっともっと艶やかに華やかに輝いているでしょう。

でも、きっと、福島のモミジは寂しいだろうな~

見えない放射能をまとった森には、人は誰も近づかないはず…  

 

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脱原発への願い

2012-11-19 | さよなら原発

恒例の脱原発署名。

昨日は私を含め4.5人(一人は幼児)で訴えました。

その中には、長崎市在住の女性がいます。

2610円のバス代を使って、時間をかけて、署名活動に協力するために毎月やってきます。

彼女は埼玉県からの疎開者で、子や孫と共に昨年佐世保市に避難してきました。

今はお孫さんたちと離れて、長崎市に住んでいますが、

孫の命を守りたい!孫たちの世代に危険なツケは残したくない!

その一心から、お金と時間をかけて長崎市からやってきて、毎月ここに立つのです。

本当に頭が下がります。

 

今日も署名をしてくれるのは、若い世代が多かった…

中学生くらいの女の子たちは、4種類の署名用紙の全てに署名してくれました。

 

3歳くらいの男の子を連れた若いカップルも、全種類の用紙に署名をし、

カンパもしてくれました。

そして、お母さんの方が、「写真撮ってもいいですか?」と聞くので、

どうぞ!と言いつつ、そんなに珍しいのかな?と思っていたら、

「ありがとうございます!フェイスブックで発信します!」と言って、

活動日時などを聞いていかれました。

 

嬉しいナ~

署名をしただけでなく、カンパもして、その上情報発信まで…

彼女の脱原発への強い願いが伝わってきました。

ありがとう 思いは一緒だね あなたの分も署名活動頑張るよ

 

 

また、こんなこともありました。

老夫婦が手を取り合って、こちらに近づいて来られました。

私の前に立たれた男性は白い杖を手にしていました。

女性が「ここにいいですか?」と目の前の署名用紙を指差したので、

「はい。どれでも。それぞれ別の署名なので、お好きなところへ。

これはすべての原発を止めてくださいという趣旨で、

そちらは大飯原発反対で、あちらは自然エネルギーを増やそうというもので…」

などと説明しました。

本当は全部の用紙に署名してほしいですが、

二人分書くのは時間がかかりますので、それは期待していませんでした。

すると、「全部に書きなさい」と男性が指示しました。

 「ありがとうございます!」と言いつつ、女性のペン先を見ていたら、福岡市と書かれています。

「まあ、福岡からいらしたんですか?観光ですか?」と尋ねたら、

「いえ、孫たちにお年玉を渡しにきたんですよ。

今年は、クリスマスもお正月も一緒に過ごせないので、先に渡しておこうと思いましてね」

と、署名の手を止めて、女性が微笑みました。

「そうですか。お幸せなお孫さんたちですね」

「孫は可愛いから…。その孫たちのためにも絶対原発はなくさなければ…」と、

男性の笑顔が、急に厳しい表情に変わりました。

女性は書き終わると、バッグから小銭を数枚取り出し、男性に握らせ、

その手をカンパ箱の上に持っていきました。

でも、箱の上部に開けた長方形の穴はさほど大きくないので、とても入れにくそうで、

男性は手をタテヨコに細かく動かしながら、目的の穴にたどり着き、チャリンチャリンと落としました。

その音にニッコリすると、女性はもう一度残りの小銭を握らせました。

今度は男性は一人で、すっと目的の穴に手を持って行きチャリリンリンと落とすことができました。

不思議な感動が私の心にもチャリリンと響きました。

再び手を取り合って去っていくご夫婦の後ろ姿に、深く頭を下げました。

 

 

Tちゃん、お母さんとお手伝いしてくれてありがとうね~

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がんばれ!福田衣里子!

2012-11-18 | 佐世保・長崎

前回の衆院選で長崎2区選出の民主党議員福田衣里子さんが、

一昨日民主党を離党して、「みどりの風」に合流した。

悩みに悩んだ末の結論だった。

それは、福田さんのブログを読めば十分伝わってくる。

http://blog.livedoor.jp/ennriko555/archives/2012-11.html#20121117

彼女の勇気ある決断に、私は拍手を送りたい。

 

私は選挙区が違うので、政治家としての福田衣里子さんをあまり知りませんでした。

薬害肝炎訴訟で活躍した人で、それがきっかけとなって政界入りをした人という程度の認識。

でも、時々テレビで見る彼女の言葉には誠実さと真剣さを感じていました。

 

そして今回、「いつもお世話になっている皆さまへ」と題して書かれたメッセージには、

そんな印象が虚像ではなかったことが確認できました。

 

福田さんは、

ひとつひとつの生命を大切にするという理念に共感して」民主党の議員になったそうです。

しかし、月日が経つにつれ、民主党が、徐々に、

自公政権のころと似た政策、強いものによる目線でもって強いものの意見だけで政策決定する

ようになってきていると感じ始めます。

TPPしかり、原発再稼働問題しかりです。

消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案には反対票を投じます。

党員資格停止処分を受け、それでも離党はせずに、内部から変えていこうと、

政策研究会「真の一体改革を実現する一期生の会(略称、真実の会)」を結成し、代表世話人に。

いつしか「反主流派」と言われるようになり、

自分が自分らしくあれる場所として、離党・新党を模索していたところ、突然、解散総選挙!

 

その時の思いを、福田さんはこう告白しています。 


突然の解散に、離党まで考えて動いていたにも関わらず、「民主党から出馬すれば、選挙体制や資金的には一番有利かもしれない。」と考えてしまう自分がいました。

このままでは、いずれ「政治家は落選したら、ただの人。次に当選するためには、多少の政策変更も仕方がない。」と思うようになるのではないか。

議員になる前の私が、そんな自分を見たら、きっと怒られると思います。

私はこれからも私が最良と思う事を訴え続けたい。
そして、その考えが、国民の皆様にご支持いただけなければ、潔く散ればいい。

それが民主主義なのですから。

本当に正直な方だと思いました。

きっとそのような真意を伝えるために長崎に戻ってこられたのでしょうが、

その彼女の話さえ長崎県連は聞こうとしませんでした。

福田氏はこの日、離党に至った経緯を説明するため民主党長崎県連の常任幹事会に出席しようと会場のホテルを訪れたが、県連側に入室を拒まれた。

と、朝日新聞は伝えています。

 

民主党長崎県連はなんて、器が小さいのでしょう。

頼りにしていた議員が離党して、落胆や怒りを感じるのはわかりますが、

その理由は聞くべきだし、知るべきではないでしょうか。

その理由の中に、民主党が正すべきこと、反省すべきことがあるかもしれないのに。

それに耳を傾け、修正していけば、復活の道が開けるかもしれないのに…

私は民主党でもなんでもない、無党派市民だけれど、

自民党政権から民主党政権に変わった時に期待した国民の一人として、

こんな今の民主党が情けなく、残念に思います。

 

また、福田さんは、こんな心情も吐露しています。

 

今、第三極と言われている政党も、結局は、その多くが元自民党の方が関係した党で、私には一極にしか見えません。

以前にも増して強いもの目線での政策が目立ち、このままでは格差はもっと広がり、自殺者や犯罪が増えるかもしれない。

この流れを何とか止めたい。
「真の第三極」を作らなければと考えた次第です。

この考えが「みどりの風」に繋がったのでしょう。

党名さえほとんど知られていない、メディアも無視状態の新党へ、あえて苦難の道を選択したのは、

政治家としての信念だと思います。

命を大切にし、弱者に寄り添い、持続可能な社会、自然との共存を目指して。

 

今度の選挙では「東京の比例区を軸に検討している」とか…。

私が直接「福田衣里子」と書くチャンスはないでしょうが、陰ながら応援したい。

 

頑張ってください 福田衣里子さん   

 

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なんかヘン・・・

2012-11-17 | さよなら原発

選挙戦がスタートし、日本中が右往左往している。

でも、なんかヘン・・・。

 

野党は、ずーっと前から早く解散しろ解散しろと言ってたくせに、なぜあたふたしてるんだろう?

民主党からは離党者続出。

政策のズレに耐え切れなくなって…というならわかるけど、

ただ自分の保身が見え見えの人も少なくない。恥ずかしいと思わないのだろうか?

第三極の動きもヘン。

「小異を捨て大同につく」なんてもんじゃない。

「大異を無視した数合わせ」に過ぎない野合そのもの。

原発推進の太陽の党と、原発反対と言っていた維新の会がどうして合流できるのか??

有権者をバカにするのもいい加減にしてほしい。

その上、太陽の党は減税日本と合流記者会見を開いたばかりなのに、

翌日にはもう切り捨て…自己中心的としかいいようのない石原さん。

こんな人が万一首相になったりしたら…と考えただけでゾッとする。

 

マスコミもヘン・・・。

選挙の争点として、

対中関係などの外交・安全保障問題、

消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革、

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)などの経済対策、

「脱原発」を含むエネルギー政策など

と言っている。

 

たしかにどれも重要なテーマではあるけれど、ものごとには優先順位があるはず。

まずは、原発の事故処理(被害者救済を含む)とエネルギー政策ではないのか。

その具体策、青写真を私たち国民は知りたいと思っている。

国策だった原発推進の犠牲になった福島県民を救おうとしない人たちには政権を取って欲しくない。

こんな大事故を経験しても尚、エネルギー政策を転換しないような政党に未来は任せられない。

そういった目の前の最重要課題(日本にとってだけでなく、世界中にとって、また地球にとって)が

最大の争点として挙げられるべきだと思う。

 

昨日の新聞に出ていたけれど、

環境省のつい最近の調査によると、

福島県周辺の河川や湖にすむ生物の放射能汚染がものすごく高かったそうだ。

福島県南相馬市の新田川で採取したイワナに含まれる放射性セシウム濃度を測定したら、

なんと、1キログラム当たり1万1400ベクレルを検出!

これは、国が定めた一般食品の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)の百倍を超える値。。

 

また、グリンピースが10月に福島県内410カ所で実施した空間線量の調査の結果、

飯舘村の草野地区では、毎時5マイクロシーベルト、9マイクロシーベルト、13マイクロシーベルト

などのホットスポットが見つかったとのこと。それは、年間積算線量に換算すると・・・

43.8ミリシーベルト、78.8ミリシーベルト、113.9ミリシーベルト

 

甲状腺がんなど多くの被害が出ているチェルノブイリでは、

年間5ミリシーベルト以上は、居住禁止区域だというのに、

日本では、20ミリシーベルト以下なら住めるようにしようと、除染活動に力を入れているが、

未だにこんな高い数値を検出している。

森林が多い飯舘村では除染をしてもほぼ効果がないのだろう。

 

こんな深刻な現状を報道しないメディア、

そして、この原発問題こそが最大の争点だと指摘しない評論家、

みんなヘン!

 

ヘンな新聞やテレビばかり見ていると、私たちもヘンになってくるので、気を付けよう~

素朴に、単純に、自分自身に問いかけてみよう。

私が願っている未来の暮らしはどんなもの?

願いがたくさんあったとしたら、その中で一番大切なものは何?

譲れないものは何?…と。

 

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「望郷の牛」反原発集会に参加

2012-11-14 | さよなら原発

「望郷の牛」が11月11日の反原発集会に参加したという…

「望郷の牛」?それは、こんな牛。
                   ↓
http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/boukyou.html

製作者は、九大助教授の知足美加子さん。

国展に展示された後、福島県浪江町の「希望の牧場」に寄贈された。

 

その牛を、真っ赤に染めて、吉沢さん(「希望の牧場」代表)がデモの会場に連れてきた。

亡くなっていったたくさんの牛たちの命を思わせる血の色だった。

そして、マイクを持って経産省前で叫ぶ吉沢さんの言葉を文字にするなら、

やはり真っ赤なインクで書くべきだろうと思った。

血を吐くような訴えだった。

是非、きいてください。

 

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講演会その後

2012-11-13 | さよなら原発

講演会の後のデモ行進でも、その後の交流会でも、一番元気だったのは鎌仲ひとみ監督。

監督の周りは、常にワイワイガヤガヤ、そしてブンブン。

そう、まるでミツバチの羽音のような感じ?

そして、翌日、

五島行きの船に乗り込んでも、出発間際まで笑顔で語り続ける監督。

2階のデッキに立つ監督の姿が見えなくなるまで、私たちも手を振り続けました。

船は無事に上五島に着き、この日の上映会も大成功だったと聞きました。

 

まさに監督自身がミツバチ。

ブンブンと日本中を飛び回り、

原発なんか無くそうよー、安全な未来を作ろうよー、とbuzzして回ってる感じです。

 

でも、このbuzzが大事なんですよね~

佐世保での講演会には、長崎市や諫早市、西海市、松浦市、

また佐賀県の唐津市や伊万里町から参加してくださった方々もいらっしゃいました。

このような方々が、それぞれの隣人たちにまたbuzzしてくださることでしょう。

 

平戸市から来てくださったSさんからは、翌日お電話をいただきました。

平戸でも是非、鎌仲監督をお招きしたい、微力だけどできることをやっていきたいと、

真剣に熱く語ってくださいました。

 

そしてSさんは、ご自身が書かれた詩『十年後の夢』を紹介してくださいました。

今年の長崎県文芸大会「現代詩」の部門で入賞なさったその作品は、

福島原発事故後のドキュメンタリー番組を見て、詩になさったそうです。

とても心に沁みる内容でした。

ご本人の快諾を得ましたので、ここにご紹介します。

 

  十年後の夢                          里崎 雪


わしは今日も 牛に餌をやる

たった一人で 牛の世話をする

ほんの一年前 家族で汗水たらし

一生懸命 雨の日も風の日も

家族で力を合わせて 牛の世話をしてきた

牛の花子が 難産でやっとの思いで

仔牛を産み 死んでしまった時

孫のゆう子は泣いた

泣いて泣いて大変だった

そうだよな

よちよち歩きの頃から

友達だった花子が死んだのだから

見ていて本当に可哀想だった

でも生まれた次郎を花子の分もと

家族みんなで可愛がった

一生懸命育てた

雨の日も風の日も家族で力を合わせて

牛の世話をしてきた

ほんの一年前までは―――

牛のたか子が出産間近だった

家族みんなで楽しみに待っていた

三月十二日 フクシマゲンパツジコハッセイ

牛たちは高いベクレルの渦の中に取り残された

牛の世話をしたくても

「警戒区域」

ピピピッ 警官隊に止められる

「そんなバカなことがあるか!俺の家だぞ 

俺の土地になぜ入っちゃいかんのだ」

みんな詰め寄った

「犯罪です」

国命により立入禁止区域は

入ったら犯罪なのだ

「俺の家だぞ」

「俺の土地だぞ」

「牛が待っている!俺たちが世話をしなくちゃ牛は死んでしまう

たか子は出産間近なんだ!・・・・

ちきしょう!」

どうすることもできない

泣いて泣いて泣きに泣いた

地獄――――

原子力地獄――――

 

わしは今日も 牛に餌をやる

たった一人で 牛の世話をする

息子家族は都心へやった

若いもんは未来に責任がある

わしは一人で 牛の世話をする

それが生かされたわしの使命だ!

わしは七十二歳

大丈夫だ あと十年は牛の世話ができるだろう

十年後――

昔のように 家族総出で 牛の世話をしている姿を

夢に見ながら

 

十年後の夢が実現することを祈りつつ、

祈りだけでは実現できないことを思います。

声を上げなければ、行動しなければ、この国は変わらない。

エライ人に任せっきりにするのではなく、私たち一人ひとりが意思表示しなければ、

ミツバチのようにブンブンと…

 

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スウェーデンのバスはウンチで走る!

2012-11-09 | さよなら原発

いよいよ当日。

会場いっぱいの参加者の前で、いつものように元気満タンの鎌仲監督。

縦横無尽のトークに、メモをする手もいつしか止まり、

(書くのが遅くて、ついていけない…)

ただ、耳を傾けることにしました。

記憶に残ったのは、

 

○ 劣化ウラン弾の破片が残るイラク。

 そのイラクでは小児白血病の子どもが増加して苦しんでいる。

 だが、そのイラクの空間線量は東京よりも低いという事実!

 

○ イラクよりもはるかに汚染された空間線量の福島では、

 学校で普通の授業(=グラウンドで体育の授業)がおこなわれてる。

 こどもたちは汚染されたグラウンドで体育をし、遊んでいる…

 

○ そういうことに異議を申し立てると、

 「国が大丈夫だと言ってるのに、そんなに心配なら、あなたが出ていけば?」

 というリアクションがかえってきて、

 福島のお母さんたちは不安を口にできなくなっている。

 

○ 「六カ所村ラプソディー」の撮影の時、推進派の人たちの話をよく聞くと、

 彼らは好き好んで核燃料再処理工場を選択したわけではなかった。

 普通の工場を建設すると思い込まされて、土地を売った。

 その工場で雇ってもらえるということで土地無し農民になったが、

 15年間工場は建たず、出稼ぎに行かざるを得なかった。

 途中から工場の正体がわかってきたが、反対する気にはならなかった。

 工場を建設するあいだは雇ってもらえて出稼ぎに行かずに済むし、

 その間は放射能の心配もない。 

 村に大金も入り、豊かになる。

 本当の意味で核燃料サイクル推進というわけではなかった。

 

○ 取材を終えて三沢空港から夜もどるとき、上空から見ると、青森は真っ暗だった。

 羽田に戻ると…光の海。

 六ヶ所村に放射性廃棄物を押し付けて、都会では電気を無駄に消費している。。

 

○ 去年は福島のお米も豆も野菜も最高に売れた。

 それらは、すべて外食産業に流れた…

 

○ スウェーデンでは、国中の公共バスの燃料はウンチ!

 トイレの便器は、大と小が分かれて溜まるように造られている。

 大は乾燥させてバイオマスにして、バスを動かし、

 小は熟成させて有機肥料にしている。

 便座は木製で冬も冷たくないので、日本のように電気で温める必要はないし、

 林業の支援につながる。

 

○ エネルギーシフトには選択肢が必要。

 電力市場の開放ができていないのは、先進諸国の中では日本だけ。

 

○ 事故の補償金を東電が国に求めたとき、もっと社員の給料を下げるよう枝野さんに言われたが、

 当時の東電の平均給料より、九州電力の社員の給料の方がずっと高かった。

 その平均給与は、なんと835万円!

 

○ 脱原発に進むには意思表示することが大事。

  市民が諦めずにやることが大事。

 

 

 質問コーナーでは、たくさんの手が上がった。 

ほとんどが女性。

皆さん、とても真剣で、切実な思いを込めて発言されました。

中には、東北にいる友人たちのことを思って、泣きながら問いかける若い女性も…。

 

友人のY子さんは、知人のお嬢さんが甲状腺検査でA2(5mm以下の結節や20mm以下の嚢胞)

にランク付けされたのに、次の検査は2年後と言われ、とても心配していることを紹介。

 

それに対し監督は、ベラルーシでは移動検診でこまめに検査をしているし、

ポーランドでは事故後すぐにヨード剤を子どもたちに飲ませたので、

国境をはさんで、甲状腺がんの発症率がベラルーシよりも劇的に少ないと説明。

 

それを受けて、Mさんが発言した事実に、監督もみんなもビックリ!

Mさんの夫はオランダ人で、子供が一人いる、三人家族。

福島原発事故直後、オランダ政府から3人分のヨード剤が送られてきた。

「私は国籍は日本なのに、オランダ政府に守られている」

そう語った時のMさんの声はふるえていた。

会場にいた皆の心もふるえたと思う。

 

他にも、たくさんの女性が、多くの疑問を投げかけ、不安を語ってくれた。

もちろん、この場では何も解決しないけれど、

たくさんの人たちが原発をなくし、安心して暮らせる社会を望んでいるし、

その思いを伝えたいと感じていることが、とてもよくわかった。

 

講演会の後、監督を真ん中に、暗くなった佐世保の街を、「原発いらない」の幟を掲げて歩きました。

いつもより、もっと明るく、もっと元気に・・・

 

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紅葉ではなく桜?

2012-11-07 | 佐世保・長崎

先週末、真っ青な空と秋風に誘われて、いざ紅葉狩り!

と思ったのだけれど・・・

目的地の御橋観音に着くと、ほとんど緑のまんま!

2~3本だけ色づいたモミジが、ひっそりと隠れていた。

訪れるのがちょっと早すぎたようだ…

がっかりして帰りかけ、目に飛び込んできたのは…

大きな柿の木。

境内入口のところにある柿の木。

こちらは実りの秋真っ盛り!

すごいな~!柿の実ってこんなにくっつきあってたわわに実るものなんですね~

圧巻です!

 

御橋観音から下ってくると佐々川にでます。

その少し下流にあるのがここ、

でこぼこの岩が続いているここは、ポットホール公園です。

河川床と書かれていますが、いまでは川岸に見えます。

川は、この右端を流れていますが、昔はここも川だった…つまり、ここは川の底だったのですね~

かつて河床だった大きな岩には、たくさんの穴が点在しています。

これらは自然にできたものなんですね~

しかも600もあるなんて!

以前、小値賀島でもポットホールを見ました。

http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20100808

あそこは海のそばで、その大きさと、底に見える丸い目玉?にびっくりしましたが、

こちらは数で勝負ってところでしょうか?

 

帰り道に寄ったのは、佐々町の皿山公園。

お目当ては、これ…

何の花だかおわかりですよね?

わからない?

では、近づいて・・・

ね!

桜です。

正真正銘の。造花ではありませんよ。

 

これは、十月桜というんですって。

エドヒガンザクラとマメザクラを交配したもので、10月に花開くのでジュウガツザクラ。

10月は過ぎ、11月も4日なので、かなり散ってしまってましたが、ギリギリセーフでした。

 

この日は紅葉狩りに出かけたのですが…

紅葉ではなく、桜を楽しませてもらいました~

 

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