25日、日曜日の昼下がり、がれき問題を考える学習会に参加しました。
講師として、3人の北九州市民の方が来てくださいました。
Aさんは元々の北九州市民で男性、
Bさんは埼玉から避難してきた女性で、高校生のお母さん、
Cさんは福島から避難してきた女性で、小学生のお母さん。
Aさんのお話
○ 主に健康被害について、たくさんの事例や、特徴的なことの説明。
例えば、焼却開始(9月17日)の翌日から小倉の小学校でおきたこととして、
18日に小倉南区の小学校では6名が体調不良で保健室へ。20日には6名が早退。
別の小学校でも20日に、1名が鼻血、5名が保健室へ。
5月の試験焼却のときも、北区の小学校の1クラスで、9人の児童が鼻血。
特徴的な症状としては、局部的な発疹、頭痛・めまい・記憶力の減退、異常なだるさ・倦怠感。
原爆ぶらぶら病と酷似。
○ 放射性セシウムをバグフィルターで捕集できるというのは嘘。
どこのメーカーも保証していないし、実験すらしていない。
○ がれきが復興の妨げになっているというのも嘘。石巻市の衛星写真を見れば明らか。
○ 広域がれき処理の真の目的は、セメント業界や運輸業界などの利権。
Bさんのお話
○ 当時、福島原発から約230km離れた埼玉県に住んでいた。
○ 爆発後から喉の違和感が続き、高校生の娘はほぼ毎日鼻血を出していた。
○ 水の汚染を知り、ペットボトルの水を通販で取り寄せ娘に与え、自分は水道水。
関節の痛みやむくみが続き、ペットボトルの水に変えたら1ヶ月くらいで良くなった。
その後、娘はだるさと微熱が続き、学校も休むようになる。
普通なら怠けていると思うところだが、自分も同じ症状で一日に3回ほど横になっていたので
娘の体調が理解できた。原爆ブラブラ病なのかな?と思ったし、視力も落ちてきた。
○ 家庭菜園はすぐにやめ、九州から水と野菜を取り寄せていた。
それでも、将来子供やいつか生まれるかもしれない孫の体に何かあったら自分の責任だと思い
埼玉を出る決心を6月にした。
○ 7月に乳がん発見(3月の検査ではなかったのに…)
すぐに手術をし、娘さんの編入試験などを経て、10月に九州へ。
○ わずか2週間で、それまでの様々な症状が消えてなくなった。
汚染地帯に住んでいて体調の優れない人は、とにかくそこを離れるべき。
国の責任で、具合の悪い人から外に出すべき。それを実感した。
○ だから、がれきの受け入れに反対運動を始めた。
被災地の人からもがれきを受け入れないでというメッセージを預かっている。
そう言って、Bさんはいわき市のTさんが書いた手記を読み上げました。
最後の部分だけここに転記します。
どうかがれきの受け入れにはNO!と言ってください。
真実は後から知っては遅いのです。
私たちの悲しみを無駄にしないでください。
失ってから気づくことの多さに私たちは途方に暮れています。
痛み分けなど、私たちは望んでいません。
同じ思いをして欲しくないのです。
防ごうと思えば防げることをどうか積極的に考えていただきたいのです。
Cさんのお話
○ 今の手記は私の友人が書いたもの。
私たちは子どもたちに安全な食事を取らせるために、署名運動に取り組んだ。
地産地消の給食を食べない権利を求め、やっと勝ち得た権利だったが、
今年になって再び福島産のお米や野菜を使って給食が出されている。
そう言って、何度も声を詰まらせた。
○ 私はいわき市在住。30km圏外だったので、避難指示も出ず、爆発の翌日は、
給水車の前で列に並び、ずっと外にいた。その時の空間線量は、24マイクロシーベルトだった
ことが後でわかった。
○ 2回目の爆発の時、子どもたちを連れて、埼玉へ避難。
春休みが終わり学校に戻ると、その時の校庭の真ん中の線量は0.53。いつもの10倍。
表土の除去も校舎の除染もされていなかったから。
ガイガーカウンターで校庭を測ると、2.4とか、8.0とか、
体育館の横の側溝のところは、24という数値を示していた。
学校の先生は一切守ってくれず、大丈夫ですよとしか言わなかった。
○ 私は給食を食べさせない、外で遊ばせないことを選んだ。
1学期はそんなお母さんが多かったが、2学期になると線量も下がり意識の風化もしてきて、
続けるのは私一人だけになった。
○ お前だけ給食を食べないのは、お前だけ助かりたいのかというイジメが始まり、
こどもが登校拒否になった。
先生はいじめた子を指導するのではなく、私を指導した。
お母さんもう大丈夫ですよ。安心して校庭に出してあげなさいと。
大丈夫と言われても測るとやはり線量は高かった。
国で出す数値は平均なので低めだが、実際は場所によってまちまち。
で、福島を出て九州に非難することにした。
夫とは意見が異なったので離婚を前提にこちらへ来た。
ところが、我が家から2.5kmのところにある焼却場でがれき焼却が始まってしまった。
始まってから今日まで咳が止まらない。
それでも、避難に次ぐ避難は経済的に困難。
福島の汚染は放射能だけだったが、こちらはそれに化学物質の汚染が混じる。
がれきの中の六価クロムや水銀やヒ素について、石巻でも北九州でも測定していないが、
灰についてはやっている。
ということは大気中に放出されたそれらの量はわからない。
様々な症状はその影響かも。
私自身、福島では咳は出なかった。
北九州では、セシウムと化学物質が合体して放出している。そのせいではないかと思う。
再び、Aさんが報告してくれた。
11月16日、北九州の都心部で計測したら、2.49マイクロシーベルトだった。
そこは焼却場から3kmくらいのところ。
今日も1.5マイクロシーベルトだと仲間から連絡があった。そこは街の中心地…。
北九州市は、もう十分汚染してしまったようです。
福島並みの数値です。(もちろん部分的にですが)
福島から埼玉に逃げ、埼玉から福岡に逃げてきたCさん。
彼女たちの健康管理も経済支援も何もせず、
瓦礫焼却によって再び被害を押し付けてしまった国。
その罪深さにどうして気づかないのでしょう?