佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

ピースウォークin佐世保

2010-01-29 | 平和
1月29日、長崎県内としてはピースウォーク最終日の6日目、
佐世保市から佐賀県有田町へ向かう約20kmのコースです。



私は年末からの体調不良で、この日だけの参加。
完歩はできなくても、賛同団体「石木川まもり隊」の一員として、また地元世話人の端くれとして、
今日の日を期待と不安が交錯する思いで迎えました。

不安の第一はお天気でしたが、まずまずの、いえ、最高と言ってもいいのかな?
気温は少し低めで風も強めでしたが、冬晴れのよい天気で、歩くにはちょうどいい感じでした。

持っている横断幕が風に吹かれ真横になびくこともしばしば。
でも、その強い風が寒いというより心地よく感じられたのは、
歩くことによって体が温まっていたせいだけでもないような気がします。

平和を願う、それ自体はほとんど誰もが思っていることだけど、それを行動で示すことは簡単ではない。
歩くという単純な誰もができる行為であっても、それを実行に移せる人はごくわずか。

仕事や勉強や家事や介護や・・・思いはあってもその時間、そこに集うことは
体が二つない限り無理という人々もたくさんいるでしょうし、
時間はあっても一歩を踏み出す勇気がないという人もいるでしょう。
私もこれまでは時間的な理由からピースウォークに参加したことはありませんでした。

同じ意志を持った人々と、平和への願いをこめて歩くということが、
こんなにも心地良いものだということを初めて知りました。






不安の第二はその参加者の数でしたが、予想をはるかに超える40人近い人々が参加。

西海市から駆け付けてくれた知人や、仕事を休んで参加してくれた「石木川まもり隊」の仲間や、
綿密な準備と人集めに尽力して下さった地区労の方々に感謝しつつ、嬉しく出発しました。

ほかにも嬉しいことがいくつも…。

出発地点から佐世保駅前までの3km弱を目の不自由な女性が共に歩きました。
彼女は、私たち「石木川まもり隊」のメンバーで、いつもいろんなことに積極的に参加しています。
彼女の前向きな姿勢に励まされたり反省させられたりすることの多い私ですが、
今日も私たちの横断幕の片方を持って行進してくれました。
白い杖をつきながら。
だから、もちろんゆっくりな足取りになります。
先頭から2番目を歩いていた私たちは、どんどん追い越され、すぐにほとんど最後尾になりました。
(一番後ろにはいつも誰かがいてくれましたが)
すぐ前を歩く人との間隔はどんどん広がっていきます。

すると、一人の男性が「速いよ!速過ぎる!もっとゆっくり!」と大声で前方へ伝えてくれました。
一度ならず何度かそういう場面がありました。
彼はこの平和行進のために京都からやってきた方でしたが、その思い遣りがとても嬉しかったです。

もう一つの嬉しかったことは、すれ違う人々の反応です。
狭い歩道を歩いてるときなど、私たちの一行が通り過ぎるのを待って下さってる歩行者がいたりします。
その時、申し訳ないなと思って頭を下げたり、「すみませ~ん」と声をかけると、
何人もの方が目礼をなさったり会釈を返されました。
「ご苦労様です」「頑張ってください」との言葉をかけて頂いた時は、本当に嬉しかったです。

また、信号待ちしている車の列のそばを行進してるときは、多くの視線を感じますが、
ふと見ると目が合って、そのとき運転席やその後ろの席の人が手を振ってくれたりすることもありました。

こちら側に居なくても、共に行進しなくても、同じ思いの人はいるんだなぁ、
そんなことを感じながら歩いていると、体だけでなく、心もホカホカになってくるのでした。

解散式の時に、石橋上人がおっしゃった言葉が心に残りました。

  今日の疲れは明日には消えるかもしれない。
  私たちが歩いた足跡(あしあと)も消えるでしょう。
  しかし、私たちの心の中の足跡(そくせき)は、消えることはありません。

今日、同じ足跡を心に刻んだ方々と、いつかまたどこかで再会できる日を楽しみにしています。




また、長崎から参加して下さった方からは、
「石木ダムの記事読ませてもらいましたよ。長崎でチラシくばりなどお手伝いします」
とのメールもいただきました。

被爆都市長崎と基地の街佐世保は、なんとなく近くて遠い存在でしたが、
このピースウォークをきっかけに、ぐっと近い存在になった気がします。

これからもこのピースウォークの行く先々で、このような関係がたくさん生まれることでしょう。

「共に歩く」ことの意味の大きさを初めて知りました。

企画して下さった石橋上人、
この企画を知らせ、協力依頼の呼びかけをして下さった友人のIさん、
その依頼を受け、何もできない私が協力を依頼した友人のYさん、
Yさんと私の依頼を受け、快くたくさんの力を貸して下さった地区労の方々、
このピースウォークのために、「石木川まもり隊」の素敵な横断幕を作ってくれたEさん、
本当は歩きたかったのに、体調不良の私のために伴走車の役目を引き受けてくれた夫などなど、
多くの皆さんのおかげです。

本当にありがとうございました。
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コメントできない?

2010-01-27 | 石木ダム
水源連(水源開発問題全国連絡会)の嶋津さんからのメールが転送されてきました。

国交省の前原大臣が補助ダムの見直しを道府県に要請した事に対し、
各道府県はどうような対応をするのか、
毎日新聞の調査結果が昨日(1/26)東京版朝刊に掲載されたので、そのお知らせでした。
ネット上でもその記事は読めます。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100126ddm012010051000c.html


58の「補助ダム」が新基準(今年夏に示される予定)による見直しの対象となっているわけですが、
その見直し要請を受けた30の各道府県の回答は次の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

> 北海道 厚幌       新基準見ながら判断
> 青森  駒込       応じる
>     奥戸生活貯水池     〃
>     大和沢         〃
> 岩手  簗川       新基準見て判断
>     津付          〃
> 宮城  筒砂子      新基準見て判断
>     川内沢         〃
> 山形  最上小国川    応じる
> 群馬  倉渕       未定
>     増田川         〃
> 千葉  大多喜      不明(休止中)
> 長野  浅川       分からない
>     角間          〃
>     黒沢生活貯水池     〃
>     駒沢生活貯水池     〃
> 新潟  儀明川      応じる方向
>     常浪川         〃
>     新保川ダム再開発    〃
>     晒川生活貯水池     〃
> 岐阜  大島       検証する
>     内ケ谷         〃
>     水無瀬生活貯水池    〃
> 静岡  布沢川生活貯水池 応じる方向で調整中
> 三重  鳥羽河内     応じる
> 福井  河内川      未定
>     吉野瀬川        〃
> 滋賀  北川       応じる
> 大阪  安威川      応じる
> 兵庫  与布土生活貯水池 応じる
>     金出地         〃
>     西紀生活貯水池     〃
>     武庫川      不明
> 和歌山 切目川      応じる
> 島根  波積       応じる予定
>     矢原川         〃
> 岡山  大谷川生活貯水池 新基準見て判断
> 広島  野間川生活貯水池 検討中
>     庄原生活貯水池  応じる
> 山口  平瀬       新基準見て判断
>     大河内川        〃
>     木屋川ダム再開発    〃
> 徳島  柴川生活貯水池  判断しかねる
> 香川  内海ダム再開発  応じない
>     椛川       新基準見て判断
>     五名ダム再開発     〃
>     長柄ダム再開発     〃
> 高知  春遠生活貯水池  応じる方向
>     和食          〃
> 福岡  五ケ山      応じる
>     伊良原         〃
> 佐賀  有田川総合    応じる
> 大分  玉来       応じる
> 長崎  石木       コメントできない
>     浦上          〃
> 熊本  路木       新基準踏まえ検討
>     五木          〃
> 沖縄  タイ原      応じる

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「応じない」と明言したのは、たった1県の1施設のみ。つまり58分の1!
もちろんまだ未知数の要素は大ですが、各自治体は意外に柔軟に検討しているようで…

全体をまとめてみるとこうなります。

17府県29施設=「応じる」
その理由=「応じない限り、補助金を得てのダム整備が見込めない」(大分県)、
「補助金を出している国の要請で、拒否する理由がない」(新潟県)など。

7道県14施設=「新基準を見て判断する」
その理由=「検証の度合いや方法が分かっていないから」(宮城県)など。

8県14施設=「未定」「判断しかねる」など態度保留
理由=「国の姿勢は理解できるが、地域の実情を反映できるか不透明」(徳島県)など。

1県1施設=「応じない」(香川県・新内海ダム)
理由=国の同意を得て進め、09年度に本体工事の補助金交付決定を受けているから。


さてさて、気になる「石木ダム」ですが、長崎県の答えは…

「コメントできない」でした。

はぁ~    

なんとも誠意のない答えですね~
まだ対応を決めかねていて答えられないのなら、
他の道府県のように「検討中」や「分からない」「未定」などと返答すればいいのに…

「コメントできない」では、あまりにもつれないお返事。。

こんな穿った見方も生まれます。

「コメントできない」のは、
未定だからではなく、公表したくないのでは?
知らせる必要がないと思っている?
これは県の事業なので県は決めた通りに粛々とやる、
県民国民にいちいちコメントする必要はないってこと?
などなど。

それが誤解でないことを祈ります。。


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ピースウォーク長崎出発!

2010-01-24 | 平和
『ピースウォーク from  沖縄 ― 天地行 ―』が24日、いよいよ長崎市を出発しました。

今年5月ニューヨークで開かれるNPT・核拡散防止条約の再検討会議に合わせて、
核兵器のない世界を目指そうと元旦から沖縄を歩いてきた平和行進を引き継ぎ、
ここ長崎から東京までの長い行程が今日、青空の下始まりました。




お昼を食べながらニュースを見ていたら、朝の出発式の様子が伝えられ、びっくり!
予想以上の人数です。100人あまりが参加していたとか。
1万人署名の高校生たちの姿もありました。

上の写真は、原爆落下中心地公園を歩いているところ。
まさに平和への思いがいっぱ~い詰まった場所。

お天気のせいだけでなく、日曜日だからというだけでなく、
平和への希求が強い市民の住む長崎だからこそ、こんなにたくさんの参加者が集まったのでしょう。

長崎県内を歩く最終日29日は、佐世保市です。
佐世保から有田の県境まで、約20kmを歩きます。

佐世保の平和を愛する皆さんも、一緒に歩いてみませんか?
1kmでも2kmでも、もっと少なくてもいいんですよ。


 1/29 8:45 松浦公園集合
      9:00 出発
           ↓
           基地周辺
           ↓
           佐世保駅前
           ↓
           日宇駅(トイレ)
           ↓
     12:00 ジャスコ(昼食・休憩)
           ↓
           早岐
           ↓
           三河内支所(トイレ)
           ↓
           やきもの市場 
           ↓
     16:00 県境(有田町)佐賀県にバトンタッチ



あなたの思いを歩くことで伝えてみませんか?

平和への思いは人それぞれ。

「平和」を辞書でひくと、「戦争がなくて世が安穏であること」と書かれていました。
戦争がなくても、会社が倒産し、住む家も失った人にとっては今が平和とは言えないでしょう。
裕福な生活をしていても学校に行けばいじめにあう毎日を過ごしている子どもにとっては、
いま戦争以上の恐怖を味わっているかもしれません。
原発や再処理工場のそばで暮らしている人々にとっては、不安な毎日で、とても安穏な心境にはなれないでしょう。

いろんな心配事、辛いことが少しでも減っていく未来であってほしい。
それは、誰かがつくってくれるものではなく、
私たち一人ひとりが意識して変えていかなくては得られないもの。

黙々と歩くうちに何かが見えてくるかもしれません。
私にできること。
私たちは独りではないってこと。

今日、沖縄では名護市長選挙がありました。
県外移設を主張する無所属新人で前市教育長の稲嶺進氏(64歳)が当選しました。
名護市民は、基地は要らないとはっきり表明したのです。

その名護市民、沖縄県民の思いも引き継いで、長崎もしっかり歩きたいと思います。


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石木ダム付け替え道路 年度内着工!

2010-01-22 | 石木ダム
今日の新聞を見て、びっくりしました。

  県は21日、石木ダム建設事業で、付け替え道路建設工事の入札を実施した。
  3月までに着工する予定。

まさか…と思っていました。

昨年夏までには着工するはずだった付け替え道路。
県はずーっと何の動きもおこさず、秋を過ぎ、冬を迎え、
そして年末の国交省の発表を受け、
(これから必要性を検証するダムリストの中に石木ダムも入っていました)
当分はこのまま静観するものと思い込んでいました。

つまり、来年度の補助金がどのくらい付くのか、
それを見極めないと、貧しい長崎県としては工事に取り掛かれないだろうと、楽観していました。

甘かった!です。

見通しがどうであれ、駆け込みで工事を始めてしまう。
そして、もう建設工事に着手していますよ、今さら白紙は難しいですよ、という口実にするのだろう。


県知事や県河川課や佐世保市長は、ナゼそんなにしてまでダムを急いで造りたいのでしょう?
あらためて不思議…。

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フォークソング

2010-01-21 | 雑感
私の学生時代は、フォークソング全盛時代で、
いろんなシンガーソングライターがいて、
みんなとてもアマチュアっぽくて、
次から次にいろんな曲が生まれては消え…

覚えているのは、
「神田川」だとか「風」だとか「なごり雪」だとか、
ポピュラーになってしまった曲ばかり。

ところが、つい最近、懐かしいフォークソングに出会った。
一月ほど前、友人が貸してくれた歌集「 FOLKS SONG BOOK 」の中に、それはあった。
そこに納められた62曲の歌詞はすべて、笠木透の作品だった。
62の楽譜の横には、笠木さんともう一人作曲者などのメッセージが添えられていた。

昨年12月ピースフェスティバルで歌った、笠木透さん作詞の「あの日の授業」の素晴らしさを
私が力説したのかもしれない。
それで、家にあった古い歌集を持ってきて貸してくれたのだった。

でも、その頃は忙しくて、ようやくこの頃開いてみたら、
予想以上に何倍も素晴らしかった!

どの詩も、どの詩も、これぞフォーク!という感じで、心に沁みてくる。
そして、楽譜を見ながら1本指で弾いてみると、知ってる曲はほとんどないけれど、
なぜかみんな懐かしい気がする。
やっぱりフォークソングだ!

そして、その中に、アレ?この曲は聞き覚えがあるような…
という歌に出会った。
それが、この歌。


   私の子どもたちへ

   生きている鳥たちが
   生きて飛びまわる空を
   あなたに残しておいてやれるだろうか
   父さんは

   目を閉じてごらんなさい
   山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   こぶしの花があるでしょう

   生きている魚たちが
   生きて泳ぎまわる川を
   あなたに残しておいてやれるだろうか
   父さんは

   目を閉じてごらんなさい
   野原が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   りんどうの花があるでしょう

   生きている君たちが
   生きて走りまわる土を
   あなたに残しておいてやれるだろうか
   父さんは

   目を閉じてごらんなさい
   山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   こぶしの花があるでしょう


若い時もきっと、いい歌だなあと感じたかもしれないけれど、ほとんど忘れていた。

今、この歌の思いが、前よりずっとずっと伝わってくる。
もう決して忘れないだろう。
そんな気がする。

海ばかり見ていた若いころと違って、今は山も好き。川も好き。
その恵みを感じることができるから。


この歌の思いは、「石木川まもり隊」の思い、そのもの。。


そうそう、「石木川まもり隊」のHP、再開しました。
また時々お立ち寄り頂ければ嬉しいです。 


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佐世保市水道問題学習会

2010-01-20 | 石木ダム
佐世保市の水道問題学習会のお知らせです。

と言っても、明日のこと、遅すぎるお知らせです。
もっと早く言ってよね~というお小言、当然です。
重々承知の上、でも、何も伝えないよりはマシかなぁ、という程度の告知で…
すみません。

というのは、はじめは政党内での学習会と聞いていて…
昨日メールをもらって、一般市民参加歓迎ということを知ったわけで…
だから私に責任はない!と言いたいけど、昨日お知らせすることはできたわけで、
それをしなかった私は、やはり反省です。

と、前置きはこれくらいにして。

昨年12月のシンポジウム「佐世保の水これから」で基調講演して下さった遠藤保男さんが、
再び佐世保の水事情について話して下さいます。

あの続編が聴けるのです。
さらにバージョンアップして?

そうです。
なぜ、佐世保市の漏水対策は功を奏しないのか?
なぜ、こうも漏水率13%を維持できる?のか?
どうしたら、漏水を減らせるのか?
そういうお話が聴けるはずです。

実は今日、佐世保入りなさった遠藤さんは、明日の講演に備えて、さっそく水道局を訪問。
ご自分の説明に間違いがあってはいけないと、用意なさった資料を開示、確認を求められたのです。

明日の会の主催者である、佐世保市議社民党のH議員や私たち一般市民6人も同行。
そのやりとりを聞きながら、明日の話が意義深いものであることが確信できました。

日時と場所は以下の通り。

日時:1月21日18:00~

場所:佐世保市労働福祉センター
   http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/www/contents/1215158519004/index.html

どなたでも参加できるとのことですから、
ご近所の方、お時間のある方、関心のある方は是非足を運ばれてはいかがでしょうか?

また、12月のシンポジウムは時間が取れなくて行けなかったけど、資料だけは買い求めて下さった方
などは特にお勧めです。


予告編

・漏水と配水管の材質は大いに関係があるらしい…
・東京はステンレス管で、佐世保は…?
・漏水調査の具体的なやり方は…?

などなどだと思います。


それにしても、毎回、水道局職員の方々は、本当に誠実に対応して下さいます。
今日も断水騒ぎで皆さん時間があまりないところを、4人もの方々が約束の時間にそろってくださり、
どのような質問にも、ご存じのことは率直に話して下さいました。

私は、佐世保市の水道行政には疑問と不信を覚えますが、
水道事業を行っている職員の皆さんのお人柄には好感と信頼を覚えます。

この方々と相反するのではなく、
協力して、ダムに頼らない水問題の解決への道を探れたらどんなにいいだろう…
と思います。

同じ佐世保市民として。 



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人類を救う?ダチョウ

2010-01-18 | 雑感
私、孔雀さんみたいに派手じゃないし…

繁殖力ありすぎだから、
トキさんみたいに天然記念物として大切にもされない。

鳥のくせに飛ぶこともできないし。

おまけに脳はネコなみの大きさ、
ネズミなみのシワのなさだから、
「アホウ鳥よりアホ」と言われているけれど…

でも、あなたたち人類を救ってあげられるのは、
私たちダチョウではあるまいか。


な、な、なんなの、この表紙は!?と思って
中を開くと、裏表紙に印刷されていたのは、

「な、な、なんなんだキミたちは?」という言葉と、
マスクをしたダチョウたちがズラリと並んだ写真でした。

そして、緊急企画として、インフルエンザ対策「ダチョウ抗体マスク」の解説へと導かれ…

う~ん、あっぱれ!
だから好き!

きっと、私のような読者も多いことでしょう。
ほとんど何も買わないのに、毎回届くのを楽しみにしている『通販生活』という雑誌。

知ってる、知ってる。
その記事読んだよ~という人も多いかも。

まだご存じでない方のためにご紹介すると…

メーカーの努力により、ウイルスの侵入を防ぐマスクの効能はかなり向上しているが、まだ問題がある。
それは、マスクの表面で侵入を食い止めても、
ウイルスの寿命は2~8時間なので、マスクを外した時に、手に移る危険性が残っているというもの。
そこで、マスクに付着したウイルスを不活化(感染能力の無力化)できれば…と考えた人がいた。
獣医学博士で現在は京都府立大学教授の塚本康浩さん。

塚本教授は、研究の結果、ダチョウの抗体がインフルエンザ・ウイルスに強いことを発見、
それをマスクのフィルターとして応用することに成功、
人類を救う「ダチョウ抗体マスク」の誕生となったのです。

その功績により、塚本教授は、平成21年度文部科学大臣賞を受賞なさったとか。

何しろ、専門機関のテストによると、
インフルエンザ・ウイルスにダチョウ抗体フィルターを反応させ、10分後、
その感染防御率は、99%以上だったそうです。

ほんとにすごい!じゃないですか。

でも、インフルエンザワクチンといえば、鶏の有精卵からつくられるというのは聞きますが、
なぜダチョウに目を付けたのか?

それは、ダチョウの卵の方が大量に手に入るから、だったそうです。

なにしろ、卵の大きさは、鶏の30倍。
1個の卵黄からフィルター8万枚分の抗体が採れる!

1羽の雌が産む卵の量は、年間40個~100個!
しかも、2歳から寿命の60歳まで生み続ける!
な、なんと多産な動物なんだろう。
知らなかった…

そういう理由で、つまり大量かつ安価に抗体が取り出せることで注目したダチョウの卵だったのだけれど、
比較してみると、鶏卵からつくった抗体の20倍もの抑止力があったそうです。

まさにダチョウ様々ですね。

でも…
この写真、マスクをしたダチョウの群れ、よく見ると、なんだか怖いのです。
なんだか怒っているような、迫ってくる眼です。

このダチョウの眼、いつかどこかで見たような…

そうだ!
見たのではなかった、読んだのでした。

高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」
ご存じですか?
高校生のころだったかナ、私は国語の授業で習いました。
その時はまだ生ダチョウにお目にかかったことがなかったので、
想像のその「眼」がかえって脳裏に焼き付いていました。



 何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。

 動物園の四坪半のぬかるみの中では、

 足が大股過ぎるぢゃないか。

 頚があんまり長過ぎるぢゃないか。

 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。

 腹がへるから堅パンも食ふだらうが、

 駝鳥の眼は遠くばかりを見てゐるぢゃないか。

 身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。

 瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまへてゐるぢゃないか。

 あの小さな素朴な顔が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。

 これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。

 人間よ、

 もう止せ、こんな事は。


ダチョウさん、ダチョウさん、それでもあなたは人類を救ってくれますか?

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別れ

2010-01-15 | 雑感
今日は敬愛する先輩、外間喜明さんの告別の日。

体力が弱っているときは、気持ちも弱るのだろう。
涙腺がゆるみっぱなしだ。

昨夜はお通夜だったが、体調不良で参列できないと思うと申し訳なくて、
その分ついついいろんなことを思い出してしまった。

去年の7月、仲間が集まって、癌と闘う彼を「励ます会」をした時に、逆に私たちが励まされ、
一人一人記念の写真を頂いた。
写真家・外間喜明が自信を持って贈る風景写真だった。
その多くが力強い山の姿であり、広い広い海であり、優しい草花だった。

時間の余裕がなく中途退席しなければならなかった私に、外間さんは持ってきた写真全部を見せて、
「どれがいい?どれでも好きなのを選んでいいよ」と言ってくれた。
私は写真のことは全然わからないし、どれもそれぞれの良さがあり選びきれなくて、
「迷うなぁ。う~ん、困った。外間さんのお薦めはどれ?」と訊くと、
「そうだなぁ。Mさんにはこれがいいかな。うん、これだ!」と言って選んで下さったのが、この写真。



富士山頂で撮られた日の出の瞬間。
一日の始まりの、力強い太陽光のほとばしりだ。
雲が、黄色とオレンジと金色に染められ輝いている。
しかし、空はブルー。夕焼けとは違う。始まりの空だ。
エネルギーをもらえそうな一枚だ。

さては、ふだん生意気なことを言っていても、実はノミの心臓だということ見抜かれていたかな?

でも、ずっと見ていると、その朝焼けから温かい空気が流れてくるような不思議な感覚があって…
外間さんの人柄のようだなぁと思ってジワっときた。

そのとき携帯にメールが届いた。
斎場にいる友人からだった。
祭壇に飾られた外間さんの写真が添付されていた。
ウルっとしてしまう。

東に向かって合掌。

数時間後また携帯が鳴った。
今度は、電話。場所を変えて盛り上がってる(?)友人たちの声。

去年、励ます会をした同じ店の同じテーブルだという。
斎場の様子を報告してくれる友人たちの声を聞いたとたん、
ダムの堤防が決壊してしまった。
目からも鼻からも水があふれる。
電話でよかった。

携帯を切った後も鼻水は続く…

やばい。
歳のせいか。病気のせいか。両方か。
お葬式などではめったに泣かない、泣けない、へそ曲がりな私なのに。

悲しい時、私の涙腺は緩まない。
緩むのは感動した時と悔しい時だけのはずなのに…

そうか…私は悔しいのかもしれない。
やりたいことがいっぱいあった外間さん。
特に、宮良英加さんを伝えること、沖縄の基地をなくすことが悲願だった外間さん。
全く道半ばで終止符を打たねばならなかった彼の無念を思うと、悔しくて悔しくて…
そうか、そうだったのか、とやっと自分の異変を理解し納得した。



外間さんがオマケにともう1枚くれたこの写真。
辺野古の空撮。
自慢の1枚だ。
飛行機の窓から撮ったとは思えない奇跡の写真。

ここに、この美しい沖縄の海に基地はいらない!と、外間さんの代わりに言い続けよう。

基地の無い沖縄、基地の無い佐世保、基地の無い日本が実現する日まで、私たちに別れはない。

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お疲れ様でした

2010-01-11 | 雑感
今日未明、大切な人が逝ってしまった。

友と呼べるほど親しくしていたわけではない。
年齢も少し上で、知り合ってまだ2年半ほどだし…

しかし、その人は昔からの知り合いのように、いつもニコニコと私の心の中に住みついていた。

そして、それは私だけではなく、仲間のみんなにとっても同じだったと思う。

その仲間とは、たった一度の旅で出会った人たち。


1944年12月、沖縄で生まれ、戦禍の中を奇跡的に生き延びた赤ん坊、それが彼だった。
父や兄や祖父母や、大勢の身内を亡くし、母と二人だけ生き残る。
苦労多き少年時代を過ごし、
単身上京してからは、定時制高校と早稲田大学の二部で働きながら学んだ。
苦学生という言葉は彼の中にはない。
良く学び、よく働き、よく遊び、恋も学生運動もうたごえも、すべてに情熱を燃やした青春時代だった。

念願の高校教師になってからは、他の教師が疎かにしがちな近現代史をしっかり教えた。
沖縄への修学旅行では、特に使命感を持って伝えてきた。

そして、定年退職後、その思いはさらにつのり、「沖縄平和の旅」のプランナーとなる。
沖縄戦の傷跡を見つめ、体験者の話を聞き、美しい自然に身を委ね、基地の轟音の下に佇む…
そんなツアーを企画しては人を集めた。

私たちは、その3回目の旅で出会った。
それぞれの地域で、平和を求めて何らかの活動をやっている人たちだった。
彼を筆頭に、みんな忙しい人たちばかり。
それでも彼が呼びかけると、行かねば…という気持ちになって集まってくる。
なぜだろう・・。

彼は決して特別な人ではなかった。
趣味の写真と書きためた詩を集めて「うちなー讃歌」という本を出版したり、
沖縄戦の語り部として講演をしたりしていたが、
とびぬけた才能の持ち主というわけではなかった。

しかし、その普通の人が、自分を過大評価も過小評価もせず、自然体で、自分の思いを発信し続けた。

戦争の真実を知ってほしい。
宮良英加という沖縄師範学校生徒のことを広めたい。
「一度は生徒を教えてみたかった」と言って死んでいった彼の無念を伝えたい。
同じ教師を志し、平和な時代に育ったからこそ教師になれた者として。
その一途な思いはずっと変わらなかった。

そして、どんなに多忙でも、いつもニコニコ笑顔。
怒ったり、いらついたり、不安そうな顔をしたり、しかめっつらなど、一度も見たことがない。

「お疲れ様」と言うと、
「疲れちゃいないよ。楽しいことやってるんだもの」と否定し、

メールにはいつもこの言葉があった。

いっぺーにふぇーでーびる!(たいへんありがとう)

そして、ちょっと弱音を吐くと、

なんくるなゆさ、まくとぅそーけー
(まっとうに生きていりゃー なんとかならーな)
(あなたは誠実な人間だから、道は開けるよ)

という励ましが返ってきた。

彼がすい臓癌とわかってから、私は何度この言葉を胸の中で呟いただろうか。
彼自身はもっともっと繰り返したことだろう。

なんくるなゆさ、まくとぅそーけー…


いま、苦しかった闘病生活を終え、
天国への道が開けて、笑顔で階段を上って行ってることでしょう。
本当にお疲れ様でした。

天国ではお父さんやお兄さん、そして、宮良英加さんが両手を広げて待っているでしょう。

よかったですね。
憧れの英加さんに会えますね。  
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赤潮と排水

2010-01-08 | 有明海・諫早干拓
昨日の記事に対する異論をいただきました。

赤潮というのは赤色のプランクトンの異常発生の事。
諫早湾では干潟がなくなって、アサリとかが減ってバランスが崩れてというのが有力な説。
汚水の排水が原因というのはいかがなものか…と。

確かに感情的な書き方をしてしまって、説明の仕方がまずかったかもしれません。
赤潮というものをもう少しきちんと捉えて書くべきでした。
反省します。

そこで、赤潮について、私も少し調べてみました。

赤潮(あかしお)が、プランクトンの異常増殖によることはご存知の通りです。
では、なぜプランクトンが異常に増えるのか・・・

その主な原因は「富栄養化」と言われています。
富栄養化とは・・・栄養塩が増えること
栄養塩とは・・・海水中のリン酸塩、硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニウム塩、ケイ酸塩などの塩類のことで
プランクトンの餌となります。

そして、干潟に住むアサリなどの生物は、そこに棲む微生物やプランクトン等を餌として取り込み、
海洋への栄養塩や有機物の流入を食い止めるという、謂わば自然の浄化槽の役割を果たしてきたのです
が、干潟の減少により浄化作用が大幅に減少し、湾内の富栄養化が進行してしまうというわけです。
まさにご指摘の通りです。

しかし、それだけではなかったのです。


2002年6月19日(水)「しんぶん赤旗」には次のように書かれています。

  諌早湾の調整池からの排水が有明海に予想以上の悪影響を与えていることがわかりました。
  日本自然保護協会の程木義邦・保護担当研究員らの調査によると、
  調整池から海域に排出されるCOD(化学的酸素要求量=有機物の汚染度の指標)排出量は
  これまでの農水省の予測値の三倍にもなることが判明。
  有明海の赤潮の増大、貧酸素水塊拡大の原因として注目されます。

  程木研究員らが諌早湾内のCOD濃度と塩分濃度との関係を調べた結果、
  調整池からの排水はCOD濃度が一五ppmと推定されました。
  排水のCOD濃度に調整池からの年間総排水量を掛けるとCOD総量は
  年間約六千トンにのぼります。

  農水省はCODの年間排出量を約二千トン(環境影響評価に係わるレビュー)、
  農水省の第三者委員会委員の試算では約三千トンと報告されているので、
  程木研究員の算定値は、その二~三倍になります。

  環境省の調査によると有明海全体の年間COD総量は三万六千五百トン。
  このうち17%(六千トン)が調整池からのものということになります。
  調整池からの排水量は有明海に流れこむ河川全体の水量の3%。
  これに対しCOD総量が17%もあるのは、
  調整池の排水がいかに有害な役割を果たしているかを示しています。


また、2007年09月の朝日新聞によると、

  諫早湾北岸の長崎県諫早市小長井町で、養殖アサリが死滅する被害が起きている。
  県総合水産試験場によると、有明海で8月上旬から発生した赤潮の影響で海水の酸素濃度が低下
  したためとみられる。被害を受けた海域は諫早湾干拓事業で建設された潮受け堤防に近い。
  「堤防で潮流が弱まり、赤潮の被害も大きくなった」との指摘もある。地元の漁業者からは 
  「天災ではなく人災だ」との声が上がっている。

  沿岸に赤潮が広がったのは8月上旬。定置網のコノシロは全滅。
  被害が深刻だったのは沿岸一帯に広がる養殖アサリ。
  長崎県が8月26日に小長井町沿岸の12カ所を調査したところ、3カ所で全滅し、
  全体では4割が死んでいたという。小長井町は、潮受け堤防の東側。
  堤防の内側にある調整池から、淡水を定期的に排出する北部排水門の目の前だ。
  地元漁業者の話では、例年夏場に淡水が排水された後に赤潮が発生し、アサリが死ぬことがある
  が、これほどの被害は初めてという。

  同漁協理事の松永秀則さんは「この夏は水温が高く赤潮が発生しやすい状態だったのに
  排水を繰り返したため、被害が大きくなったのでは。しかも堤防が出来てからは潮流が弱くなり、
  汚れた水が消えてくれなくなっている」と語る。

  長崎大学環境科学部の姫野順一教授は「調整池から排出される汚れた水が海のバランスを崩し、
  特に排水門近くのアサリ漁場に大きな影響を与えたのではないか」と指摘する。

  一方、県は干拓事業との関連について、赤潮発生のメカニズムが解明されておらず、
  直接の原因とは断定できないとしている。



このように、専門家の話や当事者である漁民の話を聞く限り、
調整池の排水は赤潮の原因であると思われます。
しかし、県の方は、赤潮と排水の因果関係は解明できてないとして、その解釈を否定しています。
ということは、おそらく、関係ないと結論付けている学者もいるからでしょう。

しかし、「疑わしきは罰し」て、その疑われている問題を取り除いてみるべきでしょう。
その結果、改善されればそれでよし、
改善されなければ、それは白として、別の原因を探せば良いのです。

疑わしきをそのままにしてきた結果、いかに多くの公害病患者が生まれたことか…。
私たちは学んできたはずです。

有明海の生き物たちが死んでいっているのです。
ノリが育たなくなっているのです。

長崎県は真摯に漁民の声に耳を傾けるべきではないでしょうか。 


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