12月10日に亡くなった市川森一氏のことを、私はほとんど知らなかった。
長崎の新聞やテレビは、かなり大きく何度も報道していた。
以前、長崎出身の芸能人は故郷への思いが強く貢献していると何かに書かれていたが、
それに応えるように、長崎県民も、他県民以上に地元出身の有名人を敬愛し、
バックアップしているのではないだろうか。
だから、市川氏も、そのような意味で大きく扱われているのかも・・
と思っていたが、それは私の無知が為せる誤解だったようだ。
私は脚本などほとんど読まないので知らなかったけれど、
「黄金の日々」「山河燃ゆ」「花の乱」などを書いたシナリオライターの大家とも言える人で、
「怪獣ブースカ」や「ウルトラマン」など子どもにも愛されたライターだったらしい。
学生時代からTBSのADをしていた忙しい日々。
深夜に書いたシナリオは段ボール箱数十箱にもなり、
それでも、日曜日の礼拝は欠かさなかったという。
ライターとして大成功を収めても、少しも偉ぶらず、庶民派を貫き通した。
と、彼をよく知る森泰一郎氏(長崎ウエスレヤン大学学長)は、長崎新聞に寄稿した。
母校鎮西学院の短大で客員教授を無給で引き受け、「夢学」を講じ、
教室はいつも学生であふれていたそうだ。
その市川さんが書いたウルトラマンシリーズの最終執筆。
ウルトラマンエースは地球を去る時、少年たちにこう言い残していった。
優しさを失わないでくれ。
弱い者をいたわり、互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと…
それが、私の最後の願いだ。