佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

九電 株主総会に 人間の鎖

2011-06-28 | さよなら原発

東電だけでなく、九電も今日は株主総会。

私は株主じゃないけれど、 I さんたち3人と一緒に6時前に佐世保を出発。

8時過ぎ、会場のホテルニューオータニ前に着く。

九州各県から約500人が集結。

玄関前には、かなりの報道陣も。

 

次々に集会アピールが。

こちらは、福島から福岡に避難してきた親子。

福島の二の舞にさせてはならないと、心からの訴え。

広島からやってこられた被団協の方の確信に満ちた訴え。

屋久島から、ご主人と共にやってきた災害救助犬。

今回、岩手や福島にも出動したのに、放射能汚染が広がって、十分活躍できないうちに帰ることになって
とても残念だったそうです。

 

もう、原発の無い世界で暮らしたい!

安心して暮らしたい!

そんな私たちの思いを代弁してくれるのは「九電消費者株主の会」。

九電保有の原発6基を古い順に停止して廃炉にすることや、
玄海原発のプルサーマル中止を求めるなど脱原発議案を提出します。

その皆さんを拍手でホテル内に送り出し、私たちは人間の鎖をつくりました。

おそろいのゼッケンをつけてる皆さんは組合関係?

個人参加の私は、手書きのこんなチャッチイやつを、リュックの後ろにぶら下げていました。

トラクター部隊も応援に駆け付け、

デモ行進に、いざ出発!

今日は雨の予報だったのに、梅雨明けのようないいお天気で…

2時間半の行進の後、日焼け止めを塗ってない顔や手は、真っ赤っか!

後が怖~い!(シミになりそう・・)

 

九電本店前で、株主総会終了を待つ人たち。

まだ続いてますが…と、報告のために一旦出てきてくれたKさん。

一般株主からも脱原発を求める声がたくさんあがっている。

東京からやってきたある株主は、

「あなた方は福島原発の何を見たのか?!」と、九電の経営陣を一喝し、万雷の拍手をもらった。

などと報告。

もしかしたら、1号機の中止を検討するような回答を引き出せるかもしれない。

との期待を語り、再び会場へ向かわれました。

 

私たちも、希望を感じつつ、総会の終了まで待ちました。

歌あり、アピールあり・・・

鹿児島からやってきた学生さんたち。

鹿児島は、議員さんも市民も、川内原発増設を止めようと、皆さんよく頑張っています。

ガードマンや東電職員も、一部始終を見守っています。

どのような感想を持たれたでしょう。

ちょっと聞いてみたかった…です。

 

2時近くに、やっと終了。

待ちに待った結果は・・・すべて廃案。

ガク!

ちょっと期待した分、気落ちしましたが、

なんのなんの・・おじさんたちは元気です。

 

世論は動いている、変化している。あと1歩だ。引き続き頑張ろう!

今日で70日目になる、ここ、九電本店前座り込みを12月まで続けます!と宣言。

タフだな~。脱帽です。頭が下がります。

 

でも、九電の皆さんはイヤ~でしょうね。

えーっ、まだ居続けるのかよ~って、ため息ついてます?社長さん。

追い払うのは簡単。

まず1号機を廃炉にして、プルサーマルの再稼働を止めれば、すぐに撤去しますよ! 

 

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玄海原発 緊急安全対策 県民説明会

2011-06-27 | さよなら原発

昨日は、佐世保音声訳「アラカルト」編集会議の日で、「どんどんどんの森」の集会には行けなかった。

でも、友人の「そぷん」さんが、雨の中行ってきてくれて、その様子をブログにアップしてくれた。

http://blog.goo.ne.jp/bhdsy27/e/46ccd98c4355fcf0fece49fa5dd602d1

 

私はその「説明番組」の録画を見たけれど・・・

http://www.ustream.tv/recorded/15622683

予想通り、何にも説明(よくわかるように説き明かすこと)になっていなかった。

たくさんセツメイの言葉は並べられたんだけれど、

保安院(別名「不安院」ともいう)職員の話は、安心を押し付けるためのセツメイで、

不安を取り除く説明にはなっていない。

ダム問題の時の県職員とのやりとりと全く同じ虚しさを感じるばかりだった。

 

今朝、東京の友人から「保安院の説明は破たん!」というタイトルのメールが転送されてきた。

弁護士の方が書かれたもので、説明番組の内容をとても詳しく紹介なさっている。

動画を見れない方にはかなり参考になると思うし、転送転載自由とのことなので、

ありがたく転載させて頂きます。

 

>  河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は失礼をお許し下さ
> い。転送・転載は自由です。)
>
> 中略
>

> 以下、ユーストリームで私が見た記録に基づき「説明番組」の実際の状況を再 
> 現してみます。
>
>  「説明番組」は、佐賀市内のケーブルテレビのスタジオで撮影、ネットなどで中継 
> されました。時間は、午前10時から11時半まで、
> 国のほうからは黒木慎一氏ら保安院から合計3名、資源エネルギー庁から1名、オブ 
> ザーバーとして高村昇長崎大学教授が参加しました。
>  国が選出し、同番組に参加した県民は7名、商工会議所の企業経営者(男)1名、 
> 農民(男)1名、玄海町民(男)1名、パートタイマー(女)1名、映画評論家
> (男)1名、大学生(女)1名、主婦(女)1名、でした。運転再開反対派の市民に 
> 参加を呼びかけたが断られた、という説明がなされました。
>  
> 同番組にたいしインターネットでアクセスした人は、9時57分には256人でしたが、 
> 番組が開始されてから増加し、11時18分には1490名、累計4055名という数字が
> ウェブサイト上で表示されました。
>
また、メールで意見を寄せた人473名、FAXで意見を寄せた人116名、 
> ユーストリームに意見を寄せてきた人は1152名という数字が司会者より 
> 紹介されました。
>
>

>  まず保安院から説明が行われ、その後、玄海原発で3月11日以降に行われた緊急安 
> 全対策について(前半部)、その他(後半部)、と分けて質疑がおこなわれました。
>
>  保安院は、緊急安全対策につき、福島原発の事故の原因は、あくまでも15メートル 
> の津波にあったと説明、その上にたって、3月30日に保安院が指示した短期的な安全 
> 対策、中・長期的な安全対策のうち、短期的な安全対策の終了を確認したとして、運 
> 転再開に理解をもとめました。
>
>  また、県が提起した「福島原発の事故の原因は地震にも関係があるのではないか」 
> という点にたいしては「地震後非常用電源はすべて作動していたから津波が原因であ 
> ることは間違いない」、
> 「浜岡と同じようになぜ玄海原発を運転停止にしなくてよいのか」という点にたいしては 
>「浜岡と異なり、付近にプレートの境界がない、大規模な断層等ない」
>「福島原発はプルサーマルの影響はなかったのか」という点にたいしては
>「プルトニウムは発見されたが、通常の環境と同程度であった」と答えました。
>
>  県民の方からの質疑に対する主な応答を書いてみます。
>
>  「玄海は大規模地震の確率がゼロパーセントといわれている。福島だって大規模地
> 震の確率がゼロパーセントだというのに、ああいうことになった。だから保安院の説
> 明は説明になっていない」という質問に対しては、「耐震設計は十分に行われていま
> す」という回答でした。
>
>  「福島第一原発でプルトニウムは出たのか、どう処理したのか」という質問に対し
> ては、「プルトニウムは検出されたが、環境に影響はなかった」と答えています。
>
>  「1号機は、こわれる可能性はないのか」という質問に対し、「壊れないようにす
> るのが私たちの使命です」と答えています。
>
>  「玄海町長も、1号機については廃炉の議論を始めなければならないと言ってい
> る。廃炉にむけて議論をする気があるのかどうか」という質問に対し、「劣化が深刻
> 化したことはない。必要な事項があれば、点検に加えていきたい」と答えています。
>
>  「これまで、玄海原発は2メートルの津波しか想定していなかった。今回は安全対
> 策でどうしたのか」という質問に対し、「13メートルの対策をした」と答えています。
>
>  「風評被害についての対策は」という質問に対し、「正確なデータの提供に努めて
> います」と答えています。
>
>  「福島が収束してから考えればよいではないか」「1号機はもろくなっているので
> はないか」という質問に対し、「九州電力がした試験で、脆性遷移温度(ぜいせいせ
> んいおんど)が98℃になったのは、試験片を炉心の中に入れたからだ。炉心の壁では
> 80℃ぐらいだ。こわれる状況になっているわけではない」と答えています。
>
>  「いつかは廃炉の問題がおきる。そのときには地元は切り捨てられるのではない
> か」という質問に対し、「電気事業者は準備しており、しっかり対応していくことに
> なる」と答えています。
>
>  「佐賀で万が一類似の事故が起きたら、政府の対応は福島原発と同じように問題の
> ある対応になるのではないか」という質問に対し、「炉心溶融の問題は調べるのに時
> 間がかかった。対応にむずかしい問題があったのは事実だ。」という答えがありました。
>
>  「九州電力は電力ユーザーの立場にたっていないのではないか」という質問に対
> し、「電力の地域独占の問題は残っている」と言う答えがありました。
>
>  「国民の不安を解消できるメッセージを発信できないか」と言う質問に対し、「そ
> れをめざして一つ一つ積み上げている」という答えがありました。
>
>  「本当に電力が不足なのか」という質問に対し、「3%の余裕が必要なので、この
> ままではぎりぎりの状態だ。万が一のことがあれば、供給力不足になる」という答え
> がありました。
>
>  少し長いメールになって恐縮ですが、全国各地でも、運転停止中の原発の運転再開
> をめぐって、同じような「説明会」をすると保安院が言っているので、各地の参考に
> と思い、詳しく書きました。
>
>
>  今日の説明番組について、私は二つの感想を持ちました。
>  一つは、保安員の説明は破綻している、ということです。それは、上記の応答に明
> らかなとおり、質問に誠実に答えない回答や、それがなぜ正しいのか説明せず、実質
> 的に「私たちがやったことを認めてください」というだけの回答が多いことにあらわ
> れています。
> また、7人の県民のうちで正面から運転再開を認めた人が一人もいなかったこと、
> 番組に寄せられたメールやFAXのうち11通のメール等が番組の中で紹介
> されましたが、そのうち運転再開を支持したのは私の記録では2通だけであったこと
> に現れています。
>
>  二つは、保安院は、佐賀県民を馬鹿にしている、ということです。質問者がよく勉
> 強し、その質問の水準が高かったことに比較して、保安院の説明は従来の繰り返しが
> 多かったことにそれは現れていると思います。質問者の質問→保安院の回答、だけ
> で、質問者の質問→保安院の回答→質問者の再質問、ということは認められていませ
> んでした。
> この「議事進行の一方的ルール」により保安院は「助けられた」のです。
>

しかし、この後の古川知事のコメントは、

「中身のある議論ができ、一定の役割を果たした」として「県主催の説明会は考えていない」とのこと。

また、九電は、

「丁寧な説明が公開され、大変意義深い」だって~

 

こりゃ、ダメだ・・・

 

一方、わが長崎県では、玄海原発の10キロ圏内に位置する鷹島町で、島民集会が開かれた。

そして、停止中の同原発2、3号機について「島民の納得なしの運転再開は認めない」と決議した。

http://www.asahi.com/special/10005/SEB201106260039.html

 

私たち佐世保市民も、もう黙ってる場合じゃないんじゃない?

 

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原発に殺された牛たち

2011-06-26 | さよなら原発

友だちの友だちのブログに書かれていたのは、

「言葉がありません」の一行と、このURLのみ。

http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-10932997684.html

 

そこをクリックして出てきたブログのタイトルは、

「うちのとらまる」という、のほほ~んとしたタイトルですが、

しかし、そのページ(6月24日「落日」)は、衝撃の連続でした。

ぜひ、ご覧になって下さい。

 

私はつい、タイトルに「原発に殺された」と書きましたが、

原発という物体に、殺すだの生かすだのという意志も力もありませんね。

やはり、殺したのは私たち人間です。

私たちが原発を使って、牛を殺したのです。

 

その原発を止めるのは、やはり私たち人間にしかできません 

 

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みんなちがって みんないい

2011-06-25 | 雑感

乙武 洋匡さんの講演を聴きに行った。

乙武さんと言えば、「五体不満足」の著者として、あまりにも有名で、

その後スポーツキャスターやスポーツライターとして、その名を見かけることはあったけど、

スポーツ音痴の私には縁遠かった。

 

今回は、佐世保市教育委員会の主催で、

「いのちを見つめる月間」のイベントの一つとしての講演会だった。

そして、その演題が、「みんなちがって、みんないい」。

 

金子みすずの詩ですっかり定着した「みんなちがって みんないい」という言葉。

でも、現実社会はなかなか、このようにはなっていない。

私たちの意識も、ときとして、やはり「みんなと同じがいい」となりやすい。

 

乙武さんなら、自信を持って、「みんなちがって みんないい」と語ってくれるだろう。

 

そう期待したのは、私だけではなかった。

開演10分前、市民会館ホールはすでに満席。

左右の通路、最後尾席の後にも立ち見の人があふれていた。

閉会のあいさつの時、主催者の発表によれば、1600人が来場したらしい。

座席数は1408なので、約200人の人が立ったまま聴いていたんだな~

 

でも、その方々も、きっと来てよかったと満足して帰途に就かれただろう。

それくらい楽しい2時間だった。

主に、教員生活の体験談だった。

彼の話の巧さ、声のよさにもびっくりしたが、

聴いていて、本当に楽しい、心が晴れやかになる2時間だった。

そして、笑いながら、違うことを認め合うのは、そんなに難しいことではないんだな~

と、自然に感じることができた。

 

乙武さんは小学校の先生を3年間やったが、

低学年と高学年では、彼を見る目がまるで違ったという。

 

1年生の担任になったとき、子どもたちは皆ギョッとして、ジロジロ見て、

そして何でも無邪気に質問してきた。

「なんで手足がないの?」

「字を書くときどうするの?」

「この車イス、どうやって動かすの?」

 

ある男の子は、短い腕をまじまじと見て、「この腕、秋になったらどうなるの?」と。

答に窮した乙武さん、しばらく考えて、「実がなったりはしないよ」と返したって。
 
うまいな~

 

いろんな質問に、一つ一つ丁寧に答えたり、やって見せたりすると、

こどもたちは「そうかあ~」と言って、すぐに納得。

一気に心の壁がなくなって、打ち解けた。

給食の時間には、誰が先生の牛乳瓶の蓋を取ってあげるかで小競り合いがおきるほど。

 

しかし、高学年になると、こうはいかない。

低学年の子どもと同じように疑問はあるが、訊こうとしない。

傷つけるんじゃないかという分別が働く。

見たいけど、ジロジロ見ては失礼だ、で、そっと見る。

今風に言えば、低学年は「ガン見」で、高学年は「チラ見」だ。

そのように、高学年の場合、慣れるまで2,3ヶ月はお互いに気を遣い合っていた。

 

ある日、昇降口でおしゃべりしてた5年生の女の子たちが、通りかかった乙武先生に尋ねた。

「先生の靴のサイズいくつ?」

「ぼく、靴は履かないから…」

「あ、そうか~」

この時、乙武先生は「しめた!」と思った。

初めは障害のある特別な先生として見られていたのが、

やっと、ただの先生という存在になれたと感じたのだそうだ。

 

乙武さんは、スポーツライターを辞めて、なぜ先生になろうと思ったのか、

その動機を話してくれた。

それは、2003年、長崎の中学生(12歳)幼児誘拐殺人事件と、

翌2004年、佐世保の小学生(12歳)同級生殺人事件がきっかけだった。

被害者である子どもとその家族だけでなく、加害者である子どもも可哀想だと思った。

みんな生まれた瞬間は同じ。幸せな人生を歩む可能性をもって生まれてきたのに。

育った環境・社会の中で、何かが狂ってきて、息苦しくなっていって、

苦しいよ~、こわれちゃうよ~、と、どこかでSOSを出していたはず。

そのSOSに誰かが気づいていたら…

こんな体で生まれてきたのに、幸せな今の自分があるのは、周りの大人に恵まれていたから。

今度は自分の番。

自分が子どもたちに、何かを伝えたい。

そう決心し、大学に入り直して教員免許を取って、小学校の先生になったというわけ。

 

そして、自分もそうだったように、子どもたちに一番伝えたいことは、「大丈夫だよ」ということ。

そのままの君でだいじょうぶだよ。

このままの私でいいんだ、という自己肯定感。

教室には、いろんな子どもがいる。

勉強もスポーツもできないけど、絵がうまいとか、

あやとりが上手とか、

〇〇についてよく知ってるとか、

必ず他の子より得意なものをもっている。

その子の一番を見つけて、それを徹底的にほめて、自信をつけること、それが教師の役目。

 

聴いてる私たち大人でも、なんだかちょっぴり自己肯定感が芽生えて、元気になっていくようだった。

 

質疑応答の時間に、ある女性が尋ねた。

「乙武さんは、いつも前向きに生きているようですが、たまには落ち込むこともあるでしょう?

 そんなときは、どうするんですか?」

 

「ありますよ。落ち込むこと。

そんなときは、部屋を真っ暗にして、暗ーい音楽をかけて、三日間ほどじっと籠っています。

そうすると、どん底まで行った気分になって、もうこれ以上落ちて行かない。ここからは上に行くだけ」

という時が必ずやってきます。

 

な~るほど。

いい対処法を聞いた。

こんど落ち込んだら試してみよう。

 

といっても、一晩寝ると、何でも忘れてしまう私に、効果あるかな…

 

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国が参加者選定? その2

2011-06-25 | さよなら原発

今朝PCを開いたら、

佐賀県の友人から例の説明会に関するメールが届いていた。

 

> 国も、自治体も、震災以前と何も変わらない体質のまま、玄海を皮切りに
> 再稼動していくのは、とても耐えられないです。
>
> 今回再稼動しようとしている3号機はプルサーマル発電です。
>
> あー。もー。どーしたらいいんだろう。
> と、今日も抗議行動やら、いろいろ参加したい思いもありつつ、
> 一日田植えしてました。

 

同じだな~

同じ思いだな~

こんな市民がきっとたくさんいるんだろうな~

と、心強くなりました。

 

その友人からの情報を貼り付けます。

 

> ≪6月26日(日)のアリバイづくりの住民説明会の抗議について≫
>
> ①25日から26日まで、県庁横に「テント村」をたて古川知事と、海江田大臣の来佐に抗議します。
>
> ②当日26日の抗議行動は以下のように、
> ●「どん3の森」に9時から9時半に集合ください。
>
> 「どんどんどんの森」佐賀県佐賀市天神3-2-11
> http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl
>
> 思いおもいのプラカードなど持参ください。可能ならデモをしたいですね。
> (道路許可などの関係で現在検討中です)
> 臨機応変に行動して行きたいと思います。
>
>
> ●来ることが出来ない方は、メール、ファックス、電話などで意見をお送り下さい。
>
> この説明会の様子がインターネットでも視聴できます。
> http://www.pref.saga.lg.jp/web/cyumoku/_55511.html
>
> 意見や質問などの受付はここでしているようです。
> メールアドレス:kenmin@kikitai.jp
> ファックス:0952-27-1010
> 電話:03-3501-1511(原子力立地・核燃料サイクル産業課)
>
>

 

距離的にも、時間的にも可能な方は、「どんどんどんの森」へいらっしゃいませんか?

 

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国が参加者選定?

2011-06-24 | さよなら原発

いったい何のための説明会なのだろう?

「玄海原発の運転再開に理解を求めるために、佐賀県民向けに開く説明会」なのに、

その参加県民を国が指定するという。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011062301001210.html

唖然とした。

佐賀県民はそれで納得するんだろうか?

 

県民にもいろんな考えがあるだろう。

すぐにも再開してほしい人。

しっかり納得のいくまで安全確認をして、それからなら再開も止むをえないと思う人。

子どもたちのためにもすべての原発を廃炉にして、これからは安心して暮らしたいと願う人。

 

そんな再開に反対する県民すべてに対し、一人ひとり説明して回るというのが、

「理解を求める」人のとるべき本来の行動だろう。

でも、現実には難しいので、ある場所に集まってもらって、説明会という形をとる。

そこまでは、わかる。

が、その説明会に来る人の人数を制限したり、その人選までするというのは…

そういうことを言いだす経産省の役人の神経が理解できない。

 

そんな資格があなたたちにあるのか?

「理解を求める」という言葉をわかりやすく言うと、

「理解して下さい」ではなく「理解しろよ」ということなのか?

 

説明会は、ケーブルテレビとユーストリームで中継するが、

会場は非公表で、報道陣の取材も認めないという。

 

私が佐賀県民なら…切れます!

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平和の詩「幸せの一枚」

2011-06-23 | 平和

今日は「沖縄 慰霊の日」

戦没者追悼式のTV中継を見た。

中学2年の女子生徒が朗読した平和の詩が、心に残る。

詩そのものが素晴らしいだけでなく、

彼女の朗読や、その声、その目、その顔の表情すべてで、式典の参加者に訴えていた。

一番訴えたかったのは、目の前にいる総理大臣か?

 

残念ながら、その訴えを受け止める耳を、菅総理は持っていないだろう。

基地撤去どころか、県外移設さえも受け入れないというのだから。

「最小不幸社会をめざす」と言った言葉は、もうとおの昔に忘れてしまっているのか。

 

菅総理はどうであれ、TVの前の多くの人に、

「戦争さえなかったら みんな幸せだったのに…」というおばあちゃんの声が、

届いたと思うよ、朝香さん。

 

  「幸せの一枚」


私の祖母が持つ一枚の写真

何年も経つけれど

忘れられない笑顔

忘れられない言葉


小学生の頃 先生がだした宿題

家族から戦争の話を聞いてくること

急いででかけた 祖母の家


祖母は何も言わず

棚の奥から 一枚の写真を取り出した


古びた写真に写る子どもたち

満面の笑顔の男の子

勝気そうな女の子

おとなしそうにはにかむ笑顔

豪快に口をあけた笑顔

たくさんの笑顔

一人一人の目は

未来を見つめ キラキラ輝いている


「この人だぁれ?」

真ん中に写る女性を指さし 祖母に尋ねる

祖母は寂しそうに笑い 「わたし」 

一言だけ答えた


一人一人の顔を

愛おしそうに 懐かしそうに

指でなぞるように 眺めながら

時が止まる


「この子たちは?」

ふたたび祖母に尋ねる私

「おばあちゃんの生徒たち」 「大切な大切な生徒達」

「みんなどうなったの?」


祖母は答えなかった

ずっと黙ったままだった

幼い私にも

祖母の深い悲しみが

深い苦しみが 痛いほど伝わった


長い沈黙のあと 祖母は

「どうして戦争なんかするのかねー

戦争さえなかったら みんな幸せだったのに…」


私はもう一度写真を見た

みんな笑っている

幸せそうに笑っている

愛する家族がいたはずだ

たくさんの夢があったはずだ

大人になるその日を夢みていたはずだ

その笑顔を 幸せを 奪った戦争を

私は許さない

絶対に許せない


祖母は多くを語らない

私はあれ以来

あの写真を見てはいない

祖母の家に眠る一枚の写真

それにこめられた祖母の思い

もう何年も経つけれど 忘れない

私はずっと忘れない


私たちが忘れない限り 平和は続くだろう

だからこそ 忘れてはいけない

この地には 

たくさんの笑顔が たくさんの夢が 

眠っていることを

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希望つむいで

2011-06-21 | 雑感

19日、雨の日曜日。旧戸尾小学校体育館で、小さな小さな運動会があった。

主催は「佐世保きょうだい会

 

「きょうだい会」?知らないなぁ…とお思いの方も多いだろう。

私も、そこのメインスタッフのOさんから聞いて、初めてその存在を知った。

社会ではあまり理解されてない精神病患者、

その兄弟姉妹たちが立ちあがって、親を支え、患者の社会復帰を支援し、

地域との交流も深めようとする目的で生まれた団体のようだ。

名前も、そのものズバリの「きょうだい会」

こちらに詳しい説明があります。

http://www.geocities.jp/yonecir/circle/kyoudai01.html

 

「うたごえ ふれんど」にお声がかかったのは、ほんの数日前。

メンバーの半分は都合がつかず、わずか5人での出演となった。

しかも、Oさんご希望の「希望つむいで」は、ほとんど歌ったことのない人ばかり。

1時間早めに集まって、渡り廊下で練習。

一夜漬けどころか、たった一時間の即席漬。

お味のほどはいかがかな~ドキドキ

 

出番が来て、

初めに、歌い慣れた「ありがとう いのち」を歌い、

次にこの「希望 つむいで」、

最後に、手話も交えて「翼をください」の順に歌っていった。

 

最後の曲はきっと皆さんもご存じのはず、いっしょに楽しく歌いたいと思い、

歌う前に、サビの部分だけ手話の練習をしたので、

皆さんも歌いながら上手に手を動かしてくれた。

その盛り上がりに、ノリノリのギター奏者のNさん。

力が入り過ぎて、弦が切れてしまった!!!

 

ま、なんとか最後まで歌えてよかった…と、ホッとしていたら、

「アンコール!」の声。

「希望つむいで!お願いしまーす!」

「あのー、ギターの弦が切れたので…」と言うと、

「アカペラでやってー!」との声。

そうまで言われては、歌わなくっちゃね~

練習不足の上、伴奏無しのヨレヨレ状態だったけど、みんな頑張って歌った。

 

不登校の子を持つお母さんたちだけでなく、

それぞれの悩みを抱えて生きている人たちの心に、この歌が深く沁みるのはなぜだろう?

 

あなたの心にも 届きますように。

 

      希望 つむいで

 

桜が咲くと いつも 悲しかった

蕾といっしょに ふくらんだ夢が 今年もまた 消えてく

すれ違う 制服姿 心の中で 蹴飛ばした

 

生きてるなんて つらい 生まれたくなかったと

胸をえぐる あなたのひとこと  だけど 生きていて

生きてさえいてくれたら  いつか笑顔に 会えるから

 

   弱虫でも 泣き虫でも  このままの私でいい

   花のように 草のように いのちのままに生きていよう

   揺れる心 抱きしめて  あなたと 生きよう

 

悪態ついて 家の中 閉じこもっていても

あなたはいつも 本当の心 探し続けてた

その小さな 後姿に 何度も何度も 励まされ

 

   弱虫でも 泣き虫でも このままの私でいい

   花のように 草のように いのちのままに生きていよう

   揺れる心 抱きしめて あなたと 生きよう

 

                        (作詞:村上清子 原詩:大阪のお母さんたち)

 

 

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『原発解体』

2011-06-20 | さよなら原発

一昨日の集会のとき、実は、空襲体験を聴く前に、ビデオ上映会がありました。

NHKスペシャル 『原発解体』 です。

ご覧になった方も多いでしょうが、私はまだ見ていませんでした。

 

本当に衝撃的でした。

もう、地震の確率や安全対策を議論してる場合ではない。

世界中の計画中、建設中の原発は、すぐに中止し、

稼働中の原発もなるべく早く停止すべきです。

 

なぜって?

事故が起こらなくても、寿命がきて廃炉になった原発そのものがとても危険だから、です。

 

原発を解体するのは、とても難しいようです。

なぜ解体できないのか?

それは、原発内部はあまりにも高濃度の放射能に汚染されているので人が入るのは危険。

それで、ロボットを使って作業しようとするのですが、

様々なデータ不足で、それもなかなかうまくいかないようです。

 

「解体をとくに考慮した設計は採用されていなかったのが実態です」

「解体については将来の技術開発において対応できる」

「今後技術開発をすることによって、十分な技術が確保できるという考え方のもとでやっていた」

 

ゾーっとするコメントでした。

超危険なものを造るのに、後のことは考えていない?

処分方法については、将来の人の技術にお任せ。

いつか、誰かがうまくやってくれるだろう…

そんな無責任な考えで、国も電力会社もやってきたということです。

 

脱原発の先進国ドイツでは、すでに原子炉の解体にとりかかっていますが、

原子炉の放射化(長い間核燃料から出る中性子線にさらされた結果、原子炉自らが放射線を出すようになる)によって、閉鎖から14年を過ぎても、強い放射線を出し続けています。

「これがまさに原子炉の難しいところです。表面の汚染しか取り除くことしか出来ません。原子炉そのものが放射化してしまうとどんな方法でも放射能を減らすことが出来ないのです」

解体には時間もコストもかかり、当初の900億円からおよそ1.5倍の1300億円にふくれあがっているらしい。

 

また、もっと深刻なのが、解体にともなって原発からでる大量の放射性廃棄物の問題です。

放射性廃棄物管理委員会のミハエル・サイラー委員長は言いました。

  そもそも原発を使い始める時から処分場のことを考えるべきだったのです。

  原発があるどの国でも放射性廃棄物は大量に生まれています。

  そして、最終的な解決方法を見出した国は世界のどこにもありません。

  私たちは解体や廃棄物の処理の問題にもっと注目すべきなのです。

 

原発解体で最も深刻な状況にあると言われているのがイギリスです。

25基は既に寿命を迎え閉鎖されましたが、その解体や廃棄物の処理に今後つぎ込まれる税金は約11兆円!

市民の間で問題意識が高まっています。

 

18年前に運転を中止したトロースフィニド原発では、発電所にある貯蔵施設には放射性廃棄物が入ったドラム缶が積みあげられていました。どこにも処分法がないからです。

そこでやむを得ず、発電所内にもう一つ貯蔵施設を作ることになりました。

建設費はおよそ30億円。全て国民の税金です。

 

「1960年代に原発を作ったときにはこんな施設が必要になるなんて思ってもいませんでした」

「廃棄物の処分場がないからこんな施設を作らないといけない」

と管理者は嘆いていました。

 

まるで、日本の近い未来絵をみているようでした。

玄海原発の施設内にも、あんな光景がそのうち出現するのかも・・

 

しかし、そんなイギリスでも、原発は未だに建設されています。

原発解体と原発建設が同時進行で進んでいる・・

 

人間って…愚かですね。

 

つい先日、自然エネルギーへのシフトに意欲を燃やしていた菅総理が、

昨日、オープン対話の中で、停止中の原発の再稼働を急ぎたいと話したという。。

 

あぁぁぁ・・

も~、さっぱりわからん!

 

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佐世保空襲を語り継ぐ集い

2011-06-18 | 平和

66年前の6月28日、佐世保は大空襲に見舞われました。

1200人を超える市民が亡くなりました。

その事実を語り継ぐために、毎年この集会が行われているそうですが、私は初めて参加しました。

 

夜空に焼夷弾が雨のように降り注ぎ、昼間のように明るかったとか、

疎開先の田舎から見ていたら、花火のようできれいと思ったとか、

翌朝になってみたら、街は焼け野原になっていたとか、

黒焦げの死体、特に子どもを抱いたまま焼け死んだお母さんの遺体が忘れられないとか、

東京大空襲で聞いた話と全く同じでした。

 

犠牲者の数は違っても(東京大空襲の死者は10万人以上)、その悲惨さに変わりはなく、

伝え継ぐことの大切さを感じました。

 

ある男性は、こう言いました。

私たちがこの話を語り継ぐときに忘れてはならないことがある。

それは、この事実を近現代史の中で捉える必要があるということ。

私たちは被害者であったが、同時に加害者であったことを忘れてはならない。

また、この戦争を、たんに政治家や軍部に責任を帰するべきではない。

マスコミも有識者も、ほとんどがそれらに迎合してきたのだから。

私の母は、空襲警報がなったとき、電灯を消すのが遅れただけで非国民と言われた。

そんな時代だった。

 

また、ある男性は言いました。

8月15日に戦争が終わり、9月1日から学校が始まった。

毎日墨消しをやっていた。教科書のあちこちを墨で消すのですが、社会科が一番多かった。

9月末ごろ、用事があって市役所に行ったら、星条旗が掲げられていた。

そこにはこれまで、市旗と日の丸と旭日旗があったのに、市旗と星条旗に代わっていた。

それを見た瞬間、力が抜けたように、座り込んでしまった。

 

ある女性は語りました。

女学校2年のとき、佐世保工廠に動員されて、2ヶ月間電気のことを勉強させられ、

その後はずっと、機雷とか信管を作ってた。

体当たりするための船の燃料タンクも造った。

終戦まで、勉強はせずにずっと工場で働いていた。

工廠では昼食が出た。

大豆の油粕や高粱、芋などとお米が少しのご飯だったけど、食べられるだけ嬉しかった。

 

この集会には、中学生、高校生、大学生なども来ていましたので、いろんな質問が出ました。

 

ある男子生徒がききました。

「3番目に話された方は、どうして兵隊に志願したのですか?」

 

男性は正直に答えました。

自分たちのところは、農閑期には炭鉱で働くか兵隊に行くかどっちかだった。

どっちもきついが、兵隊に行けば皆から一目置かれるので、兵隊に志願した。

 

さっきの女性が言いました。

学校に志願兵募集の知らせが来るのです。

でも、私たちの先生は、

「子どもは戦争に行かんでよかよ。戦争に行くのは大人の仕事。

 お兄さんが志願すると言ったら、そう言って止めなさい」と言いました。

と、すごく誇らしげに語ってくれました。

 

また、ある女生徒は尋ねました。

その当時、皆さんはどんなものを食べていたのですか?

 

別の女性が答えて言いました。

大豆のカスとか芋とか・・とにかくお菓子とか甘い物とかはありませんよ。

三度の食事が満足に食べられないんですから。

学校では、体育の時間が終わって教室に戻ってくると、必ず誰かのお弁当がなくなってました。

弁当泥棒がいたんです。

あるとき私は友だちから空のお弁当箱を渡されて、

「これに明日お弁当を入れてきて」と言われました。

私は家に帰って泣きながらお母さんに渡しました。

怒られると思ったけど、お母さんは黙って、翌朝、そのお弁当箱にたくさん詰めてくれました。

その子はそれを家に持ち帰って、家族皆で食べたそうです。

とても美味しかった!と喜んでいました。

 

大学生の青年が言いました。

僕は沖縄から来ている学生です。

戦争のことといったら、沖縄戦と広島、長崎しか知りませんでした。

佐世保にもこんな戦争時代があったなんて…初めて知って驚いています。

今日はここに参加できてよかったです。

 

私も、彼らと同じように、驚きや感動をもって聴かせて頂いた2時間でした。

本当にありがとうございました。

 

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