お墓掃除
今日は穏やかな小春日和。
午後からお墓掃除に出かけました。
いつものように途中でお花を買って・・
そのお花は造花です。
初めてこちらの墓苑に行った時、すべて造花が飾られているのにビックリしましたが、
生花や果物などのお供え物はお持ち帰りくださいとの張り紙が有り、
そのようなナマモノは鳥がつついたりしてお墓を荒らすからとの理由を聞いて納得しました。
今はどこの霊園でもそうなのでしょうか。
確かに管理する方のことを考えると…わかる気はします。
5000基以上もあるお墓にすべて生花が供えられていたら、
お水をあげたり、枯れたら捨てたり、確かにお世話がたいへんでしょう。
でも、何もないのは寂しい…そこで誰もが造花を供えるようになったのでしょう。
私もその慣習にならって毎回造花を供えていますが…
ふと遠い昔の記憶が蘇ってきました。
小さい頃、私はお墓掃除が大好きでした。
いえ、家族や親せきのお墓ではありません。
全く見ず知らずの人の・・
当時私が住んでいた家は町営住宅で、その住宅地を「桜ケ丘」と言いました。
隣の住宅地の町名は「旭ケ丘」と言い、両者の間に小さな墓地がありました。
私の住んでる桜ケ丘には店は1軒もなく、パンやトーフやお魚などのお店は、みな旭ヶ丘にあったので、
買い物を頼まれると、必ずその墓地の傍の道を通って行かねばなりません。
臆病者だった私は、そこを通るのが怖くて、昼間でも走って通り過ぎ、
夜はぜったい近寄れませんでした。
ところが、ある夏の日、近所の年下の女の子たちと3人で遊んでいたら、
あんまり暑くて、一人の子が気分が悪くなって墓地の木陰に座り込んでしまいました。
そこは本当に涼しい風が吹いていて、近くにあった井戸水でハンカチを濡らし、冷やしてあげたりするうちに、彼女はすっかり元気になっていきました。
そして、その子がありがとうといった時、私は何となく照れ臭くなって、
「いずみちゃんが元気になったのは、お墓の仏様たちが守ってくれたからよ!」と口走ってしまい、
その日から、私たち3人のお墓掃除遊びが始まったのです。
ススキの穂のような草を集めて束ねホーキにみたて、それで墓石の土埃を払い、
ハンカチを濡らして雑巾がけ、仕上げは野原で摘んだ花を飾って、3人そろって手を合わせパンパン。
野原で花が調達できなかったときは、自宅の庭からチョン切ってきたり、それも足りないときは、
なんと!たくさんの花が供えられているお墓から失敬したりして・・・
どこの誰かも知らない仏様が喜んでくれてるような気がして、
それまでお墓が怖いと思っていた気持は、すっかり消えてしまっていました。
数日後、庭の花をしょっちゅう持ち出していることを母に叱られた私は、
お墓掃除をやってることを白状しました。
花を無断で切りとったのは悪いけど、でも、いいことに使ってるんだから許してもらえるはず、
いや、褒めてもらえるかもしれない…なんて内心思っていたのです。
ところが、母は褒めるどころか、すごい剣幕で叱りました。
よそのお墓には近づいてはいけない、
お墓には死んだ人の魂がたくさん眠っている、
その眠りを邪魔することになるので、遊び半分に足を踏み入れてはいけないと強く言われました。
それだけでなく、中には成仏できない霊魂もいる、そういうのに乗り移られたら大変なことになる、
と悪霊の昔話まで付けくわえたものですから、
臆病者の私は震えあがり、以後決してそこで遊ぶことはなくなりましたし、
お墓のそばを通る時は、以前以上に駆け足で通り抜け、
「私に近寄らないで。私は親切でも優しくもありません。だからどうぞ近づかないで下さい」
と心の中で念じていました。
我ながら本当に単純な子どもでした。
この話、母は覚えているでしょうか?
もう訊く機会はなくなってしまいましたが…