佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

棚田と案山子

2011-09-27 | 佐世保・長崎

この絶景は鬼木棚田。

3年ぶりです。

実は、棚田を見に来たのではありません。

平日だというのに、この行列!

車もたくさん通ります。

諫早から貸し切りバスで来られた方々もいました。

 

私たちが見に来たものは・・・案山子!

元祖の案山子さんもいいけれど・・

こういう案山子さんたちがいっぱいで・・

楽しいでしょ?

こちらは?近づいて「やっぱり案山子だったよー」と叫んでるお母さん。

 

 

「ご自由にお飲み下さい  鬼木迷水百選  求!挑戦者」

と書かれています。

???

近づいてみると・・・

ヤダー!

わっはっは・・

誰もが声をあげて笑います。

ユーモアたっぷりの鬼木の案山子たち。

つるべさんでなくても、カンパーイ!と言いたいところですが…

唯一不評だったのは、駐車場前の小さな直売所。

出てくる人が皆さん「高いね…」とボソボソ。

覗いてみると、確かに。

野菜も果物もスーパーよりも高かったです。。

また、自販機のお茶もみんな売り切れてたし・・

きっと鬼木の皆さんは、案山子作りに大忙しで、そこまで気が回らなかったのでしょうね。

来年はヨロシクお願いしますね~  

 

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2011長崎のうたごえ演奏交流会

2011-09-27 | 石木ダム

去年に続き、今年も「長崎うたごえ演奏交流会」に参加しました。

残念ながら、今年は「日本のうたごえ祭典」への出場団体には選ばれませんでした。

でも、私たちは十分満足です。

長崎県民の方々に聴いて頂きたい、伝えたい。

ふる里を守りたいという思い。

ただそれだけのために命をかけているという思い。

その願いを込めて歌いましたから満足です。

会場の方の心に少しでも伝わっていたらいいな~

 

こちらは、いつもお世話になっている合唱団「ながせん」。

その力強く深い歌声に魅了されました。

やはり今年も推薦されて「うたごえ祭典」へ!

おめでとうございまーす。

 

こちらは母子で歌う「山登りきんぴら班」の合唱。

お母さんたちの包み込むような優しい声と、子どもたちの元気で明るい声が素敵にコラボしてました!

 

休憩時間もじっとしていない子どもたち。

でも、子ども同士でよく面倒みてました。

 

色違いのおそろいのTシャツの後ろに書かれていたのは・・・

YUKI、GENKI、WAKI、KONKI、HONKI、YARUKI、SONOKI…でした。

勇気、元気、和気、根気、本気、やる気、その気…ですって。

その7つの気が、みんな歌に出てましたよ!

 

私たちも見習わなくっちゃ… 

 

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9・19「さようなら原発集会」

2011-09-21 | さよなら原発

9月19日の「さようなら原発5万人集会」に6万人も参加したそうですね。

近年、沖縄以外でこんなに集まった集会は記憶に有りません。

それほど、誰もが深い関心と、意志表示の必要を感じ始めたのではないでしょうか?

 

地方に住む私たちも翌日の新聞で、その人々の群れに圧倒されました。

テレビが映さなくても、インターネットでその映像を目の当たりにしました。

 

呼びかけ人の大江健三郎さんや鎌田慧さん、落合恵子さんなどと共に

ステージから訴えた武藤頼子さんのメッセージは多くの聴衆の心に響きました。

 

 

「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤頼子さんの訴えを、

是非お聞きください。

36:53頃から始まります。

 

友人からあるメールが転送されてきました。

そのメールを書かれた方は、武藤さんのご近所に住んでらした方で、

3・11以後、福島から避難して山梨県に移住されました。

その方の心境と、武藤さんの人物像に心打たれましたので、

転載させて頂きます。

 

武藤類子さんはこちらに引っ越す前、三春の近所に住んでおり、
僕達家族にとって、同じ釜の飯を食べる家族でした。

震災前、プルサーマル反対の申し出を県庁に一緒に行ったり、
原発の事や社会の事、エネルギーの事、三春やその周辺の自然の折々を共に感じ、
とにかくありとあらゆること話し、一緒の時間を過ごし、
時には笑い、時には一緒に泣いたことを思い出しました。
こちらに来る直前の4月、ふるさとを一緒に歌い、また泣きました。

僕はこちらに来て、皆さんの助けを本当にありがたく思っています。
そして、こちらで新たな一歩を踏み出せたことを嬉しく思っています。

ただ、それと同時に、ぽっかり抜けた穴の存在を常に感じています。

やはりそれは多くの友達と離れ離れになってしまったという事です。
時折話題に上るコミュニティを失うという事です。

子供の命を守りたくて福島を出ましたが、良かったと思う反面、
大切な人達を失った事はジンワリとボディブローのように堪えています。
この辛さはなかなか耐えがたいものがあります。

福島に残る人も皆、本当は同じ気持ちです。
出れない理由はそれぞれですが、自分の大事な人と離れることはとても辛いと言う事です。
なので、出たいけれど出れない人の気持ちもすごく良く分かります。

国や東電の人間にはそれは分からないでしょう。
日本人はお金と仕事のあり方と言うものを考え直さなければいけないだろうと思います。

僕らは武藤類子さんという方からいつも大事な何かを学んで来ました。
彼女は大きな団体に属したり、なにかの先頭に立ったりすることを拒んできました。
反原発の活動も誰がやらなくても自分が決めたら一人でもやるという姿勢です。

組織が大きくなると大事な事がぼやけてしまったり、思っている事が為せなかったり、
争いや分断が起きたりするし、なんと言っても最後に言っていた様に軽やかに朗らか
に生きていたいからです。

6万人もの人を前に、あのスピーチを見て類子さんを誇らしく思いました。
本当は東京のあんなに人が沢山いるところには行きたくない人なので、
どこにでも行くだなんて、いよいよ覚悟を決めたのだと想像しました。
(あんな素晴らしいスピーチをしたけど、きっと三春に帰って東京の息苦しさの文句
を言っているだろうと想像しています。)

彼女の言っている事はいつも真理です。

方言を失う事はそこに住む人の言葉やアイデンティティを失う事です。
イントネーションを失う事は相手への思いやりや思いやりを伝えたい気持ちを失う事
です。

僕も言いたい。これ以上、古きよき地方を犠牲してはいけない。
地方へ原発立地を企てるのは、相手への敬意や思いやりを伝える感情と言葉を失った
人達です。

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それって、おかしくないですか?

2011-09-18 | 石木ダム

こちらは佐世保市水道局の建物です。

市役所のまん前にあります。

屋上からりっぱな垂れ幕が年がら年中掛けられていて、ここを通るたびに?と思います。

 

「石木ダム建設は市民の願い」???

願ってる市民もいるし、願ってない市民もいる。

私は願ってないし、私の周りの友人知人の多くも願っていない。

今年のアースデイのイベント会場でシール投票したら、60人のうち59人が要らないと答えましたよ。

 

 

 

アーケード街のフェンスにかけられた立看板。

これも疑問あり!

「石木ダム建設は佐世保市民の願い」

さっきの垂れ幕とよく似た文言ですが・・こちらは「石木ダム建設促進佐世保市民の会」の看板です。

市民の会と言いながら、活動費はすべて市から出ています。

つまり私たちの税金から出ているのです。

石木ダムに反対してる私の税金からも・・・

これって、おかしいですよね?

 

そして、私たちがイベント告知の看板をここに設置しようとしたら、待った!がかかったのです。

そのイベントとは、「本当に必要?石木ダムはいらない!全国集会」です。

市の方針と合わないからダメなんだそうです。

 

市の方針と合う団体には一年中設置を許可し、その製作費もすべて市の財源。

市の方針と合わない団体には、イベント告知さえ許さない。

 

これって、ますますおかしい!

市と同じ意見しか聞きたくない、見たくない、見せたくないのでしょうが、

市民の権利をそこまで奪えるんでしょうか?

 

お隣の県知事さんは、説明会の時、原発再稼動推進派の意見を増やすよう根回ししたらしい。

ヤラセとして世間の非難を浴びました。

 

どちらもよく似ていますね。

どちらも、世論の実相を誤魔化そうとしています。

 

佐世保市では、石木ダム賛成派の集会には職員を動員してまで、世論を大きく見せかけ、

反対派の集会は、告知さえ許可しない。

そのことを市議会で追及されても、全く非を認めない市長。

 

そして、「ほとんどの佐世保市民は石木ダム建設を願っています」と、いつも言う。

 

それって、おかしくないですか?

私は、おかしいと思います。

 

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見帰りの滝

2011-09-14 | 

「見返り美人」という日本画は有名ですが、「見帰りの滝」は知らなかった。。

ネットの情報によると、かなり見応えがありそう・・

紅葉の時期と、群生している紫陽花の時期は観光客が多いようで、今は穴場かな?

と、急に今朝出かけることになりました。

 

 

30度を超す厳しい残暑の中、木陰の遊歩道は気持ちいい。

白い水しぶきを見てるだけで涼しいなぁ~

階段を登りきると・・・

おおー!

思ったより大きい滝が出現!

滝の下に居る3人の背丈と比べてみると・・

3人がいたところまでやってきました。

すごい水しぶきです!

カメラが濡れそうで、早々に退散。

 

でも、やはり、この迫力は写真ではなかなか伝わりませんよね。

そこで、こちらの動画をご覧ください。

一緒に行った夫が撮ったものです。

 

見帰りの滝 

 

ただね・・・

飛沫の上がっていない穏やかな流れのところを見ると、

あまりきれいな水には見えません。

この滝の水は、すぐ近くにある伊岐佐ダムから放流された水だそうです。

やっぱりね~自然の流れが集まった滝の水とは透明度が全然違うなぁ。。

大きな岩や周囲の緑の美しさが絶景なだけに、残念・・・

 

さて、帰路に着こうと走り始めてすぐ、「鵜殿石仏群」という看板を発見!

すぐ近くらしい。

素通りはできないなぁ~

 

かつて唐で密教を学んだ空海(弘法大師)が唐より帰朝した際(大同元年(806))に立ち寄って、

弥陀、釈迦、観音の三尊を刻まれたという洞窟跡です。

もちろん、その三尊は現存していませんが、

南北朝時代の作と推定されている石仏、十一面観音、多聞天、持国天をはじめ、

江戸時代までに作られた大小58体の磨崖仏が残っています。

 

ちょうど一月前に見てきた国宝「臼杵の石仏」に比べたら、小さくて、技術的にも劣っているのでしょうが、

でも、その素朴さが魅力的な石仏たちでした。

 

木立の中を登ったり降りたり、いい汗たくさんかいて、マイナスイオンでリフレッシュ!

明日からまた頑張らなくっちゃ・・ 

 

 

 

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大震災から半年

2011-09-10 | 雑感

明日で3・11から半年。

たまたまつけたTVで特集をやっていた。

その映像にショックを受けた。

彼女は半壊の家の2階で暮らしていた。

1階は津波が押し寄せ、あらゆる物が水に浸かり、流され、壊れ、住める状態ではない。

未だに電気も水も通ってない崩れかけた家で、一人暮らしている。

食事は配給所で配られる弁当を取りに行き、水もペットボトルに汲みに行く。

大きなペットに3本水を詰め、バケツに入れて持ち帰る姿がもう若くない彼女には重そうだった。

一人でお弁当を食べ、あとはぼんやりしていた。

テレビもない。

寝るだけの生活。

トイレは近くの病院まで行って用を足すのだという。

 

あの日から、もう6カ月ですよ!

半年も過ぎたんですよ!

どうしてこんな現実が許されるのですか?

 

その町では、こんな生活をしている人が他にもたくさんいるらしい。

人口の多いその町では、避難所がいっぱいで後から行った人は入れなかった。

若い人、親戚縁者を頼れる人は遠くの町へ避難していったが、

そうでない人は壊れかけた自宅で住み続けるしかなかったという。

バスも通らない奥地に仮設住宅が造られても、

車を失った人や運転できない人たちは買い物にも行けず食料の配給も受けられないので、

今にも壊れそうな我が家に住み続けて、食べ物を得て、生きていくしかないないのだという。

「取り残される被災者」

まさにタイトル通り・・・

 

戦後でも、もっと復興は早かったのではないだろうか?

こんなに技術も情報伝達も進歩した社会で、遅々として進まない被災地の復興。

福島原発周辺の被災者以外でも、現在進行形の被災者がいることを初めて知った。

 

あれから半年…過去形になりつつあった記憶を拾い集め、

恥じながら、懺悔の思いで手を合わせる。

 

一方で、半年経っても被災者のことを思い続ける優しい人もいる。

一昨日、横浜の知人Eさんから封書が送られてきた。

お世話になっている方の奥様で、お手紙を頂くのは初めて。

不審に思いつつ開封してみると…

映画のチラシとチケット4枚とお手紙が入っていた。

 

震災直前の石巻で撮影された映画「エクレール お菓子放浪記」は、

戦後の混乱期を生きる少年がお菓子を通じて温かい人情に触れる物語で、

多くの石巻市民がエキストラで出演している。

俳優さんが出演料を全額市に募金したり、チケット代の一部が義捐金とされるなど、

被災地石巻を応援する映画になっていった。

画面に流れる美しい石巻の風景や、市民の笑顔や、映画製作者たちの熱い思いに感動して、

Eさんはたくさんのチケットを買いこんで、上映される地域に住んでいる友人知人に送った。

それが自分にできる復興支援の一つだとして。

 

お手紙の最後には、佐世保市で上映される3ヶ所の場所と連絡先の番号が記されていた。

 

温かく美しい映画がわかる人の心は、美しくて温かくて、冷めにくい… 

 

 

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水郷水都全国会議

2011-09-04 | 有明海・諫早干拓

今日は早起きして諫早へ。

「水郷水都全国会議・諫早大会」に参加するために。

 

「水郷水都全国会議」とは、全国の水環境を守る市民のネットワークです。

そのホームページには、このように書かれています。     

水郷水都全国会議は、1984年に琵琶湖畔で開催され た世界湖沼会議に参加した 市民の交流をきっかけに始まりました。第1回大会は、宍道湖・中海の干拓問題を焦点に、 松江市(島根県)で開催され、「親水権」の確立を提起しました。以後、毎年全国各地において、 各地域での水環境問 題を焦点に取り上げながら、市民、市民団体、研究者、企業、行政など、 幅広い人びとが参加し、交流を重ねてきました。

その団体の共同代表を務める保母武彦氏(島根大学名誉教授)から、

「諫早湾をめぐる問題の解決をどのように探るか」というテーマの基調報告がありました。

 

その前に、馬奈木弁護士(「よみがえれ!有明訴訟弁護団長」)の裁判の話を聴いたばかりで、

いつものように鋭く熱い馬奈木先生の口調に慣れた耳には、

保母先生の話は何ともいい加減で頼り無げに聞こえてきたのですが・・・

 

ところがどっこい、なんでもなさそうに語られてる内容はものすごいものでした。

諫早湾と同じように、宍道湖の隣の中海には干拓事業のために水門ができたのですが、

その水門を撤去させてしまったのです。

 

「私は釣りが趣味でね、あそこを干拓したら私の釣り堀がなくなってしまう、そりゃ困る。

 私の友だちでノンベエがいましてね、中海をつぶしたら酒の肴がなくなる、そりゃ困る言うて

 それで二人で反対運動始めたんですわ」

「100億で造って、100億で撤去しました」

「保守王国の島根です。議員も市民も始めはみんな干拓推進でした。

 それをひっくりかえしたのは、科学の力と世論の力です」

「毎週金曜日には住民の勉強会をしました」

「環境破壊を科学的に知り、その被害者に自分たちがなることがわかれば、住民は立ち上がります」

「反対する団体が全部で60を超え、反対市民が多数派になったとき議員も変わり始め…」

「結局議会は全会一致でひっくり返った…」

 

その頃集めた署名の数は32万とか!

全島根県民の4割にあたる32万人ですから、もう「すごい!」としか言いようがないですね~

そういうお話を、冗談交じりに飄々となさるお人柄にも惹かれました。

 

諫早市民からの報告では、中学の理科の先生たちが撮られた映像にみんな釘付け!

調整池に大量発生したアオコの海は、緑の波が美しく寄せては返していましたが、

それに伴うユスリカの大軍にはギョギョギョ!!!です。

立ち上る蚊柱は白い煙のようで、

その羽音の煩さは車の騒音のようで、

橋の欄干にも、看板の俳優さんの顔にも、自販機の周囲にも、びっしりと張り付いていました。

 

もう一人の市民のSさんのお話も心に残りました。

1997年4月14日、あの日は月曜日でした。当時私は教師をしていました。

5日後の土曜の午後、干潟を見に行ったら、黒く湿った土の上に、無数のカニがいました。

甲羅が渇いて白くなっていました。

近づくと一斉に動いたのでまだ生きていることがわかりましたが、

こいつらがみんな死んでいくんだなと思った時、ギロチンを下ろした現実が胸に迫ってきました。

 

またSさんは、

市民に支えられる運動にしたい、

開門派と開門反対派が対立する運動にはしたくない。

だから、いつも講演会などのとき反対派の人にも「来て下さい、参加して下さい」と呼びかけている。

でも、来てくれないが…

と、おっしゃっていました。

 

諫干問題には関係ありませんが、東京から参加の矢間秀次郎さんのお話にも惹かれました。

ダム問題だったし、埼玉の話だったし。

熊本の荒瀬ダムに続く、日本で2番目のダム撤去を目指しているという玉淀ダム。

荒川や長瀞など懐かしい地名に耳をしっかり傾けていると、

千曲川?奔流?どこかで聞いたことがあるような…

あ!そうだ!『奔流』という雑誌を発行している「千曲川・信濃川復権の会」の矢間さんでした。

 

東京の友人 I さんからも、神奈川の友人Oさんからも聞いていた矢間さんのお名前。

『奔流』も送って頂きました。

午後の会議で、たまたま隣の席に座られたので、二人の名前を出すと、

「よく知っていますよー!」と。

そして、石木ダムの全国集会の話をすると、こちらもよくご存じなので不思議に思っていたら、

水源連のSさんやEさんとも親しい方でした。

 

なんと世間は狭いのでしょう…

世界中が海で繋がっているように、人と人も「水」で繋がっているのかな~?

 

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