今日は早起きして諫早へ。
「水郷水都全国会議・諫早大会」に参加するために。
「水郷水都全国会議」とは、全国の水環境を守る市民のネットワークです。
そのホームページには、このように書かれています。
水郷水都全国会議は、1984年に琵琶湖畔で開催され た世界湖沼会議に参加した 市民の交流をきっかけに始まりました。第1回大会は、宍道湖・中海の干拓問題を焦点に、 松江市(島根県)で開催され、「親水権」の確立を提起しました。以後、毎年全国各地において、 各地域での水環境問 題を焦点に取り上げながら、市民、市民団体、研究者、企業、行政など、 幅広い人びとが参加し、交流を重ねてきました。
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その団体の共同代表を務める保母武彦氏(島根大学名誉教授)から、
「諫早湾をめぐる問題の解決をどのように探るか」というテーマの基調報告がありました。
その前に、馬奈木弁護士(「よみがえれ!有明訴訟弁護団長」)の裁判の話を聴いたばかりで、
いつものように鋭く熱い馬奈木先生の口調に慣れた耳には、
保母先生の話は何ともいい加減で頼り無げに聞こえてきたのですが・・・
ところがどっこい、なんでもなさそうに語られてる内容はものすごいものでした。
諫早湾と同じように、宍道湖の隣の中海には干拓事業のために水門ができたのですが、
その水門を撤去させてしまったのです。
「私は釣りが趣味でね、あそこを干拓したら私の釣り堀がなくなってしまう、そりゃ困る。
私の友だちでノンベエがいましてね、中海をつぶしたら酒の肴がなくなる、そりゃ困る言うて
それで二人で反対運動始めたんですわ」
「100億で造って、100億で撤去しました」
「保守王国の島根です。議員も市民も始めはみんな干拓推進でした。
それをひっくりかえしたのは、科学の力と世論の力です」
「毎週金曜日には住民の勉強会をしました」
「環境破壊を科学的に知り、その被害者に自分たちがなることがわかれば、住民は立ち上がります」
「反対する団体が全部で60を超え、反対市民が多数派になったとき議員も変わり始め…」
「結局議会は全会一致でひっくり返った…」
その頃集めた署名の数は32万とか!
全島根県民の4割にあたる32万人ですから、もう「すごい!」としか言いようがないですね~
そういうお話を、冗談交じりに飄々となさるお人柄にも惹かれました。
諫早市民からの報告では、中学の理科の先生たちが撮られた映像にみんな釘付け!
調整池に大量発生したアオコの海は、緑の波が美しく寄せては返していましたが、
それに伴うユスリカの大軍にはギョギョギョ!!!です。
立ち上る蚊柱は白い煙のようで、
その羽音の煩さは車の騒音のようで、
橋の欄干にも、看板の俳優さんの顔にも、自販機の周囲にも、びっしりと張り付いていました。
もう一人の市民のSさんのお話も心に残りました。
1997年4月14日、あの日は月曜日でした。当時私は教師をしていました。
5日後の土曜の午後、干潟を見に行ったら、黒く湿った土の上に、無数のカニがいました。
甲羅が渇いて白くなっていました。
近づくと一斉に動いたのでまだ生きていることがわかりましたが、
こいつらがみんな死んでいくんだなと思った時、ギロチンを下ろした現実が胸に迫ってきました。
またSさんは、
市民に支えられる運動にしたい、
開門派と開門反対派が対立する運動にはしたくない。
だから、いつも講演会などのとき反対派の人にも「来て下さい、参加して下さい」と呼びかけている。
でも、来てくれないが…
と、おっしゃっていました。
諫干問題には関係ありませんが、東京から参加の矢間秀次郎さんのお話にも惹かれました。
ダム問題だったし、埼玉の話だったし。
熊本の荒瀬ダムに続く、日本で2番目のダム撤去を目指しているという玉淀ダム。
荒川や長瀞など懐かしい地名に耳をしっかり傾けていると、
千曲川?奔流?どこかで聞いたことがあるような…
あ!そうだ!『奔流』という雑誌を発行している「千曲川・信濃川復権の会」の矢間さんでした。
東京の友人 I さんからも、神奈川の友人Oさんからも聞いていた矢間さんのお名前。
『奔流』も送って頂きました。
午後の会議で、たまたま隣の席に座られたので、二人の名前を出すと、
「よく知っていますよー!」と。
そして、石木ダムの全国集会の話をすると、こちらもよくご存じなので不思議に思っていたら、
水源連のSさんやEさんとも親しい方でした。
なんと世間は狭いのでしょう…
世界中が海で繋がっているように、人と人も「水」で繋がっているのかな~?