佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

最高の流しそうめん

2012-07-29 | 石木ダム

昨日行ってきました。

最高の避暑地!

石木川支流のとある場所。

ここでやるのは…

これ!

流しそうめん!

切り出したばかりの立派な竹と冷たい山水を引いてきて…

自然にこだわったまさに本格派の流しそうめん。

石木ダムに反対している川原地区に住む皆さんが毎夏楽しんでいる「流しそうめん」。

今年も誘っていただいて、喜んで出かけました。

そうめんも薬味も準備OK!

枝豆やカボチャの煮物、手作り漬物もスタンバイ。

さあ、流すぞー!

このセットをいつも一人で準備してくれる頼もし~いオジサンの声に、

早速子どもたちが寄ってきました。

ほらほら、どんどん流れてくるよ~

大人も寄っといで~

は~い!

あらら、あっという間に流れていくのね~、しっかり掬わなくっちゃ…

美味しい?

美味しいよ~、写真なんか撮っとらんで、早う食べんば…

ほーら、あげようか、お口あーんして!

佐世保のSさんは今年初参加。とても楽しそう…

う~ん、薬味が効いて最高!

だよね~

この蝶はなんという種類なの?珍しい羽の模様だね。

そうお?この辺ではよう飛んどるけど…

何故かこの蝶は、ジュンコさんのそばばかり飛び回っていました。

(帰宅後調べてみたら、イシガケチョウであることが判明。

紀伊半島以南に生息し、渓谷沿いの照葉樹林や疎林に多く、

平野部ではほとんど見られない…とのこと。

関東の平野部に長く住んでいた私が知らなかったのは当然だった)

 

こちらはカマキリに好かれて、困ってますね~

これは、タマムシ。

初めて見ました!

あの国宝「玉虫厨子」に使われたというタマムシです。

これはもう死んでいて、頭の部分がありませんでした。

ちいさな虫が乗っかっていますが、まさかこの虫に食べられちゃったとか…?

死骸とは思えないくらいツヤツヤ輝いていました、まさに玉虫色に。

後で調べたら、事典には体長25mm~40mmとありましたが、

これはとても大きかったです。

頭がなくても5cmくらいあったような…測ってないので、自信はないけど…。

私の見誤りでしょうか?

 

お腹がいっぱいになったら、子供たちは川遊び。

川の滑り台は気持ちよさそうね~と言ったら、

あっちにいるおじさんはもっと気持ち良さそうだよ~

あらら!

おじさんは川でお昼寝ですかー?

「そうだよー!背中が冷たくて気持ちいいよー!」

  

その後、こどもたちは別のおじさんと釣りを楽しんでいました。

おじさんが餌をつけてくれています。

餌は、おにぎりの残りと、そーめんですって。

そんなもので釣れるのでしょうか???

釣れたよ! ハゼだよ!

少しのあいだにこんなに釣れて…

よかったね、こうちゃん!

帰ったらお父さんやお母さんに自慢しなくっちゃね~

 

私も写真をたくさん撮ったから、

帰ったら佐世保のお友達に自慢するね。

こんな素晴らしい別天地に行ってきたんだよ~って。

そこは石木川の流域で、ダムができると水の底に沈んでしまうんだよ~

ここに行ってみたかったら、

ここを残したかったら、

石木ダムに反対しようね~って。   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被爆パネル展 ~アルカスにて今日まで

2012-07-28 | 平和

一昨日から、アルカスSASEBOで「原爆と人間」と題してパネル展が開催されています。

一日目の夜遅く、主催者も誰もいない会場でゆっくり見てきました。

入口にドーンと掲げられた毛筆の題字がいいですね。

と思って近づいてみて、その下の「平和都市宣言」を読んでビックリ!

昭和25年だから、私がまだ生まれる前、つまり大昔のようなもんですが、

でも、こんな宣言を佐世保市がしていたなんて…知らなかったなぁ

ここに書かれていたのは、

かつての佐世保は旧軍港として、「専ら戦争目的にのみ供せられてきた」が、

今次大戦によって「市民は住む家なく、帰るべき故郷は既に無く、

荒廃した惨状のなかに失業の群集と化し去った」

「日本は新憲法により非武装平和国家を中外に宣言した」

「佐世保市は茲に180度の転換を以て」

「平和産業都市、国際貿易港として更生せんことを誓うのみである」

「市民はその総意をもって港を永久に平和港として育成することをここに宣言する」

 

なんて素晴らしい!

この宣言が守られていたならば…と残念でなりません。

現実は…今の佐世保港の海は、8割以上が米軍のもの。。

 

どうしてこんなことになったのか?

それは、「平和産業港湾都市宣言」を行ったその年に勃発した朝鮮戦争により、

港湾施設の大半が再接取されるなどしたからでしょうが、

戦争特需を経験した佐世保市民は、もうこの宣言のことなど忘れ去ったのでしょうか。

 

 

長崎原爆の写真といえば、私もすぐにこの「焼き場の少年」を思い出します。

ジョー・オダネルさんの写真展を見に行ったのはちょうど4年前の同じ日でした。

http://blog.goo.ne.jp/michie39/m/200807

 

この写真も有名ですが、ふとんが敷かれていたことは知りませんでした。

 

第五福竜丸も被爆者を生みました。

そして何人もの方が亡くなり、

今また原発事故で被爆者が現在進行形で作られている…

 

この地図を見ると、一目瞭然。

南半球のほとんどは「非核兵器地帯」。

地球の未来を脅かし、今も地球を傷つけているのは北半球の国々なのですね。

 

私はつい数年前まで、日本も非核兵器地帯だと思い込んでいました。

だって、「非核三原則」、習いましたよね、学生時代。

核兵器を持たず造らず持ち込ませず…って。

実際のところはわかりませんが、額面通りに受け取れば、まさに非核兵器地帯そのもの。

でも、これは1967年に国会で決議されただけで、国際法に法ったものではなかったんですね…

確かに、日本国内に点在する米軍基地のことを考えれば、非核三原則など有名無実。

アメリカの核の傘で平和が守られるなんて神話から早く脱して、

日本も非核兵器地帯の仲間入りを果たしたいものです。

 

 

こんな重傷を負いながら生き抜いてこられた谷口さん。

その壮絶な体験を、谷口さんはいつも静かに淡々と語られます。

まだお聴きになってない方は是非、下の動画に耳を傾けてみてください。

 

被爆者の声 ?滅び損ねて生かされてきた?(1) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(2) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(3) / 谷口稜曄さん

被爆者の声 ?滅び損ねて生かされてきた?(4) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(5) / 谷口稜曄さん

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏は夕方の散歩がお薦め!

2012-07-27 | 佐世保・長崎

梅雨明けと同時に猛暑到来!

毎日暑いですね~

と言っても、我が家は海のそばで、風通しはとてもいい。

だから、昼間はエアコンをつけずに頑張っています。

午後から気温がグングン上がっても、風がピタリと止まっても、

昼間は節電に努めています。

 

家でのんびりできるんだもの、

暑けりゃアイスコーヒーだの麦茶だの、氷を入れていつでも飲めるし、

汗をいっぱいかいたらシャワーをあびればいいし、

全然苦ではありません。

 

そして、夕飯を食べて、お風呂に入り、さっぱりしたところでエアコンをオンにします。

夫は飲兵衛なので、エアコン無しではまた汗だくになってしまいますからねぇ…

 

私は夕食後一休みしたら、散歩に出かけます。

実は、つい最近始めたのですが、一石三鳥ほどの益あり。

もっと早くからやれば良かった・・と思っています。

 

第一に、全く運動しない私にとって、運動不足が少し解消されます。

第二に、昼間の熱風に耐えた体には、夕方の海風がとても心地いい!

第三に、帰りにスーパーに寄ってお買い物。これが超お得。

     炎天下に出かけなくていいし、お魚などはかなり値引きされています。

 

では、散歩コースを少しだけご紹介しましょう。

 

マンションを出てすぐ前が佐世保駅。

駅の構内に入り、反対側の港口に出ます。

出てすぐの信号を渡ると、そこはもうポートサイドパーク。

ジョギングする人やワンちゃんのお散歩をする人、ベンチでぼーっとしてる人などなど。

ポートサイドテラスには、船もよく泊まっています。

3日前の午後7時半頃、水産庁の「海凰丸」が停泊していました。

この船は、漁業取締船で499トン。

外国漁船による不法操業漁具の回収が主な任務だそうです。

 

沖の方を見ながら、ポートサイドテラスに沿って散歩します。

深呼吸すると、海の匂いが体中に広がって、なぜか元気が出てきます。

鯨瀬桟橋には、離島への小さな連絡船も泊まっています。

鯨瀬ターミナルの向こうには、シーサイドパークがあり、

その向こうは海で、

海の向こうに見えるビルは、米海軍の建物です。

公園の中に入るには暗すぎてちょっと怖かったので、引き返しました。

この広い遊歩道もとても気持ちいいのですが、夜は一人じゃね・・

で、翌日は30分早く7時に出発。

佐世保の今の午後7時は、こんなに明るいんですよ~

歩道も同じ石畳。

この石畳がとても歩きやすくて気持ちいい!

材質はなんでしょう?

レンガかな?

コンクリートやアスファルトと違って、足の裏に硬さを感じません。

その歩道に沿って歩いていくと「くじらせ橋」に出ました。

橋の欄干に鯨のレリーフがあって、カッコイイでしょ?

新港町から塩浜町、山県町、島地町(しまんじちょう)まで歩き、戻ってくると、

もう港は夜でした。

 

スーパーエレナで翌日の食材を買い、アイスを買って帰りました。

お風呂上がりのアイスの美味しかったこと!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱原発四万十デモ~メルトダウンだぜ~

2012-07-26 | さよなら原発

やってて きっと楽しそう・・・

こんなデモなら参加してみたいな~と思う人は多いはず。

とにかく 見てみて!

 

 

毎月やってるデモだそうです。

ギターを弾いてるのは、市議さんだそうです。

今度の日曜日には国会前でやるらしい~

首都圏の方、楽しみですね

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のためにデモしてるの?

2012-07-22 | 平和

昨日、梅雨の晴れ間の炎天下、デモ行進に参加しました。

オスプレイ配備反対を訴えるデモです。

松浦公園を出発して米軍基地の周辺を歩き、アーケード街入口の公園前で散会しました。

県平和センターと佐世保地区労の主催で、ほとんどがその関係者のようでした。

私を誘ってくれた友人のY子さんや私のような一般市民は何人くらいいたのだろう?

 

脱原発のデモのような活気は全くない。

鳴りものはもちろん、手作りのプラカードなどもほとんどみられない。

かく言う私もY子さん夫妻の作品をお借りして持っていたのだから偉そうなことは言えないが…

 

前方でマイクを持ってシュプレヒコールを叫ぶ人がいるけれど、

私の周りでは誰も呼応しない。

ただ黙々と歩いている。

あるいは、楽しそうに職場の話をしている。

少し後ろで、旗を持って歩く若い男性が大声で呼応する。

彼はマイクを持っていないのに、

マイクを持って叫んでいる人の声に負けないくらい大きな声を発していた。

この暑さの中、旗も重いだろうに、あんな大声をいつまでも続けていたら倒れるんじゃないか…

と気になって、隣の人の話があまり理解できなかった。

 

隣にいた彼は長崎の知人で、

大事な調査結果について伝えてくれていたので制止するわけにもいかず、

黙って聞きながら、時には相槌を打ったり、質問されれば答えたりしていたが、

だんだん生返事になってきたので彼も気付いたのか、その話は切り上げて、

自分の場所に戻っていきました。

 

私もやっと友人の要る場所に行き、

二人で、「オスプレイは来るなー!」「原発再稼動はんたーい!」とシュプレヒコールの声をあげ、

ほっとしました。

かよわい?私たちの声は小さいけれど、黙っているよりは伝わるものがあるはず…

ですよね?

 

終了後、「一休さん」で食べたかき氷の美味しかったこと!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶望こそ希望~共に歩んでいきましょう

2012-07-18 | さよなら原発

7月16日、東京・代々木公園で開催された「さようなら原発10万人集会」

33度の真夏日の東京には全国から、10万どころか17万人もの人々が集まったらしい。

17万人?!

こんなに大勢の集会やデモなど、60年安保以後の日本であっただろうか?

少なくとも私は知らない。

 

東京、埼玉、神奈川に住む友人知人も、何人か参加していた。

佐世保の友人の一人も、昨夜東京から戻った。

「いま帰ったよ~、すごかった!原発はなくせるよ~

よかった!よかったけど疲れた~、今度会ったら詳しく話すけん、待っとって~」と。

Tさん、楽しみにしてます。

 

相変わらずマスコミでは大きく取り上げないけれど、ネット上にはたくさんの情報が流れ、

友人たちもメールやブログで伝えてくれる。

 

呼びかけ人の大江健三郎さんや、澤地久恵さん、落合恵子さん、瀬戸内寂聴さんなどから

熱いメッセージが語られ、

広瀬隆さんや福井の住職の中嶌哲演さんからも真剣な訴えがあったようです。

中でも、誰もが感動したと絶賛しているのは、

「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんのスピーチ。

昨年秋の集会でもそうでしたが、武藤さんの言葉は人の心に深く届く魔法がかけられているみたいです。

 

以下はその全文です。
____________________________

熱い日差しの中を「さよなら原発10万人集会」につながる皆さん。
本当によく来て下さいました。主催者でもない私がこんなことを言うのはちょっと変ですが、でも、本当によく来て下さった・・・と思うのです。

3・11からの日々、福島の人々も、もちろんそうですが、
福島原発事故に心を痛め、原発がある社会を憂えた日本中の人々が、やさしく支え合い、自分にできる何かを・・・と立ち上がり、数々の行動を起こしてきました。

今日、皆さんにお話ししたいのは、悲しみと困難の中で、それぞれが本当に「よくやってきたね」と言うことです。

明らかにされていく事実の中で、更にがっかりすることや驚きあきれることもたくさんありました。
数々の分断は私たちをバラバラにしようとしました。
 
暗闇の中で、翻弄され、傷つき、混乱しながら、それでもつながり続け、ひとりひとりが最善を尽くして来たと思うのです。

それが、この夏の公園にひろがる色とりどりの花もようです。
官邸前の熱い金曜日です。
日本中で展開される福島の子どもたちの保養プロジェクトや健康相談です。
日本のあちこちに市民の力で建てられた放射能測定所です。
さまざまな人々が立ち寄っていく経産省前テントです。
いちはやくマンパワーを送り込んでくださった障がいを持つ人々を支えるネットワークです。 
被曝の中で行われた数々の除染実験です。
見知らぬ土地での勇気をふりしぼった新しい生活です。
福島の女たちの大飯原発弾丸ツアーです。
1300人以上の市民による集団告訴です。
電力会社を訴える数々の裁判です。
政治に訴えるあらゆる取り組みです。
情報開示や自治体へのたゆまぬ働きかけです。
インターネットでまたたくまに拡がっていく小さな報道です。映画であり、音楽であり、書物です。
各地で広がるユーモラスな福島の古い盆踊りです。
今、私たちの上を飛ぶヘリコプターです。

そして、今日、福島県の二本松市というところからてくてくと歩いてやって来た人がいます。
「灰の行進」の関さんです。
彼は、6月のある日、たった一人で東京に向かって歩き始めました。
かつて、3・11の原発事故が起きる前に二人の若者が、東京から福島までを歩き通す「ハイロウォーク」を試みようとしたことがありました。それは、消費地東京から原発現地の福島へ・・・電気を送る道を逆にたどり、原発なき世界の新しいビジョンを考える行進のはずでした。
しかし、今、電気の道をたどりながら、放射能に汚染された庭の土を背中に背負って関さんは一歩一歩、歩いて来ました。明日、東電と経産省に「あなたがたが出したものを返しに来たよ」と渡しに行くのだそうです。暑い日も雨の日もてくてく歩くうちに、ひとりふたりと同行者が増え、今日は、どれくらいの人々とともにこの公園へ歩いて来られたのでしょうか。

わたしたちは、今日ここで、「ほんとうに、よくやってきたね」と自分をほめ、今、となりにいる人をほめましょう。

そして、深く息を吐き、体をいたわりましょう。私たちの行動を支えてきた大切な体です。
これ以上、自分自身をすりへらしてはいけません。
明日をかしこく生きるために、ひそかにほほえみをたくわえましょう。

しかし、それでも福島の現状はあまりにも厳しいのです。
4号機、甲状腺検査、再稼働、瓦礫問題、安全保障
廃墟と復興の間(はざま)で、ひっそりと絶たれていく命たち・・・

アメリカのジョアンナ・メイシーという人がかつて言いました。
「絶望こそが希望である」と。
福島原発事故という最悪の事態の中から、私たちはかすかな光をたぐり寄せ、今、このように青空のもとに集まっています。
声なき声と共にあり、
分断のワナにゆめゆめ落ち込むことなく、かしこくつながりあっていきましょう。
共に歩んでいきましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気の無駄使い、なぜ止めないのだろう?

2012-07-16 | さよなら原発

昨日は、毎月恒例の反原発署名活動の日。

いつものように、玉屋前のアーケード街で、道行く人に呼びかけました。

 

脱原発の署名活動をやっておりまーす

ご協力をお願いしまーす

みんなで原発の再稼動を止めましょう~

あなたの署名で原発を無くしましょう~

 

その声にチラリと見ていく人は多いけれど、

近づいて署名をしてくれる人は、あまり多いとは言えません。。

それでも、毎回、数十人もの人が意思表示をしてくれます。

学生さんややこどもたちも…

ありがとう!

その真剣な眼差しを見るたびに、

この子たちにツケを回してはいけない…と、あらためて思うのです。

 

60代くらいの女性が、署名して数分後に戻ってきて言いました。

あなたたち市役所と関係あるの?

関係あるならお役人に言ってほしいんだけど、

この通りにいっぱい自販機があるでしょ?

あれを無くせばいいのよ。

自販機をなくせば、計画停電なんてしなくいいのよ。

日本中から自販機を無くせば、原発が何機も減らせるのよ!

 

私たち、市役所とは何の関係もありませんし、

アーケード街の自販機について言うなら、市役所じゃなくて商店会の方でしょうか・・

と言いつつ、

でも、内心、気持ちはわかる!

今までも、中高年の女性たちが何人も訴えていたし、

こういうことはどこに持っていけばいいのだろう…と考えてしまいました。

 

かつて、石油危機がおきたとき、

日本中の町からネオンが消えて、テレビやラジオの放送も12時にはピタッと終わっていたっけ。

今は電気が足りない!節電せよ!と言いながら、夜の街は煌々と輝いています。

明け方まで、テレビもガンガンやってるようです。

それっておかしいんじゃない?

 

 

電力会社は言うでしょう。

電気が足りなくなるのは昼間のピーク時なので、夜は安心してお使い下さいと。

でも、夜の無駄な電気も減らせば、その分燃料の節約ができ、それを昼間にまわせるはず。

原発と違って、他の発電は発電量を調節できるのですから。

 

自販機しかり、

深夜放送しかり、

無駄なネオンサインしかり、

そして、私がいつも買い物に行くスーパーの冷房の効き過ぎ!しかり、

まず、ムダ使いをなくすことから始めなければ。

 

それをせずに、計画停電だの、原発の再稼動だの、電力会社の論理に沿った政策ばかり…

いいかげんにしてほしい!ですよね~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成24年7月九州北部豪雨

2012-07-15 | 雑感

11日から14日にかけて、九州に降った大雨による被害の凄まじさ…

テレビには、踊り狂う濁流や、一面茶色の海と化した平野部などが映し出され、

日に日に死者や行方不明者の数も増えていきました。

 

地震や津波の猛威ではなく、台風でもない。

たかが雨、梅雨前線の活動が活発になったことによる大雨に、

私たち人間の生活は、こんなにも弱いものだったんですね。。

 

気象庁は、この記録的な大雨を「平成24年7月九州北部豪雨」と名付けました。

この4日間の雨量は、熊本県の阿蘇市乙姫で816.5ミリ、大分県日田市の椿ヶ鼻で656.5ミリ、

福岡県の八女市黒木町で649ミリだったそうです。

水につかったり壊れたりした家は、2800棟以上、死者22人、行方不明者8人。

 

そして、大きな被害は出ていないものの、実は佐賀市でも記録的な集中豪雨を観測しています。

13日昼過ぎから雨脚が強まり、1時間の雨量はなんと91ミリ!

1990年7月の大水害の時の72ミリを上回ったのだそうです。

 

ちょうどその頃、実は私は佐賀市にいました。

外の異変には気付かず、のんきに友人とホテルのバイキングを楽しんでいました。

 

中学時代の親友Tさんとは、年に1,2回デイトします。

福岡に住んでいて、仕事や介護で忙しい彼女と会うのは、いつも佐賀です。

佐賀は私たちの中間地点ですし、

佐賀城公園と本丸資料館が私たちのお気に入りの場所だからです。

 

いつものように10時半に駅で合流した私たちは、すでに雨が降り始めていたので、

とりあえず駅構内の喫茶店でおしゃべりを楽しみ、雨が止んだら佐賀城へと思っていたのですが、

お昼に近づくと雨脚は先ほどより強くなり、予定変更。

駅のそばのホテルでランチバイキングを楽しむことにしました。

 

今回は一年ものブランクがあったので、積もる話は互いにいっぱいあって…

お客さんが少なかったこともあり、安心してじっくりと食事も会話も楽しみました。

もう充分、満腹、満足、とレストランを出てホテルの出口まで来たら…

前の道路は水浸し。

もちろん雨は土砂降り。

ジャブジャブと歩いて駅へ向かいました。

 

さあ、それからが大変!

駅に着いたら、上りも下りも不通。

「運転再開の見込みは今のところたっていません」とのこと。

バスセンターへ行ってみると、

福岡方面は高速バスが動いていたので、友人はそれに乗って帰ることに。

しかし、長崎・佐世保方面は動いていないとのことで、

私は友人を見送ってから、もう一度JRの改札口へ。

 

駅の構内放送は音響設備が悪いのか、何と言ってるのか聴き取れません。

みんな駅員さんをつかまえて訊いています。

「いつになったら動くんですか?」「今日はもう動かんと?」

「いえ、そんなことはありません。レールの点検が終わらないと走らせるわけにはいかないので…

点検が始まったらだいたい1時間ほどで終わる予定なんですが、まだ始まっていないようで…」

そのやり取りを聞いて、私はコンビニへ行き、お茶とお菓子と文庫本を買いこみました。

そして、ホームに止まっている電車に乗り込み、そこでじっくり待つことに。

 

しかし、1時間以上経っても全く動き出す気配無し。

そこへ夫から電話があり、肥前山口から先は動いているとのこと。

肥前山口までなら路線バスが走っているのではないかというので、もう一度バスセンターへ。

訊いてみたら、確かに走っているけど「時間はめちゃくちゃのようですよ…」と。

でも、動いているだけマシだと思い、しばらく待ってやっと来たバスに乗り込みました。

 

運良く座れたので、安心したのか走り出してすぐにウトウト。

目が覚めると、バスは止まったまま全然動こうとしない。

窓の外を見ると、ギョギョ!

 

まるで厳島神社みたいに水の中に社が…

そこに友人からメール。

今着きました。そっちはどう?今どこ?

どこと言われても…よくわからないけど、川のような道路上にいるよ~

と返信。

だんだん水嵩は増していき…

ここにいてはヤバイと思ったのか、どの車も泳ぐように前に進み、

その動きで水嵩は一時的にさらに増し…

こんな状態に!

 

やがてピークは過ぎて水も引き始めましたが、ただひたすら渋滞は続き、

肥前山口の駅に着いたのは21時を過ぎていました。

平常では35分ほどの距離を、なんと3時間半かけて辿り着いたというわけです。

肥前山口から早岐、早岐から佐世保と電車に乗り継ぎ、10時過ぎにやっと佐世保へ到着。

 

自然界の現象の前に、いかに私たちは無力であるか、痛感しました。

ほんのちょっとの大雨でも、こんなに大混乱するのに、

「この川の基本高水は〇〇m3/秒なので、ここにダムを造れば洪水は防げます」とか、

「ここには活断層も走ってないし、〇〇mの堤防もあるので、津波がきても大丈夫。

この原発は安全ですから再稼動させましょう」など、よく言えるものです。

 

自然の威力を見くびっているのか、人間の科学力を過信しているのか…

愚かとしかいいようのない人たちが国の舵取りをしていることの恐ろしさを感じます。

 

2,3日前に届いた「ペシャワール会報No.112」の中に綴られていた、

中村哲医師の言葉が思い出されました。

 

ともすれば、

科学技術が万能で、人間の至福を約束するかのような

錯覚に陥りがちではなかっただろうか。

また、自然を無限大に搾取できる対象として生活を考え、

謙虚さを失っていなかっただろうか。

自然はそれ自身の理によって動き、人間同士の合意や決まり事と無関係である。

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぜつえん

2012-07-09 | 雑感

「ぜつえん」と打って変換キーを押すと、「絶縁」と「絶遠」と「ゼツエン」が出てくる。

「絶縁」は辞書を引くまでもないが、

「絶遠」は「きわめて遠いこと」だって。あまりきかないなぁ。。

「ゼツエン」って何?

私が書きたかった「舌炎」がでてこないので、「した・えん」と打つ。

 

そんなに舌炎ってマイナーなのだろうか?

愛用の電子辞書・ CASIO の EX-word で「ぜつえん」と打ってみる。

おー!

真っ先に「舌炎」と出るではないか!

(どうやら画数の少ない順らしい)

 

舌炎=舌の炎症。舌尖・舌縁などに白色または灰白色の斑点を生じ、

時に潰瘍を起こして激痛があり、発熱する。

 

そうそう。これなんです。

簡単に言えば、口内炎が舌にできたヤツですが、これが超痛い!

 

口内炎は、私にとって腐れ縁の旧友のようなもの。

子どものころから、しょっちゅう出没しては泣かされておりました。

風邪で高熱を出した後、

試験勉強で一夜漬けが続いた後など。

もちろん、一番多かったのは、好物の食べ物をがっついてるうちに

あわててほっぺのお肉まで噛んでしまって、血が出たときなどですが・・

 

しかし、口内炎は場所によっては、

大きく化膿しても、なんとか痛みを我慢できる場合もあるのですが、

舌炎はダメですね~

舌はとても働き者。

 

今できてるのは、舌の最先端、まさに先っぽ、頂点です。

しゃべる時、噛む時、飲み込む時…いつも、この舌先は動いているのですね~

ふだんは気づきませんが、

舌の先をどこにもつけないで、ラリルレロなんてとても発音できませんよ。

タ行やナ行だってそうです。

 

痛み止めの薬を飲みこむときも、

歯磨きをして、グチュグチュペーをするときも、

イテテテーとなるわけです。

 

こんなに痛いの、久しぶりです。

トホホ・・

 

1,2年前から、NHK「ためしてガッテン」のおかげで、口内炎が軽くて済むようになりました。

薬に頼るのではなく、初期のころに、徹底的に口を漱いで清潔に保つこと!

これが効くんですよ!

 

あ、口内炎になりかかってるな・・そう思ったら、まずチョコラBBを飲んで、

その日から、毎食後や寝る前、起きた時に歯を磨くだけでなく、

おやつを食べても、牛乳やジュースを飲んでも、デンタルリンスでグチュグチュペーをやるんです。

そうすると、

以前は完治するのに2週間かかっていたのが、1週間くらい、

早いときには3~4日で治っちゃう!

 

それで、7月1日の日曜日に舌先の軽い痛みに気付いた時から用心していたんです。

で、3日の「うたごえ」の時も、がまんして、あんまり歌わないようにしていたんです。

そうしたら痛みはひどくならず、しゃべってもそれほど痛くない。

それで、5日の会合では、普通に話ができて・・

ところが、油断大敵!

その夜と翌日、友人とのおしゃべりが楽しくて、ついつい舌を動かし過ぎたようで・・

6日の夜から痛み出し、

そのまた翌日は、こんな時に限って、めったにかかってこない友人からの長電話や、

大事な打ち合わせの電話が続き・・痛みはピークに!

翌日は、食事も、そーめんやリゾットなど、自分だけ特別メニューにいたしました。

もちろん、睡眠も取ってます。

昼食の後ウトウト、夕食後もウトウト、ベッドではぐっすり!

一昨日から、塗り薬のケナログも使い始めました。

でも、まだ…

 

もしもし、舌炎さん、そろそろお引き取り願えないでしょうか。。  

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも何度でも

2012-07-08 | さよなら原発

一昨夜、"千と千尋の神隠し"の映画をテレビで観ました。

久しぶりだったので、いろいろ忘れてた場面も有り、とても新鮮に感じた。

特に、カオナシの存在が印象的。

これまで何回か観た時は、気になりながらも、よくわからなかったのだけれど、

今回は、あれは私たちそのものだ…と思いました。

 

自分自身の実態がなくて、いつも寂しそう…

お金を出して、寄って来た者を飲みこんでしまう。

誰を食べても、どんなご馳走を食べても、満たされない。

お金の力で次々に欲望を満たしていくけれど、その欲望には際限がない私たち人間にそっくり。

カオナシは、千尋にニガヨモギの団子を食べさせられて、

食べたもの(欲望)をすべて吐き出し、やっと楽になる。

 

カオナシの顔が、似ても似つかぬはずの、野田総理の顔に見えてきた。

国民生活を守るためには原発の再稼動が必要と説き、

国を守るためには日米安保と米軍基地が必要だからと沖縄に頭を下げ、

結局は交付金というお金を差し出すばかり。

 

野田さんだけではない。

私たちの欲望がそんな指導者を産み、そんな社会を作ってしまった。

ニガヨモギ団子は福島原発事故かもしれない。

いま、私たちは一生懸命吐き出そうとしている。。

 

テーマソング「いつも何度でも」が、そっと励ましてくれる。

 

繰り返すあやまちの そのたび ひとは

ただ青い空の 青さを知る

果てしなく 道は続いて見えるけれど

この両手は 光を抱ける

 

ナターシャ・グジーさんも、そんな思いを込めて歌っています。。

 

 Away"

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする