10個ほどが紐で結えられ陰干ししてあったものだ。
マンションのベランダでは日当りが良過ぎて、また雨にも当たるので、
玄関脇のちょっと奥まったスペースに干しておいたら、うっかり忘れていて、
今日初めてお味噌汁に使った。
お店で買う玉ねぎは頭の先っぽが短いが、こちらは茎につながる部分がかなりくっついている。
その長めの頭から一枚ずつ皮をむいていて、ふと、遠い記憶が蘇ってきた。
私が小学生になるかならぬ頃だったと思う。
いつも遊んでいるお隣の子と玉ねぎの皮をせっせとむいたことがあった。
1つ年下のその女の子Mちゃんと私は、よくおままごとをして遊んでいたが、
その日、Mちゃんの家の裏口にたくさんの玉ねぎを見つけた私は、嬉しくなった。
母からはまだ料理の手伝いなどさせてもらえなかったが、一度だけ玉ねぎの皮むきを手伝った。
それがとても面白かったので、「Mちゃんのお母さんもきっと喜んでくれるよ」と彼女を誘ってむき始めた。
ところが、Mちゃんも私以上に皮むきが楽しかったようで、二人で没頭してしまった。
気が付くと数十個の玉ねぎはほとんど真白に変身していた。
そこへMちゃんのお母さんが帰ってきて、私たちはすごく叱られた。
Mちゃんのお母さんは、どこからか頂くか買ってきたかした大量の玉ねぎを
軒下に吊るして保存しておこうと考えていらしたに違いない。
そういう光景をそれまで全く見たことのなかった私は、よかれと思ってやったことを
とても怒られて、戸惑ってしまった。
今思えば、その方の怒りはごもっともなのだが…
以来、「お隣のおばさん」は私の苦手な人になってしまった。
いまごろどうしていらっしゃるだろう?
うちの母のようにお元気だろうか?
そういえば、Mちゃんもどうしているだろう・・
昔の小学生は塾などいかなかったから、学校から帰ると、暗くなるまで近所の子と
遊んだものだった。学年の垣根を越えて。
私は1つ年下のMちゃんが大好きだった。
彼女は先天性の目の病気があって、片方の目が小さく、また眼球も濁っていた。
大人になったら手術するような話をきいていたが、子どもの頃の彼女は、眼帯もせず、
いつも自然なままの、明るく賢い女の子だった。
時には男の子たちから「ひんがら目!」などとはやしたてられても、決して泣いたりしない強い女の子だった。
そんな彼女が健気で可愛くて、いっしょに遊ぶときはいつも彼女の味方をしたくなる私だった。
弟や妹がいない私は、きっとお姉さん気分を味わっていたのだろう。
でも、なぜか中学になるとぷっつり彼女とは遊ばなくなった。
彼女だけでなく、近所の子どもたちの繋がりというのがなくなって、
友人関係のすべてが、同級生や部活の仲間に限定されるようになっていった。
異年齢のこども社会は楽しかった…そんな気がする。
今の小学生ははどうなんだろう・・
玉ねぎをむき終っても、しばし物思いにふけっていたら、お鍋の湯が沸騰して半分ほどになっていた。
よくあることです・・・ここだけの話。