佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

クラビット500

2012-12-30 | 雑感

           

 

                今年も残り一日となりました。

   大忙しのこの日を、いつも忘れずにいてくれる家族や友人たちに感謝します。

                    ありがとう

 

数日前から風邪で、良くなったり悪くなったり…不安定でしたが、もう大丈夫。

本格的に回復しているのを実感しています。

 

実は昨日、思いがけない体調の異変がありました。

皆さんにも気をつけて欲しいから、お伝えします。

 

3日前から病院で処方してもらった薬を飲んでいます。

咳止めの飲み薬が2種類と抗生物質。

抗生物質はクラビット500を出されました。

クラビットは以前からよくお世話になっていた馴染みの薬です。

ただ、以前はクラビット250を出されていたので、今回はその倍の量。

つまり、一日一回の服用でOK、飲み忘れの心配が少ないのがメリットです。

忘れん坊の私には打って付け。

 

昨朝はもう熱も37度2分に下がったので、少しは大掃除の真似事でも…と思っていたのですが、

いざ動き始めると…なんか変。

息苦しい感じです。

椅子に座ってると回復したので、また動き出したら、今度はめまいや吐き気が…

いずれもそれほどひどい症状ではないのですが、でも、普通ではないのです。

結局、掃除はほとんど夫がやってくれて、私は言われるままに横になっていました。

申し訳ないと思いつつも、体がSOSを発して動いてくれないので、どうしようもありませんでした。

 

横になったまま考えていたら、薬の副作用ではないかと気づきました。

実は、朝起きてコーヒーしか飲んでないのに、咳止めとクラビット500を飲んでいたのです。

胃の中に何も入っていないのに、一度に大量の抗生物質を入れたのがいけなかったのではないか?

以前も、別の抗生物質を飲んで異変が生じたことを思い出しました。

その時は、激しい下痢に襲われたっけ・・

私は抗生物質に弱い体質なのかな?

もちろん、朝食後と書いてあるのに、何も食べずに飲んだのが最大の原因なのでしょうが。

 

あとでネット検索してみると、

ヤフーの知恵袋に、ほぼ私と同じ症状が書かれていました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484506404

その人はクラビット500を飲んだあと、

「めまい、なんともいえない気持ち悪さ(吐き気)、呼吸が苦しく、夜中全く寝付けませんでした」

と書かれていて、私は朝飲んだので寝付けないという点だけは違ってますが、

その他は全く同じでした。

 

また、薬の事典を見ると、もっと多くの副作用が書かれていました。

その中でこれも当てはまるなぁと感じたものに、「痙攣」がありました。

横になっている時に、顎が左右に痙攣して、歯がガチガチ鳴って、びっくり!

寒くもなんともないのに、顎が縦ではなく横にかってに動いて、止めようと思っても止まらない…

それほど長い時間ではありませんでしたが、初めての経験で驚きました。

 

薬と毒は紙一重と言われます。

分かっていても体調が悪い時はつい頼ってしまうんですよね。

同じ薬でも、効き方や副作用は人それぞれなんですから、

自分で自分の体と相談しながら、お医者さんにも申告しなければなりませんね。

 

そう言えば、昔、娘によく言われてました。

「お母さんの体は経済的にできてるね」って。

当時、母娘そろって生理痛に悩んでいましたが、

私はバファリンを1錠飲んだだけで15分後には痛みがおさまって、一日中平気なのに、

娘は2~3錠飲んでも効かず、少し効いても、またすぐに痛くなるので何回も飲んでました。

体に悪いから控えるように言ったのですが、痛みのひどさに耐えられなかったようです。

「経済的じゃなくて、素直にできてるのよ~」と言い返してましたが、

薬に素直な体=効き目が大きい体は、その副作用も大きいということでしょうね。

 

皆さんも思い当たる方は、どうぞ気をつけてくださいね。  

 

 

 

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追悼デモ

2012-12-28 | さよなら原発

今日は、今年最後の「さよなら原発させぼの集い」。

そして、ようこさんの追悼集会。

黙祷の後、私はこんなことを語りました。

 

ご通行中の皆さん、もし少しだけお時間があったら、足を止めていただけないでしょうか?

私たちは、原発に依存しない、安全なエネルギー社会を希望している市民です。

いま、日本中のほとんどの原発が止まっています。

日本にある原発54基中、動いているのはたった2基です。

九州管内では、1つも動いていません。

九州電力が保有する6基の原発全てが止まったままです。

しかし、私たちは普通に生活しています。

電車も動くし、エアコンもテレビも洗濯機もレンジもすべて今まで通り動いています。

きらきらフェスティバルのイルミネーションも例年通り輝いています。

 

それなのに、新政権の茂木経産相は、

「安全性が確認された原発は、政府の責任において再稼働を決めていきたい」と

昨日語りました。

私は理解できません。

昨年の3・11の原発事故はまだ何も解決していないのに、

未だに避難生活を強いられている福島県の町民・村民がたくさんいるのに、

原発を動かすという、その考えが全く理解できません。

 

被害にあったのは、福島県民だけではありません。

ここ佐世保市にも、東京、埼玉、千葉など関東各県から避難してきた親子が暮しています。

原発から200km以上離れていても、放射能汚染のひどい地域ができて、

そこに住む幼い子どもたちに影響があらわれています。

そういう子どものお母さんは子どもの健康、命が心配で、とにかく逃げてこられたのです。

ほとんどのケースが母子疎開です。

お父さんは仕事がありますから簡単には移住できず、たいていお母さんとこどもです。

 

そんなお母さんのお一人が、この集いに参加していました。

ここで思いを語ったり、さよなら原発のデモをやったり、署名活動をやったりしていました。

いつも幼い女の子と一緒でした。

 

そのお母さんが、5日前、突然の心臓発作で亡くなられました。

いつも明るく元気な方でしたので私たちは気づきませんでしたが、

やはり心労が溜まっていたのでしょう。

クリスマスは千葉に帰って、親子3人で過ごすのを楽しみにしていたのに、

その前日、帰らぬ人になってしまいました。

彼女が苦しむ姿をずっと見ていたのは幼い女の子だけでした。

もし原発事故が起きなかったら、娘が放射能による下痢や発疹で苦しまなかったら、

彼女は佐世保になどやってこなかったでしょう。

夫や友人たちとも遠く離れて暮らすことなどなかったでしょう。

一人で悩み葛藤することもなかったでしょう。

 

きっと日本中に、このような隠れた原発被害者はたくさんいると思います。

どれだけ被害者を出せば原発をなくなるのでしょう?

もうたくさんです。

子どもたちの命を守るために、

その母親を守るために、

住み慣れた場所で家族と共に暮らす、そんな当たり前の生活を守るために、

原発にさよならしましょう。

 

残念ながら、足を止めてくださる方はいませんでした。

ただ、向こう側に並んだたこ焼きの屋台のオジサンが、

じーっとこちらを見ながら聴いてくださっていました。

 

今日は前回よりもぐっと多くて、それでも14人です。

久しぶりの方もいましたし、

以前飛び入りで参加した若い男性が、また一緒に歩きに来てくれました。

 

「これはどんな団体ですか?」と通りがかりの中年男性に質問されたので、

「え?原発をなくしたいと思ってる普通の市民ですけど…」と答えると、

「私も東京のデモに参加してるんですよ。いま帰省中ですが」とおっしゃって、

なんとなく嬉しくなりました。

 

ゴール地点で来年の再会を約束して解散しようとしたとき、

息を切らせて走ってきたのは、西海町のよっちゃんと息子のゆうちゃん。

   5時に仕事を終えて、急いで車を飛ばしたけれど、道が混んでいて…

   たぶんまだ終わってないかも…と思って、向こうから歩いてくる人に、

   さよなら原発のデモを見ませんでしたか?と聞いたら、

   あっちの方へ歩いて行きましたよと教えてくれたので、走ってきました。

   間に合って良かった~と。

 

仕事帰りの疲れた体で、こんな遠くまで…と思うと、

申し訳ないやら感動するやら…

きっと、よっちゃんもようこさんの追悼デモに少しでも参加したい思いでいっぱいだったのでしょう。

 

帰りにSさんと、Tさんと、よっちゃん母子と私の5人で、ミスドに寄って、

ささやかなお疲れさん会をして別れました。

 

天国のようこさん、あなたの分までみんなで頑張るからね。

見ていてください。

弱気になったら、時々喝を入れに来てネ。。

 

 

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誰のせい?

2012-12-24 | さよなら原発

休日の朝8時、携帯が鳴って、貴女の訃報を知りました。

 

電話が切れても、まだ夢を見てるようで、信じられない。

ぼーっとしていたら、長崎のNちゃんや川棚のYさんから電話やメールが次々と。

どうやらホントのことらしい。

私も、SさんやAさんやYさんなどに連絡し・・・

 

夕方6時、やっと会えた貴女は、

白い柩の中で、ピンクの洋服姿で、ピンクのバラの花束を抱いて眠っていました。

今にも、「ああ~、よく寝た~」と言って起き出してきそう。

 

あんなに元気だったのに。

反原発の署名活動も、さよなら原発のデモ行進も、あんなに頑張っていたのに。

いつも幼いYちゃんを連れて、長崎や福岡にも出かけていたのに。

 

千葉県から疎開してきた貴女から、私たちは逆に励まされたり勇気をもらったり…

ごめんね。。

 

心臓が弱かったんだね。

子どもの頃に一度発作を起こしたことがあったんだってね。

でも、それ以後は全然なくて、

注意するように言われていた出産時にも問題はなくて、

ご家族も貴女自身も、その病気のことは忘れていたんだね。

 

お母様は、急に寒くなったからではないか…

あのアパートは寒くて、ストーブも1つしかなくて…とおっしゃっていました。

でも、疎開仲間の方たちは、心労も大きい要因だと言ってました。

人一倍元気に明るく振舞っていたその影で、

いろんな葛藤を抱えていたはずだと…。

 

何も気づかなくてごめんね。

頼りにならなくてごめんね。

 

お母様に謝ると、

いいえ、佐世保に来て、いろんな方に出会って繋がって、いろんなことを知って、

かつてないほど、とても充実した日々だと言ってました。

今までは、家族や周りに気遣ってできなかったことも、こちらでは積極的にやっていたようで、

「パパさんの立場も考えなきゃダメよ」と注意してたくらいです。

あなたのことも聞いてますよ。

石木ダムのことも何度も話してくれました。

「お母さん、アーケード街に行くと石木ダムの看板があるけど、あれを信じちゃダメだよ。

ダムなんて必要ないんだからね。ダムの予定地に行ったけど、すごく長閑ないいところで、

あんなところは絶対残さなきゃいけないと思った」って、言ってましたよ。

 

思いがけない話に、胸が熱くなる。

Yちゃんが駆け寄ってきて、おばあちゃんにケーキをおねだりしては、また走り去っていった。

 

あの子は何が起きたかわかっているんですよ。

でも今は、パパや私たちや、たくさんのお客さんが居て、ハイになっているんでしょうね。

娘が倒れたとき、あの子だけがそばにいて、

すぐに下の八百屋さんに知らせに行ったそうです。

でも、お店がお休みで誰もいなくて、お部屋に戻った時に、ちょうど私が電話して…

「ママが苦しいって言ってる!早く来て!」

あの子にそう言われて、びっくりして、私が神奈川から救急車を頼んだのです。

 

Yちゃんはきっと、いつまでも、その日のことを忘れないだろう。

母の苦しむ姿を一人で見つめていた日のことを。

母を失った日のことを。

なぜそこに父がいなかったのか、

なぜ母や自分が、暮らしていた千葉を離れて、佐世保で過ごしていたのか、

いつか疑問に思うだろう。

それが2011年3月の原発事故のせいで、

放射能の被害から自分を守るために佐世保に移り住んだと知ったなら、

Yちゃんは、新たな悲しみを背負ってしまうだろう。

 

Yちゃんの心の傷が少しでも軽くなりますように…

私たちにできることは何だろう…

 

幼いYちゃんを傷つけたのは、誰のせい?

 

 

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双葉町長からのメッセージ

2012-12-22 | さよなら原発

3日ほど留守にしていたので、その間の新聞を読んで、びっくり!

福島県双葉町の町議会が20日、あの井戸川町長に対し不信任決議を提出し、全会一致で可決

なぜ?なぜ?なぜ?

 

新聞によると、

町長は、原発事故による汚染土壌を搬入する中間貯蔵施設の建設に反対しており、議会と対立。

11月28日の同施設をめぐる県と双葉郡町村長の協議会を欠席したことが、不信任の主な理由。

議会は「これまでの一連の言動に対し、議会や町民への説明責任を果たしていない」などと指摘。

町長は、今後の進退については明らかにしていないが、

地方自治法によると、首長は10日以内に議会を解散しなければ失職するとされており、

近く町長選か町議選のいずれかが行われる見通しだとのこと。

 

あんなに町民のことを考えて、国にも堂々と物申し、

世界に向けて福島の現状を訴えてきた町長は、双葉町民の誇りだとばかり思っていたのに…。

信じられません。。

 

双葉町のホームページを開くと、町長からのメッセージがありました。

http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20121220.html/

双葉町民でなくても、多くの人に知っていただきたいと思いました。

少し長いですが、お時間のある方は、どうか最後まで目を通してください。

 

町民の皆様へ

町民の皆様、皆様の苦しみは計り知れないものです。毎日、皆様と話し合いができれば良いのですが、なかなか叶えられませんことをお詫び申し上げます。

 私が一番に取り組んでいますのが、一日も早く安定した生活に戻ることです。双葉町はすぐには住めませんが、どこかに仮に(借りに)住むところを準備しなければなりません。そこで、国と意見が合わないのは避難基準です。国は年間放射線量20mSvを基準にしていますが、チェルノブイリでは悲惨な経験から年間5mSv以上は移住の義務と言う制度を作りました。
 私たちは、この事故で最大の被ばくをさせられました、町民の皆様の健康と家系の継承を守るために、国に基準の見直しを求めています。この基準がすべてです。仮に住む場合は安全でなければなりません。子供たちには、これ以上被ばくはさせられませんし、子どもたちが受ける生涯の放射線量は大きなものになります。事故から25年が経ったウクライナの子供たちには働くことができないブラブラ病が多く発生しているそうです。
 私はこのようなことが一番心配です。町は絶対に事故を起こさないと言われて原発と共生してきました。しかし、今は廃虚にさせられ、町民関係も壊されました。自然も、生活も、生きがい、希望やその他すべてを壊されました。一方どうでしょう。これほど苦しんでいる私たちの思いは、皆さんが納得いくものになっていないのです。これを解決するのが先だと訴えています。

 私が皆さんに多くの情報を出さないと叱られていることは十分承知しています。出したくても出せないのです。納得のいくような情報を国に求めていますが、出してこないのです。国とは隠し事のない交渉をすることを求め続けてきています。町民の皆様を裏切ることは決していたしません。これから多くの情報を出していきます。

 放射線の基準に戻りますが、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告を採用していると国では言いますが、国際的に採用している訳ではありません。ヨーロッパには独自の基準があり、アメリカでも自国の基準を作って国民を守っています。最近のICRP勧告では日本を非難しています。もう1~20mSvを採用しなさいと言っています。これは大変なことで、区域見直しも賠償の基準も変わってきます。
 このような中で冷静にと言っても無理かもしれません。このような環境に置かれているのだから、皆さんの要望を常に政府、与党には伝えてきました。政争に振り回されて進んでいません。
 福島県内に避難している町民を県外に移動してもらう努力はしましたが、関係機関の協力は得られずにいます。しかも盛んに県内に戻す政策が進行しています。県に理由を聞いても納得のいく返事は来ません。町民(県民)の希望を国に強く発信して頂きたいと思います。

 町民の皆さん、損をしないでください。財産には目に見えるものと見えないものが有りますので、区別しなければなりません。目に見えるものは形や重みのあるもの価値が直ぐに判断できるものです。見えないものは未来です。一番心配なのは健康で、被ばくによる障がいであります。ウクライナでは障がいに要する費用が国家の財政を破綻させるような事態になっています。今のウクライナが25年後の日本であってはならないのです。子供に障がいが出ればとんでもない損害です。この見えない、まだ見えていない損害を十分に伝えきれていないもどかしさがあります。まだ発症していないからとか、発症したとしても被ばくとは関係がないと言われる恐れがあります。水俣病のように長い年月をかけて裁判で決着するような経験を町民の皆さんにはさせたくありません。
 昨年の早い時期から町民の皆さんの被ばく検査を国、東電、福島県にお願いし、被ばく防止も合わせてお願いしてきました。しかし、思うようになっていません、原発事故による放射能の影響下に住むことについて拒むべきです。

 損について一部しか言いきれていませんが、一番大きなこと、何年で帰れるかについて申し上げます。今は世界一の事故の大きさのレベル7のままだということ。溶けた核燃料の持ち出し終了が見通せないこと。処理水をどうするのか、核物質の最終処分はどのようにいつまで終わるのかなど多くの要因を考慮して、木村獨協大学准教授が最近の会議の席上、個人の見解として双葉町は場所によっては165年帰れないと発言しました。私には可か不可の判断できませんが、大変重要な言葉だと思います。半分としても80年だとしたら、この損害は甚大なものです。
 また、被ばくの影響についても責任者に対して担保をとっておく必要があります。



 中間貯蔵施設については、議論をしないまま、調査だから認めろと言いますが、この費用の出どころを確かめることが重要です。この施設は30年で県外に出すと国は言っていますが、約束は我々とはまだ出来ていません。この施設の周りには人が住めません。六ヶ所村では2km以内には民家がないようで、双葉町では町の中心部が殆ど入ってしまいます。では、どうするのかの議論が先です。ボーリング調査を行うのは着工です。予算の構成を見ますと、整備事業の下に調査費が付いています。これは行政判断としては着工になります。着工の事実を作らせないために、私は非難覚悟で止めていることをご理解ください。
 十分すぎるほど議論して町民の皆さんの理解の下に進めるべきです。日本初の事業です。双葉町最大の損害で、確かな約束を求める事をしないまま進めてはやがて子供たちに迷惑をかけます。新政権とじっくり話し合いをして、子供たちに理解を貰いながら進めます。このように、私たちには大きな損害があることをご理解ください。

 寒さが一段と厳しくなりました、風邪や体力の低下に気をつけて予防を心がけてください。これからもお伝えします。

平成24年12月20日

双葉町長 井戸川 克隆

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海きらら

2012-12-18 | 佐世保・長崎

まだ落ち込んでいるあなた、「海きらら」で気分転換しませんか?

「海きらら」とは、佐世保市にある九十九島水族館の愛称です。

そこで今こんなものが・・・

そう。グラスツリーです。

でも、ただのグラスツリーではないんですよ。

よく見て・・・

グラスの中に何かいるのが見えますか?

真ん中あたりに傘のような、透明な椎茸のような・・

そう、クラゲです。

館内にあるクラゲシンフォニードームで、今月25日まで展示されているクリスマスツリー。

今週は予定がいっぱいだし、冬休みに入ると子どもたちもたくさん来るだろうし…

ということで、先週行ってきました。

 

クラゲシンフォニーコーナーは、かなり大きなクラゲ展示コーナーで、

九十九島周辺で確認されている100種類を超えるクラゲを、

随時入れ替えながら展示しています。

この日出会ったクラゲたちは、

こんなふうに

水の中をふわふわと

漂いながら

名前も知らないけれど、みんなとても神秘的で、個性的で、

時には宇宙人のように見えることも・・

本当に不思議な生き物でした。 

 

こちらは九十九島湾大水槽。 

この大水槽で泳いでいるのは、九十九島湾に生息するお魚ばかり、約13,000匹!

海面近く白い渦のように回遊しているのはマイワシの群れです。

 

キラキラ光っているのは電気の光ではなく、太陽光です。

水族館の水槽としては珍しく、ここに屋根はありません。

水面の上は空。

だから雨が降ると水の透明感がなくなるし、曇っていると暗くなるし…

この日のように、青く澄んだ水槽の海に出会えたのは、とてもラッキーだったのです。

海底近くを悠然と泳いでいるのは、エイの仲間。

お腹の方がなんともチャーミングなので、みんな下から一生懸命見上げています。

そんな観客の要望に応えるかのように、水槽のガラス越しに可愛い笑顔を見せてくれることも…

まるで赤ん坊のようでもあるし、

ネックレスをしたオバアサンのようにも見えますね。

でも、あの目のように見えるのは、実は鼻の穴なんですよね~

目は背中側に付いているんですって。ご存知でしたか?

今、スタッフが餌を撒きました!

一斉に魚たちが群れて大混乱。

サメがゲットした餌を口にくわえています。

この日の餌はアジでした。

アジは、この水槽内にもたくさん泳いでいるのに、住人のアジは食べないで、

餌のアジは食べる・・・ってことは、餌は死んだものを与えているのでしょうね。

でないと、区別できないと思います。

下から吹き出しているのは空気ではありません。

砂を巻き上げているのでもありません。

これも餌です。

大きい魚たちがお腹いっぱいになったころ、小魚たち用の細かい餌を

下から吹き上げ、上からもばら撒いていました。

この餌は金魚の餌のようなものだそうです。

本当の海にはプランクトンがいっぱいいて、小魚たちはそれを食べて生きていますが、

ここではプランクトンの代わりに、人工の餌が与えられているんですね。

 

 

自然界は絶妙な食物連鎖で成り立っています。

この水槽の中で生きている魚たちが、九十九島の海にもどったら、

小さな魚は大きな魚に食べられて、大きな魚はもっと大きな魚に食べられて、命を繋いでいくでしょう。

 

でも、自分の命を繋ぐ餌があれば、

むやみに他者の命を奪ったりはしない。傷つけたりはしない。

それが自然界で生きるということ。自然の掟。

 

 

私たち人間は、その掟を破って暮らしている。

自分が生きるために必要な量の何倍もの他者の命を奪いながら生きている。

ある植物は大量生産して家畜の餌にするために、

ある動物はその毛皮を利用するためだけに殺される。

開発と称して自然が破壊され、

森に住む動物の住処が奪われ、

回遊魚は生まれた川に帰れず、

ものすごいスピードで絶滅危惧種が増えている。

 

そんなことに気づき始めた人たちが、暮らしのあり方を変えようと思ったけれど、

社会は簡単には変わらない。

政治も揺れ戻しが起きてしまった。

でも、また、揺れ戻せばいい。

何度も揺れながら、少しずつ、あるべき方向に向かっていければ・・・

 

それまで、地球が保ってくれますように… 

 

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なぜ?なぜ?なぜ?

2012-12-16 | 雑感

なぜ?

国民の大多数は原発ノーと言ったはず、あれは本心ではなかったの?

本心なら、

かつて原発の安全神話を国民に刷り込み、原発推進の政策を進めてきた政党で、

これからも脱原発に消極的な自民党に、なぜ多くの国民が投票したの?

 

なぜ?

国民の大多数は平和憲法を誇りにし、今の平和を守り続けたいと思っていたのではないの?

その願いが本当なら、

憲法を変えて、自衛隊を国防軍にして、戦争に参加できる国にしようとしている自民党に、

なぜ多くの国民が投票したの?

 

なぜ?

未来に危険なツケを残し、地球を傷つける原発から卒業しようと未来の党が立ち上がったとき、

多くの国民が歓迎の声をあげたはず。

あの声が本当だったのなら、

どうして日本未来の党の当選者はこんなに少ないの?

 

なぜ?

原発、TPP、憲法、消費税など問題山積の今、国の進路が問われている今、

なぜ投票率がこんなに低いの?

 

なぜ?

これからの国の行方が一番気になるはずの若い世代ほど、

投票に行かなかった人が多いのはなぜ?

 

この無関心が自民党を圧勝させてしまった。

きっとまもなく私たちは後悔するだろう。

こんなはずではなかったと、

あの時が曲がり角だったと、

後からきっと気づくだろう。

 

今はただ、その気づきが一日も早く訪れることを祈るのみ。

早く気づけば、その分だけ早く修正できる。

いつも、どんなことも、遅すぎるということはないのだから。

 

今日のショックは、一晩寝たら忘れよう~

今日の結果は、忘れずに、

未来への希望は、諦めずに、もっと強く胸に抱いていたい。

諦めなければ、願いはいつか叶うものだから。。。

オン・ラシャ・リアンでも歌いながら… 

 

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投票の前に~チャップリンからのメッセージ

2012-12-16 | 雑感

いよいよ選挙当日です。

マスコミの予測が当たるとしたら、かなり絶望的な未来が始まりそうですが、

まだ間に合います。

未来に希望が持てるかどうか、今日、これから、

私とあなたと、すべての有権者の1票が、それを決めるのです。

 

70年以上前に、チャップリンが『独裁者』の中で語ったメッセージが、

今とても心に響きます。

 

 

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原発がなくなるまで

2012-12-15 | さよなら原発

昨夜の「さよなら原発させぼの集い」は、たった11人だったけど、

私たちの仲間は、日本中にたくさんいる!

そんな実感と勇気が湧いてくるメールが今朝届きました。

山梨県に住む友人からのメールです。

 

昨夜の金曜日国会前の集会に、初めて参加して来ました。

幸運なことに、この日、小沢一郎さん、山本太郎さん、そして宇都宮健児さんが来て、

それぞれアピールするのを間近で聞くことが出来ました。すごい熱気でした。

天木さんも来ていたのでしょうが、演壇には登りませんでした。

この日面白いことがおきました。

いつもは来ないメディア(多分NHK、朝日、TBS)が一番前に陣取り、

後ろにいる民衆の視界を遮っていました。

しばらくはみな、普通にシュプレヒコールを繰り返したり、

一般の方たちのアピールに相づちをうったりしていましたが、

その内、自然発生的に「マスコミ、ちゃんと報道してね」「そうだそうだ」から

「報道しないなら邪魔だからどいて」「どうせ報道しないんだろう!」

そしてついに「帰れ」コールの嵐。

 

彼らは驚いた顔でカメラを引っ込め、はしごを畳んで座りました。

その後、小沢さんが登場すると、また、はしごを組み立ててカメラを回し始めました。

数人がまた抗議しましたが、大多数は黙認。

ところが、最後のうつけんさんのアピールがまだ終わらないうちに

彼らははしごを降り始めました。

すると、今度は何人かが「こらー、途中で帰るな、最後まで撮って行け!」

私がいた周囲からは笑い声が起きました。

それにしても、小沢一郎さん、山本太郎さん、宇都宮健児さんの人気はすごいですね。

勇気が湧いてきます。

 

そして、ずっと毎週金曜日に実施している首都圏反原発連合と、

原発を許さない民衆の本気度には頭が下がります。

みさおさんたちは、「今回の選挙がどのような結果になろうとも、

原発がなくなるまで、この金曜日の集会デモは続けて行きます!」

と、力強く明言していました。

 

日本の未来は期待できる、そう思いました。

 

Mさん、熱い報告ありがとう。

私も勇気をもらいました。

「原発がなくなるまで…」と、私も言ってみたいなぁ・・・

 

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さよなら原発させぼの集い6

2012-12-14 | さよなら原発

今日は午後から雨  が降りだし、夕方には強雨の予報が的中。

こんな天気の中、何人集まるかな・・

と思っていたら、11人集合!

これでも佐世保の集いとしては、まずまずの人数です。(トホホ・・)

 

しかも、驚いたのは、いま選挙戦追い込み真っ最中なのに、

その衆議院議員候補者ご自身が参加してくださったこと。

 

A党のB候補者は、この集いが始まったときからずっと参加しているお仲間です。

が、今は選挙戦でそれどころではないはず。

1分でも1秒でも市内を駆け回って「A党のBです。よろしくお願いしまーす!」と連呼すべき時。

もしかしたら、集いの中で選挙演説をなさるおつもりなのか?

との疑念もちょっぴりあったけれど、そんな気配は全くなく、

最後まで、脱原発を願う一市民として、私たちの仲間として、

ただ元気にデモ行進をなさっただけでした。

 

その上、私たちが脱原発の訴えを始めようとしていたとき、

すぐそばで、C党のD候補者が選挙演説を始めました。

Dさんは5分で済むから時間をくださいと頼みにこられ、

Bさんを含むA党の人たちは気持ちよく譲りました。

そしてDさんの演説が終わると

「お互いに頑張りましょう~、でも原発は止めようねー!」と声をかけていました。 

原発推進派のC党の候補者Dさんは、聞こえないふりをしてましたけど。。

 

BさんとA党の方々の爽やかな行動に、心の中で拍手を送りました。

 

そして、今日は新しい仲間が一人増えました。

元民社党(民社党ですよ、民主党ではありません)の議員だったという方で、

ということは、かなり以前の話のようですが、

今は一市民として、やっぱり子供たちのために原発を無くしたいと思って参加してみた、

次回も参加したいとのこと。

 

嬉しいです!  

元気と励ましをもらいました。

 

次回は、今年最後のデモ。

12月28日(金)18:00~です。

いつものように、交番横の島瀬公園で会いましょう。

 

もしお時間があったら、あなたもいらっしゃいませんか? 

 

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ムヒカ大統領のスピーチ

2012-12-13 | 雑感

友人がブログで紹介した「ムヒカ大統領のスピーチ」を読んで、

たいへん心打たれました。

 

ムヒカ大統領の名前も、彼がどこの国の人かも知らなかったけど、

人類にとって必要な政治家だということは、すぐにわかりました。

こちらがムヒカさん。

彼はウルグアイの第40代大統領です。

2010年の3月に就任しました。

1935年生まれといいますから、もう77歳です。

とても貧しい家庭に生まれ、一時はゲリラ活動をしたり、4回も逮捕されたり、

波乱万丈の人生だったようです。

その彼がなぜ大統領になったのか…興味深いところですが、

今は、今年6月に開催されたリオ会議での素晴らしいスピーチをお伝えしたいと思います。

 

リオ会議とは、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「国連持続可能な開発会議」のこと。

そこで最後に演題に立ったのがムヒカ大統領でした。

 

これは、打村明さんという日系チリ人でパラグアイ在住の方が翻訳なさったものです。

打村さんは、リオ会議でもっとも衝撃的だったウルグアイ大統領のスピーチを

マスコミが何も伝えていないことに驚き、大事なスピーチなので、

「日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました」

と書かれていました。

 

打村さんや友人たちに感謝しつつ、全文をご紹介します。

少し長いですが、是非最後までお読みください。

そして、3日後の選挙で、あなたの1票を誰に、どの政党に託すか、

その参考にして頂ければ、嬉しいです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

 

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